1997年のプロ野球 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
>>221
よもや金融機関が倒産するなんて、考えられなかったもんね 西武もヤクルトも何となく優勝した感じ
生え抜き強力打線の広島が優勝してたら盛り上がっただろうな たけし、さんまの有名人が集まる店に中井美穂が永井美奈子と有賀さつきと
共に出ていたがさんまが中井に「将来サッチーみたいになる」「古田は将来監督に
なる」と言っていた ナゴド移転で恐竜打線大絶滅
評論家どもは、「山崎は飛距離が出るからそんなに本塁打数は減らない」とか開幕前言ってたが、
フェンスの高さを考えてなかったのか?20本も減ったわ! ナゴヤドームでチーム防御率リーグ5位
そりゃ最下位になる 「活かす」
開幕の巨人戦を指してヤクルト監督・野村克也は「135分の1ではなく、135分の135」と表現して試合の重さを説明した。巨人は補強に大金を注ぎ
込み、リーグ優勝した戦力の上に清原和博、エリック・ヒルマン、石井浩郎ら新戦力を加えていた。この大補強に野村は「これで監督が森(祇晶)
だったら怖いが」と言って、ライバル長嶋茂雄を挑発した。しかもヤクルトは開幕から巨人、広島、中日の順で当たる計9試合のスタート、開幕戦に
野村は総てを懸けたといっても決して過言ではなかった。例年なら思い切って捨て試合にしていたかもしれなかったが、オープン戦で一番調子の
良かったテリー・ブロスを相手エース・斎藤雅樹にぶつけてナインを鼓舞した。
大試合の主役は年俸3億5千万の斎藤でも、3億6千万の清原でもなく、広島を自由契約になりヤクルトに?移って来た年俸2千万の小早川毅彦
だった。あまりに有名な史上3人目となる18年ぶりの開幕戦での3打席連続本塁打だったが、先制、同点、中押しの3連発は全て違う球種を打った
ものだった。ミーティングでのデータは収集するだけではなく、活かして初めて意味を持つ事を小早川らヤクルトナインが改めて証明した。
小早川の活躍が目立つ勝利だったが、投手でも救援で廣田浩章と野中徹博のテスト生組が仕事を果たし、2戦目でも移籍2年目の田畑一也が8回
2失点の好投で勝利投手になった。
出鼻を挫かれた巨人は最後までヤクルト相手に拙戦を続け8勝19敗、今年は日本一と意気込んでいた長嶋だったが、敵将・野村にはデータと人を
活かすという点で大きく水を開けられた。ヒルマン、石井、ルイス・サントスが期待を裏切り、清原もAクラスすらも厳しくなった9月以降にようやく復調し
9本塁打で30発90打点クリアという様に額面通りの働きとはいえなかった。
総年俸にしておよそ11億円の差を知恵と人使いの妙で埋めた野村ヤクルトに対して、長嶋巨人は翌年以降も退任するまで高橋由伸、野村貴仁、
マリアーノ・ダンカン、ドミンゴ・マルティネス、上原浩治、二岡智宏、工藤公康、江藤智、高橋尚成、ダレル・メイらを次々かき集めた。FA、トレード、
逆指名ドラフトをフル活用する手を緩めなかった長嶋も球団にも、常勝を義務付けられているからか、資金力を頭脳獲得に活かす事に踏み切る
勇気は持てなかった。 (了) 1997 2007 2017
では2017が一番良かったし
黄金の90年代なのに2007にも勝てないのは不思議だろう。
野村克也と言うのがそれだけ暗い霊層を作っていた。
その力は強くそれが暗いと気付けず破れない人が殆どだった
だからあれだけ超戦力を有していながら連覇すら出来ず
ヤクルトに後塵を拝した長嶋は当時の人の通り批判されて然るべきだった
野村の暗い霊層と言うのが長嶋の持っていた霊層を分断させるだけの力があった
大阪に行ってからの野村はホームシックに掛かりその暗い力が出せなくなってしまった 2017はひょっとしたらあの1987にも勝るかも知れない
と言っても1987をリアルタイムで知る訳でもないのだが
87は高架道を走るフェスティバDCのCFイメージ曲・浜田麻里のFOREVER
で一気に垢抜けた 他にもTMNETWORKのGet WildやSelf Controlなど
B'z立ち上げ前の名うてのギタリスト・松本孝弘が一気に仕掛けた物だった。
当然それからの日本音楽界はデジタルロック一色になった
こう言う今に続く伝説的な起因を作ったのが1987と言う年であり
2017に人がどんな充実した日を過ごそうと勝とうはずがないと思っている。 >>233
コラムさん乙
巨人のfa補強はもはや代名詞か… >>224
西武はキヨハラがいなくなって皆、気分が良かったんだろ。 91年、92年、97年、98年と4回も優勝チームの胴上げを見させられている阪神 >>229
大豊は94年の本塁打王の年も38本中18本を広島戦で荒稼ぎしていた(ナゴヤ球場と広島市民)から既に危なかった
山崎は確かに飛距離は出てたけど、それまで低い弾道の弾丸ライナーが多かったからフェンスの高さは難敵だっただろうね
山崎自身のちに「ドームが打球を飲み込む怪物に見えた」らしくてそれでバッティングも崩れた >>240はただの馬鹿だな。俺が言いたいのはそれだけだ。それからもう俺にレスはするなよ。 >>241
でも山崎は楽天でよく復活できたわな…
オリ田尾楽天を挟まずいきなりノム楽天だと
大豊の二の舞になってただろうな そういってチャンスでゲッツー連発する打者ばかり育たなければいいが・・・ >>254
他球団のファンだったから、そのあたりのことはよくわからないんだけど、
パウエルはチャンスにゲッツー連発だったのね >>252
パウエル監督代行は流石にないかね?
昔レオン代行とかやった
オリックスじみた事はしないとは思うが… この年は、昨日亡くなられたノムさんにとって、最後のリーグ優勝・日本一だったな 開幕からラストまでずっと一位だったからなあ
あんな楽な優勝もなかなかなかっただろう 結果2位横浜と11ゲーム差開いて優勝したけど
8月下旬には横浜の猛追で2.5ゲーム差まで追い詰められてた 日本シリーズでのヤクルトの西武に対するレイプっぷりが凄まじかった でも、西武のやられ具合は翌年のほうがもっと酷かった印象がある この年ヤクルトは開幕戦で斎藤雅樹を完膚なきまでに打ち砕いたな。
斎藤は阪神だけには強く、ヤクルト・広島には全くダメだった印象がある。 日本シリーズ終了後、野村と森祇晶が週刊ベースボールで対談しているが
・昨年(1997年)は森先生は4位予想でした、私も4位か5位だと思っていた
(ちなみに原辰徳は4位、江川卓は最下位予想だった)
・オマリーがいなくなったので大砲の獲得を要望したが代わりに
取ってきたのがホージーだった
・あの茶髪集団(西武)には絶対に負けられないと思った。個性という
意味を吐き違っている
と言いたい放題だった。野村はこ゚の歳監督として1000勝達成 1998年、シーズン終了後
野村「あの二人の監督(権藤と東尾)に負けたと思うと腹が立つ」 >>263
ホージーってシーズン前に酷評されてたよな、それもメチャクチャw
それがホームラン王になるという 「連続無三振」
20世紀のスポーツ紙の一面を飾る題材は、プロ野球人気球団の勝敗もしくは選手である事が多い。そうでない場合では球団の壁を超越した選手を
トップに持ってくることが多く、90年代でも清原和博、野茂英雄そしてイチローらパ・リーグのプレイヤーもトップを飾ってきた。彼らの活躍は勿論、
スランプも対象となってきたが、その中で三振一個でも事件だと言われ一面に載ったのはイチローが初めてと言ってもいいかもしれない。
開幕から8試合で4個と“2試合に一つのペース”だったが、4月16日にロッテ・竹清剛治から三振を喫した次の打席から連続打席無三振の記録が
始まり、そこから48試合も無三振を続けたイチローの連続打席は最終的に216まで伸びた。開幕から高かった打率は、連続無三振の期間中でも
高さをキープしていて.391を誇っていた。イチローの記録達成は簡単に成し遂げる印象が強いが、この記録も例外ではなかった。
パ・リーグ記録だった小川亨(近鉄)の180打席を抜いたのは、前々日までチームが10連勝して自身も絶好調だった6月13日で、第4打席に
ロッテ・仲田幸司からの安打で更新した。
10連勝を含む16勝3敗1分けという6月の月間成績も手伝い、全く三振せず阪神・藤田平の持つプロ野球記録である208まであっという間に進み、
6月24日の対日本ハム戦の第1打席に先発投手キップ・グロスから二直併殺ながら新記録を達成した。ただ、チームの勝利や自身の快打ではない
記録に騒ぐ世間に嫌気が差していたのか、記録が止まったのはその翌日の同カードで、下柳剛の新球シュートに空振り三振したが「これだけ喜んで
もらえて僕は幸せ者」と言ったイチローの表情はホッとしたようにも見えた。
記録を止めた下柳は前半だけで8勝(2敗)を挙げ3年ぶり2度目の球宴にも出場、全65登板のうち先発わずか1試合ながら初めて規定投球回に
達する獅子奮迅の活躍だった。そしてイチローも97年は、張本勲に並ぶプロ野球タイ記録の4年連続首位打者に加え、後のMLB時代を含めても
自己最多となる91打点を挙げた。イチローと下柳は共に40歳代半ばまで現役を過ごすプレイヤーとなったが、両者にとって凄まじかったはずの
97年シーズンはまだまだ“通過点”だった。 (了) セリーグは、戦前からある”オールド3”がいずれもBクラスに甘んじる 96年オフに巨人が金に糸目を付けず清原獲得に加え長嶋が熱望していたアトランタ金メダルリストパチェコ、落合と実際年俸4億とも言われたマックを残留させてたらドリームチームだな
タラレバ妄想でスレ汚しスマンが
パチェコ仁志松井落合清原マック清水(広沢)村田 うんこ球団にしか見えんな。FA中毒になってから巨人は補強で数年浮かんではすぐに沈む無様なチームになった。
強さがアイデンティティの球団なら自力で黄金時代を作れるラインナップを育て上げろ。 諸悪の根源はナベツネ&セゲヲ
こいつらが強奪路線に舵を切ったから、今の讀賣の惨状があるわけで… この年のセベストナイン・ゴールデングラブ連合軍は史上最強では?
打撃力、守備力ともに完璧。
1 4 立浪
2 6 石井琢
3 9 鈴木尚
4 8 ホージー
5 2 古田
6 7 松井秀
7 3 ロペス
8 5 江藤
9 1 山本昌 ホージー松井鈴木尚の外野陣が守備力完璧ってw
第一97年の松井を(ホージー鈴木をさてしいて)レフトに置くとか当時みてないのが明らかだな >>276
日本時代の松井って、主にライト(途中からセンター)じゃなかったか?
それこそ日米通じても松井のレフトなんて、ヤンキース時代に手首を骨折した
あの試合ぐらいしか記憶にないw ルーキーイヤーはレフトだよ
ライトを守るようになったのは2年目から 当時のライトには不動の鉄壁バーフィールドさんがいたからね この年はセリーグ外野陣のベストナイン・ゴールデングラブが3人とも異なったけど
鈴木尚・ホージー・松井秀は何でゴールデングラブに選ばれなかったんだ?
ホージーと稲葉を優勝補正で、あとは飯田で確定ではないか?
翌年鈴木尚が優勝かつ首位打者だったのに漏れたのも理不尽。 本当に見てないのがバレバレだな
鈴木尚なんか足の運びが危なっかしくて致命的な弱肩
ホージーも足の速さが守備には反映されずこれまた弱肩
普通に見てればこの二人がどんだけ打てても選ばれないことなんか一目瞭然 98年もシリーズ第6戦
鈴木尚は9回表先頭大塚の打球を「三塁打」にしてしまった
全国中継でこんな守備してたらないだろう 鈴木尚の弱肩ぶりは他球団ファンにも認知されていた
晩年になるとセカンドへの送球もワンバンしていた そういえば、ホージーも鈴木尚典並みに肩が弱かったって本当? さすがに、フライのひとつやふたつは捕球してるだろう この年のセの好守バランスも考えたベストナイン
1 4 立浪
2 9 松井秀
3 8 ホージー
4 3 ロペス
5 2 古田
6 7 鈴木尚
7 5 ゴメス
8 6 宮本
9 1 石井一久 古参3球団がオールBクラスも凄いが、スワローズとベイスターズ(ホエールズ)が優勝争いした年って他にあったか? >>288
俊足のホージーは1番でもいい
1ホージー
2立浪
3松井
が理想的 復活に結婚と、小早川にとってはマイベストな1年だったな
夫人とは長年遠距離恋愛を育んでいてヤクルト移籍でそれも解消(婚約時の日刊スポーツ参照)
阪神のオファーもあったそうだけど結婚を考えてるとヤクルトにして正解 97年のヤクルトは開幕戦と途中から優勝決定時のオーダーがまるで別物なんだよな
稲葉池山小早川→ホージー古田土橋
なぜか古田なんて開幕7番だった 古田を中心に辻と宮本の二遊間、センター飯田と守備力だけとっても歴代屈指のセンターラインだった 92年の笘篠池山も素晴らしかったけどそれを上回る辻・宮本
01年優勝時の土橋・宮本よりも辻・宮本だわ 優勝した97年はどちらかというと辻はシーズン前半戦しかスタメンで出ていない
夏場からは土橋が5番セカンドで定着した >>287
多分>>286は、「補殺」と間違えているのかも >>296
今だから思う
小早川がもしあのまま広島にいたら、一体どうなっていただろうね 東京への転居もなかっただろうし、引退後はNHKでなくローカル専で活動していたかもしれない >>297
相手の開幕投手との相性もあったんじゃないの? 横浜とヤクルトの天王山初戦
石井のノーノーも印象強い オープン戦で古田が怪我を恐れてフェンス際のフライを追わなかったことに
野村が激怒してしばらく捕手の練習をさせなかったから、
調整不足を考慮したかあるいはお灸をすえる延長だったのかもしれない >古田開幕7番 >>312
古田は開幕6番
小早川の加入、オープン戦での池山の復調もあったから古田の負担を少しでも減らしたかったのだろう
結局、辻が6月くらいから調子を落とし、池山は例年以下に落ち込んだから古田を中軸に戻すしか無くなったんだと思う
結果それが一番良かったんだけど ホージーの得点圏
1997年279 1998年238 最終的には盛り返してしまったんだけど、一時は讀賣の最下位の可能性もあったよね >>312
このエピソード、野村の方は覚えていなくて古田の方もコロコロ
何年の出来事だったか証言が変わってるんだよな こういう事象って選手や現場の人間よりも、どんなジャンルであれオタやファンのほうがよっぽど細かく覚えてたり知ってたりするもんだよ 当事者は意外とごっちゃになっている場合があるからね >>259
あくまで8月末の時点では、この年の横浜は88年の近鉄みたいに最後の最後まで粘るんじゃないかと思ってたよ >>322
甲子園が川崎球場みたいになるところ見たかった >>322
9月初めのハマスタ2連戦でヤクルトに1つでも取れてたら引きずることはなかったよな そこで石井(現:楽天監督)に引導を渡されることになるとは… 終始独走だった印象だが、
そういえば夏いっぱいくらいまでは優勝争いしてたんか
まぁ読売はずっと下から見上げただけだからなぁ(´・ω・`) 97年の横浜は6月まで14ゲーム開いての5位だった
7月に13勝5敗して1位ヤクルトと10ゲーム、8月に20勝6敗で2位となり3.5まで縮めるも9月に再びヤクルトに離される 終盤息切れした印象だけど2ヶ月もそんだけ突っ走ってたらそりゃそんな勢い続かないよな ガス欠を起こしかけたところに>>326があったからね… 9月の横浜も9勝11敗と落ち
ヤクルトが9月14勝5敗で9月28日に優勝を決めた 横浜はヤクルト戦の前に阪神湯舟に完封されて勢いが止まった 実際は勢いが落ちてたから完封されたってことだろうね >>326
ガス欠状態から、とんでもないしっぺ返しだったね そういえば、この年あたりから、ストッパーは最後の1イニングのみ登板というのが
定着していったような気がする
それで中日の宣、横浜の佐々木、ロッテの河本あたりがほとんど失敗なく抑えを勤めるようになった感じ… >>338
このころは「佐々木0点台とか言っても1イニングだけなら、
抑えて当然やん」とか思ってたっけ 星野ディミュロ事件の時に「日本人はすぐ抗議だ、欧米では審判は神様だから抗議しない」なんて言ったやつ、
高梨問題では日本人が弱腰で失格取られた国はみんな抗議してるぞ。
こんなやつらがいるから…
まあそいつらは長嶋野村が酷い抗議すると 「男を見せた」とか褒めていたんだろうが >>339
ただ、それを登板全試合でとなると、
それは非常に大変だと思うよ ましてリリーフの場合は、1試合で炎上してしまうと、
防御率の回復には相当な期間が必要だからね >>314
何だかんだ言いながらも、これで良かったんだと思う 中日のナゴヤドーム元年
最下位で投手を中心とした守りの野球に大転換 近鉄も大阪ドーム元年
でも野球の質はあまり変わらなかったかな?
2001年にチーム防御率リーグ最下位ながらローズ、中村らが打ちまくって優勝したよね。
その3年後に球団そのものが消滅… 今でもそうだけど大阪ドームって実際の数字ほど広い印象がないんだけど
ドーム移転初期の近鉄投手陣が毎年のように燃えまくったせいかな? 「足並み揃わず」
アリゾナキャンプで汗を流す選手のストッキングの長さがバラバラになっていた。前年まではGMだった広岡達朗の統制下での管理野球だったが、
ユニフォームの着こなしでも統一してストッキングを長く出して見せるスタイルとして表れていた。97年ロッテの足並み揃わぬストッキングは、自由の
象徴としてむしろ選手にも好意的に捉えられていた。しかしペナントレース本番の戦いも、ストッキングと同じで投打の足並みが揃わず5年ぶりの
最下位に終わった。
広岡の下でヤクルト、西武の計5年コーチを経験した後に巨人で藤田元司の参謀を務めた実績を買われ、3年間横浜を指揮していた近藤昭仁を
新監督に据えて臨んだシーズン、伊良部秀輝とエリック・ヒルマンという左右の両輪が抜けた事で、先発ローテーションに2年目・薮田安彦と新人の
竹清剛治を組み入れざるを得ない形でスタートした。
残されたエース小宮山悟の完封で開幕を飾るなど、4月は一進一退の攻防で貯金1ながら首位発進した。怪我で不在の成本年秀の代わりに抑えへ
戻った河本育之が初失点する5月下旬までは5割近辺の戦いをしていたロッテ、打でも新人・小坂誠が走攻守で引っ張ったが6月になると投手陣が
崩れて最下位に沈んだ。救援陣は中抑えに吉田篤史を回し河本と合わせたリレーを確立するなど奮闘していたが、広島から移籍して中継ぎで
頑張っていた近藤芳久と井上祐二が打たれ始めたのも6月頃だった。
球宴を挟み6連勝、1つ負けてまた6連勝して一時は15あった借金を4まで減らしてAクラスまで2.5差の4位に浮上したが、直後の8連敗で再び
最下位に転落すると二度と上がれなかった。
最終的に借金19で4位タイの日本ハム、ダイエーとも5.5差がついた。期待の竹清は制球に欠け3勝10敗、薮田は規定投球回クリアも5勝止まり、
“右のヒルマン”との触れ込みで入団したマイク・フィアリー大量失点が多く3勝、伊良部との交換で入ったシェーン・デニスは未勝利だった。
そうした投手陣を援護するはずの打線がとにかく打てなかった一年で得点、打率、本塁打がリーグ最下位で新エース・黒木知宏も12勝しながら
黒星が白星を上回っていた。
戦力に乏しく小坂、立川隆史、福浦和也ら投手同様に若手の積極登用による成長はあったがまだ途上で、デニスと一緒にパドレスから来た
ジェイソン・トンプソンの粗さと初芝清の大不振が誤算で、無断欠勤を主として気力に欠けたマーク・キャリオンがチーム三冠王という有り様の
97年ロッテは投打のバランスだけでなく、若手と中堅の足並みも年間通して揃わなかった。 (了) 1996年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
83 77. 8 計654 松井秀喜
85 72. 7 計648 斎藤雅樹
. 2. 8 75 計109 ガルベス
. 2 . 5 34 計. 59 山崎武司
. - . 2 . 8 計. 14 パウエル
. -. 2. 6 計. 12 落合博満
. -. -. 2 計 2 河野博文
. -. -. 2 計 2 マック
. - . - . 2 計 2 野村謙二郎
. - . - . 2 計 2 ロペス
. - . - . 1 計 1 立浪和義
. - . - . 1 計 1 江藤智
MVP票数 パ・リーグ
127 .8 .1 計660 イチロー
9 84 12 計309 ニール
- .8 24 計 .48 星野伸之
- .1 19 計 .22 鈴木平
- .3 .9 計 .18 グロス
- .2 .7 計 .13 西崎幸広
- .2 .1 計 7 フレーザー
- .2 .1 計 7 清原和博
- .1 .2 計 5 田中幸雄
- .1 .1 計 4 野村貴仁
- .- .3 計 3 島崎毅
- .- .3 計 3 伊良部秀輝
- .1 .- 計 3 ヒルマン
- .- .2 計 2 片岡篤史
- .- .1 計 1 田口壮
- .- .1 計 1 ブリトー
- .- .1 計 1 山本和範
- .- .1 計 1 成本年秀
- .- .1 計 1 秋山幸二
- 23 46 計115 白票 1997年
MVP票数 セ・リーグ
(1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられる)
138. 27 .5 計751 古田敦也
. 26 102 24 計460 ホージー
. 12 . 21 47 計170 佐々木主浩
1 8 39 計. 68 田畑一也
1 3 .9 計. 23 伊藤智仁
2 - 10 計. 20 松井秀喜
- 4 .3 計. 15 吉井理人
1 2 .2 計. 13 大野豊
1 1 .4 計. 12 石井一久
- 2 .4 計. 10 山本昌
- 1 .1 計 4 宣銅烈
- - .1 計 1 ローズ
- - .1 計 1 鈴木尚典
- - .1 計 1 ロペス
MVP票数 パ・リーグ
60 56 20 計488 西口文也
64 26 15 計413 伊東勤
. 8 25 24 計139 松井稼頭央
. 4 . 7 40 計 81 イチロー
. 3 15 13 計 73 鈴木健
. 3 12 16 計 67 マルティネス
. - . 1 . 2 計 . 5 小久保裕紀
. -. -. 1 計. 1 豊田清
. -. -. 1 計. 1 潮崎哲也
. - . - . 1 計 . 1 小池秀郎
.- .- .9 計 .9 白票 >>356
パリーグは伊東が2位だったんだ
てっきり松井だとばっかり思ってた 2003年の矢野といい日本だと妙に捕手が高く評価される時があるな その捕手自身が打撃でも好調だったりすると、そうなるよね 25年前の今日、ヤクルト石井一久が横浜スタジアムにてノーヒットノーランを達成した。
8月の横浜は21勝と猛烈な勢いで首位ヤクルトに3.5差で迫ってきていた所
このノーノーで横浜にトドメを刺したと言われている そして現在の石井一久は25年前では聞いたことのない楽天という名の新球団の監督をしている 高津が2年連続リーグ優勝監督
惜しくも2年連続日本一にはなれず Jスポで楽天のキャンプを見ていたら、久方ぶりにホージーの名前を聞いた 「重圧」
「凄い表現ですよね、A級戦犯って」と引退後の清原和博は12年前の巨人移籍年度を振り返った。96年オフに西武からFAで巨人に移籍
した新天地でのシーズンは、重圧に苦しみ続けて不振にあえいだ。開幕3連戦で毎試合安打、3戦目には移籍第1号を打った清原だったが、
開幕カードの対戦相手ヤクルトが見せた配球を他球団が参考にしたのか打てなくなり、第2号本塁打もチーム16試合目まで出なかった。
5月に入っても2割強の打率を推移し続けた清原だが、5月21日のチーム36試合目に早くも五番降格となった。広沢克が3割を打っていた
事、最下位に沈み借金7に増えた名門球団という背景も長嶋茂雄監督の決断を急がせた。
5月以降最下位を走り続けるチームに倣うように清原の成績も低迷した。四番の座も清原と広沢、同じく移籍の石井浩郎の3人が状況に
応じて座った。7月には殆ど六番を打つほどで、前半戦は.218の打率に15本塁打、47打点の低空飛行だった。
それでもファン選出により12年連続出場となった球宴では1試合2本塁打でMVPを獲得したが、後半戦はコンスタントに本塁打を放ち
最終的に32本塁打95打点、打率も.249までは引き上げて移籍初年度を終えた。
球宴の活躍が呼び水となって、セ・リーグの投手に慣れてきた面もあったが、球宴といい常にBクラスだったチーム環境といい重圧のさほど
かからない状況でなら打てるという裏付けにもなってしまったのも否めなかった。2ストライク後の打率が.164と極端に低く、強かった
得点圏でも.250と平凡で、中でも三塁に走者を置いた場面では.204と振るわなかった。
FA交渉の場では巨人側の条件と態度に違和感を抱き阪神入団に傾きつつあったものの、夢を捨てきれず長嶋の直接交渉で巨人入りを
決めたほど巨人そして長嶋には強い憧憬を持っていた筈だった。しかし中に入ると、練習の量と内容、野球の質について「これでいいのかと
衝撃を受けた。西武での11年間とはまるで違った」と考えていた。
シーズン中には応援ボイコットも味わいリーグワースト新記録の152三振、清原自身「地獄を見た」と言わしめた重圧の一年、前年優勝に
導きながら「清原と競り合って勝つ自信はある。だけどどちらを使うかで悩む長嶋さんの顔を見たくない」と言って飛び出した落合博満の
言葉を跳ね返す事は出来なかった。 (了) この年の7月9日のナゴヤドームでのオリックス対ハム戦で
落合博満が現役最後の盗塁(しかも三盗)を星野伸之から決めた。
43歳であった この年は西武vsヤクルトの日本シリーズだけど
この年の日本シリーズは野村監督の日本シリーズの中で1番触れられてないのでは 1973年の日本シリーズもあんまり聞かないな
選手兼監督の時も この年の高津は5/11・5/18・5/27に先発投手で登板してるんだな それでも、日本シリーズでの胴上げ投手は高津だったな 清原オールスター前まで
218 15本
最終
249 32本 この年のオールターの始球式に今話題の広末涼子
対戦相手は落合で、周りの選手に羨ましがられたらしい
そんな広末も、この年の落合と同じ43歳になるという >>369
この年の落合の全ホームラン3本打った日
4/18・4/20・7/4
前年の21本から減ってしまった >>376
この年の落合がオールスターってのが、
どうにも理解ができない
しかも始球式ってことは一番打者ってこと? 97年限定で
松井秀喜、イチロー、鈴木健、古田
対戦相手からして、一番対戦したくない打者は? 高津石井一三浦立浪新庄
中嶋藤本吉井松井稼
この年に現役だった9人が今年監督やってるんだな
原と岡田は引退、新井は入団2年前 西武とヤクルトの優勝を開幕前に予想してた人は少なかった? >>385
特にヤクルトは少なかったと思うよ
前の年に讀賣が勝ってしまったことで、優勝候補の筆頭に挙げられていたから
実際には、いわゆる”勝ち運”を前倒しで使っちゃった感じになったけどw マー君の威を借る安楽智大似事件?
女性が性暴力・いじめが原因でPTSDを発症し、
泣き寝入りして、苦しんでいます。
https://archive.is/rKT1h
https://xドットgd/j8AL6
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/vcamera/1695083351/
逃げ得が無いよう永久保存、拡散をお願いします。