一発屋と思われてるがそうじゃない選手 [無断転載禁止]©2ch.net
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これは嶋重宣
あの年だけと思ってる奴の多いこと多いこと 角中は今年首位打者を再獲得してそのイメージを払拭したな 逆に一発屋としては認識されていないが実は一発屋な選手
加藤英司
岡田彰布 藤沢公也(中)
82年、この人の完封とセーブが無かったら中日の優勝も無かった 岡田彰布は実は一発屋にもなってはいない
潜在能力からしたら 木田勇
2年目にも10勝、大洋移籍した時も8勝だから
工藤幹夫ほどの一発屋じゃない GG佐藤は一発屋とは思われてないかも知れないが
北京で終わったと思ってる奴かなりいるよな >>7
おかわりって何度もホームラン王とってるのに
一発屋と思ってる人なんているの? 衣笠。1984年(唯一の3割&唯一の100打点超えで打点王)だけの一発屋という声をチラホラ聞く >>19
単年だけ突然変異、狂い咲きとでも言うか‥‥
衣笠の場合、フル出場で2割1分を切った年が2度あることの方が問題のような気がする。 芸人もいきなり花開く訳でなく、何十年の切磋琢磨を経て青臭いソースが程よい香りを醸成するのと同じなのが84年の衣笠祥雄 木田、間柴、工藤 ハムが誇る一発屋トリオ
まぁ間柴なんかはレベルの高い一発屋かも知れんけど、
年度別成績を眺めてると15勝0敗がやけに目立つって意味で。
>>18
もしかしてホームランを打つ人=一発屋って意味で書いているのでは・・・ >>22
間柴は昭和50年にいきなり6連勝して話題になったんだよ
そのあと7連敗だけどな >>22
ホームランを打つ人っていうより、ホームランを打つだけの人って感じじゃない パロ野球ニュースでそんな話があったな。
ものすごく劇的なホームランを打って、せの一本だけで終わったみたいな選手のネタ >>22
岡田とか衣笠とか飛び抜けた成績が一年だけの長打力がある選手なのか
いわゆる三振かホームランかの一発屋なのか区別つきにくい名前もあるしなぁ 外国人なんかに多かった2、3塁打が極端に少ない鈍足長距離砲ね
さておき、岡林なんかもスレタイに当てはまるかな 岡田は潜在能力からしたら物足りないが
普通に一発屋ではない
91年まで7年連続20ホームラン以上
その前は安藤に嫌われレギュラーをつかみ取れなかった 岡田って、それ程までに潜在能力をうたわれていたの?
例えるんなら、田淵二世みたいな感じ? 衣笠の84年の打率同様に、谷沢の34本塁打も予想外の数字。 広岡達朗は岡田をべた褒め。しかし
「彼はとにかくタニマチと付き合わなかったら名球会に行けるぐらいの素材だった。長距離砲は天性で、彼にはそれだけの力はあった。が、彼自身が努力を怠りタニマチとつるんだのが彼の選手寿命を縮めた。彼は監督時代も、期待感に対する失望感が半端ない
まあ期待感を抱かせる素材なんだが」
現役時代は知らないが、岡田が子供の頃憧れたのが藤本って三塁手
この人に似てると聞いたことはある >>34
84年の谷沢は打率2位、ホームラン3位、打点2位
ひょっとしたら三冠王だったかも なんかどんでんって85年のイメージが一人歩きしてるだけな気がするけどな 一年だけいい成績を残したくらいでいい気になるんじゃねーぞ
と先輩達から言われ続けたイチロー
もし言われてなかったらどうなってたかなとも >>35
藤本じゃなくて背番号も同じな三宅じゃない? 小鶴もあの年以外は二流と思われてそう
もともと高いレベルの打者が飛ぶボールで凄まじい成績残しただけなのに 逆に正真正銘の一発屋は
西武貝塚
オリックス小松 ハムの工藤幹 中日佐藤充(これは半発屋かw)広島藤本
くらいか >>45
島倉千代子と結婚したから藤本に憧れてもおかしくない 阪神の抑え田村勤は、活躍期間は案外短かったから一発屋とも言える
92年のみっていう
イメージ的には息長い様に見えるが 田村はウダツのあがらないリーマン顔してたなw
スポーツやってる顔じゃないw 阪神の濱中もそうかも。
03年の開幕から凄いペースで打点挙げてて、この年だけのイメージが強い。
でもその他の年でもまずまずの成績は治めてるんだな。
>>44
亀井は永遠の準レギュラーって感じ。
昔でいえば元木や後藤のような。 濱中は肩の脱臼さえなかったら間違いなく金本の後継者で、恐らく福留やそれこそ今の糸井なんか取らなかったし今も現役は間違いない
3番 一塁 林威助
4番 右翼 濱中おさむ
5番 左翼 桜井広大
こんな夢を抱いた時期もあった
林も桜井も2007年の一発屋とは言える 濱中は03年はその肩の故障で離脱したけど
フルで出てたらどれくらいの成績残せてただろうか。
離脱前までは、余裕で100打点超えるペースで打ってたからな。 >>57
>9の理屈で行くと内川とかも一発屋になっちゃうもんな 今岡はなんとなく2003年だけのイメージがあったんだが、2005年も打点だけはすごかったんだな。 阪神なら狩野も正捕手になった2009年だけの一発屋なんだがその後も代打とかで渋く生き延びてるな 狩野は一発屋も行かない
さしたる実績はないから
濱中は4番を2003年序盤に打ったのと、1年だけ20本ホームラン打ったから一発屋とは言える
今岡は活躍期間は短いが、首位打者と打点王だから一発屋とは言えない
レギュラー期間というなら相当長いから
関本健太郎はレギュラー期間は長いが、実績を合わせたら一発屋ぐらいのもの 稲葉とかは、ヤクルト時代は01年だけの一発屋なんだが
日本ハムに移ってからは毎年コンスタントに好成績を残す
大打者に代わった特異な例と言えるかも。 稲葉が大打者?と思って記録を見ると日ハム時代一度もOPS9割超えてないじゃん。
通算で盗塁ふた桁行ったシーズンもないし、20本塁打四度・90打点が一度。
悪い選手じゃないけどイマイチだなあ >>58
今も現役は無理やろw
でも巨人はその世代がこぞって残ってる訳か
4番を張り続けてたとなったら夢があるな
岡田が監督じゃなかったら間違いなく現役は伸びただろ 高橋雅裕
古葉、須藤政権ではショートのレギュラーだったが…
やはり89年の開幕戦でのエラーが古葉大洋を心中させた… >>73
スレ違いの話しではあるが、
その一年前の巨人・鴻野じゅんきと、
そっくりなケースやね >>74
あっちは2位だったけどフロントと対立して巨人王政権終了 >>63
今岡は打点王が有名過ぎて首位打者が忘れられてるタイプと思うが >>73
あの後ベイスターズになって右打席だけにして代打で活躍しなかったら
ほんとに一発屋で終わってたと思う >>73-74
開幕戦でエラーと言えば98年の星野も 本物の一発屋と言えば
加治前と隠善だな
最初の試合だけ 1年だけって選手の方が少ないよな
小林誠二なんかはわかりやすいくらいの一発屋だが 一発屋ですらない清水義之・銚子利夫・横谷彰弘・市川和正等の横浜大洋末期のモブ選手陣 >>80
特定の要素に限ればそこそこいる
チョロにとっての打率とかノムケンにとっての本塁打とか ある年だけ突出してて他は平凡な選手を一発屋と呼びたくはないな
確変ならまあ分かるが 阪神の亀山は一発屋と呼ぶべきかは微妙
レギュラー期間はそこそこ長いから
南牟礼豊蔵って選手は、何となく一発屋っぽい一発屋言うより一瞬屋でも輝いた時はあった >>87
>>81は>>80へのレスだろ
前後の流れも読めないの? >>90
>>80が「1年だけって選手の方が少ないよな」と言って、例として小林誠二を挙げた状態で、
>>81で「渡辺浩司」を挙げることで、>>80のレスにどう反応したかったの?
>>80の主張と反対となる例を挙げるわけでもなく(1年だけの選手が多いと言いたいわけでもなさそう)、
>>80の少ないという説に追従するわけでもない(1年だけの選手が少ないと言いたいわけでもなさそう)、
趣旨不明のレスじゃん。 趣旨不明のレスして前後関係も読めないの?って発狂するもんな 98年の前半だけ良かった日本ハム西浦
0.5発屋ってとこか 石井丈裕
92年だけの一発屋と思われがちだが、93年と95年も二桁勝利を挙げている >>93=>>90=>>81
素直にお前が「スレタイちゃんと読まず趣旨から外れたレスをしてすみません」って謝れば済む話だろ?
なに頓珍漢な言い訳して恥の上塗りしてるんだ?
お前みたいなアスペって人生つらくて大変なんだろうな >>96
打撃や投球の個人タイトル1個の一発屋はあまたいるけど、
MVP獲得して一発屋「風」に思われるってすげえわな。
権藤みたいに殺人的な起用された時代でもなく。 >>95
その理屈なら、92年のデブ大久保、中日の前原も同じ類。 西浦は、トレードしてきた落合にたんかを切った時点でおわりくさかった
その時出てきたのがあの小笠原
前原は、高木の地元の後輩で高木が売り出したかった選手
しかし特徴が無さ過ぎた
翌年、外国人を取って実質終了
一発屋までは行かない >>89
亀山の頃は一年一年が長かった
今みたいにハンコを付いたように毎年終わって
行く時代じゃなかった
みんな本気だった 亀山がまともに出た年は
92年以外だと94年だけだが、この間に
スーファミ版スト2、FF56、ロマサガ2と発売している。今は平気で7〜8年空いたりワンピースなども10年位かけてやっとちよっと進む。
94→95は日本に置ける最大の端境期だった
国民的マンガドラゴンボール終了やすぐに
B'zの連続ミリオン記録がストップするなど
〜94と95〜の音楽では丸で違う文化になった。オウム事件などにより内向きで現実的な
ミスチルや井上雄彦の作品がスタンダードになる
そして、西武黄金期も94年に半ば強引に終わらされている。
85以後の暗黒期と95の大々的な世の中の変質
という二つの大きな波に当たってしまった
亀山は不運だった。
だが92〜94は今もどの時代より燦然と輝いている。 >>102
キモイから自分でブログでも書いてやってたら マイク仲田も92年だけと思ってたけどそれ以外の年も暗黒阪神に
そこそこは貢献してるな 仲田は歴代監督に全て期待されたが
本人が練習嫌いで、せっかくの才能をつぶしてしまった
と亀山が言ってた
合コンのセッティングは大概マイクが仕切ったらしい
イケメンだったからな
阪神の八木は、一発屋の様に見られないが
記憶だけなら92年のホームラン未遂の一発屋とも言える
代打の神様時代は不思議と記憶は薄い >>106
てめえはチラシの裏にでも書いてろ
何が記憶だけなら一発屋だ ベイファンには一瞬だけクリンナップ打ってたイメージしかないがその前のオリックスでは不動のショートだった小川博文 >>108
小川姓の野球選手は殺人犯を除いて確変したシーズンも無ければ駄目だったシーズンも無いイメージだわ。 強いて挙げれば74年巨人で12勝4敗の小川邦和さんかなぁ・・・ 代打の神様とおもわれているが、実はそうではない選手 一発屋
率は低いがホームランがある打者&短期間活躍した選手
でいいの? ロジャー・マリス
61本塁打の1961年だけの人と思われがちだけど
実はその前年の1960年もアリーグMVP
2年連続でアリーグMVPを受賞している 遠山
松井キラーだった1999年の印象強いが高卒一年目で先発ローテ入って8勝してた >>118
むしろバレンティンのほうが一発屋だな。
60本打った年以外は、みんな30本程度だからな。 といってもタイトルを見れば、3年連続ホームラン王・2年連続最高出塁率なのか。
でも、打撃の数字だけ見ると一発屋に見える。 鈴木貴久。
4年連続20本塁打以上。通算192本。 中日二代目のドラフト1位藤沢(パームボールなげる)は1年目だけ
小松がドラフト二位で怒ってたな
初代藤沢は左腕で74長島引退試合に出てた 平井は普段よりちょっといい成績残したら
たまたま周りのレベルが低かったので首位打者とってしまった感じだからな
2011の長野みたいなもの
まあ長野のほうがレベルが数段上だけど >>122
2割8分6厘、22本塁打、73打点。これが、3部門のキャリアハイで、全て別の年。
特別目立つことも無い選手だし、一発屋なんて思ってる人いないだろ? 逆に、デービス、オグリビー、ブライアント、石井といったそうそうたるメンバーの後ろの5番を打って、
いてまえ打線の中核を担っているイメージの割にはたいした数字を残せていないって感じ。
“イメージより数字はたいしたことの無い選手”スレがあれば大いに該当するのだろう。 貴久は10.19の第一試合のMOMのイメージが一番強いかな。 >>128
そいつらのせいで影が薄いとも言える
当時を知らないと誰?ってレベルだろ 近鉄でいえば加藤哲はあの発言のおかげで今でも有名人だが
一発屋ですらない凡投手と知って少しびっくりした >>133
みんな揃いも揃って250 20本クラスなんだよなあ。その前は淡口なんかがクリーンナップ打ってた。
それでいて当時ライバルだった西武の森監督は「近鉄はよく打つ」って。
AKDに石毛辻平野が脇を固める強力打線のくせに嫌味な野郎だと思ったね いや、近鉄打線のほうがはるかに破壊力があったし恐れられていた。
AKDは過大評価、意外に恐がられていない、 近鉄だと全盛期の石井浩郎は完全に過小評価だな
92〜94あたりの3年間に限ればパの4番、といえば清原よりこの人でしょ >>136
あの当時の近鉄打線はイメージほど得点力ないよ。
少なくとも仰木時代の近鉄と森・西武とでは西武の方が得点力はあった。
88-92の平均得点
西武 4.93
近鉄 4.57 >>137
巨人に行った頃は反動で過大評価だった
パを代表するスーパースラッガーの石井を何でもっと使わないんだ、清原引っ込めろって感じでよくアンチ清原の比較対象に使われてたな
もう結構衰えがきてたんだけどね 石井は巨人に来た頃は完全にピーク過ぎてたしな
代わりに近鉄行った吉岡が活躍するオチ でも石井にとっては知名度を得られて良かったな。選手としてはもう終わっていたからな。 >>105
この当時は正直、マイクぐらいしかロマンの持てる投手がいなかったからなあ。今だったら、2〜3年ぐらいで消えていそう。せいぜい覚醒する前の岩貞レベルだな。 石井ひろおは過大評価なのか過小評価なのか、
よく分からんのだが、新人のときに少ない打数で22本打ったのが、
インパクト強くて、あとは打点王取った94年くらいなんだよなぁ。
そこまでの成長曲線なら原と同じくらいんだろうけど、
巨人に来たときには贅沢な代打の神様って感じしかしなかったし。
怪我がなければ原より良い成績残したのかも知れんが。 石井が終わったのは95年に手首壊したからだよ
4番で連続してスタメン出場する記録にこだわったのもマイナス そもそも早稲田→プリンスホテル経由だからプロ入りした時点でかなり高齢
よくあそこまで活躍したよ 掛布にせよ石井にせよ原にせよ手首の怪我ってのは打者のキャリアを一変させるよ。ほんと。
原なんか他の打者に比べたら大きな劣化をしなかったもんだ。
現代なら今江あたりも、手首をやってなければもう少しいい数字だっただろ。
そういえばAKDも石毛もみんな怪我しなかったわけではないが、
手首にぶつけられて大けがした印象は無いな。
清原以外はちゃんと避ける練習をしたからなのだろうか? 清原も西武時代は怪我といえば肩を脱臼したくらいで長期離脱はほとんどなかったんだけどな >>146
落合も最後は手首の怪我だったな
あれは本当に残念だった 中日の野口に破壊されたんだっけか。
その野口も99年だけのイメージがあったが
その前後の4年間は、エース級の成績を残してたのがちょっと意外だった。
防御率で言えば、98年がキャリアハイだし。 >>128
>イメージより数字はたいしたことの無い選手”スレがあれば大いに該当するのだろう
殿堂板的に該当する選手で思い出したのが
阪神の並木&遠井と中日の井上弘昭
二人とも主に中軸を打ってたが20発越え1度も無し
鈴木貴久が急逝したとき
サンモニでハリーが勝負強い良い選手だったと
褒めてたのを記憶してる 10勝を3度記録している岡林
91年は12勝12セーブと(優勝した年でもないのに)大車輪 石井浩郎はスタメンで使ってさえいればもうちょっと成績残していたと思うよ
まあ清原を押しのけてまで石井をスタメンにするってのは考え難いから
そこも含めて当人の実力だったんだがな 澤崎
新人王獲得と同期ドラ2黒田との対比で
1年目だけの選手というイメージを持たれる。 >>9,57
あわや三冠の1979年がラビット確変ってだけで毎年3割20本で90前後の打点を
マークする大打者の域の人でしょ。
1979年はラビット確変以外に、前年.255と安打製造機の加藤にしては絶不振と
言える成績に終わった事からシーズン前から期するものもあった様だね。
とは言え当時、近鉄ファンだった俺の記憶を辿るとデッドボールに依る長期欠場も
含めマニエル一色で、そのホームラン王のライバルが加藤だとは思いも寄らなか
った(´・ω・`) >>127,128
不動の5番打者というイメージがこれ程当て嵌まる選手も中々居ないのでは(´・ω・`)
3,4番には明らかに役不足だけど、故障やスランプも無く如何にも5番打者!って感じ。
もうワンランク上がって.280〜.300、25〜30本、80〜100打点となるとまんまヤクルト
時代の広沢って感じになるけど。 >>152
近鉄時代の実績だけでも秋田高校→早稲田大(中退)の経歴から秘書→国会議員
コースも可能だったろうけど、巨人で全国ネットに乗る機会も増えた事で議員への道
が一層近くなったのは否めないわな(´・ω・`) >>151
単に無知なだけじゃん
野口が99年だけとか ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ >>146
中村ノリも若い頃から手首やってたけど、よく2000本打つまで長くやれたな。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
KEAKY >>146
ポレは85年日本シリーズの守備中に金森から栄村アタックを喰らって以降三塁に回ったし
秋山も腰痛が慢性化していたから成績は落ちたわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています