創設当初、最暗黒時代だった広島カープを支えた「26番目のプレイヤー」 広島カープファン、その武勇伝

1953年4月1日に太田垣喜夫(備前喜夫)の母校である尾道西高校(現尾道商業高校)で開催された
大洋松竹ロビンスとの公式戦で、外野のファンが「白石の打った球だ! ホームランにしてやれ!」と
みんなでロープを前に出しホームランにしてしまった。
洋松監督の小西得郎は猛抗議をしたが判定は覆らず、このためこれは「ナワ・ホームラン」と呼ばれた。