広岡達朗/廣岡達朗 その8 [無断転載禁止]©2ch.net
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選手時代はわがまま、お嬢さん野球。
監督就任後は一転管理野球でヤクルト・西武を初優勝に導く名将ぶり。
日本球界初のGMとしてはボビー・バレンタインを招聘&解任し、
有る意味2005年マリーンズ日本一の陰の功労者とも。
そして、解説者としての正論・毒舌ぶり。 とても魅力的な広岡さんについて語りましょう。
過去ログとかリンク集は>>2-10の辺りに。
■前スレ
広岡達朗/廣岡達朗 その7
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1380019217/ 広岡が今の時代に監督だったら、節度ある食生活や科学的トレーニングは今では
普及しているので、選手たちとそれほど意見が違わないのではないか?
むしろ、的確な投手交代・代打など、采配面で広岡監督は注目されると思う。 今は選手に対してとことん厳しく接する監督は受け入れられ辛いからなぁ
緒方が1年目それで失敗したし、楽天時代の野村も叩かれることがあった
ベンチで選手を説教するコーチや監督が、とことん嫌われる時代
たとえ采配が的確でも、人格に問題があれば非難される時代に
広岡は難しいだろう そんなことはない
今は指導が甘すぎるから、体力・筋力はアップしているに、どんどん野球のレベルが低下する
情けない 言われてみればああいう厳しい指導者&監督見なくなったねえ〜
しいて挙げれば、現在で言えば、金本、森繁ぐらいか。
あとは、栗山筆頭に選手間との距離が近い兄貴分的な指導者か?
三原さんとかどうだったんだろう?
今嫌われ役を買ってでも出来る指導者っていないね、
ってかこの枠、需要あると思うんだけど・・ 巨人監督時代も知っている関口清治さんの話だと
「そりゃあ巨人時代の三原さんはおっかなかったですよ。控えや私のようなそれ以下の選手なんか近付くとぶっ飛ばされるんじゃ無いかって位に。只、西鉄に来てからは優しくはなりましたね。」
例えば寮の門限破りを防ぐ為自ら玄関先で新聞を読んでて、門限破りの当人が
帰ってきても、居眠りもせず、じっと新聞を読んだままで、顔も観ようとしないし声も
掛けないし、別に翌日になっても特に咎める訳でも無いとか。
逆になーんにも言わない三原さんに寮住まいの選手は後ろめたさやある種の
不気味さを感じていた様。
無論、舐めて掛かって朝帰りを繰り返した豊田や河村辺りは後々手痛いしっぺ返し
を。 「嫌われ役」の野球指導者の最後は、渡辺久信監督時代の西武の黒江ヘッドコーチ
ではないか?
黒江ヘッドコーチは選手たちがこっそりビールを飲んでいないか、宿舎の冷蔵庫を
点検したり、徹底した生活指導をした。それが自分の役目であり、監督を支える
コーチの任務だと考えていた。
だが、選手から苦情が相次ぎ、渡辺監督からも「黒江さん、そういうことしなくて
いいですよ」と言われてしまい、「自分のような古株の鬼軍曹の時代は終わった」
と覚って、1年で退団したという。 広岡、もう五流週刊誌しか相手にしてくれなくなったな。
そんなとこで物書くくらいならやらない方がいいと思うんだが。
かえって蔑まれるだけだろう。いくら身から出た錆とはいえ。 ヤクルト辞めた後の日テレ、西武辞めた後のNHKのイメージが強いけど
巨人辞めた後、ラジオ関東解説切られ
生活に困って週べに連載持たせてもらい助かったと以前言っていた。
昭和48年の東スポとか読むと普通に寄稿とかしてるのな 広岡
長嶋の守備の問題点を指摘していた 渡辺久や工藤は広岡と出会ってなかったら清原みたいに凋落してたかもしれないな。
清原が1年でも広岡の下にいたら今とは違っただろう。 >>722
黒江の後の大石は酷かったな翌年4位に落ちヘッドから外され翌年解任
この人20年以上コーチやっているが育てた捕手誰一人いないし 若い頃イチローにそっくりだからイチローもこういう毒舌ジジイになりそうだな ぺピートンとホールが広岡とプレーしてた対立してたのかな? 最後の鬼監督は伊原春樹だろう。
伊原が西武監督を事実上解任されてからはそういう存在はいなくなった。
金本や辻や森繁なども昔の鬼監督群から見ればかなり優しい http://blogos.com/article/242398/forum/
コメント欄が「考え方自体がもう古い」とか「お年寄り」とかアホばかりで情けなくなるな。
むしろ広岡はプロ野球にウェートトレを本格的に導入した先駆者だというのに。
ただそれに頼り過ぎてはいけないと言ってるだけなのに。
そして現場で働いてた人はこういってる。
↓
長嶋政権支えた元巨人コーチが「シニアモデル」デビュー<その2>
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170823-OHT1T50285.html
「清原は太ももも膝も悪い状態で午前中にジムに行って“追い込む”んですよ。体を大き
くするのが目的になると、どうしてもパフォーマンスは鈍る。広岡達朗さんがロッカーに来
られて、清原に『ウェートばっかりやるな。もっとノックを受けろ。シーズン中は、野球で体
を作らなきゃダメだ。ノックで左右に振ってもらって、ももの内側の筋肉を鍛えるとか』と言
われたんですが、広岡さんの方が分かっている(笑い)」
「最終的には野球の技術で仕上げていかなくてはいけないんです。ウェートの後で、投
手だったらキャッチボールやネットピッチをやったり、野手ならマシン打撃をやってみたり
、ノックを受けてみたり。2軍にいた時はそういう教育をしていました。」 >私は次代を担う若者たちに、王貞治や長嶋茂雄や野村克也の、ワングリップあけて
>バットを構える姿を見てほしい。
気になるのはここだな。野村の名前を出しているところ
広岡が野村のことを良い例で持ち出しているのを最近見た記憶がないw
「監督論」とか「野球再生」とかでボロクソに言っていたよなw 広岡と野村の仲がこじれたのは野村がヤクルトを優勝させたから
ヤクルト史上唯一の優勝監督というアイデンティティを汚されたからな
野村の解説者時代の本を読んでみても、広岡に対して
畏敬の念を抱いているし、その頃は広岡も野村に好意的だった 広岡って川相や坂本よりも格下だろ?
歴代の名遊撃手に必ずといっていいほど名前がでるけど、理由がさっぱり分からない。
打撃はボールを怖がって打てないお嬢様野球だろ? そんな程度の餌じゃ、まったく釣れないと思いますぜ、ダンナ。 現役時代の成績の話なら川相相手には評価分かれるだろうけど、
坂本には完全に負けてるでしょ やっぱり広岡が言うように野球はコントロールだよな。
投手はボールコントロール。打者はバットコントロール。
イチローが昔メジャーのオールスターかなんかのベンチでチームメイトに松井について訊かれて
「彼はアベレージヒッターだ」と言ってたし。
上原なんかコントロールだけでメジャーでやってるようなもんだしな。
今の野球選手の方が体格は優れていても、技術が昔の選手より優れてるとはあまり思えないわ。 >>730
辻って試合終了後のコメント見ていると選手も批判も少ないし金本と森よりは
優しい感じに見えるが菊池雄星のフォームの時はかなり怒っていたが 初対面の時は暗がりだかで顔も分からなかったが
握手した時の手の豆の感触でイケると思ったとか・・・懐かし 落合博満が選ぶ歴代ベストナイン
https://www.youtube.com/watch?v=7oWpNulIn_M
「ショートは守ることを考えたらオレの中では大橋さん。広岡さんも出て来るし、吉田さんも出て来るし。
攻守のどっちを優先するのかということ。」
落合も認める守備の名手広岡。というものの、実際のところ落合は大嫌いな豊田の名前を出したくなかっただけな気もする。 >>742
>ショートは守ることを考えたら
逆にこの段階で豊田さんの名前が挙がる方が、ものすごーく、、違和感ある 落合が現役が辞めた次の年に週べで落合が連載はじめて、
ある週、なぜか現役時代の豊田の打撃の連続写真を載せて落合があれこれ
言っていて、豊田のことを「一流」と言って概ね好意的の言っているのが
印象的だった。
まあ豊田も週べでコラムやっていたから悪いこと書けなかっただけかもしれないが 豊田は「打てる遊撃手」の先駆けとして、歴史に名を遺した人だと思う。
かつては打率1割台の遊撃手もいて、遊撃手は守備だけでレギュラーになる人もいた。
広岡も若いころはそこそこ打撃もよく、長打力もあった。 広岡も落合も野村も
「打てる遊撃手」より「守れる遊撃手」を評価するよね
辛口の広岡もGM時代、自軍の選手は決して褒めないのかと思ったら小坂に対しては大絶賛だったし、
野村も宮本に対しては守備に関してベタ褒めだしね。
この3人の中では
二岡<<小坂、宮本だし、広岡は坂本にも遊撃手としてダメだし出してるし。 広岡さんの教え子、クドちゃんおめでとう。3年間で2度目の日本一、シーズン90勝を2度達成。
昨年も2位とはいえ勝率は6割を超えてたし。立派な成績ですな。 遊撃手の守備については格段に高い技術を要求する広岡さんだが、守備も走塁も
まるでなってなくて、練習もあまりしない田淵を好んでいたのが、興味深い。
広岡さんは、田淵のような長打力があり花のある選手も好きだったのだろう。 >>748
そりゃ勝てるでしょう。いまのホークスは150`以上の球速出す投手がほとんどだし。
ただ1983年に広岡西武が残したシーズン勝率’683という数字は、それ以降ホークスにも巨人にも森西武にもセ・パ問わずどのチームにも抜かれていない。 >>750
>いまのホークスは150`以上の球速出す投手がほとんどだし
当時スピードガンと今のじゃあ計測表示違うからなんとも〜 >>687
ほとんど来ないんじゃない?
広岡の娘の結婚式でも球界から出席したのは
藤田元司さん一人だけだったし
逆に藤田さんの娘の結婚式に出席しなかった広岡 まあ傍にいる時には鬱陶しいことこの上ないが、
離れてから後でその教えのありがたみがわかるってタイプだろうな
今でこそ広岡に感謝してる西武OBは多いが、あの辞め方で
当時も慕われてたと解釈するのは無理だろう 日経の私の履歴書今月は江夏だが今日は日本ハム時代について
書いているが明日か明後日西武時代か 江夏が広岡を恨むのは筋違いだと思うよ。
森を中継ぎに回してまで江夏の顔を立てたんだ。
ダメだったのは広岡のせいではなくて単に江夏の力不足だろ。 片平さん亡くなられたな。
片平さんがホームラン打った時に、ベンチで嬉しそうに片平さんの一本足打法のスイング真似して誰だったかコーチと(森?)談笑してたな。
たぶん、王さんの一本足と片平さんの一本足を比較してたんだろう。
片平さんの一本足打法も地味だけど完成度高かったな 広岡てベンチでは結構喜怒哀楽あったよね。
とくに嬉しい時はよく笑ってたし。 後に同時に放出された永射、片平と続けて逝ってしまったな
森が日刊で片平へのコメント出してたけど、御大の話も聞きたいところだ さっき朝まで生テレビのなかで、田原総一朗が広岡さんの話してた。
なんかいま一緒に本作ってるっぽい。 >>763
晩年の故星野もそうだったけど
広岡とか星野とか厳しい常に怒ってるイメージの監督って
大量リードかなんかでベンチで笑ってるのはレアで逆にいまだに脳裏に残ってるね
星野の場合、大敗での特に阪神監督時代の苦笑いかなw 広岡さんは試合中ベンチでニコニコしている時が多かった気がするのだが さすが殿堂板!
広岡はヤクルト時代も西武時代も全然むっつりじゃなかったよね!
むしろ反対でホームランうちゃ喜ぶし、ピンチ抑えりゃはしゃいで喜ぶし、結構好きな監督だった。
西武末期からクビになったあたりからなんか堅物なイメージでてたけど、そんなことはない。
対照的に川上哲治はいつも貧乏ゆすりのイメージ笑 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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6NPPU >>768
いしい漫画だとマスコミの前ではクールだが一人になると
大笑いしてる所あったのはそっから来てるのかな 今日から1か月スポニチの我が道は伊東勤
広岡の話が載っていてオープン戦でバント失敗したら一打席で
交代させるという話が載ってた 1981年 10月21日
日本ハム対巨人 日本シリーズ第4戦 日本ハム成田文男を貶し杉だ 元ロッテのエースで1970最多勝利20勝 73年最多奪三振ベストナイン・ゴールデングラブ賞
1969・8・16ノーヒットノーラン
広岡さんは、この試合は成田を投入したからあわよくば勝てば良いとか口が悪すぎる
厳しいだけじゃなく、人の悪口を公共の電波しかも日本シリーズの解説者で云えば、嫌われるわ…
元々嫌われるわれてるのに更に嫌われるわ >>773
>>773
> 1981年 10月21日
> 日本ハム対巨人 日本シリーズ第4戦 日本ハム成田文男を貶し杉だ 元ロッテのエースで1970最多勝利20勝→訂正25勝 >>773
金田と喧嘩してロッテを出たあとの成田は、投手としてはもうとっくに峠を越して下り坂
それももうすぐ下り切る寸前で、シーズンではせいぜい谷間の先発が関の山だった
なので広岡氏の評論は決して間違っていない
てか、さすが翌年からライオンズの指揮を取るだけの事はあって、的確に日ハムの戦力を分析している >>776
> >>773
金田正一とのケンカの原因は何ですか? 口の悪い人は別に広岡さんだけではないからそれは別にいいんだけどさ。
この人は気に入らないと平気で捨て試合をしたり気に入らない人を平気で蔑ろにしたり
それ以外でも人間的にちょっと問題があったんだね。 >>778
>捨て試合=若手のお試し起用
>気に入らない人を平気で蔑ろにしたり=期待の現れ
気に入らない人を平気で蔑ろにしたりして、田淵とか東尾とかその後も起用してるし
確かに誤解されやすいけどそれで干したりすることはあまりなかったのでは? >>777
まあ喧嘩と表現したのは少しオーバーで、衝動とかぶつかったと言った方がよかったかな
つまり、成田文男は野球センスの塊みたいな選手で、投げるのは勿論のこと、守っても打っても素晴らしかった
しかし肩肘を痛め、自分の思うような投球が出来なくなったところへもってきて、例によって金田から(得意の)罵声を浴びせられて、完全に白けてやる気を失いロッテを退団したってことだよ
その後は、事情を知っている日ハム(大沢)が拾い(形はトレード)、敗戦処理から谷間の先発に起用という流れ
なので、シリーズ登板時の成田は全盛期のそれとは全くの別人になったと言っても過言ではなく、広岡氏の解説は的を得ていると思う 個人的に采配や選手起用には割と情を感じるんだが
それを消し飛ばすくらい選手への言動に気を遣わないってイメージ
あとやっかみ屋だよね
西武時代は当時解説者だった野村が慕っていて割と仲が良かったが
その野村がヤクルトで結果出すと途端に口撃しだして疎遠になった >>781
>その野村がヤクルトで結果出すと途端に口撃しだして疎遠になった
どれくらい前だろう?広岡がラジオ日本で日曜の夕方レギュラー持ってた頃
そのラジオの放送で、当時の広岡の活動?なんか各球団に出向いて
現役選手の守備をチェックする?なんか今考えるとよく解らないことやってたんだが
広岡曰く「普通、私なんかが出向くと各球団の監督嫌がるんですよ、
そしてチェックしたいと言った所で1軍半の選手をよこすんですが、野村監督いいところあるんですよ
私が出向いたときに、宮本をよこしましたからね、僕はうれしかったねえ〜」
って言ってたの覚えあるけど そして当時の内野守備コーチだった水谷新太郎、広岡ヤクルト監督V1時代のレギュラー遊撃手が
広岡の耳元で「すいません、宮本は守備に関してかなりプライド高いですからね一筋縄ではいきませんよ」
とか言って現役時代水谷が出来た3つのことを宮本にやらせたら1つ出来なかったと。
それでも宮本が食らいついてくるからうれしかったねえ」と。
そして後日にレギュラーだった岩田暁美さんが宮本に話聞いたら
「いや〜広岡さん守備だけならまだ現役で出来ますよ」と。 野村が阪神の監督になった年(1999年)にラジオ番組を、持っていて
聞いてる方が驚くぐらい野村を罵倒してたよ ついでに森もw 野村は理屈ばかりで選手を全然鍛えないと酷評してたな >>784
要は1998年までのヤクルト監督時代のどこかまでは仲良くて
どこかからか阪神監督時代の1999年にはすでに仲悪くなったってことかな? そのラジオ番組は青田さんのが亡くなった後、その後続としてやっていた番組で
NHK解説(1994年まで)⇒ロッテGM(1995〜1996)⇒青田さん死去(1997)
しばらく解説者離れGMやっていたから、その頃ヤクルトの野村をどう評していたか
分からないんだよね
でも1999年阪神の監督になった最初の年は完全に批判的になっていたから
ヤクルト後期にはもうそうだったのかもしれない。 >>782
優勝した時に「関根さんの遺産で優勝しただけ。野村自身はヘボ監督ですよ」
と痛烈な毒ガス撒いてたのは見たな >>788
関根さんとの間柄はまだ広岡がコーチとしてかけ出しの頃に寝業師と恐れられた根本陸夫さん監督の元、打撃コーチと守備コーチの間柄で同じ釜の飯食べてるからね。
この頃の広島ってチームとしては弱かったけどちょっと時代は前後するけど阪急を日本一連覇させる上田とか広島日本一監督古葉とか後々のプロ野球の歴史を作る監督がコーチとして多数修行してるからねえ 広岡の回想によれば、当時の広島の選手は本当に下手だったらしい。広岡が教えた
選手もとても下手で、教えるのに手間がかかって苦労した。
教える難しさを経験したから、広岡をはじめ、当時の広島から優れた野球指導者が
輩出されたのかも知れない。 >>783
宮本がゴールデングラブ賞を獲得したのが入団3年目の97年だから
エピソードは、97年か98年の出来事ではないかな?
だとしたら、ヤクルト野村監督時代の終盤 当時の現役の遊撃手をどう見てたのかね?
そのラジオは巨人寄りなんでどうしても巨人の選手中心
元木 「守備はセリーグで5番目ですかねえ」
当時のセリーグは、確かヤク宮本ベイ石井琢朗広島野村阪神久慈?
中日が井端じゃなくて李鍾範
川相、当時ラジオで好プレーの実況をもう1度聴く企画で
「やっぱり上手いですよ。そりゃあ李鍾範と比べると肩足は劣りますよ
でも今のプレイなんてこれしかアウトに出来ないってプレイですよ」
二岡「下手ですね。球を最短で獲りにいかないで遠回りして獲りに行ってる。
横(サードかセカンド)で元木が笑ってますよ」と。
案外、二岡より元木は買ってたみたい 元木は江川も評価していた
2000年ごろの著者(スカウティングレポート)では「打撃センスはイチローに匹敵する」とまで書かれていた
さすがに言い過ぎだと思ったし結果的に開花することもなかったんだけど、プロが見れば素人にはわからぬポテンシャルを感じていたということか 元木って流し打つと決めてるときに思いっきり引っ張ってファウル打ったりするよな 高橋「元木さんほどセンスある人を見たことがなかったし、
元木さんほど練習しない人もみたことがなかった」 >>785
森さんの事も同じ事を言ってたよ。
どうも喧嘩別れした人の事は良く言わないねこの人は。 親分とは結構ウマが合ってたな。サンデーモーニングなんかでも楽しく談笑してたな。 星野監督の前で遅刻する → 殴られる
上田監督の前で遅刻する → 一日中走らされる
広岡監督の前で遅刻する → 選手生命が終わる
広岡さんは兎にも角にも自己管理には厳格だったので。
あの遅刻魔の松井であっても絶対に許さなかっただろうな。 >>798
しかしその後はやっぱりというか
広岡達朗が「大沢親分に喝!」訣別宣言
https://ci.nii.ac.jp/naid/40006687156
2005年という時期から推測すると、OBクラブやマスターズリーグの運営方針で衝突したのだろう 自己管理を要求する広岡の方針には、2通りの反応があったと思う。
1つは、「選手には自己管理を要求するくせに、自分は美食して通風になって
いるじゃないか?」という、江夏のような意見。
もう1つは、「広岡監督の教えを守ったおかげで、30年近く現役をできた。
感謝している」という、工藤のような意見。
若手、中堅には広岡に感謝する意見が多いと感じる。
ベテランでは、山崎が広岡を尊敬していた。 まあそれは引退後しばらく経ってからの感想だろうけどね
選手のメンタルケアは一切しないお人だったから
その山崎も引退を決めた理由はねぎらい一つなく
代打を出されたことを挙げていた この広岡って、プロの指導者を広島でスタートさせたけど
同球団の黄金時代(75年〜)の下地を作ったというわけではないのかな >>804
広島、ヤクルト、西武と現場に関わった球団はみんな攻走守そろった野手が多いというチームカラーを作った。
根本や潤三の力もあるけど、最大の功労者は広岡じゃないかな。 そういうチームにしか行かないというか。
闘志を掻き立てる要素が西武にはあったんだろうね。オーナーの熱意に魅力を感じたとは
思う。 オーナーというより根本だろう
監督要請のとき、「おまえがいくら鍛えても、へこたれない選手を揃えた。そして、最高の設備が備えている」と言われて引き受けたと聞いた 山本浩二がどこかで書いてたな。
今でも広岡さんを見ると緊張して直立不動になってしまうと。 >>805
流石に赤ヘル黄金時代作った最大の功労者が広岡はちょっと無理がある
山本も衣笠も出す名前は根本、ルーツ、古葉あたりだし
もちろん守備を鍛えてもらったことには感謝してたけどね 森さんと喧嘩しちゃうわ根本さんと喧嘩しちゃうわ野村さんと喧嘩しちゃうわ親分と喧嘩しちゃうわで。
しょうがないな広岡さんも。みんな広岡さんの良き理解者じゃん。 広岡さんて、強烈なアンチを集める資質だけなら
野村・落合なんかとは比較にならないレベルなのになぁ
現役時代は無理としても監督時代を知る層が高齢なせいか・・・ 川上さんがよく広岡さんに参らされたって話をよくしてたけど。
でも川上さんも最後は広岡さんにエールを送ってたね。
広岡さんを一番気にかけてたのは川上さんだったのかなとも。 森ありきじゃ無いところを森抜きで監督やって見せて欲しかった 85年はそうだったね。若手色が強かったのはいかにも広岡さんだとは思った。 穴だらけの秋山の事を広岡さんが全然悪く言わないのが不思議だった。
太田卓司なんてそれこそ広岡さんそれこそボロクソだったので猶更だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています