【王756号】1977年のプロ野球【阪急V3】 [転載禁止]©2ch.net
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>>284
またお前か。
長文は自分のブログで書いてろライター気取りの勘違い馬鹿がw
ここは不特定多数が会話する掲示板だ。
「そういやこの年、佐野のフェンス激突があったよね」の1行でいいんだよボケ
そこから会話が始まって思い出や情報交換の場になるの自然な流れ。
ここはお前の独り善がりな作文発表の場じゃねえんだよカス >>288
嫌なら見るなフジテレビ
わざわざ書き込むなよ 1977年かぁ
まだ普通にチンポが起ってたなぁ
いまは・・・トホホ・・・ その頃に普通にチン○が立っていたなんて、あなたは何歳なんだw 89年にもジャイアンツVSブレーブスの日本シリーズの組み合わせが実現していたかもしれない 巨人はジョンソンの代わりに獲得したリンドが期待はずれだった。
ジョンソンが残留するか、マニエルとかマーチンくらいの外人を獲得できていれば
打線は強力になっていた。 もう山口高志も1975頃のスピードはなかった
それでも他の本格派に比べれば圧倒的に速かった >>295
ジョンソンは2年契約だったし、76年に成績向上したため待遇を王並みにしろと要求
(つまり現役選手として特別待遇)したために
フロント陣の心情を悪くして契約交渉が物別れになって退団した ジョンソンによると長島に謝罪を要求した結果クビになったそうだ
で、日本の他球団でプレーする積もりだったが巨人が圧力かけて
それも叶わずMLB復帰 王の年俸が5500万円くらいだったころ、ジョンソンは6000万円の年俸を
要求したらしい。ジョンソンは打力だけでなく、セカンドの守備もうまく、できれば
欲しい選手だったが、さすがにこの要求は飲めなかった、と昭和52年に出版された
巨人の本に書いてあったのを覚えている。 昔は、王の年棒を越えてはならないタブーだあった。鈴木啓、山田久が勝ちまくっても絶対に王を越えてはならなかった。 >>299
今年、定年を迎えたよ
当時はセ・リーグに背を向けて、後楽園の日ハム戦をばかり観に行ってた >>299 → >>293
もう目もダメになってる・・・ ジョンソンの代わりに入団したリンドは守備はよかったが、打撃は今ひとつだった。
当時の巨人は外人を取り慣れてなかったためか、外人の取り方がよくないと思う。 >>284
阪神の池辺が急造捕手やったのは佐野の大怪我の次の日。
捕手が誰もいなくなってしまい「センターだからいつも投手の球筋jを見ている」
と言ういい加減な理由で池辺が選ばれ、なんとかリードを守りきって勝利に導いた。
巨人のキムタクと似たようなケースだが、元捕手のキムタクと違って池辺は全くの初体験だった >>304
当時はフォークボールとか縦の変化球が今ほど多くなかったからどうにかなったのかね。 >>305
ピッチャーの古沢とはストレートとスライダーのサインだけ決めて臨んだらしいね。
捕球を焦って前に出過ぎるので打撃妨害になるんじゃないかとベンチのエモやんはハラハラしながら見てたそうだ 9月4日日曜日、756号の翌日王さんはサヨナラホームラン 池辺が緊急捕手を務めたことは、当時もかなり話題になった。
朝、学校に行くとき友達が興奮気味に「池辺がキャッチャーやったらしいぞ」と
話していた。
阪神は田淵、片岡、大島の3人の捕手がいるのに、すべて使い果たしてしまった。 池辺といえばロッテ時代に監督就任したカネやんを恨みケンカして阪神にトレードされたのが最大の記憶。 77年か
淡口が満塁ホームラン打ったシリーズかな? >>312
それは前年かと。
この年の巨人はまったくいいことなく(河埜の紗世なら弾くらいか)シリーズ敗退。 淡口は日本シリーズでは満塁ホームラン打ってないぞ。
満塁ホームランは76年10月の阪神との後楽園決戦第三戦で打ったのと混同してないか?
その直後の日本シリーズで阪急の山口から打ったのはスリーランだった。例の0-7から大逆転した試合の6回裏。 淡口はレギュラーになれる打力があったのに、巨人ではずっと控えだった。
この昭和52年は末次が負傷して出場機会が得られそうだったが、柳田が
高打率で活躍して、淡口は控えのままだった。 柳田が「史上最強の5番打者」。ただしこの年限りの革変。
日本シリーズ第4戦の9回2死からの逆転負けはトラウマ、40年以上経った今でも。 >>316
左投手を打てないというレッテルを張られていたからな。
実際、巨人時代に左投手から打ったホームランは大洋の間柴からの一本だけ。
藤田監督時代の83年に規定打席到達して三割打ったんじゃなかったか? >>308
9月4日は第一回の『アメリカ横断ウルトラクイズ』の後楽園第一次予選日だった。
もし、王の世界新記録達成がもう少し遅れていたら、一次予選なんざやってるどころじゃなかったかも知れない。 淡口と柳田は早い時期に太平洋とか近鉄のようなパリーグの弱小球団に移籍して
いればレギュラーになることができた。
ふつうにクリーンナップを打って、2割8分、15本くらいは打つと思う。 巨人のチーム事情としては末次が3月のオープン戦前の練習中に打球が左目を直撃して長期離脱し
結果シーズン終了と共に引退に追い込まれる事態になったため、2人とも欠かせなかった。
もっとも、その打球を打ったのは柳田だが >>285
しかし佐野は、その大事故のわずか2月後、7月3日の対ヤクルトダブルヘッダーで復帰してるのよね。
意外と早い復帰だった。 あれだけのケガがあって、わずか2ヵ月後に復帰だなんて凄すぎる… たしか復帰戦でホームラン打っているよな。
この日は肋膜炎で療養していた巨人の加藤初もこのとし初登板しているはず。 佐野はファイトがあるし、チャンスに強いし、いい選手だった。
六番打者としては最適だと思う。 >>307
東尾はシーズン25敗のパリーグ記録を持ってるんだよね 東尾は23勝して最多勝を取った年に18敗している
典型的な弱小チームのエースだった ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 ヤクルトが急に強くなって、2位に浮上した
巨人のライバルは阪神だと思っていたので、意外だった >>310
大島はこのシーズンから野手登録に変わっていた。後の狩野と同じようなもの。
しかもその川崎でのホエールズ戦前に大島は二軍に降格していたため、この時のタイガースベンチに捕手経験者は田淵と片岡だけだった。 大洋ホエールズのオーナーだった大洋漁業の社長が1月に死亡。
シピンを中心とした外人選手が活躍するも最下位に終わり観客動員数がパリーグ並に低迷する危機状態に突入。
翌年から横浜大洋ホエールズとなる。ハマスタに移転し観客動員は一気に倍増する。 >>300
それは都市伝説。
当時のパリーグにそんな金は無い。 山田は王はおろか巨人でちょっと活躍した選手に年俸並ばれることをぼやいてたぞ 阪急なんて巨人と比べたら観客動員数が1/6で放送権料は、ほぼゼロ。
こんなに収益力に差があるのに同じレベルの年俸を払ったら経営が傾くどころの問題ではない。 当時は親会社が球団経営にそれほどお金を出さなかった。
球場や設備の整備に資金を投入し、高額の契約金や年俸を払うようになったのは、
昭和54年に参入した西武からだった。
西武のお金の使い方は、当時のパリーグはもちろん、巨人をも超えていた。 >>81
あの年によくこんな事やって中日3位になれたな…
広島の不振と阪神の虎戦病院化のおかげ? 超ワガママのデービス
与那嶺監督辞めろとファンが暴れる
ホントよく三位になったわ >>339
途中で問題児のデービスがいなくなって団結力が上がったんだろ。
特にマーチンが輝いていたw デービスの穴を埋めたのがシーズン開幕前にクラウンライターへのトレードを拒否して
開幕からしばらく出場停止処分を受けてた藤波だった。
(背番号もそれまで付けてた3をデービスに譲る名目で剥奪されて40に変更されてた) どこでどういった形でチャンスが巡ってくるか分からんよね デービスはわがまま放題だったが、野球の実力は確かだった。
ナゴヤの巨人戦での満塁ランニングホームランはテレビで見たが、ものすごい足の速さだった。
ホームインした直後に巨人ベンチに向かって「アッカンベー」をしたのがデービスらしかったが。 デービスは煙草を吸いながら練習をしたり、態度が悪かった。
実力を考慮したとしても、「デービスなんかいないほうがいい」という評価になり
中日を追われてしまった。
クラウンに移籍してからも態度は悪く、亀頭さんの後任の根本監督を悩ませた。 デービスがスタメンだった7月まで中日は5位、離脱後の8月以降は調子を上げて
3位とAクラスまで浮上できた。この事からいない方がいいと判断されてクラウンライターへのトレードに。
なぜ移籍先がクラウンライターなのかは前年末に基と藤波のトレードが藤波の拒否で
成立しなかったお詫びという形に。(クラウンの監督に就任した根本がそこを突いて金銭トレード成立という説も) デービスは晩年、親に日本刀ぶりまわして金取ろうとしたクズだし。 >>345
亀頭でなくて鬼頭だぞ。
アソコじゃないから(笑) 巨人は強打のジョンソンの代わりに取った外人が貧打のリンドだったのがいけなかった
「打てるセカンド」を取っていれば、打線は完璧だった。
日本シリーズで阪急に勝つためには、万全の補強をしてほしかった。 南海時代の江夏の映像って、どこを探しても無いのかな?(写真はあるけど)
当時の放送局のビデオテープ上書きという悪しき風習のせいで >>354
当時はフィルムでの取材もまだまだあったから探せばあるはずだが 確かに、江夏の映像と言えば、全盛期の阪神時代、「江夏の21球」の広島時代、
西武とのプレーオフの日本ハム時代しか見たことがない
野村監督とバッテリーを組んだ南海時代のはないのかな? 南海の江夏がテレビ中継された日(放送枠内に登板したと推測される試合)
1976年
0417(KTV)、0429(TX)、0505(MBS)、0516(TX)、0720(AS3:YTV発NTV系・ABC発NET系)、0911(KTV)、0925(ABC)
1977年
0429(MBS)、0515(MBS)、0702(KTV)、0827(NHK)、0910(KTV)、0911(MBS)、
映像残ってそうなのは76年のオールスター第3戦くらいか >>286
平成最後にモモクロの替え歌CMが半端なくうざかった
令和に入り流れなくなったが 巨人はヤクルトと終盤の優勝争いに競ると負けるジンクスがあるがこの年は例外 この年は巨人独走だから終盤の優勝争いなんてなかったよ 坂本が王の開幕33試合連続出塁の記録を更新したが、この年の34試合目は5月18日金沢でのデーゲーム大洋戦。
巨人は首位ながら6連敗で阪神に2ゲーム差まで詰め寄られてた。この日巨人はライトが2回表メッタ打ち9失点で
大洋田村に完投を許し4-13の大敗。王はこの頃23打席くらいノーヒットでこの日5−0、ついに連続出塁も途絶えた。
翌5月19日の福井でも小林が中盤に逆転を許し、4−5と1点差まで追い上げるも、9回裏代走松本が盗塁失敗2死。
が、ここで柴田が歩き、打者はこの時点で王の9本を凌ぐ11本の高田。次が張本では無く代走でレフトに入っていた
二宮だったので開き直ったか一発狙いの大振り。小谷の2球目を捕えた打球はレフトスタンドへ逆転サヨナラ2ラン!
北陸3連戦の最後の最後、これで7連敗を免れた巨人は東京に帰って息を吹き返し独走へ。
この時スタンドにグラブを差し入れるも及ばずうなだれていたレフトが若林、今息子が巨人の選手。 覚えてる。この時点ではこの年は王さん756号打てないんじゃないかと心配してた。
あの絶不調だった序盤の王さんが開幕33試合連続出塁とは意外だ。
王さんプロ入りして初めて手袋して打席に立ったんだよね、この頃。 やっぱり王の世界新記録が巨人がヤクルトに負ける負のオーラを吹き飛ばしたのかな?
1974年の金田節でPOで阪急に引導渡したロッテとか、
1994年の10.8に勝利し西武倒した長嶋巨人とか
ある意味オーラで勝ったようなもんだし… んな意味で阪神は巨人に競り勝てないというけど、競り合った時には常に優勝してほしくないオーラが阪神に出るよな
ただでさえ豆腐なチームなのにああでは…
92、08あたりはもう優勝どころかBまで落ちろとまでいう空気だったし >>364
92はファンのラジカセ投げ込み事件が
あったから同情する面もあるが
08は星野が五輪で他球団の戦力を借りても
惨敗した挙句責任転嫁して招集0だった
オリを除いた10球団の怒りを
買っちゃったからな… でもなんで巨人だったんだろうな
五輪から見くびるなまでは巨人絶対の昭和50年代が帰ってきたようだった >>353
いくらいい材料(選手)を揃えたところで、それを
調理する(采配を振るう)のはセゲヲだからねw 第4戦の9回2アウトからの逆転負け無ければ、まあでも負けたな。 仮に第4戦を勝ったとしても、またも足立を打てず2勝4敗ってとこ。 昭和52年の阪急は攻守走すべて充実していた
打線に外人がふたりいて、どこからでも打てる打線だった
守備は一流だが貧打の大橋まで打ったので、巨人は勝ち目はなかった 1977年の王
65試合時点 19本 最終50本
1976年
65試合時点 32本 最終49本
1978年
65試合時点 21本 最終39本 この年の王は手袋の他にセーフティバント試みて話題になった
記録途絶えた34試合時点の成績
打率・・・.313(9位)
HR・・・・9本(6位)
打点・・・29(2位)
打率と打点はまずまずだけど肝心のHRが
34HRペースとシーズン中の756号(40HR)が危ぶまれてた ナゴヤ球場の中日戦で12試合ぶりの20号から5試合連続。
以降量産ペース。 20号から24号まで5試合連続。
30号から33号まで4試合連続。
8月13本、9月10本。 米軍ファントム墜落事件
勝手にしやがれ
津軽海峡冬景色
ウォンテッド
スーパーカーブーム
F1日本GP観客死亡事故
ルパン三世パート2放映開始
劇場版宇宙戦艦ヤマト公開
八つ墓村公開 たたりじゃー
八甲田山公開 天は我々を見放した
スカイラインジャパンデビュー 王冠に付いてるスーパーカー(素敵よ!)
当たるよ当たるわ チャチャチャンスのコカ・コーラ 王の756号
それが達成されたのは、この年の今日のこと この年の阪急も強かったのは確かなんだけど、後期は落してるし
山田と足立がそれぞれ前年から10も勝ち星を減らしてるんだよね。
トレードで獲得した稲葉と島谷の大活躍がえらく効いていた。 プレーオフもロッテに先に王手かけられ危なかったもんね >>380
それでも山田は、前年の最多勝→この年は最優秀防御率ということでMVP獲得だからね この年の近鉄は5割前後をうろうろ、阪急には大きく負け越し、後期は最下位。
翌年以降の飛躍の要素はこの時点ではあまり感じられなかったな。 南海の方が強かったからね。前期惜しくも、って位置で2位、後期は出遅れがたたって3位。年間でも2位。
が、例のサッチーの件で野村解任となり翌年からダイエーにまで跨る20年連続Bクラス。
その星が近鉄に流れたか。投手で井本、柳田、野手で梨田、佐々木、栗橋、羽田、石渡、平野らが伸長して78年の飛躍に 野村南海の最後の年だったね。
野村監督のバッティングはさすがに衰えていたが、それでもクリーンナップを打っていたし、
門田、ホプキンス、野村監督と連打し始めると、南海打線は止まらない破壊力があった。
伝統ある強豪チームの面影がまだ残っていた。 >>385
ノムさん、打つ方の後継者は柏原と思ってたんだろうけど
捕手の後継者はこの時点でも全くいない。
解任が無ければ即戦力捕手をトレードかドラフト指名を見込んでたか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています