1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
王800号
大洋横浜移転元年
ライオンズ福岡最終年 ロッテ 金田監督退任
野村克也 ロッテを1年で退団 読売新聞が画策。ラジオ関東(現・RFラジオ日本) の巨人主催ゲーム独占の暴挙 ラジ関独占に始まり、年末は江川事件と、
巨人がらみで明け暮れた1978年だった。 シリーズの因縁は上田さんと大杉さんの間にはなく寧ろそれ以後良い付き合い
が続いた。
大杉さんが癌を患っているのを唯一明かした相手も上田さんだった。 クラウンライターが西武に身売り
本拠地が平和台から所沢へ >>8
そして、その天罰が下ってしまったのか(?)、
翌年には5位に転落してしまいましたw >>15
79巨人は序盤は良かったものの江川を昇格させた途端急失速した… >>15-16
江川とのトレードで阪神に移籍した小林は22勝。
うち8勝を巨人から 一番強力打線が広島の時代
1高橋2三村3ライトル4山本浩5水谷6衣笠7ギャレット8水沼 205発打ちながら3位
前半阪神最下位争いしたのか響いた 圧縮バットにラビットボールに人工芝ヒット
とてつもない投手受難時代が王引退まで続くw
まあ世界記録がかかってちゃ改正できんわな。 ヤクルトはせっかく初優勝したのに、日本シリーズで本拠地の神宮が
大学野球優先という理由で使わせてもらえず、仕方なく後楽園を
代替ホームにして戦っていた。大7戦の大杉の一本目もあれが神宮だったら・・・ >>15
もっと痛い天罰は落合を取り逃がしたこと。 落合に関してはロッテに入団したからこそ大成できたと思う。
打撃フォームの参考にした土肥がいたし。 >>25
後楽園での試合と言うことでシリーズ全試合フジ系独占中継(ヤクルト-フジ、阪急-関テレ)を
阻止して、第2戦日テレが中継を担当する事が出来たしな。 そのためヤクルト戦の放映権を持つテレ朝が翌年から2年間神宮での巨人戦を中継できなかったらしい
当時漏れ小学校入学したばかりのうえ、テレ朝のない地域にいたので詳細はわからないが >>24
巨人に入っていたら、誰を手本にしたろうね?
当時の巨人で土肥ポジションって言ったら、淡口か原田あたり? >>27
中継権のない日テレに許可したことでテレ朝が「約束が違う」と
ヤクルト球団ならびにフジテレビに噛みついたらしい。
テレ朝は翌年からヤクルト主催ゲームの中継返上とヤクルト製品のCMを中止する事態に発展。
両者は80年に和解するが、報復としてテレ朝が後楽園の日本ハム戦から日テレを閉め出した。 >>29
ただ、81年は日テレ並立を許した
そもそもヤクルトの根回しの悪さとテレ朝が西武とかを使わせなかったのが悪い 当時の週ベによると78年は後楽園が無理な場合は横浜開催も検討とあった。
それにしてもラジ関の巨人主催ゲーム独占中継と、日本シリーズの問題といい、
週ベは「後楽園電波戦争」と報じていた。
>>30
81年はテレ朝の神宮復帰と日テレの日本ハム主催撤退だったが、
中継権喪失にも関わらず、すべて後楽園だからという理由でシリーズ第7戦(幻と化したが)を
獲得した日テレと、根回しをした巨人の図々しさには呆れる。
ま、許可した運営委員会もどうかしてるがw >>32
1974年まではフジ(火木)とTBS(水日)で、他曜日は当時東京12チャンネルだったテレ東と73年にはTVKが中継したりした。
75年にテレ朝(当時はNETテレビ)が参入し、この年を以てTBSが撤退。
78年の日シリ問題でテレ朝が2年撤退するが81年に復帰。
尚、この年は5月22日(金)を皮切りに以降、8月(日付失念、8日の日曜だった気が)、9月1日か8日(火曜だった)の3試合をテレ朝が中継した。 この年のオールスターで、初めてスピードガンを試験的に使用したらしいね。 >>30
フジの暗黒期で強引に押し切れなかったのもデカい
今も暗黒なフジだが、今度ヤクルトオリックスが来たら78とは逆にからくりや西武になってもフジが7戦すべて押しつけみたいに担当されそう >>12
77年からパリーグはセンターカメラなの?
山口高志の映像とか何で無いんだ? >>36
77年は試験運用的で毎回センターカメラというわけでもなかった。
ほかにフジで中継したオールスター第3戦(神宮)と日本シリーズが。
しかし第4戦はセンターカメラの日テレに対してNHKは従来のバックネットカメラで中継も視聴率はNHKの圧勝。
日テレはセンターカメラ中継をアピールしたが、視聴者にカメラ位置は関係なかった。 1978と1995の共通点
セ・リーグの順位が同じ
パの優勝が阪急(オリ)
でもヤクルトが日本一
新監督でも苦戦するホークス
政令都市で大地震(78仙台、95神戸)
理不尽ヒロインのアニメが謎ブレイク(78ルパン、95スレイヤーズ) >>38
巨人の監督が長嶋茂雄。
セ・リーグ下位3球団の順位が同じ。 ごめんチャイ
78は巨人2位、広島3位
95は広島2位、巨人3位だった…
あとこの年は仙台まだ政令都市じゃなかった…
あとの共通点は中日阪神がクソ ロッテはこの年、大洋が横浜へ移転して空き家になった川崎に本拠地を移し
ようやくジプシー生活から開放、打線もレオンや
南海を追われた野村が加入して前年から加入してたリーや白、
既存の有藤や山崎らを加えてUFO打線と銘打ったものの、
投打がイマイチ噛み合わず4位に転落、パリーグの名物監督だった金田も退任した。
川崎に定住できてホッとしたのが裏目に出たのかな? クラウンライターは年明けのキャンプ中に江田投手コーチが突然脳梗塞を患って
そのまま急死する悲劇に始まり、財政難も相変わらずだった。
地元財界やライト層からも見放され、「返せライオンズ」という唄を当てつけで流されるなど、
孤立無援な戦いを強いられてたが、真弓の成長や中日を追われたデービスの加入、
大田を代打の切り札に専念させるなどして最下位は免れた。そして
いよいよ財政破綻寸前に国土計画(西武)に球団身売り、そして所沢へ。
福岡のファンは移転に反対してオーナーの中村を非難したそうだが、
見捨てた奴らに非難する資格あったのかと 中日はヤクルトが優勝した年になぜ5位以下になる傾向があるのか?
特に78と95での借金は例年なら最下位になっても
おかしくないのに…
(78→18、95→30) オールスターゲームファン投票選抜の
古屋英夫と菅野光夫が
強制辞退させられる。 8月末にはヤクルト後退で初優勝は遠ざかったかに思えたが、
V3確実と思えた巨人がまさかの失速 >>45
その伏線には1ヶ月前にライトとシピンが… ヤクルトは投手陣は全然だったが129試合目まで毎試合得点する打力の高さで押し切った >>47
そのヤクのシーズン全試合得点を阻止したのが… >>48
23勝と前年20敗の不振を払拭し、隔年エースと呼ばれる所以となる(´・ω・`) 1978年のオールスターゲームのパの監督は前期最下位の広瀬叔功監督で、
コーチも監督経験のない徳武定祐コーチ(金田正一監督は、三度前年2位か3位だったが一度もコーチにならなかった)と
中田昌宏コーチ(上田利治監督がオールスター直前になって急病のために入院)と
暗黒パ・リーグ時代にふさわしい首脳陣だった。 423 :神様仏様名無し様:2015/02/05(木) 11:08:00.86 ID:zFDzsZQm
>>420
名シリーズになる裏ではペナ争いもめちゃ拮抗している
92阪神、08阪神
13はGG佐藤最後の狂い咲き
当然シーズン圧勝同士の戦いはつまらなくなる
この年も西本近鉄と長嶋巨人の阪急ヤク追走劇で盛り上がってたな… クラウンライターの選手が横浜スタジアムで試合した事はある。
○か×か? >>55
×
オープン戦のときまだ横浜スタジアムは開場していなかった
こけら落としは4月4日の巨人戦 >>54
当時の大洋ユニフォームがかなりイケてたけどね…
でも大洋がチームもユニも良かった90年代の
ヤクみたいな存在にはなれなかったか… 横浜スタジアムの第1号ホームランは大洋の福嶋だった。
大抵予想は巨人戦ということもあってか、王が本命視されてた >>56
ジュニアオールスターにクラウンの選手が出場している 柳田が横浜スタジアムの第1号HRで、大洋の福嶋は大洋の選手でのHR1号だな。 この年の大洋が勝ち越せたのは
中日阪神が爆死したのが原因? 狭い川崎から当時最も広くフェンスも高い横スタへ引っ越して、
投手陣が思いきったピッチングをするようになったからでは?
最も、主砲だった松原の本塁打も減ったけど >>63
王の最大の本塁打量産先だったしな>川崎球場 >>62
阪神が圧倒的に弱かった
春期キャンプで終わっていた 阪神は監督に復帰した後藤のクマさんが出したキャッチフレーズが
「みんな仲良くボチボチと」(後にお祭り野球へと変更)という時点で・・・
開幕戦の巨人戦で江本が王に満塁ホームラン打たれたのがケチのつき始めだった。
(江本は通算でも王に対してはこの1本しか打たれてない) >>35
ただでさえ阪神×SBというハードル高い日シリの実現に04のPO導入
から11年もかかったのにヤク×オリはそれ以上にハードル高いのでは?
今年はヤクはよさそうだがいかんせんオリが3年周期の呪いに嵌ってるし… ・山本和行の先発転向をあっさり認め、抑えはエースの江本が先発兼任
・序盤でブリーデン負傷→重傷で復帰のメドが立たずそのまま退団
・代わりに腰痛のため守備範囲が狭くなった藤田平を一塁コンバート
ショートは榊原を起用も肩の弱さを露呈
ここら辺が最下位に落ちた要因かと。
あと、球団初のチアガールを組織したものの、敗戦続きで罵声の雨あられに晒されたせいか
この年だけで解散した。 >>68
それらも理由だけど、後藤監督の超放任主義が緊張感をなくした 巨人の歯車が狂い出したのは7月のヤクルト戦(神宮)で
シピンが暴れて退場&ライトが造反してそのまま退団した試合だと思う。
この後8月末の大洋戦で王が800号本塁打を達成するも、
その試合で逆転負けを喫したのが後で考えると何かおかしいと思えた。
(王が区切りのアーチを打った試合はそれまで負けなかった) >>62
中日 後楽園人工芝アレルギーを克服したと思ったら今度は横浜人工芝アレルギー
横浜初勝利は終盤の9月9日 この年、古葉監督が巨人戦で暴れて退場になった記憶がある。 8月半ばのヤクルトとの首位攻防戦は2勝1敗で勝ち越し確か4.5差
巨人の三連覇はほぼ決まりと思われたがその後5勝8敗2分
と失速し9月6日に首位陥落し以後浮上する事はなかった
王や張本V9ナインといったベテラン選手の衰え息切れでしょうな 25勝、30完投の鈴木がMVPに相応しいと思うが‥ >>71
その20年後にガルベスがアレをやらかして
ライトが離脱した時みたくローテ再編をせざるを得ない
羽目になって暗黒チームの優勝を許してV逸する
というシーズンになったのもこの年と似てる… >>75
最後の最後でね(´・ω・`)
新人なら2年後の木田の様にMVPになれたろうけど、既に何度も20勝している
実績豊富な投手だし。 広島が前半駄目駄目だったのに終わってみればAクラスという
08オリックス並みの謎ブースト >>80
HR打てば負けのギャレットが失速したからじゃね? 11月に日米野球が開催されて当時ビッグレッドマシンと恐れられた
シンシナティレッズが来日してたな。 >>82
当時テレビで見たよ
中畑が後楽園でHR打って一軍に定着した >>80
それどころかあわや優勝の快進撃。
お陰で翌年のペナント予想では優勝候補の本命だった。 >>82
クラウンライターの福岡最後の試合が巨人との連合チームでのレッズ戦だったな。 >>84
そういうチームって普通は壮絶にずっこけるのが定番なんだけど 翌年の広島は珍しく前年の勢いをそのまま持続できたのか
まあ3年前の優勝メンバーが数多く残ってたし
大野や北別府といった新戦力も育ってきてたから元々底力はあったんだろう この年のASで阪急の選手が巨人のユニフォームに輝きがない
日シリに出てくるのは首位ターンのヤクルト(巨人は0.5差の2位ターン)
って言ってたな
まさか日シリで負けるとは思ってなかっただろうけど >>86
はたして開幕4連敗に始まり、6月くらいまでは5割に戻したかと思えば又借金生活
に逆戻りを繰り返すって状態でよくある前評判倒れのズッコケか?と思われたが。
当初快調に首位を走っていた巨人が江川初登板を境に何故か崩れ出してにわかに
大混戦となったのに救われたのと、1番・高橋慶彦の32試合連続安打で勢い付いた
格好。
何てったって俊足の1番打者が毎試合塁に出るんだもん・・・・、4番の山本浩二ですら
3割を切った不調気味の打線でも何とかする罠。 >>87
対抗馬と思われたヤクルト巨人が死んじゃったからな… この年の大洋は5月位までは首位にいたものの
6月にヤクルトに捲られ首位陥落
更に7月に巨人に抜かされるどころか広島が猛追撃で急接近
8月は3位に踏み留まるも9月にAクラスを明け渡し
結局4位で終了した なんか今年のdenaが
この年みたいな推移しそう… >>93
今年のDeNAが78年以来の30勝一番乗りを果たしたというのも何かの偶然か??
まあ、まだ何が起こるか分からんけどね。
この年のヤクルトの躍進、巨人まさかのV逸、広島の猛追なんて想像できたか??
大洋だって、4位とはいえ久々の勝率5割以上だったし。
78年のセリーグ上位3チームは引き分けが異常に多かったんだよね。 >>94
となると今年はお盆辺りまでは
巨人が首位にいるが
明けに失速を起こしてヤクルトが逆転優勝
広島は土壇場でdenaを捲って3位で
中日阪神の最下位争いか!?
阪急(オリ)の日シリ出場は流石に難しい
と思うが… 「逼迫経営」
トレード候補に上った当時の選手が口々に、「クラウンライターとかいう所だけは行きたくない。あそこに行くくらいなら辞めた方が・・・」とまで
発言するほど、当時のライオンズの経営不振は球界に知れ渡っていた。前年に太平洋クラブからメインスポンサーを引き継いだクラウン
だったが、逼迫経営に変化は見られなかった。苦しいのはチームも同じ、70年代は既に75年を除き、7度のBクラスに5度の最下位。黒い霧
事件による低迷期の真っ只中にいた。
オフのドラフトで江川卓に入団拒否され苦難のスタートを強いられた上に、春の島原キャンプ初日では投手コーチの江田孝が脳梗塞で逝去
するという衝撃に見舞われるといった暗いニュースが続いた。
前期は5月終了まで借金13の苦しい戦い、だが6月に1分けを挟んだ7連勝をするなど12勝2敗2分けと進撃し3位で全日程を終了したが、
日本ハムが残り2戦に連勝して敢え無く4位。後期は開幕から3分けを含んだ7連敗、それでもここから広島黄金期の礎を築いた根本陸夫
新監督が鍛えた真弓明信、立花義家の新一・二番コンビに、倉持明、池田弘、大家好正といった若手投手が躍動して、残り15試合となった
9月5日まで5割の3位。しかし直後に10連敗、1つ勝ってまた4連敗でフィニッシュして、5位で終了し通算でも5位に終わった。
防御率リーグ3位の投手陣ではエース東尾修がフル回転して23勝、3年ぶり300イニング&20勝突破したが、期待の永射保が病欠で殆ど
投げられないなど、それ以外は2桁勝利すらいない状況。これでは二期制であってもシーズンを戦えない。打線では6月に400号を達成した
ベテラン土井正博が、5月に史上3人目となるパ・タイの6戦連続本塁打に5年ぶりの3割をマークするなどチーム三冠の奮闘を見せた。
チーム打率でもリーグ3位だったが本塁打で5位、四球と犠打で6位と細かさに欠けて得点では5位。真弓、立花以外の若手でも土井とは
高校の後輩に当たる山村善則が13本塁打したが、リーグワーストの25失策。リーグ5位である116失策の象徴となってしまった。
球団は10月12日に西武への身売りを発表、29年間の福岡生活に別れを告げた。長く続いた低迷と逼迫経営打破を目指した投打の若手
登用で、Bクラスながら根本に評価の声がチラホラとあった。根本は閉幕後に「基礎体力が無く、チーム愛が足らん」と言ったが、コロコロと
親会社が代わり、さらに本拠地移転となっては選手からもチーム愛など生まれ難い。根本ほどの人物であればそれは承知の筈だったが、
実際に中に入って接した選手の動きもまた、想像以上に“逼迫”して愛情どころではないように見えていたからなのか。 (了) 江田コーチって、その前年の選手名鑑で「顔色悪いなあ」と思っていた。
そしたらあんなことに。
子供心にも何か感じていたのだろうか?