V10阻止したドラゴンズを語ろう!▲ [転載禁止]©2ch.net
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長嶋引退の年に花道を用意()する予定を
空気読めず優勝したからだな 優勝パレードの握手で疲労したせいで日本シリーズで敗退した
というのは誇張らしい、ペナントを制したことに満足しきった空気があったみたい 70年代セはプロ野球史の中でもきわめて影が薄い
この時先発抑えでフル回転した投手が星野というのもそれを表している >>3
いや長嶋が力尽きてV10逃したという方がドラマチックといえる >>4
パレードがシリーズ敗退の言い訳に使われたのは事実だが、
10月12日(土)大洋戦ダブルヘッダーに連勝して優勝決定
10月14日(月)優勝パレード(主力以外は後楽園の巨人戦ダブルヘッダー=長嶋の引退試合に出場)
10月16日(水)日本シリーズ第1戦
シリーズ終了後にメッツとの日米野球が組まれていたとはいえ今じゃ到底考えられないタイト過ぎるスケジュール。
一方のロッテは10月9日(水)にプレーオフ第3戦で優勝決定していたから、およそシリーズを勝つような態勢になっていなかった。 「燃えろドラゴンズ」が出来た年。
優勝争いの最中に名古屋のラジオ番組発で広まった曲だが、背景には翌1975年からの発刊がほぼ
確定した「中部読売新聞」に対する中日系メディア総ぐるみの猛反発(それまで中京地区では読売
新聞は発売されていなかった)という面もあった様だ。
予てからメ〜テレが朝日主導のテレビ局という形をとりながら読売も大口で出資し「読売新聞ニュ
ース」もネットした(又、視聴率対策面から当時のメ〜テレは日テレ系列色が極めて強かった)
のに対して「読売系メディアの名古屋進出」と見做して敵意を露にした程、読売に警戒していた
からね。 全員野球とか言われていた
>「燃えろドラゴンズ」
画期的だったな 燃えろじゃねえよ
燃えよだっての
ブルース・リーの大ブーム
燃えよドラゴンをもじった曲名だろが >>13
あの年がブルース・リーの大ブームだったからな。
>>14
作曲者がその後何万か払ったと昔板東がラジオで言ってた。
嘘か本当かは知らない。 作者の山本正之が歌っているデモテープバージョンが当初ラジオで流れていたんだが、左腕の竹田が何故か下手投げになっていたんだよな。
竹田がまだセットアッパーとして売出し中の時期だったのはわかるが、山本氏は余り野球を見ていないのかなとか思ったことがある。 >>11
かつてメ〜テレは日テレ・NETのクロスネット編成。
中京テレビはメ〜テレからあぶれた番組で編成を組んでいた。
この1件でメ〜テレ=NET、中京=日テレのネットとなった 燃えよドラゴンズ、中日系テレビの特徴…
これが2010年のアレに繋がるんだよな
作者の嫌いな選手が監督になり、不人気必至で中継が無くなる 当時のこと覚えているのは
@最終ダブルヘッダーの大洋戦で元中日主砲の江藤慎一に対して
「江藤〜今日だけは打たないでくれ〜」とヤジが飛んだ
A日本シリーズは第一戦をサヨナラで勝って二戦目も途中までリードするものの
黒い猫がベンチに現れた途端に逆転負け食らう
Bその日本シリーズで2勝3敗と後が無くなって記者から「王手かけられましたね」と
質問された与那嶺監督は王手の意味が分からなかった >>16
たぶん初優勝が近づいてからのにわかファンじゃないのかな?
「2番谷木が送りバント」ってあるけど実際はほとんどやってないらしいし。
「〜6番木俣が流し打ち、7番島谷ヒットエンドラン」も状況が変と言えば変。
木俣鈍足だし。そもそもこの歌詞の打順もそんなにあったかなあという疑問も。 実際には木俣は、7番が多かった。
島谷のエンドランはヒットになっているという仮定だろう。
でなければ広瀬のスクイズはありえない。
しかし、それにしても谷沢がサードランナーということになるなあ。 燃えよドラゴンズとバビル2世のエンディングって途中までそっくりだよなw
♪遠い夜空にこだまするー
♪サイコキネーシステレパシー 201 :神様仏様名無し様:2015/01/23(金) 20:00:55.08 ID:rFzDMcBv水原監督最後の年(昭和46年)からの中日ファンなので、江藤の中日時代は知らない。
江藤で一番印象に残ってるのは昭和49年の優勝を決めた大洋とのダブルヘッダー。
第1試合だと思ったが、試合終盤に江藤がホームランを打った。
中日大量リードで勝敗に影響がないこともあって、満員の中日ファンから江藤に大歓声が上がった。
優勝が近づいてくるお祭りムードもあって、相手に点が入ったのにすごい盛り上がりだった。
江藤も予想外の歓声に嬉しくなったのか、ホームインの時に満面の笑みを浮かべてスタンドに向かって深々とお辞儀。
やはり当時の中日ファンにとって、移籍後も江藤は特別な選手だったのだと思う。
20年ぶりの悲願の優勝が決まるその場に、敵チームとはいえ江藤が居ることをみんなが喜んでいるのが伝わって微笑ましかった。
江藤自身も感慨深かったのではと思う。 木俣は優勝争いしていなければ首位打者は獲れたと語っていたな
翌年の井上も惜しかった
田尾も惜しかった
ところがホームラン争いになると僅差で勝ったり同じ数になったりするな 中日って不思議なチームで、個人成績がパッとしない年の方が優勝するんだよな
代表的が84年と87年と91年 1984年の得点・失点・差
広島 635・494・+141
中日 641・551・+90
読売 637・517・+120
2位でも出来すぎじゃね? >>28
打撃3部門に防御率/最多勝とほぼタイトル総ナメの94年も 優勝前日のヤクルト戦は、ラジオに噛り付いたなw
本気で祈ったし奇跡を信じた
最終回に同点打を放った高木は、凄かった
武上が終盤落球したり神がかり的な試合だったね >>23
木俣と島谷で2番or7番が多かった気が
>>27
木俣は捕手というのを割り引いても言い訳臭いなw
勝負弱かったし
後年の大豊山崎が6番7番で好成績だった時と同質な感有り 木俣は年間33本塁打で60打点という怪記録を達成した打者だから。
楽な打席で数字だけを残す伝統はその後も大豊山アに見事に引き継がれたと言っていいだろう 「よみがえる熱球 燃えよドラゴンズ」
で動画検索すると当時の様子が懐かしく見られる
木俣の打撃て右側から見ると
他の選手より迫力あって格好いいなw
結構スイング速かったw そういえばこの年、2番木俣とか
ジャイアンツ長島の1番もあったw
最後のオールスターでも長島は、1番を打ってたしw あの星野でさえ阪神に勝たせたくてど真ん中ばかりになげたというマジック1のゲームで江夏から決勝ホームランの木俣w
空気読めなさすぎで爆笑w。昔からこういう奴だったのだろう あの試合途中で木が阪神のあまりの不甲斐なさに
こんなチームに優勝させる方が恥ずかしいとか言って仙一焚きつけたんじゃ
なかったっけ? 仙一焚き付けたのは守道だよ
木俣なんかが言うわけがない 74日シリでは高木は途中から負傷欠場だからしゃーない
実際いれば勝ててたかもな。ただ原因が自打球というのはやや情けないが 高木って、守りのイメージが強いが
意外にホームランも多かったみたいだ 古沢から放ったサヨナラ3ランで優勝モード突入!
鈴木孝政デビューで優勝確信! >>39
仙一も勝利の瞬間は腰に両腕あてて「あーあ、勝っちゃったよ」て感じなんだよな。
ttp://www.youtube.com/watch?v=fUt2XrnFaKU 3:40ぐらい 江夏は対談で「相手の投手は星野仙一。緩い球や。キャッチャーは木俣達彦さんで打席で
『次の球は○○や』と全部教えてくれる。みんなど真ん中。それが打てんかった。力んでしまってな(笑)」と言っていた
さらに本社が「勝ってくれるな」と言った話は本当だったのですね、という質問にも「そうよ」と答えている
当時、報知新聞の記者にもぶちまけたけど「これは原稿にでけへんからお前と俺の腹に収めておこう」と言われたらしい 中日を倒したロッテは仙台を避け、後楽園でのみ試合。
日本一パレードも仙台で無し
仙台での日本シリーズはここから39年後になるがその時の監督は74シリーズに出た星野であった >>47
日本シリーズは避けたのではなく
収容能力の問題から開催できなかった >>48
これと同様のケースが1979・80年の近鉄
日生球場が収容能力の問題で開催できず大阪球場で代替開催 防御率2点台だったら20勝で最多勝の松本がMVPでだったと思う。
全く遜色ないと思うんだが。 >>52
ONと讀賣が絶対だから無理
ベストナインは堀内だし
星野の沢村賞は優勝の御祝儀&東京六大学エース補正 >>52
松本は勝率も1位だし、投手陣の中では一番勝ち星の貯金を稼いでいる。 さすがに当時でも優勝チームからMVP出すのが原則だったと思う。
ただ、星野の15勝は当時では少なすぎ、20勝の松本も防御率は最低2点台て不文律があったと思われ。
例えば70年ロッテは25勝(最多勝)で防御率3.21の成田でなく21勝で2点台の木樽がMVPなんだな。
20勝てば阪急足立や大洋秋山みたいにタイトルなしでも優勝チームからMVPの例はある。
その意味で松本は惜しかった。結局は連続三冠の王にかっさらわれた可能性も高いがな。 >>14
オレはバビル二世のエンディングににてると思った。
サイコネキシステレパシー 当時中日は全員野球と言われていたが
20勝投手がいたんだなw
高木でもよかったし星野でもよかったし
木俣でもよかったよな
しかし三冠王がいたからなあ
まあ内輪揉めしなくて良かったかとw
松本に関しては金城も同じ勝ち星だったからケチをつけられたかな?
本当に微妙な感じがした年だなあ 高木
星野
松本
マーチン
木俣
皆が好成績だったが突出していなかったからなあ
だが三冠王のインパクトには敵わなかった
しかし、世間ではそれよりも長島引退のほうが上だった
中日v10阻止とロッテ日本1と王セリーグ初の三冠王を足すよりもだ! 中日優勝は嬉しかったが
長島引退の寂しさもあり実に複雑だったな
長島といえばプロレスで言えば力道山、馬場、猪木と同等もしくは上だったし しかし、もし中日がV逸してV10達成したらもう1年だったかもしれんぞ
もし前年阪神が優勝してたらそこで引退の可能性も大だったらしいし
優勝し続けて辞めるに辞められないリアルあぶさん状態になったかもなw >>55
1986年のバースと落合も二年連続三冠王だったがMVPは獲れなかったな
バースは歴代最高打率、落合は最高出塁率だったにもかかわらず >1986年のバースと落合も二年連続三冠王だったがMVPは獲れなかったな
>バースは歴代最高打率、落合は最高出塁率だったにもかかわらず
王の場合セリーグ初だしな
もし王が三冠獲ってなかったら
誰が最高殊勲選手だったんだろうか? リアルタイムで知らないんだけど、後追いで数字みるだけだと木俣一択な気がする リリーフ起用が主の投手ながら異例の沢村賞に輝いた星野もMVP候補だったかも?
松本、金城の何れかが2点台以下の防御率なら、そちらが沢村賞、星野はMVPという形で
落ち着く(当時の沢村賞はMVPと同じく記者投票で、この年以前だと1962年のMVP村山・
沢村賞小山、後だと1981年のMVP江川・沢村賞西本と振り分ける傾向もあったり)可能性
もあったんじゃ無いかと。 まったく話題にならないが実は三沢も11勝して星野より多い200イニング投げてるんだよな。
イニング数では松本(236)>三沢>(200)>星野(188)というな。
ちなみに82年の優勝でも8勝して140イニング投げて日シリでも先発している三沢。
地味に中日への貢献度は星野以上と言えなくもない。 仙一が、いなかったら優勝はできなったな
ところで孝政は、新人王ではなかったんだ?
この年は誰だっけ? しかしこの応援歌が出来たせいで竜ファンは毎年応援歌の歌詞を
覚え直されなければいけない苦労をしょいこむ事にw。 最初の燃えドラ歌詞は随分と過激なんだが
今でも放送できるのか? >>71
過激は過激だが別に放送コードに触れる様な事は言ってないだろ。 >>4
>ペナントを制したことに満足しきった空気があったみたい
1975年に念願のリーグ初優勝を果たしたときの広島も同じ
選手自身がそれを認めている
>>11
実は中日ドラゴンズの球団歌はその前に別の曲があったんだよね
「イヨマンテの夜」 のヒットでおなじみの伊藤久雄が歌った古めかしい曲で >>71>>72
虎を殺して優勝だ〜クジラを食べて優勝だ〜♪
動物愛護&環境団体が謝罪と賠償求めてきそうだわなw >>73
いやあ、1975年の広島は明らかに阪急に力負けしてたよ。
横綱と平幕みたいな感じだった。 >>76
尾ひれが付いている部分もあろうかと思うので断言は出来ないけど、いわゆる中日の「無気力」試合
だったとは言えるかと。
そんな試合でも負けてしまった阪神の哀れさが(´・ω・`) プロ野球ニュースで四半世紀前にやってた「球場物語」のその中日vs阪神戦を取り上げた回で
「空席の目立つスタンド〜」というナレーションが入っていたが客入りの減っていた1973年当時としては結構入っていたんじゃないの? >>77
星野や谷沢ははっきり証言してるよ。
「阪神を勝たせようと思ってた」って。 >>46
報知の記者にぶちまけたというか、その時江夏は報知のパリーグ観戦記の仕事があって記者と一緒にいたようだ
その時球団に呼ばれて「優勝ボーナスの話だろう」と思ってワクワクしながら二人で球団事務所に向かうと
「優勝したら金がかかるから勝たんでいい」と言われカッとなってテーブルを引っくり返してプリプリしながら
車に戻り、車中で待っていた記者に「どうした?」と聞かれてその話をしたと >>81
現在の阪神は事実上阪急の傘下になって資金的に豊かだよな。
むしろ、金のかかる落合を優勝したのに切っちまったり、メジャーレベルの外人に手を出さないとか、
中日球団の方が今でも同じ古い考え(優勝したら金かかるから...)だな。 >「優勝したら金がかかるから勝たんでいい」と言われカッとなってテーブルを引っくり返してプリプリしながら
車に戻り、車中で待っていた記者に「どうした?」と聞かれてその話をしたと
これって八尾試合にあたらないの? 江夏本人は負けるつもりなど無かった、気負いすぎて打たれたと言ってる s49の優勝が1番感動した
それに比べれば後は大して。。 >>88
s57は日本シリーズで醜態を晒して、s63は優勝決定試合で恥を晒したからな… >日本シリーズで醜態を晒して
これはs63も同じというかもっと酷かった。 82'は江川攻略サヨナラのあの試合で結構盛り上がったと思うし、
88'もミラクル連発で夏からマジックが一気に減る独走展開にワクワクしたがな
99'は息苦しかった感じがある。先行して守る展開だったし前年まで2位続きだったしな
勢いの82',88'より99'が74'に近い空気だったんじゃないかと勝手に思う。 s49
巨人とのマッチレースに疲れ果て
普通にやってればロッテに勝ってたとドラナインは語っていたが
どうだかねえ
相手はアルトマン抜き
有藤も怪我をおして出てきたわけだし
二人がまともだったら
金田、木樽、村田のいたロッテには一つも勝てなかったかもしれませんよ 中日も高木が自打球で途中戦線離脱だし。というかこれが一番痛かったんじゃないか。
ま、シリーズは星野が散々だったしシーズンで完全に消耗してたぽいが。 当時、ロッテの金田監督がぼやいていた
日本一になって1974年はカネやんブームにしたかったのに
長嶋引退に全部持って行かれたと しかしこのシリーズからだな。
日本シリーズに弱い中日という印象が強くなったのは。 あのシリーズは、投手が既にヘトヘトで先発がまともにいなかった
やっとの思いで巨人を倒してもう一度ネジを巻く余裕はなかったかもしれないな
ただあの頃のパリーグはセより強かった
ロッテは全盛期の阪急を倒して出てきたわけだし
ロッテ以外の阪急、南海が出てきても中日が勝てたかどうかは疑問
たとえ巨人であっても勝てなかっただろう
>しかしこのシリーズからだな。
>日本シリーズに弱い中日という印象が強くなったのは。
後の西武戦なども圧倒的な戦力に差があったのは認めざるを得ない
中日は会社自体が日本1獲得という目標を真剣に考えていなかったな
とにかく打倒巨人ばかりのチームだから
つまりは理想が低いんだよ >>97
88年はともかく82年はそんなに戦力差は無かったと思う。 99の中日圧倒的有利は何が根拠だったのか
当時は実際そう言われてるからそうなんだと思ってたが今考えると
全く分からん
2006もそう言われてたがまああの年は分からんでもない 投手が揃ってた
横浜連覇なさそう
巨人も弱そう
あとは問題外こんなところだろう そりゃダイエーの過小評価だろ
巨人を倒した中日がダイエーなんぞに負けるわけないって雰囲気だった ホークスの情報がなかったのが最大の理由かと思う
POやCS前の当時はパがシリーズで弱い時代が続いてたからもか。 99年はホークスは日本シリーズ慣れしてないから不利なんて言われてた気がする
中日だって11年ぶりだったしまともにシリーズ経験してるの立浪と昌くらい?
な上2人とも新人だったのに
ダイエーは秋山工藤とシリーズ経験豊富な選手居るのにおかしなこと言うな
と思ってたら案の定その2人にコテンパンにやっつけられた 山崎やらゴメスやら福留やら
シリーズ直前に怪我をしたり
日尻ではないが最終決戦直前に肩を脱臼した昌とか
石ころ事件とか不運が付きまとった事も多々あったな
でもまあ
それがあっても勝つのが本当に強いチームだが 82,99,11と、ナゴヤで0勝3敗なのが痛すぎる。そりゃ勝てる訳ないわ。 西武球場へ行ってあまりの綺麗さに気落ちしたとか
清原の場外弾にビビったとかもあったね
チーム全体にパ・リーグみたいな執念を感じられなかったな
連勝すれば監督がすぐにもう優勝したかのように慢心したり
気が緩み過ぎなんだよこのチーム! 西武で二戦級扱いだった小野を一戦目の先発に使った時点で終わってる。 日本シリーズを切っ掛けに自信をなくし翌年から駄目になった例は関川もいるな 松本行幸の1974昭和49年度の映像見たけど、20勝良くできたな…
新人の鈴木孝政のが凄い球投げてるのに〜 9勝は阪神からだしな。左腕だし異常に投球テンポ早いしまあ変則派だったんだろうな
星野だって別に球早かったわけじゃない。フォームと投球術と気合wで抑えてたんだろ。 投手は駆け引きの巧さも必要だしね
晩年の江夏なんか球威は殆ど無く経験による
駆け引きだけで打者を抑えていた >>109
いや88年の小野はシーズンの成績もフロックだよ。
多分パでもそんなに目立った活躍してなかったのでマークも
されずデータが無かった。
ようするに巨人からダイエーに行った本原が一時期だけ活躍した様なもん。 フロックでもリーグ優勝に大貢献した分にはよかったじゃん、と思う
星野って意外と再生工場の面もあったと思うよ。小野、西本、関川...
野村との違いは長持ちせず一発で終わるところだがw >>114
小野は85年の阪神とのシリーズで既に大した投手じゃない事はわかりきってたからなあ。 >>93
あと勝負強かった井上が絶不調だったのも痛かった
マーチン 谷沢は公式戦の活躍そのままの調子で貧打広瀬が古巣相手にシリーズ打率三割越えw
第6戦大島が同点HRしながら最後星野が力尽き打たれて終了 シリーズは一人二人は調子の悪い打者がいてもしかたないからなあ。
逆に昔のヤク橋上や西武大塚みたいなラッキーボーイが出るのはよくある話かと
それよりも外すことができなかった星野と心中したシリーズという感じがあるな 星野が散々だった理由を推測する
1・もともとシーズンでボロボロに疲弊していた
2・巨人相手でないので火事場のクソ力が出なかった
3・顔と気迫と色んな補正で取ってもらっていたストライクがパの審判には無視された。
実際の話として3が大きかったんじゃないかと思う
セの打者ももう巨人はいいから...て凡打してくれてた可能性もあるし
ロッテはガチだからそりゃ打たれるw >>118
元来大学時代でピークは過ぎてた投手。
プロ入り後は自分を裏切った巨人憎しのモチベーションだけで何とかやって来た。 監督でも巨人も鯉もさようならさせたあとのシリーズは塩辛かったがパ・リーグ監督で相手に巨人が来たら日本一 >>92
何せ4番からして本来1,2番や6番辺りが適任の山崎裕之(1〜5戦)や弘田(6戦)
だもんな。
アルトマンが離脱して上の彼らに加えて、有藤、得津etc.と言った日替わり4番に
なってから逆に勢いづいて、後期優勝→プレーオフ優勝とシリーズ進出まで突き
進んだってチームだけど。 星野って超有名なわりに投手としての特徴が語られないよな
平松のシュート松岡の速球堀内のカーブみたいに同年代投手はわかりやすいうりが後年のファンにも
知られているのに 74年の星野は先発専念なら20勝いったかもな。
抑え兼任で(当時は当たり前だが)シリーズでは力尽きた >>121
何しろ当時の阪急に勝って出て来たチームだぞ。
主力選手のロートル化でガタガタになってた当時の巨人にやっとこさ僅かの差で
優勝した中日が勝てる訳ない。 74年の阪急は監督が上田に代わった1年目だがな
チーム作りの試行錯誤か長池も山田もこの年は成績落としてる
山口高が入団して短期決戦で無敵になるのは翌75年からの話。
この年は短いとはいえ移行期で色々と隙があったんじゃないのか。 兎にも角にも中日は昔からハツモノに弱い
というか弱過ぎる >>126
それでも阪急は戦力的にはリーグNo.1のところがあったぞ
ロッテの強みは野村や上田が見たことがなかったという金田の求心力。 阪急がシリーズに出ていたら
上田監督だと大舞台に弱い米田を外して水谷孝あたりを抜擢しそう >>129
前年の南海だってシーズンは阪急にボロ負けでプレーオフで奇策を使ってやっとこさシリーズに出た訳だしな。 >>131
とても投げられる状態じゃなかった江本が緊急登板して、一球もストライクを投げられなかったけど
審判が味方してくれたこともあってゲームセットになったという試合だな 中日ってオープン戦からパリーグには異常なまでに弱かったよ >>128
日シリ童貞同士の対決だった54年の西鉄には勝ったじゃないか。 降竜戦は最初の2005年だけ
ついでに言えば2005交流戦の前半だけだな
それも前半戦の最後に楽天と言うボーナスステージ
残しておきながら3タテ喰らったのがでかい 当時は、大島や藤波が控えだったんだもんなw
今とは大違いだわw >>138
控えといっても選手交代が多いチームだったからなあ >>138
とはいえ選手層が厚かったわけでもなく、大島も藤波もまだ「期待の若手」程度だったんじゃね?
大島なんてブレイクしたのは20代後半だしちょうど今の平田ぐらいの感じでしょ
そう大違いでもないと思う。ナゴドと中日球場という大きな違いはあるけど。 俊足谷木の台頭と
なにせ島谷、井上、木俣、と似たタイプの選手がいたからね
当時の他球団ならどこでもレギュラーに成れたと思うよ
代打で出てきて駄目ムードの試合をひっくり返すようなホームランを沢山打ってきた大島
(こういった選手は、大島以降出てきていない)
だから1度大島をシーズンフルに使ったら一体何本ホームランが打てるんだろうとよく言われてきたね
大島がバレーを続けていたらオリンピックに出ていたかもしれないし
相撲の世界に入っても成功したかもしれないし
運動能力に優れ非常に器用な選手でもあった
もし大島が子供のころから野球だけに打ち込んでいたら途轍もない選手になっていただろうと
谷沢が語っている
結果的にタイトルも獲ったし2000本も打ったが
明らかに王より成績が上なのにベストナインに選ばれなかったり
なんだか大きな運に恵まれない選手だったな 大島はレギュラーになっても活躍は隔年だったからな
代打ホームラン記録を作って名を打ってからやっとレギュラーになったが、
それまでは毎時期待されては不発を繰り返す不安定な選手だった、
と、以前本人が振り返っていたw >>143
全然違う。
田尾の嫁は田尾の主治医の娘。 >>95
それ以前に巨人にシリーズに出てもらいたいと言ってたんだが。 >>145
巨人が出てたら長嶋の現役最後の試合が日本シリーズになった可能性がある。
ロッテが勝っても日本一がもっと霞んでしまいそうだ。 >>144
そんなお嬢さんがこんなになったのか(´・ω・`)
tp://www.madam-rey.jp >>147
まああの夫婦は揃って変わってる。
何しろ子供の前で堂々と夫婦生活をやってみせる二人。 >>141
WBC王ジャパンで
打撃コーチで呼ばれたのはその時の借りを返したのかもw
そのお陰か野球人としての株は上がったな
存命の中日OBでは杉下星野権藤に次ぐ位置付けかと
高木が晩節を汚してしまったし 位置づけの意味がよくわからんが、今は間違いなくその遥か上かつコア部分に落合がいるだろ。
既に杉下よりも上と言っていい位置になってしまってる。 このシリーズでは広瀬がよく打った
2戦目から2番に起用すればよかったのに >>150
王さん始め球界から嫌われている落合が杉下御大より球界の立ち位置が上は有り得ないw 赤ヘルブームよりV10阻止したドラゴンズは、もっと評価されていい 赤ヘルは首位打者の浩二に最多勝の外木場と投打にわかりやすかったからなあ。
だから本当は松本がもっと目立ってしかるべきだったんだがそれを星野の存在が邪魔したから全体に地味になった。 小川健太郎
中 高木 マーシャル 江藤 葛城 木俣
といった打線で1度でも優勝していたらな〜
赤ヘルに比べても遜色なかったぜ >>153
長嶋引退と王2年連続三冠王に話題を持っていかれた所為
>>154
星野が目立ったってよりV9巨人至上主義=当時の球界含めた世情だったからね
ベストナイン投手は堀内だったし
首位打者と云えば最終戦最終打席まで競って逃した井上だがあれで逆に記憶に残る選手になった感がある
その後首位打者獲得してその年だけで終わって球界から消えていった太平洋吉岡やロッテ平井もいたから 赤ヘルは後楽園で最下位に沈んだ巨人を直接負かしての優勝だからな。
歴史が変わった、ってインパクト最高だったと思う。当然、全国ネットだったろうし。
今思うと巨人との直対を避けて大洋とのダブルで決めた優勝はややセコい。
ま、前年の阪神V逸の二の舞を避けたのだろうけどさ。
しかしおかげで長嶋の引退試合で完全に話題かっさらわれたw
もしあの引退試合がガチだったらどうなったかねぇ。
優勝で長嶋現役続行とかさ。 >>158
直接対決で大きく負け越していたしなー(´・ω・`)
この年の巨人はセ5チームに勝ち越した「完全2位(?)」という珍しいパターン。
他には1998年のオリックスも達成している。 11日(金) ヤクルト(18:30 神宮)
12日(土) 大洋 (15:00 中日ダブル)
13日(日) 巨人 (14:00後楽園ダブル)
こんな殺人日程が組まれてたんだから直対以前に一日でも早く決めたかったんだろう。
結果的に13日は雨天中止、14日の長嶋引退試合とパレードがバッティングすることとなる。 >>159
完全2位?は
中日が1963年に達成している
>>160
引退試合終了後のセレモニーで中日側の花束贈呈役は大島だったが前年迄巨人在籍の広野功でも良かった気がしたw
大島 広野 井手 西田 金山 堂上父らが引退試合出場メンバーだったが
井上弘昭も第一試合に出てたのを近年知って意外な感 >11日(金) ヤクルト(18:30 神宮)
この試合でヤクは松岡を出してきやがった!からな〜
みんなへとへとでやっと引き分けにw
武上さんが落球してくれた時には神が降りた気がしたw
最近で言えば日シでのハムとの最終試合と同じかそれ以上にキツかった印象蟻
とてもじゃないが最終決戦で勝つなんて無理だったろうし
もし勝っていても国民を敵に回していたかもしれないw
まあ長島もあれですっきり引退試合ができたし
ヨカッタンじゃないの? もし13日に試合があったら9月28日からの16日間に17試合。巨人に至っては18試合。
3日後には日本シリーズだものな。
そりゃ勝てんわ >>162
本当に覚えてるのか?
BSの番組見て後付けで語ってるんだろw >>164
後付けに決まってるじゃんw
当時小学生10歳でも五十路だし
高齢リアルタイマーが来てたのはパ球団の阪急 南海スレくらいでしょ
球場スレはナゴヤ含めて割とリアルタイマー率高かったけど 阪急もあまりいないはず。
太平洋クラブはいたような気がする。 武上の落球は、ワザとかと思った
守道が同点打打って
最後は星野が締めくくり、やっと引き分け
ラジオの前で必死に応援してた
こっちも疲れたぜ 白々しいw
ラジオで映像も見てないのにわざと落球したと思ったとか突っ込みどころ満載 武上の落球を足掛かりに
同点に追いついた
ラジオで聞いてたよ
間違いない >>169
何歳ですか?
BSで詳細にこの辺の試合経過を特集した番組を見て語ってるのでは
ないですか? 星野仙や木俣、高木守、鈴木孝政が出ていた番組がありましたよね。 爺ですが何か?武上の落球が何か?
神宮での試合ですよね? 試合後、応援団が「マジック2!マジック2!」と叫んでいました。
番組でこんな情報ありましたか? ラジオ実況CBC(TBS裏送り)
解説 水原茂
実況 新村尚久(TBS)
最後の方になってようやく引き分けでマジックが減ることに気付いた記憶 この当時を知るものは現在45以上だな
> ID:ip1Rn46K
お前は何歳だ?
答えろ 仙ちゃんがカッコ良かった
沢村賞とセーブ王の同時受賞とか最高! 昔の「中日優勝の軌跡」とかのビデオかDVDでもたまたま持ってるとかじゃね?
しかしまあやっぱり星野より松本幸行だわ 先月から中スポ3面で球団通算5000勝記念特集コラムでOBのエピソード載せてるが5/2の井上弘昭の回は間違いなくトレード放出の一因になった事象だったw >>177
質問に質問返しってwww
もしこれが本人だとしたら日本も終わりだな。
こんなボケ老人がいることが害毒だ。
ID:TMtrM9yWがずっと書き込み内容を疑問視されているのは年齢的な問題だろ?
もし本当にリアルで見ていたなら普通にに年齢を答えればいいだけ。
そうすればみんな納得するよ。
>>180
kwsk
面白そう。 >>158-160
優勝決定のダブル第二はNHK全国放送
名古屋圏ではダブル第一から生中継 サヨナラ勝ちが多かったな
「ゼッタイ ギブアップ シナイ ヤキュウヲメザス」
これが与那嶺野球だった 優勝した翌日の新聞は中日スポーツと変わらないほど中日優勝一辺倒だった あの感激を忘れたのか、07あたりからの中日は冷たいのなんの
御用局のアナや解説も批判ばっかだし(例 K野誠) >>181
中スポの3面コラム
1/5000の記憶
井上の回は
78年開幕カード
対大洋戦初戦
井上無安打で翌日2戦目のスタメン外され終盤同点で新監督の中に代打指名されるもムカつき若い奴を出してやってくれと断るがどうしてもと言われ渋々引き受け決勝HRで勝利w
Wヘッダー3戦目にマルチ安打で勝利貢献w
次カードの広島遠征時に中からの監督賞金一封を「要りません!」と断るも「一度出したモノは引っ込められん」と言われ仕方無く受け取り若手選手を連れて広島夜の街へ繰り出したと云うお話w 四国だが、優勝決定ダブルヘッダーは、第一試合テレビ放送あったで。第二試合はラジオだった。 >>187
面白い話だけど、中監督に出されたわけでもないんだね。
近藤になったときに出されてる。
>>188
放送したのはどの局(系列)ですか? >>187>>189
外様でタニマチ等バックの居ない非地元出身選手は
誰が監督でも
そういう態度を取れば球団上層部に睨まれて真っ先に放出される要因にはなるだろうな 189 第一試合テレビも第二試合ラジオも、NHKと記憶しているな。 >>191
ということは第一試合の映像はNHKに残っているのかな? >>192
「よみがえる熱球」の中でも出てきたし、少なくともハイライトシーンは間違いなく残っているはず。 NHK名古屋は、連想ゲームや刑事コロンボを潰して中継したんだな。大英断 第一試合の映像見たいな〜
・松本幸行が完投、打っては3安打
・大洋江藤慎一のホームラン
1試合全部見たい。 リアルタイムで全部見た。
>打っては3安打
コレは、記憶無いなw >>195
巨人とのゲーム差考えれば松本の勝ち星の貯金11が一番貢献している。
王が三冠王でなければMVPでもおかしくない。 層が厚かったな
代打男の江藤
一発長打の大島
ウィリアムも藤波も飯田も!
みんなチャンスに強かった 巨人戦以外の4カードで創設以来初の満員札止め
阪神(6/29>8/18)
大洋(10/12ダブル)
広島(8/24)
ヤクルト(9/8) 優勝する前年も前半首位を独走していた
絶対優勝すると信じていたが巨人にさらわれた
あの年優勝したのは前年度の戦いぶりで自信をつけたからだろう 前年までの下手投げPアレルギーを克服したのが大きかった。 本格派のエース級には何故か強く
上田、会田、渡辺らにコロリ 江夏は当時
中日球場で相性良くなかった
上田次朗が中日をカモにしていたのと真逆
73年は巨人に勝ち越しても上田や下位球団に取りこぼしたのが響いた
前半首位で折り返すもマークがキツくなったのとプレッシャーで自滅していった感
相性の良い江夏にノーノー喰らって終戦3位をかろうじて確保 ほとんど誰も触れてないがマーチンが当たったのも大きかったんだろうな。
それにしてもマーチンてw。今の時代なら「マーティン」だろうな 元来中日打線はアンダースローやサイドスローの投手を苦手にしていた。
72年まで在籍していたミラー、バートの両外国人は特にその傾向が強く、対策としてこの2人を切ってテーラーとウイリアム(スイッチだが)の左打者を連れてきた。
しかしこの2人も長打力不足で、74年にはテーラーを放出してマーチンを獲得、これが大当たり。
マーチンがアンダースローやサイドスローの投手を格別に打った印象はないんだが、同時期に谷沢の進境もあって、相手チームがこの手の投手を中日戦にぶつけにくくなったのが大きかった。
この頃巨人の小林繁が台頭してくるんだが、その後後楽園の人工芝でずっと連敗していたときも、小林を苦手にしていたという印象は殆どない。 前年まで日替わりの4番だった
島谷、木俣、井上、大島、谷沢、
3番江藤という時期もあったし
それがマー君加入で固定された
ヘルメットから帽子へ代える時の素早さは、かえって目を引いた
わざわざカメラは、その瞬間を追ったしw
それと優勝の年は、孝政の鮮烈なデビューでいっきに優勝ムードが高まったな 本格的に優勝争いをするようになった夏場以降
東海ラジオショーナイターが自然消滅 なんだかんだ言っても星野と鈴木の大車輪の活躍のおかげだろう >>208
ショーナイター「最後の試合」は6月の広島戦ダブルの第1試合、土居まさるの実況だったな。
引き分け寸前で谷沢がサヨナラ2ランを打った試合。 >>209
NHKの欠席裁判みたいな特番を見過ぎた馬鹿w 「トーカイ ラジオ〜 ショー ナイタ〜〜〜」
CBCは
中日に点が入ると
「いいぞ! がーんばれ♪ いいぞ がんばれ〜!
ドーーラ ゴ ン ズ ッ ♪」 与那嶺監督
「キョウモ ドラゴンズ ハ ガッツ ト ファイト ダー 」 孝政ねぇ。
リアルタイムを知らんから何も言えんけど、
88年Vで言う上原や昌ぐらいの感じだったんじゃないの。
大車輪と言うよりは最後に出てきた秘密兵器みたいな感じ?
いなくてもまあ優勝はできてた、ぐらいな それはムリだったろう
当事孝政は、ピーク時の江川、松阪クラスだったし 20年ぶりの優勝
この間にいた選手に中がいる
中は優勝とは縁遠い名選手だった しかし北京だとか90、97の低迷、お荷物な82ならまだわかるがこんな活躍した年までホシアンが出てくるのかよ
田中並な24勝0敗しなきゃだめか? 活躍と言っても賞与えるほどの成績でなくすべてが中途半端だからな。
しかもシリーズでは散々でその後50年間日本一に見放された元凶といっていいし。
高木の逆転サヨナラ打がなければ0勝3敗ってなんだよ。 >>220
リリーフエースとして1勝2敗の成績、且つ1勝も勝ちパターンで登板しながら一旦
同点に追い付かれてのサヨナラ勝ちで得たものとシリーズ敗北のA級戦犯とされた
からぬ(´・ω・`)
「星野はシリーズでは勝てない」伝説(?)の原点となったシリーズ。 読売が横やり入れなければMVPでまた印象変わった
後楽園じゃなく仙台ならどうだったんだろ
確か星野は後楽園を苦手にしてなかったか? 20勝が最低限の基準だった時代に15勝止まりじゃMVPは全くないわ。
セーブはそれなりについてるが導入1年目でオモシロ記録扱いだったろうしな。
だからドラからMVPなら20勝した松本が妥当だった。
星野に配慮したのか票が割れた上に連続三冠の王がいたからどっちにしろ無理だがな >>226
この年の後楽園の星野仙は1敗3セーブ1分け。
1敗も先発1対0の9回途中無失点でランナー残してタカマサに交替、マーチンのエラーと柳田のサヨナラ3ランで負けが付いた。自責は1点。 >>227
>>221が欠席裁判というのは、例のNHKの特番で松本が出席せずに、
星野や孝政みたいなおしゃべり野郎にいいように語られたからだよ。
松本の貯金11と巨人とのゲーム差を考えたらMVPは普通に松本だわ。 トレードで中日と無縁になった上に野球界から完全に離れたらしいからね
大げさに例えると中日にとって松本の存在は南海にとっての野村みたいな感じだね
大貢献したはずなのに何故かなかったことになっている 間違えた、>>221じゃなくて>>211だった。
でも松本は数年前のNHKのBSの特番に出演したんだよね。 松本と安田、坂井なんかが投げ合うと
あまりにもテンポが早すぎて
8時半には試合が終了していた
あの頃は8時に放送開始だったから
本当にテレビ局泣かせの組み合わせだったな 74年以前でも大洋戦やヤクルト戦テレビ中継やってたの? >>234
TBSが阪神vs巨人や大洋vs巨人を全国中継する日に、CBCローカルで中日vsヤクルトを中継することはあった。(フジ=東海でも同じパターンはあり)
で名古屋が雨天中止だと巨人戦の中継になるんだが、逆に巨人戦が雨天中止だと中日戦は試合があっても中継されなかった。 当時はバッターボックスが手前で映っていたな。
数年先から外野からのカメラになったが、東海テレビのカメラはよく揺れて
画面がユラユラしてたわ。 >>236
つまり日テレ系で巨人中日戦以外の日は中日戦の中継はなかった
ってことか。
松本のヒーローインタビューで鮮明に覚えてるのは
「しんどくてゲー出そうになったわ」 >>239
日テレ系で巨人戦をやってる時はCBC東海ローカルで中日戦の中継はなかったのか、って意味。>>236さんの解釈で。 インタビュアー「6回に○○選手にホームランを打たれましたが。。」
松本幸 「うん、あれはしゃーないねー。。」
観客 爆笑
インタビュアーは、いつも心得たもので
勝っても松本が打たれた話を必ず盛り込み松本の受け答えを楽しんでいた
客もそれを楽しみにしていた
今では考えられないようなやり取りがあったよ。
1001は甲子園で阪神を完封した後
「星野さん完封おめでとうございます」という祝福に
「まあ相手が阪神だからね」
「星野さん、ここでそんなこと言って大丈夫ですか!?」
なんてのも憶えてる。
ラジオ聞きながらマジで心配したもんね。 >>241
当時ってヒーローインタビュー場内音声で流してたっけ? >>190
そんな体質が根本的な要因で、後々の禍根を引き起こした挙げ句の果てが
今日の凋落って訳に成っちまったな。 最終的に1,2位のゲーム差が0のペナントレースで、両者の直接対決の最後の8試合が0勝7敗1分。
うち一番最後の2試合がメンバーを落としたいわゆる消化試合ではあるが、こういう形での優勝はかなり珍しいと思う。 そう考えるといろんな意味で前例なきドラマチックな年だったな マスコミは長島引退の後v10阻止をスルーし
どうでもいい赤ヘルブームと歴史を振り返る
これだからマスゴミと言われるんだよ! 巨人を破ってリーグ優勝という日本一以上の目標を達成出来たんだから、正直CSなんかどうでも良かったんじゃない? だから日シリは星野で負けたんだって
たぶん星野ストライクゾーンのアシストなしだったからなんじゃないのかw 巨人を破って中日の選手はヘトヘトだった
とても日シどころではなかったらしいね
ロッテは弘田がよく打った 月刊ドラゴンズの新年号に松本幸行のインタビューが載ってるぞ! 松本幸行程ユニークな選手はいなかった
始球式でもやったら話題になるのにな >>257
当時のインタビューの話題も出てたぞ、今も本質的に変わってないわw この年の大洋戦で松本のピッチングを中日球場のネット裏2階席から見た。
球が遅い上にデーゲームだったのでホームベース付近でボールが変化しているのがガキの眼にもよくわかった。
でも大洋の重量打線はそのアバウトな投球を打ちあぐね松本は完投勝利、試合は確か1時間40分くらいで終わってしまった。
まさに燃えドラの歌詞通りのミラクル投法全開だったなぁ。 松本と安田が投げ合い
8時から始まったナイター中継が8時20分ごろに試合終了したことがあった 松本さん、阪急で復活したが引退後全く消息が伝わらなかった。独身で遊び人だったから借金取りに追われてるのかなあ
って心配だった。1年くらい前にムック本でインタビューがあったが現在の写真が無かったのが不思議だったが。 >>262
前のムックも小さいけどちゃんと写真は載ってる。
俺は持ってるからわかる。立ち読みしただけか? 中日の3年連続Bクラスは68・69・70以来。しかし69年に水原監督が来て星野・谷沢・島谷ら74年Vの核となる選手が
続々入団。水面下ではその下地を作ってたわけで。
今年不名誉な球団新記録がかかるが、果たしてそうした動きはあるのか? >>259
あの2階席当時 階上指定席と球場案内板にも記されていたけど
シーズン席だったの?
あそこで観る事が出来なかったのは悔やまれる
今だとナゴヤドームのパノラマA席に該当するんかな?
観やすさは雲泥の差だが 松本幸行は移籍一年目は10勝したけど
阪急のチームカラーには馴染まなかったか?
やっぱり名古屋で飄々と投げるのが
一番サマになっていたと思う >>267
真逆。阪急の方が派閥がない雰囲気で気に入ってたようだ。
↓
ttp://www.eiwa-inc.com/book/b214292.html
プロ野球引退読本 阪急も2桁勝ったの80年は仏の梶本さんが監督だったからなあ
翌年からの上田とは反りが合わずに引退とか?
梶本さんはコーチにはいたけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています