以前から不思議だったが優勝した1970年、なぜMVPが成田ではなく木樽なのか?
成田は25勝8敗で最多勝、しかも3年連続20勝、それに対し木樽が21勝10敗
これだけ見ると成田MVPでもいいような
防御率は成田3.21、木樽2.53で木樽のほうが良かったから勝星より防御率のほうが評価されたのか?
あるいは重要な試合での貢献度が木樽のほうが高かったのか?
もしくは木樽が高校時代からエリートコースを歩んできたサラブレッドでイメージがいいからなのか?
当時の事情に詳しい人教えてください