1982年のプロ野球
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花の82年組
松本伊代(デビューは81年10月だが)
堀ちえみ
石川秀美
中森明菜
小泉今日子
早見優
三田寛子
シブがき隊 巨人が横浜での最終戦を江川で落としてから中日は8試合も残していて、5−3でギリギリ上回った。
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おもいっきり板違いの話ですね
こんなところでマルチポストなんかしたって、無意味なんですけどw 花の82年組
松本伊代=ヒロミと結婚、子持ち
堀ちえみ=何度も結婚、子沢山
石川秀美=約丸と結婚、子持ち
中森明菜=独身
小泉今日子=バツ1、小梨
早見優=誰と結婚したんだっけ?子持ち
三田寛子=橋の輔と結婚、子持ち
シブがき隊 日本シリーズ第二戦で中日ファンが大敗した腹いせに暴動を起こした。
あれは許せなかった。 池田高校が圧倒的パワーで甲子園優勝した82年。
プロでもいち早くパワートレーニングを取り入れた広岡西部が力の違いを日本シリーズで見せつけた。
小松の150キロの球が悉く簡単に打ち返される。決して小松の調子が悪いわけではなく明らかに
力負けしていた。第二戦の都のアクシデントも起きるべきして起きたのかも知れない。
石毛のピッチャーライナーの打球の速さに都も対処出来なかった感じだった。第七戦の片平とテリーの
アベックバックスクリーン決勝弾はまさにパワーの違いを見せつけた感じだった。
82年はレベルの変革期にあったと思う。池田と西武がまざまざとそれを見せつけていた。 巨人が優勝すべき年だった。江川が20勝して沢村賞とるべき年だった。原が二冠王でMVPとるべき年だった。 当時中日ファンだったが巨人ファンの嘆きもよくわかる。
64勝だかで優勝だもんね。
あの投手陣でよく優勝できたよ。
小松、都、鈴木孝、郭、牛島あたりか。
田尾、谷沢らの野武士打線も懐かしい。 引き分け15だからね中日は。粘り強いといえば粘り強いんだろうけどちょっとね。 もしタナボタ優勝した場合、松本と中畑不在で臨んだ日本シリーズは
90年のような悲惨な結果になったのでは? 8月の中日3連戦3連勝でV2だと思うだろ?
9月の中日2連戦で2試合目に中畑が同点ホームラン打って翌日の朝日新聞も「V2は確実に成った」と書いてたし。 その後の怪我人続出は想定外でしょ。
松本、河埜と来て最終戦を前に中畑骨折でトドメを刺された感。 記憶が確かなら、
江川、西本、定岡の三本柱で49勝(前年と同じ)
原も33発、松本も盗塁大幅増
ほかの主力もまあまあだったはずだけど
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松本が広島戦で頭部死球の時ははじめ軽傷と言われていたのが、
数日後には視力低下、耳鳴り等の診断結果が判明し今季絶望の報道。
翌年から松本は常時眼鏡を使用して出場するようになったね。
松本、河埜とセンターラインが相次いで死球で潰されては流石に勝てないよ。 83年スレでは83年が野球人気の山と言われてるが実際は82年ではないか あとホワイトの衰えがいよいよ顕著になって助っ人として限界だったのも 阪神が優勝してたら面白かったな
実は中日より勝数では1つ多かったんだよな
伊藤、工藤、小林の二桁トリオにタフネス福間、池内、最多セーブの山本和行いたし
真弓、掛布、岡田、佐野、藤田の打線もなかなか >>313
その根拠は中継の視聴率だったかと。
まあ、原人気最盛期の第1期藤田巨人の81−83年は大差ないんじゃないの。
>>315
たしかに中日と遜色ない陣容。
バースがあと1年早く来日してれば82年の阪神Vあったかもね >>312
あのスロー映像を見ると頭がぐしゃっていってるから怖かった。
あれで軽傷で済むわけがない。
救急車搬送時はケロっとはしてたけどね松本も。 ケロッとした姿を見てみんな大丈夫そうだなと思ったんだね。
弱さを見せない強い人なんだね。 >>288
ただこの年の角は前年のように調子はよくなかった。西本が投げたときにリリーフ失敗が続いて両者の関係がギクシャクしていた。
8月の終わりごろだっか、後楽園でのヤクルト戦、西本のあとを受けて角がリリーフしてなんとか逃げ切ったあと、無理やり握手をさせられていた。
お互いソッポを向いて、まあきごちない握手で吹き出してしまった。 >>307
それ以上の惨憺たる結果(それこそ「33−4」クラスの)が
待ち構えているだろうねw >>322
阪神ファンにすれば黒歴史なんだが
なんでそれをいちいち掘り出してくるの?
人の不幸見てて喜ぶタイプなんだろ そんな黒歴史なんか、程度の差こそあれどこのチームにもあるだろ
それとも何か?そのネタを出してきた者に対して、一々難癖を付けなければ
気が済まないのか?
捻くれたヤツだな それなら翌年のバースは長い目で見てもらえる事なくすぐ二軍落ちだな かつてはパリーグの最下位の常連でお荷物球団だったライオンズが台頭して
きた年だった。
巨人戦などで他球場の途中経過が伝えられるとき、西武リードが伝えられると
アナウンサーが「西武が強いですね〜」と感心したように言う場面がよく見られた。 西武が中日を圧倒して日本一に輝いたが、
あの5戦目村田審判の石ころ事件がなかったら
中日が勝ってたのではないかと思うことがある。
そうなると王手をかけて名古屋に戻るのだから
中日が日本一になっていたのではないかと。
実は石ころ事件パリーグの明暗を左右していた
と思う。西武がシリーズに敗れれば日本シリーズ
パの5連敗になってパリーグなんかいらない雰囲気になってたのではないか。翌年巨人と対戦するとは
いえ中日に勝てない所が巨人なんてとても
という気分で敢えなく巨人に4勝1敗とかの結果で
終わっていそう。石ころ事件は実は日本プロ野球に
おいてとんでもないターニングポイントだった? 西村京太郎「消えたエース」Wikipediaより
1982年のプロ野球シーズン終盤。
それまで弱小球団とされてきた京神ハンタースは18年ぶりのセ・リーグ優勝を目指し、
読売ジャイアンツ、広島東洋カープと優勝争いをしていた。
その原動力は球団社長が情熱家に替わったこと、
新監督片岡の采配、打撃・若手投手陣の奮起などが挙げられたが、
いちばんの理由は新リリーフエース江島功の誕生であった。
しかし元々わがままな性格だった江島は自分の年俸の安さに不満で、
全勝が求められる大洋ホエールズ戦の3戦目を前に肩が痛むからと
京都の医者に行くと言い出し、その上同伴した球団マネージャーを振り切り、
同棲していたホステスのアパートに行ってしまう。
その翌日、新聞朝刊にそのホステスが自宅アパートで絞殺されたとの記事。
しかし江島は行方不明となっていた。犯人は江島なのか……。
江夏が実際にホステス殺害容疑をかけられたのは当時から知られていたのか?
そして西村京太郎はそれをモチーフにしたのだろうか?
スポーツ紙の連載でペナントと同時進行だったように思うが
モデルの阪神の旗色が悪くなったせいかさっさと連載終了させたと思わせる結末だった。 阪神はエース小林と山本和以外は
ぶっちゃけ、二流三流のピッチャーしかいないというイメージだったから
優勝するチームって感じは当時ですらなかったな。
他チームはまあ、いいピッチャーが数人はパッと思いつくけど
阪神はその二人ぐらいだったもの、やっぱり野球はピッチャーでっせ 工藤 一彦 35登板 11勝8敗2セーブ 防3.00
小林 繁 27登板 11勝9敗 防3.42
伊藤 宏光 27登板 10勝10敗 防3.28
藤原 仁 20登板 6勝3敗 防2.41
益山 性旭 29登板 3勝6敗 防4.76
福間 納 63登板 1勝2敗 防3.17
池内 豊 73登板 4勝5敗4セーブ 防3.98
山本 和行 63登板 15勝8敗26セーブ 防2.41
小林がもうちょっと調子良ければ優勝してたんちゃうの?
首位までたった2ゲーム差だったんだし 試合をぶち壊しにする印象しかない池内が思いの外活躍してて驚き
中日 64勝47敗19分
阪神 65勝57敗8分
だから4.5ゲーム差だけど >>331
「江島功」って名前が酷すぎるだろ。
ロッテにまだ「江島巧」が現役でいた時代じゃん。
中日時代の方が印象が強いが。 >>334
外国人選手がショボかった。この年在籍していたアレンとジョンストンは2人とも大砲タイプではなく
一番打者タイプ。アレンは22盗塁の脚力を残して残留できたがジョンストンも似たようなタイプで
結果を残せずクビ。第3の外国人でラムというのもいたけどこれまたショボくて一緒にクビ。 >>334
つうかまず開幕ズッコケて、その後突如6月から大きく巻き返して広島、巨人、中日と大混戦の首位戦線に顔を出すか?と思ったら途端に
8連敗したりと、どうにも優勝する気が感じられんかった様なw
その辺に後の1992年の巨人(長嶋監督復帰前年)にも似た覇気の無さを感じたり。
珍しく死のロードと呼ばれる長期ロードの時期から再浮上して、息切れした広島に取って代わって巨人、中日に迫るも
取りあえずAクラス確保してけば良いや程度の思惑にしか見えなかった。
シーズン終了後になってようやく「何だよ、優勝のチャンスだったやん(´・ω・`)」と気付いたか?って鈍感さをチームにも選手にも
感じたこの年の阪神でした。 8月末の大洋戦で島野と柴田の両コーチが審判の判定にキレて
(藤田平の打ち上げた打球を大洋の三塁を守ってた石橋貢が取れずファール判定、
島野&柴田側は打球が石橋のグラブに触れてのファールなのでフェアだろとの言い分)
三塁塁審の鷲谷と止めに入った球審の岡田功をボッコボコにした。当然2人は退場処分、しかも審判側が
阪神を「こんな暴力団のようなチームと試合できるか!」と激怒し
あわや没収試合寸前になった。(阪神監督の安藤が平謝りして何とか没収試合は免れた) >>336
西村京太郎作品には「江島」や「功」がよく出てくるから
そこまで考えてないと思われ
掛布→掛井とか、工藤→久藤と微妙に名前変えてるのに
なぜかジョンストンだけそのままw >>340
暴行自体を擁護する積もりでも、まして今やそんな御時世でも無いけど。
南海で野村監督の元に仕えていた島野・柴田両コーチからすれば、優勝のチャンスなのに一向に煮え切らない球団・監督・選手達への
苛立ちも審判暴行にまで至ってしまった要因のようにも思える(´・ω・`)
しかしこの両コーチが無期限出場停止(シーズンオフに解除)を喰らった事で、ますます球団・監督・選手達は冷めてしまったんだろうな・・・。
当時の安藤監督も江本からアホ呼ばわりされた前任監督と違い、野球頭脳は確かだったが、後の負広以上に実に煮え切らない態度の
御方でね。 >>338
あの突然変異のような11連勝にはおどろいた。
直後の8連敗にはやっぱりねとしか思わなかったが。 優勝するには15勝クラスの投手が2人は必要と思ってたから
85年も優勝するなんて思ってなかったわ ドラフトで野口(立大)が「中日 西武 阪急」の抽選の末「西武1位」に決まったが記者会見で「ぼくにも行きたい球団がありましたので・・・」と憮然としてた。
どこ希望だたんだろ?
ドラフト会場の関口、関根、藤田、大沢、安藤監督らが組のサミットみたいな雰囲気だった。 見てくれがカタギっぽくなってきたのはヤクルト時代からかな >>345
結局は未勝利のまま球界を去ったけど、この時の気持ちが後々に影響したんだろう。
「プロならどこへでも」こうした気持ちならきっと違ったはず。 >>345
当時の関東の大学だと在京セリーグがお決まり 野口は今、大日本スクリーンの会社役員だから、いい人生だろ。 2年の春は江川を抜くシーズン奪三振記録を達成して注目された
そこから尻すぼみになったので2年の秋からが黒歴史 野口は二年の春が絶頂期だった。96奪三振の記録を作った。
それがその後はじり貧になっていった。上級生になるにつれて左腕のしなりがなくなっていったような気がする。
ドラフト前に立教の監督が危惧していたな。「二年春の野口なら一億円もらってもおかしくなかったが…」と言葉を濁していた。 この年に関根の温情を受けた長崎は中日近藤監督の
恨まれたのか2年後のオフに阪神へトレードされて
その近藤に可愛がられた田尾も西武へトレードされた後1987年は阪神で互いにチームメイトに… MVPは掛布で良かった。二冠王で打率三位なんだから。
斎藤明夫みたいにリリーフ専門で防御率一位というのも
ファンからすると納得がいかない。 江川の大杉へのボールがストライクたコールされたら巨人優勝江川沢村賞だった。
中日24回戦10回表の原の大ファールがホームランだったら巨人優勝だった。江川沢村賞だった。 >>357
打率3位、二冠王、最多出塁数タイ、最高長打率でしたからね。
当時、もし彼がMVPに選ばれても批判は殆どなかったのでは、と想像します。 セリーグって優勝チーム以外からのMVPはほとんどいないからな
王とバレンティンくらいか >>358
そんなこと未だに言ってるのかよ
未練たらしいなw 日産シルビアRS
トヨタセリカツインカムターボ
トヨタ1G-GEUツインカム24
マツダコスモロータリーターボ
三菱スタリオン
ホンダプレリュード 最終戦中日が落として巨人優勝だったら、MVPは誰か?
原? >>358
ざまあw
現実は中日優勝
沢村賞は北別府 >>357
リリーフ専門つっても平気で2〜3イニング登板だからな >>367
投票する記者の心理としては、
「江川は前年にMVPになっているし」との理由で
原選手に1位票が集まったのではないか、と思います。
>>366さんの指摘通り、勝利打点王であるほか、
33本塁打、92打点はともにリーグ2位でしたから。
まあ、原選手をMVPに選ぶのなら掛布選手では?と思ったりするのですが・・・ で江川には沢村賞つう事か(´・ω・`)
前年の事態を受け、スポーツ紙各社が早々に沢村賞投票ボイコットを決めた事もあり、この年から沢村賞受賞若しくはそれに相当する実績を残したプロ野球投手
OB達で構成された審議委員会に依る推挙制に変わったからね。 >>368
掛布はないだろ
優勝チーム以外からMVPになるには三冠王ぐらいとらないと そのへんはパリーグのほうが比較的柔軟に運用(?)されているけど、
セリーグは「優勝チームから選出」という大原則を崩していないからね
王とバレンティンが例外だったぐらいで >>203
あまりにも酷いから浅野が代わりに抑えやってたが、
やはり続かず打たれて角に戻ったが最後まで不安定。 あの西武をいきなり日本一にした広岡監督の
指導力に誰もが舌を巻いた。 広島26回戦の9回裏の大ファールと中日24回戦の10回表の大ファールが、ホームランだったら巨人優勝原二冠王MVP江川最多勝沢村賞だったな。 いい加減現実を受け入れろっての
これだから讀賣ヲタは… 中日の19引き分けがやたら目立って
中日は引き分けで逃げたから優勝できたみたいな言われようだったが
巨人も14引き分けなんだよな。
引き分けを0.5勝0.5敗で換算してもやはり中日優勝だし文句ないだろ。 G 66勝14分 勝ち点212
D 64勝19分 勝ち点211
巨人優勝。 勝ち点って、サッカーじゃねえんだから
いい加減諦めろ 巨人OBでもある近藤貞雄さんが優勝監督になれたんだからいいじゃないかw 素直に巨人優勝で良かったのに。
名古屋はタモリにdisられてれば良かった。
いいともが始まる前のキワモノタレント時代。 >>381
当時のサッカーの勝ち点は勝利で2だからどの道優勝は無理。 何が何でも讀賣の優勝を願っていたヲタが
30年以上の時を経てこのスレを荒らす… >>386
それを言うなら、この年の日本一監督だった廣岡氏も讀賣のOBだからいいじゃないか
ということになるなw メンドくさいから読売優勝でいいよ
余計惨めになるだけなんだから 廣岡vs近藤
巨人ファンなら狂喜乱舞したはずだぞw(たぶん) 巨人が出ない日本シリーズで
巨人OB監督同士の対決だったのってこれが唯一? なんでもかんでも巨人が起源かよwwww
その理論なら平成時代も95、97、98、01、05、14以外みんな巨人じゃないか
落合や工藤が在籍していたら巨人扱いだから >>394
2017年(工藤VSラミレス)と1962年(水原VS藤本)も。 1982年と1992年って中日とヤクルトの順位入れ替わっただけでそっくりな件… テレ朝で放送した大洋×巨人が80年代のNPBの最高視聴率だったはず 中日巨人24回戦が素直に終わってれば巨人優勝。
最多勝江川、沢村賞江川、MVP原。 日本シリーズでの中日のファンのあまりのマナーの悪さに、週刊誌が
「名古屋五輪落選して良かった。タモリは正しかった」と書いてたなw >>242
この時のスタメン6人がトレードに出されるとはねぇ… 西武黄金時代の幕開けに中日というやられ役は
うってつけだった。巨人が連覇してたら西武は
終わり。前年の日ハムとか今度の西武とか
パて存在意義あるの?と言われてそう。 そして翌年、讀賣が散ったことで西武の黄金時代が始まる 抑え投手ブームだった
斎藤明夫、山本和行、森繫和が当初先発やってたのに抑えに転向して成功
牛島も最初は先発だったかな?
佐藤義則も前年まで任意引退扱いだったが抑えで復活
逆に大野が江夏の代わりとなり切れず2年後に先発転向 セリーグは260イニング以上が3投手もいたのが凄いですね。 40年経った今でもこの年素直に優勝してれば、って思い続けてきたのですが、
この年優勝したら恐らく翌年の大洋戦での駒田の初打席満塁ホームランが存在しなくなることまったく考えてませんでしたw >>353
それ、野口を投げさせ過ぎたからじゃないのかね。
あと、野口は確か奥さんも同じ名前(裕美)じゃなかったかなw 中日の最終戦、小松が開幕戦以来の先発で完封勝利だったが、この時の中日は先発出来る目ぼしい投手が、ほんとに全く残ってなかったんだな。 その代わり83年に優勝決めた江川最後の球はボールだと思う
どっちもヤクルト戦か この年は6月に広島が巨人に3タテをかまして抜け出すかと思ったら
その後主力の高齢化のせいか、夏場の7・8月に大失速。
オフには水谷、ライトル、福士らが去り、カープも世代交代って感じだった 中日のリーグ優勝が決まる直前、ほとんどの選手がベンチから身を乗り出さんばかりだったのに、星野だけベンチの隅っこで仏頂面で座ってた。 8月31日時点 巨人110試合消化貯金20 4差首位
9月13日時点 巨人117試合消化4.5差
9月18日時点 巨人120試合消化4.0差
9月29日時点 巨人125試合消化-0.5差中日首位
9月30日時点 巨人126試合消化1.5差巨人首位
10月9日時点 巨人全日程終了-0.5差中日首位
10月12日時点 巨人首位1差中日
残り5試合4勝1敗中日優勝 >>420
9月30日時点でジャイアンツの残り4試合は全部大洋戦だった。
ここから1勝1分2敗、大洋の予期せぬ頑強な抵抗が大きかったな。 前年の2位から後退して通年では4位だった阪急は
この年のオフに加藤を放出、マルカーノを自由契約。
山口、島谷、大橋、高井、白石、河村もこの年で引退。
山田・福本こそ健在だけどさすがに黄金時代は昔になったなあと思った。 加藤を出してとった水谷は翌年打点王
その水谷が倒れると、今度はブーマーが覚醒
計算外は蓑田の夭折 この年の近鉄は前年の最下位から持ち直して3位。
顔ぶれを見ると新人王の大石と外人以外は連覇時とほとんど同じ。
マニエルが来る前に戻ったような感じだった。
近鉄の歴代の優勝を見る限り、スーパーな働きをする外国人選手が
必須だったって事を実感する。 >>418
3日前に3回1/3を投げているから、温存ってほどではないな。
明らかに登板過多になっていた都、鈴木孝、堂上、藤沢、
休養十分だが前回登板時に滅多打ち喰らった郭、星野、、
と考えると、小松でいけるところまでいくしかなかったろうな。 なんで江川は中日24回戦の9回を素直に3点以内に抑えなかったのか? 宇野の打球をはじいた中司が悪い
あれ止めていれば6-4で一死一、二塁だから
逃げ切れたと思う
なぜ公式記録が二塁打扱いなのかわからない 勝負強い中尾を歩かせて田野倉・代打木俣と勝負でも良かったかな >>428
すでに肩痛めてて投げられる状態じゃなかったから 10年間やってきたパリーグの前後期2シーズン制の最後の年。 その後85年までは2位と5ゲーム差以内なら変則プレーオフ制だったが
いずれの年も大差で優勝したためそれもなく廃止されたな 前期優勝で、後期優勝で優勝祝賀会ビールかけをリーグ優勝と同じようにやっていたのには何だか違和感があったな。
優勝祝賀会ビールかけするほどそんなに1/2優勝が名誉なことなのかと当時子供ながらに思っていた。 もちろん?1/2優勝決定試合での監督胴上げなんかにしても。 まあ前後期制のおかげで10年間のうち6球団とも1回以上半期優勝を経験できた
効率よかったのは半期優勝1回でプレーオフも勝ち抜きリーグ優勝できた南海
悪いのは半期優勝4回もしたが1回しかリーグ優勝できなかったロッテ 俺も地元の西武デパート行ったけど売れ残り一掃みたいでロクな品物なかったw
堤義明と堤清二が不仲のせいなのかなと思った 半期優勝も含めると阪急はパリーグ9連覇したことになる。 江夏は半期優勝の胴上げ投手になったけれども、本人はスタスタとベンチへ。 この年は両リーグとも飛ばないボールが使用されたのかな?
ホームラン王の掛布が35本。落合が32本。
前年まで5年連続40本以上で、前年は43本でホームラン王の山本浩二が30本。
前年44本でホームラン王のソレイタも30本。
門田や田淵も低迷。 80年オフの飛ぶボール禁止と圧縮バット禁止からの流れ
80→81→82のリーグ総本塁打数の推移
セ 849→806→753
パ 1196→812→772 >>407
そのうち田尾と宇野以外はすべて星野によって放出された
谷沢も星野によって引退させられた 落合の成績自体は前年の81年と同じくらいなんだよね。
ホームランや打点のライバルたちが軒並数字を落としている。
長打が関係ない打率の新井が落合には一番嫌な相手だったのかも。 新井なんてあまり眼中に無かったと思うけどな。
落合はこの年ずーっと3割3分台をキープして、新井の方は3割2分台に乗ることは無かったから。 打率の面で落合が幸運だったのは同僚のリーが規定打席不足に終わったこと。
単純比較では落合.325 リー.326だった。 ホームラン数の推移に話を戻すと、80年か81年に40本以上打ってる打者は82年は落ちているが、
20本くらいから30本くらいの打者はあまり変化がないか中には少し本数が増えている人もいるんだよな。 >>441 >>449
前年40本以上打った3人のこの年のHR数が減った理由は
門田→故障、ソレイタ→打率下がった分減った、山本浩二→年齢からくる衰え
みたいに当時は感じていた ソレイタ→打率下がった分減った
逆でしょ。ホームラン44本から30本に14本減ったわけだから。
前年その14本がスタンドまで行っていたが82年は外野フライになっていたとしたら、
14本=14安打現象すれば打率は下がって当然でしょ。 ○14安打減少すれば
また、ソレイタのこの2年間の成績をみればほとんどそれがうなずける結果だよ。
81年 451-136 .300 44本
82年 449-126 .126 30本 81年 451-136 .300 44本
82年 449-126 .281 30本 それと、山本浩二は翌年には36本でホームラン王に返り咲いているから年齢的な衰えという見方は違う。 門田は前期は64試合にスタメンDHで出場して14本だったから前年44本打った打者としてはこの時点で量産ペースが遅かったのは明らか。
そして後期は確かに休みがちになってしまったが。 >>440
よくも悪くも、チームに溶け込む気が全くなかったんだろうな。前年は、胴上げを腕組みしながら眺めてた。
広島時代はマウンド上で他の選手と抱き合って喜んでたけど。
同じタイミングで南海を出た柏原は、日ハムでは完全にチームリーダーとしての地位を築いていた。 半期優勝くらいで本気で喜べるかよという気持ちだったのでは。
それに日本ハム時代の江夏は試合中の素っ気ない態度とは違ってシーズンオフにはチームメイトの家に
訪問するなど良好なチームメイトの関係だったらしいよ。 ただ、植村投手コーチとはあまり上手く行っていなかったみたいだね。
確かに試合終了直後に植村コーチと笑顔で握手なんていう光景は記憶にない。
でも、選手同士はみんな江夏と良好な関係だったらしい。 >>459
唯一江夏と仲が悪かった高橋里志がいた(しかも広島から同時移籍) >>458
あー、そうなんだ。それは失礼。
めっちゃ浮いてるように見えたw
>>460
たとえば1983年6月14日のロッテ戦では、3番手に投げた高橋里を、7回二死から江夏がリリーフして勝っている。
江夏がマウンドに来る前に、さっさとマウンドから消えたんだろうな。 江夏・高橋里と高橋直・佐伯のトレードだったね
大沢親分が里志をくれと言ったら広島側から
「江夏と仲悪いからやめたほうがいい」って言われたが
親分は「マウンドに2人がいっぺんに上るわけじゃない」
と押し切ったらしい。 >>434
一応「優勝」のタイトルなんだから、MLBのチームがディビジョンシリーズ勝っただけでシャンパンファイトするのに比べたら、納得性はあると思う。 巨人優勝してたら原がMVP?
江川があと1勝してたら沢村賞? >>464
江川については記者投票から沢村賞受賞経験がある球界OBで構成された座談会に依る推薦に変更になったから多分受賞していたろう。
無冠の原のMVPはどうかな・・・・・・・・・、江川の2年連続MVPの可能性もあったろうし、二冠王の掛布が関西票を集めて選ばれたかもしれんし。 この年の尾花は負け越していたけど内容的には生涯ベストシーズンと言っていいものだった。
チームはビリで何の称賛も与えられなかったのは残念だった。 戦後「37年」でよく、ここまで豊かな国になれた。日本。
昭和57年から同じ「37年」の月日が流れた。 昭和20年と昭和57年はダンチだろ。
昭和57年と令和元年大して変わらない。
パソコン、スマホくらいだろ。 中継開始の
D 014
W 00
ですべてを悟った最終戦 >>459
大沢監督退任→植村監督就任というタイミングで
江夏もチームを離れているね(西武へ移籍) あれは日ハムが江夏放出を先に発表したんだよ。
で、そのあとトレード先探しという珍しいケース。 >>470
自動改札は既に玉川学園前にあったとよ。切符通してハサミ入れるだけだがw
関西はもっと進化したのがあったようだが。
アイドル豊作の年。今と違ってピンで売っていた。ベストテン番組全盛で今と違って別にファンじゃない人の歌も唄えた。
クルマはフェンダーミラー。ディズニーランドはまだ開園してない。 セリカXXツインカム24
セリカツインカムターボ
シルビアRS
コスモロータリーターボ
プレリュード(2代目の激人気の)
シティーターボ
スタリオン >>471
その試合で大洋監督として指揮を執っていた関根潤三氏が先日逝去 >>468
昭和57年にはインターネットもスマホもない時代だからな〜
タイムリープして令和に来た人はびっくりするだろ 昭和20年⇒昭和57年と
昭和57年⇒令和元年を比べたら
この37年間はそんなに変わってないな ホンダF1参入前年
トヨタグループC参入
日産グループC参入前年 「七転び八起き」
高目の速球にマイク・ラムのバットが空を切ると、三塁側ベンチから一斉に選手がマウンドに駆け出した。最終戦で大洋に勝った中日が幾多の障害を
乗り越え、82年セ・リーグのペナントレースを制した。負ければ巨人優勝というプレッシャーの中で一戦は、二回表に四番・谷沢健一が号砲となる
先制弾を放つと、三回に4点、七回にも3点で計8得点を挙げたが、全てクリーンアップの打点だった。投げては小松辰雄が、被安打2と奪三振8個で
完封という一方的な展開となった。
シーズンの強竜打線を象徴する試合だったが、前半戦は田尾安志とケン・モッカの打棒が目立つのみという状態だった。近藤貞雄監督は開幕前に
「600点打線」と自信を持っていたが、谷沢や大島康徳の調子が上がらなかったのだ。7月に入ると打線が復調、息切れの広島に代わって巨人と
優勝を争う事になったが、投手陣のやり繰りには首脳陣も終始苦労した。
新エースに立てた小松が開幕でKO、しかも右股関節挫傷で長期離脱という苦難のスタート。それでも前年後半に台頭していた都裕次郎と郭源治を
ローテに組み込み都が4月、郭が5月にプロ初完封すると軌道に乗った。抑えにはフォークボールと度胸を買って21歳の牛島和彦を抜擢、救援失敗
の続いた鈴木孝政は6月に先発転向してこれまた7月のプロ初完封で定着というように、近藤の慧眼による打つ手がよく当たった。後半戦になると
復帰後の小松を、牛島とのダブルストッパー役に据えて三沢淳や鈴木の負担を軽くした。
七転び八起きの巨人とのデッドヒートでの最終盤は、10月の16日間で13戦と中日投手陣には堪える日程だったが、特に最終戦は前夜首脳陣が
悩み抜いた。都は前日に先発、三沢と鈴木なら連投になってしまい、郭は腰痛で9月下旬から中継ぎに回っていた。さらに抑えの牛島も前日セーブを
挙げながら、右肘痛を抱える状態のため先発にはなるべく長いイニングを投げてもらわなければならない背景があった。
横浜の宿舎ロビー、相談している近藤と権藤博投手コーチの中に割って入ったのが小松で「何を迷っとるんです、こんな試合の先発は俺しかおらん
でしょうが」と大声で話し掛けた。先発はあの開幕以来なく、2日前にも3回3分の1を投げていたが、近藤は「あの気性に賭けてみようじゃないか」と
妙に納得をしてしまった。
手薄な投手陣での優勝は打率と本塁打と得点でリーグトップだったが、防御率でも巨人に次いで2番目だった。近藤は「未熟な監督についてきて
くれた選手が勝ち取った勝利」と謙遜したが、“継投の妙を見せ、チームにガッツを注入した”との理由でセ・リーグ最優秀監督に選出された時には
近藤も得意満面だった。 (了) 科学技術とかは大きく進化したけど物価はすっかり伸び悩んだな >>474
あんな猛者を扱える人物の方が少数派だと思う この年のパリーグは飛ばないボールの導入で加藤球同様の現象が起きていたのが興味深い
例えば技巧派投手の躍進・復活(この年だけ活躍した投手も多い) それってバラバラだったボールのメーカーにそれぞれリーグが通達したんかね? >(この年だけ活躍した投手も多い)
確かにこの年だけ活躍した投手はいるけど、他の年に比べて多いという事はないと思うけど。
どの年でもその年だけという選手はいるわけだから。 >>471
それが発生したのは、この年の今日のことであった >>494
多分それはタツノリのことを指しているんだろうが、
確かにヤツの肉体は改造したほうがいい
それこそ、去勢だってありだw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています