1982年のプロ野球
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>>141
こいつと助けてとか言ってる奴が同一人物なのか 82年巨人は日曜日によく負けて
憂鬱な週明けを迎えたイメージだったが
調べたら日曜日は14勝7敗1分だった 中畑が杉浦の打球をトンネルして逆転負けした試合から35年 巨人の痛恨の負けは9・28のナゴヤ決戦だが、真夏の後楽園でのvs阪神で3タテ喰らったのも痛かったなあ。しかし、例年は阪神が真夏の後楽園では煮え湯を飲まされるのに(85・03・05年も例外なく。) ソロ3発しか点が取れず、最終回に2ランスクイズ決められた試合があったな。
ヤクルト戦であと一球から江川が3球勝負した渾身のストレートを
ボールと判定された後に同点打→勝ち越し本塁打で負けた試合とか、
ラスト2試合で大洋に死に馬キック喰らった試合とか。
惜しいV逸だから、どうしても勝ちを逃した試合がいっぱいクローズアップされるわ。 >>97
西のやまびこ旋風は池田
東のやまびこ旋風は新幹線 当時は中日ファンだったから9.28ナゴヤ決戦おぼえてるよ。
9回表終了時点で 中日2−6巨人
巨人先発江川で敗色濃厚の中まさかの逆転サヨナラ勝ち(7−6)。
試合終了後興奮した中日ファンの友達が電話かけてきたw
サヨナラ打の大島はヒーローインタビューでファンに向かって、
「あーりがとぉぉーー!!」と絶叫してたなww
ただただ懐かしい 涙 >>68
・1試合か3試合制のミニプレーオフ
・直接対決の成績で決める
のどちらか採用したんだろう 日シリ第1戦で、一塁手・田淵がバントの
打球をダイビングキャッチして好捕するも、
ワンバウンドと判断されてしまった。
田淵は、珍しくものすごい形相で怒り猛抗議。
あれが西武のナインの闘争心に火をつけたのかも。 広岡管理野球はいろいろと話題豊富だったね。
西武の選手たちは広岡監督提唱の玄米、豆乳などを
ほんとに飲食してたのだろうか。
いずれにせよ優勝は必然だったんだろうな。
東尾、大田らの生え抜き組に田淵、山崎らの移籍組、
テリー、スティーブの強力助っ人、石毛も入団。
万全の陣容が整い、機は熟してたんだろうね。 スティーブは隠れてコーラ飲むほどの不良助っ人だったらしいな かわいいもんだけどな
他にもヤカンビールやら、床屋に行ってなぜか白米をたらふく食う話だの、
首脳陣は別室でうまいもんくってるだの、あまり守られてない話がごそっとでてくる 当時の西武ってあくの強い選手が多かったから
隠れて約束を破る選手が出るぐらいは織り込み済みだったんだろうけどね
これがもしスラムダンクの一ノ倉みたいに真面目でバカ正直な奴ばかりだったら
成果が出る前に潰れるケースが多発してたと思う >>159を書いてる最中にも永射を思い出したよ。
その数時間後にYahooで>>164を見た。
ロッテのリーがあまりに永射を打てないので
右打席に入ったことが懐かしく思い出されるね。合掌。 なんかショック大きいな
広岡監督就任時の選手会長ですね。
いろいろ板挟みになったことも多かろう
なんといってもこの年は前期で勝った方に優勝マジックが出る阪急戦での奇襲先発だなあ
ご冥福をお祈りします やはり酒の飲み過ぎだったのかなあ。
77年に活躍した翌年全く消えてたのは
酒による肝炎だったみたいだし。
合掌。 奇襲先発した西宮での前期の天王山。
サンテレビが神宮のヤクルト×阪神戦を潰してまで緊急中継したっけな。 あの日はTVKからのネット受けだったから急な変更もできた。
もしTVKの中継予定がなくサン制作の神宮乗り込みなら西宮の中継はなかっただろう。 この1982年の田淵は打撃がかなり不振だったそうな
現在の中田翔(日ハム)がこの年の田淵と同じくらいの打率なんだが、確かに見ててきついわ
自動アウトのようなものだし >>173
それでも前期南海戦で同点の9回表無死二塁から
ライトへのファールフライで走者を進めた打撃を評価されて
年俸アップしたとか言ってたなあ >>174
同点の場面なんだからライトもファールフライを捕球するなよ…。 >>174-175
たぶんどこかの聞き書きだと思うけど
そういうシチュエーション自体なくて、一番近いのが6/11前期11回戦。
3-4の一点ビハインドの無死三塁で代打で登場
ダブルの第1試合で9回打ち切りが決まってて、犠飛で同点打を打ってもらっても
あまり意味のないケースで起死回生の逆転本塁打。
http://2689web.com/1982/LH/LH11.html >>176
田淵本人の回想で、査定の人もえらくシブい働きを評価するなあと思ったら
そんな事かw
なんて謙虚な回想だよ 次の日の新聞
巨人ナイン「夜に会いましょう」⇒叶わず残念
大洋・関根監督「ウチはウチの野球をしただけ(キリッ」 巨人ファンの俺としては当時確実と思ってたV2がチャラになったショックは未だに引きずってる。
やっぱDG24回戦の江川で逆転負けかな。今でもあれ何とかして欲しいと思ってる。
さらに言えば5月31日のヤクルト戦で江川が投げた9回二死2ストライクからの球がボールと判定され、その直後逆転されたこと。
あれストライクと言われれば巨人は優勝したことになる。 82年の巨人は前半に6連敗したり、阪神戦であと一人で角が同点打されて引き分け、
終盤の広島戦で浅野がリリーフ失敗で逆転負けしたりと、
強いのか弱いのか、はっきりしない節があった。 リリーフが弱かった。
角が頼りなく、夏場から浅野がクローザーをやったが、広島戦で三村に逆転2塁打を喫して終わり。
この年中日の引き分け数が19まで行ってマイナスのゲーム差が生じたので(最終的には解消して中日0.5差リードで終了)今のパリーグの現象はよく分かる。 6-2をひっくり返されるとは思わなかったよ。
8月の後楽園GD戦ですべて1点差で3連勝したときはV2確実と思ったがな。
原の決勝タイムリー、原の逆転3ラン、中畑の逆転2ベース 優勝する時は優勝を確信するような試合があるのに巨人にはそれがなかった。
夏場のタイムリー欠乏症の時とか首位を走るチームには見えなかったし。
翌年も広島に猛追されてゲーム差マイナスの首位を譲ってまたやられるかと思った。 俺はGD23回戦@後楽園で中畑が同点ホームラン打って引き分けに持ち込んでV2を確信したが。
翌日の朝日にも「V2は確実」と書かれてたし。 終盤に怪我人が相次いだのも原因。
河埜が離脱し篠塚がショートを守った。
本拠地最終戦の大洋戦で中畑が交錯して骨折。
もし優勝しても西武にボコボコにされ、ショックで翌年は優勝できなかったかも。 シーズン終了から日本シリーズまでたっぷり休養できたから、巨人が優勝してたら西武に勝った気がする。 この年の秋に2つのテレビ雑誌が創刊。
角川書店「ザ・テレビジョン」と小学館「テレパル」(現在は廃刊)。
両誌とも、しばらくは番組表に間違いも多く、買うのを躊躇ったほど。
なかでも「ザ・テレビジョン」は10月23−29日号(10月21日発売)にて、
第1、2戦巨人×西武(日テレ)、3、4、5戦西武×巨人(TBS、TBS・NHK、フジ)と番組欄に表示。
土日のTBSとフジの番組表は通常番組記載で、中日の文字すらなかった。 それは締切ありきの見切り発射だね
まあガバガバ判断&ガバガバ表記であることは間違いない でも他誌(TVガイド、テレビ番組)は註釈つきで、
「中日優勝の場合はフジテレビ(TBS)で放送」「巨人優勝の場合は日本テレビで放送」
「西武×セリーグ優勝チーム」「西武×中日か巨人」と表記していた。
ザ・テレビジョンだけは西武の相手を巨人と決めつけていた節さえあった。 8月の広島球場CG戦、延長戦で原が決勝3ラン。江川完投勝利。
後楽園GD戦、8回原決勝タイムリー、江川完投勝利。後楽園GW戦、原5−4、江川完投勝利。
江川と原の相性が良かった 巨人ファンはむしろ86年よりも、
この年のV逸のほうがかなりショックだったのでは? >>194
78年、82年、86年のV逸は今でもトラウマだ。優勝確信した時点があっただけに。 82年は中日に競り負け、78、86年は相手が中日のアシストで優勝。 中日の19引分に、なんかシラケた感が有った。そのせいか、日本シリーズもピリッとしないまま終わり、やはり巨人が出ないとダメみたいな空気だった。 田尾の敬遠で〜って当時巨人は抗議しなかったの?巨人>NPBなのに >>197
そお?最高に盛り上がったけど
ちな名古屋 巨人が先に全日程終えてて
中日最終戦の中日勝利でV、巨人V逸だから
そりゃあショック大だわな。
86も槙原がヤクルトの伏兵ブロハードに被弾で
痛恨の一敗もショックだろうが、82に比べればね。 セリーグ最終390試合目で優勝が決定したのはこの年が初。 巨人、振り返ればこの年9回に角が追いつかれ引き分けっての多かったな。
きちんとおさえてれば優勝できた。 >>195
その後、こういう感じに巨人がV逸したことってあったっけ? >>204
混線の92年以外に最後までもつれた優勝争いは逃してないな 01は勝利数順の順位表で試合消化の早い巨人の勝ち数が競ってただけで
実質はヤクルトと9月入った時点で9.5差。
そこからヤクルトが9月の対巨人戦6連敗などでむしろ失速して
巨人がどんどん追い込んでったが届かず http://www.tigers-fan.net/01/jun01.htm
2001年はゲーム差換算でも
第8節でヤクルトに4.5ゲーム、中日に5ゲーム差つけてるから
出だしは良かったけど6月以降に実質ゲーム差もなくなってる 浅野が甲子園の阪神戦で無死満塁からリリーフ登板して
三者凡退に打ち取ったのは痺れたよ。
晩年の浅野の最高の場面だった。 '82巨人は終盤に松本、河埜、中畑が相次いで負傷離脱したのが痛かった。
もし優勝していても、'90のように西武に完膚無きまでに倒されたと思う。 当時はリアルには見ていないけど、レギュラーが
立て続けに3人も抜けたらキツイよな。 >>210
西武も初の日本シリーズだから、内容はともかく、巨人も2つくらいは勝つとは思う。 >>212
仮にこの年巨人が出ても外国人選手の差で負けてたと思う。
西武は全盛期とも言えるスティーブ&テリーに対して
巨人は事実上衰えが顕著なホワイト(トマソンは序盤で起用法に反発し契約満了まで2軍幽閉)だけだし。 本拠地ラストゲームで中畑が交錯し骨折した時に優勝はないと確信した。
その日は怪我が未完治のまま復帰した河埜が無理し過ぎて、
9回表の守備に就かず一軍初登録の岡崎と交代。
ファースト山本功、セカンド平田、ショート篠塚の布陣も無理があった。 8月の広島×巨人、江川延長完投、原延長で決勝24号。
巨人×中日3連戦、初戦江川完投原決勝タイムリー、2戦目原逆転3ラン、3戦目中畑逆転2ベース。
なぜこれで優勝できない? >>216
このナゴヤ球場3連戦3連勝で報知が優勝前祝いの特集号出したからなあ。
この時点で巨人ファンは90%V2を確信してたと思う。
特集号は結局阪神の「Vやねん」と同じ運命に・・・ >>217
中日3タテは8月の後楽園でのこと。
9月の広島戦で松本が頭部死球で戦線離脱してから
明らかに浮き足立っておかしくなったな。
しかし兎にも角にも9月末のナゴヤ決戦初戦を落としたのがすべて。
9回裏江川が無死満塁または1、2塁にした時点で角へ交代しておけば・・・ なぜかわからないが藤田はここぞの采配でやらかすことがある 5月31日ヤクルト戦、9回裏2アウト2ストライクから江川が投げた球が「ボール」と判定され、
その後追いつかれ逆転負け。あの時「ストライク」と言われてれば巨人優勝、江川も沢村賞だったかもしれん。 >>222
それは5月30日。日曜日だった。
その日は「西部警察PARTU」が開始された日で、
当時はビデオデッキを持ってなく、ラジオを横に置き、
さらにテレビのチャンネルボタンを何度も押し変えた。
江川対大杉の場面だけは真剣に見たが、今でもあの勝負は鮮明に記憶している。 藤田元司さんは天王星人−で辰巳午が大殺界だったのに、何故か戌年に不運が集中していた。
1958(27歳)大エースでMVPも、西鉄に3連勝4連敗を食らう。
1970(39歳)黒い霧事件で謹慎
1982(51歳)中日とのマッチレースに破れる。
2006年2月 74歳で逝去 82、86は最後に巨人が負けるシナリオで万事進んでいった感じ。 そういえばこの年から戌年は
中日と巨人のトラウマが交互に続いているな
82は巨人が優勝さらわれ
94は10.8で中日が悪夢を見て
06はウッズの満塁で巨人が悪夢
来年はどうなることやら
今はどっちも不調なのが気がかりだが 考えられるのは、讀賣のリーグ優勝→CSで惨敗ぐらいかw 江川があと1勝(つまり20勝、巨人優勝)してたら、今度こそ沢村賞もらえたかな?
北別府より防御率良かったし。 >>231
この年の後半にはもう肩痛めてたから最後のチャンスだったのにな パを排除していた時代の沢村賞に
権威は無いのでは。 そうなると沢村賞3回の斎藤雅樹投手はかなり凄い投手ということになるが・・・ 9月28日の中日戦
巨人4-0とリードした3回表、なおも一死満塁で追加点が取れなかったのも痛い ♪よく晴れたこんな日は 風も爽やか らんらららーん
いつかまた会えそうな 光爽やか(江川さーん) 不二家ネクター 広島最終戦@後楽園の9回裏の大ファール、中日24回戦@ナゴヤの10回表の大ファールがホームランだったら、
原はホームラン&打点の二冠、巨人優勝で原がMVPだった。 松本
河埜
篠塚
中畑
原
ホワイト
淡口
山倉
投手 田尾
平野
モッカ
谷沢
大島
宇野
中尾
上川
都
近藤御大 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています