1983年のプロ野球
>>197
2003年までこのミニプレーオフ制度を続けてれば評価も変わっただろうな >>231
88年近鉄、89年オリックスが、プレーオフで逆転、日本シリーズ進出していたら、4タテ喰らうかも? >>221
年俸は表向き低いかも知れないが、高額納税者ランキングでは常にトップだったので年俸は副収入程度の認識だったのかも 新庄がしくじり先生で野球はバイトって言ってたの思い出した
一方現代の選手は年俸は格段に上がったけど副収入は昔より減ってるだろうから
案外金銭的には恵まれてないのかもしれん >>234
その時代だと、CMのギャラなんかも
かなりあったろうからな 1982 巨人の原 CM契約数 味の素・明治製菓・明治乳業・富士重工・大正製薬・美津濃・オンワード
全部で約2億 ちなみに原の入団時の契約金が8000万だったが、実は手取り8000万だったらしい >>221
巨人だし副収入以外でも経費扱いで使える額は相当あったろうな 西武は堤の方針でCM禁止だからその分年俸を高めにしたらしい 実はロッテの最下位はこの年が初めてでした
というのも、意外な感じがする。 引退して解説者になった方が儲かる
そんな時代がやって来る直前だな 原はCM収入だけで億超えてたんじゃないか 7社ぐらい契約してたし 1983年長者番付 プロスポーツ
http://motoken.na.coocan.jp/material/choja/choja_83.html
1 アントニオ猪木 8,268 -
2 青木功 7,887 2
3 原辰徳 6,916 1
4 中島常幸 5,774 -
5 王貞治 3,591 8
6 掛布雅之 3,317 10
7 野村克也 3,299 -
8 山本浩二 3,264 9
9 千代の富士 3,143 5
10 倉本昌弘 3,128 13 >>247
当時のオロナミンCは中畑・西本・角・山倉・河埜・松本・定岡で
原は入ってなかった >>246
当時既に引退していた王や野村がランクインしているのを見ると
いかに当時のプロ野球選手の年俸が安くて副収入が多かったかが分かるな >>246
納税額が3000万超えてる人達は1億以上の収入があると見て良いのかな この当時の巨人ブランドが全盛期のころ 年俸以外でも2軍のサイン会がギャラ20万とか
1試合ごとの褒賞金100万くらいとか年俸や長者番付には分からない部分で稼ぎがすごいと聞いたわ
在京セリーグ希望の選手が多くなるのは当然だわ 副収入だけで生活できたといってたものね 年俸は一切手を付けずに 野球の実力が同じなのにそこまで稼ぎに差が出るんだから
浪人してでも巨人とか最低でも在京セというのもわかるわな そう考えるとあの時代にパリーグに入団した清原は非常に男気があったといえるね。
他球団の山田久志が清原ほどのスター選手がパリーグに来てくれたんだから
みんなで大事に育てにゃならんみたいなこと思ったっていうんだから。 あの時代は逆指名や自由枠とかがなかったからでしょ
そういうのがある時代だったら確実に福留と同じようにしてたと思う そして、やっとこ入団したのはいいが、ろくな成績を残せずに
球界をフェイドアウトw >>251
在京セといってもヤクルト・大洋の選手はそこまで儲けていたかね。それだったら阪神中日の方が地方といえどもCMあるし副収入良かったのでは?
六大学出身の選手が神宮でやりたいってのは分かるけど、大洋でやってもね。在京じゃないし。
それで荒川事件みたいなのが起きたんじゃない? >>257
結局、小池って何だったんだろうね?あれだけギャンギャン言われてロッテは嫌だ!で近鉄行って一度のみのフタケタが最多勝が勲章という なんだったろうねも何も、プロでタイトルとれる選手がどれだけいると思う?
しかも1度故障した後に。 >>262
もうこれだけやれば将来の巨人の監督は間違いないしな >>265
「俺は大ちゃん好きや。大ちゃんのファンやわ。」と大石大二郎を讃えてた。 >>262
上原、仁志、二岡あたりが巨人で野球人生を全うしてないだけに
まだ波乱あるかもよ 巨人ファンだが、今でも日本シリーズ負けたの悔しい。 5月5日の後楽園で原が山本和行から逆転サヨナラ2ラン!9月14日には平田薫が山本和行からサヨナラソロ。
山本和行は76年末次に逆転サヨナラ満塁を喫している。
Gファンとしては、真っ向勝負を挑んで来た山本和行投手を称えたい。 >>271
あの負け方は悔しいというより、むしろお恥ずかしい。
あと2アウトノーランナーで同点にされるのは選手よりベンチの責任。 >>275
第6戦は1死無走者からの同点劇
むしろ西武の方が第3戦で2死無走者から4連打で逆転サヨナラされた 間違えた1アウトからの同点だった。
それにしてもなぜ西本を投入させたか謎だよね。
西本本人曰く「なぜ自分が投げなきゃいけないの?」 謎でもないだろ
江川1,4戦 ボロボロ、肉離れ
西本2,5戦 18回失点2自責1 田淵の事故みたいな本塁打と、自らのエラーによる失点だけ
シリーズで西本の方に絶対的な信頼がおかれていたが、
さすがに第7戦の中2日は厳しいとみて6戦で決めに行った。
最近なぜか>>277みたいな説の方が出てきておかしいんだか
当時は西本投入で間違いなし、みたいな雰囲気だった。 9回表に逆転し、優勝が決まったかのようにはしゃぐ巨人ベンチ。
あれ西武を完全に舐め切っていたな。逆転されて当然
まるで後年の加藤哲郎w >>278
TBSの番組で江川は「俺だろ」、西本は「(逆転された時のため)明日先発だろ」と思ってたと証言してる。
藤田さんの温情采配が裏に出た。 江川俺だろって、そのシリーズで結果出してないんじゃ… 江川は第1戦先発。第4戦の前々日に、ブルペンで200球くらい投げたらしいが、謎と言うか、無謀な行為。 巨人は勝ちに急ぎすぎた。
はじめから7戦勝負と腹を括って西本温存すべきでは?
リリーフの江川がやられても7戦は先発西本がいる。こう考えられなかったかなぁ 江川のブルペン投球ってなんなんだろうな
普通コーチも止めるやろ 疲労残るだけだし 巨人が第6戦9回表に追いつかずにあっさりまけていたら、どうなっていたか?
当然、西本リリーフはなく満を持して第7戦登板。
ま、結果論だが 角(本来のクローザー)と平田(81年のシリーズで活躍した左キラー)が
使えなかったのも痛かったと思う。クビが決まりかけてたクルーズが
スミス徹底マークでイマイチな分、意外な活躍をしてたけど 江川の時代は肩は消耗品なんて考えはなかった
徹底的に投げ込んで肩を作るのが常識だった >>286
首位打者に肉薄したとはいえレギュラー1年目だったから篠塚を外して平田
という思い切った手を使えたものの、83年の篠塚ははもう外せる対象じゃないね。 あとハムは高橋一間柴木田、村上雅江夏とこれでもかと左がいたけど
(5/6戦で左腕が先発)
西武は先発三枚のうち左は杉本だけ、
救援の永射はその外せない篠塚ほぼ専任、敗戦処理の工藤
相手の左の枚数が少なかったのが思い切って起用できなかったのだろう 角も第1,4戦のビハインド時に一人でも投げていれば、相手に悩ませる余地ができたのかも。
西武が第2戦のビハインド時に小林、木村、工藤らを投入して使える投手を少しでも増やそうと
模索していたのと対照的だった。
第6戦では角が来ないのを完全に見透かされて、左の代打片平、鈴木葉を取っておかれ
9回の同点劇に繋がる安打を西本がそれぞれ打たれた。 5月5日の原の逆転サヨナラホームランはよく覚えてる。 >>291
打った瞬間は詰まったレフトフライかと思ったら・・・
狭かった後楽園球場ならではのホームランだった。 原と言えば9月の神宮ヤクルト戦で9回に打った逆転ホームランもよく覚えてる。
あれでMVP決まった感が 昭和の怪物江川
若大将 原
絶好調 中畑
アイドル定岡
安打製造機篠塚
雑草 西本
青い稲妻 松本
意外性の男 山倉 機動力、長打力、総合力
巨人の歴史でもトップクラスだった時代
伊東キャンプ組が全盛期を迎え
80年以降のドラフト組が切磋琢磨して競争も激しかった上に
バリバリのメジャーリーガーレジースミス
強いのは当然
でも広島も阪神も強かったから
引けは取らなかった
明らかに今よりどの球団も強いイメージだった 阪神は弱かったし中日も弱かった
巨人が暴走的に独走していたからアンチからは冷められていた >>279
はしゃがずベンチが醒めていたら、それはそれで問題だろうな >>299
昨日の広島が勝ち越した時のように、拍手程度に抑えていればね。
あのお祭りバカ騒ぎが西武ベンチを意気消沈させるどころか、
逆にマジギレさせてしまったからね。 >>279
確かにあれは胸糞悪かったな。
だから、逆転負け食らったとしても、自業自得としか思えないw 中日はあんまり期待されてない年に頑張って
期待されてる年にやらかすチームって印象だったな >>279
藤田監督も胴上げに備えて、スパイクから運動靴に履き替えていたらしい。
巨人はもう「これで勝った、優勝だ」と思ったのだろう この頃の巨人の抑えは角なんだけど
山本浩二や衣笠との対戦がほとんどない 中日は前年1982年の契約交渉で谷沢などの主力が不貞腐れていた
のをテレビで見た記憶があるが、優勝したのに年棒が
あまり上がらなかったのか? >>304
ワンアウトのセンターフライもいい当たりだったよな。何でそんな楽観視したんだ? あれはテリーの打ち損じ。
ホームランになっていてもおかしくなかった。
巨人ナインのはしゃぎぶりに石毛がかなり激高してたらしく、
初球を空振りして体勢を崩したのも気合いの現れだったかと。
2球目に同点となる内野安打を放ったけど、
「あれが抜けてたら俺がヒーローだったのに」と
試合後もすごく悔しがってたという。 この年の朝日縮刷見てたら開幕前の座談会でノムさんが、西武が独走すると予想してたな GWあたりの巨人戦視聴率がすごかったから季節が進むにどこまで伸びるかとオモタら大して伸びなかった
巨人が独走しまくって冷めた?
GWはまだ団子で前年の死闘の香りがまだ残っていたし
ちなみに89から91あたりにもこの傾向だったらしいが この年の定岡は、近年よく言われるイップスになったんだろうね。 ウィキ読むと腰を痛めてからダメになったと。
当時そんな報道知らなかったが。結果的にこの年の前半で定岡は終わったな。 腰痛めなければ生ダラ出演もなくへなちょこサダも誕生しなかった >>306
谷沢2400→3300
田尾1600→3000
宇野1200→1800
大島1600→現状維持
都_600→1400
小松1200→1100
当時としても優勝祝儀が少ないかな? >>321
シーズン棒に振ったとはいえ胴上げ投手小松がダウンか
今からでも上げてやれ 中日は星野が最高年俸だったので頭打ちになってた感がある >>321
小松は82年広島での開幕戦でKOされて足の故障か何かで4ヶ月離脱。 >>323
今からでも上げてやれに不謹慎ながら笑ってしまった… >>313
だが、それはGWまでだった
だんだん冷め出していき、シリーズでやや盛り返すも翌年は謎の「野球はつまらない論」が出てくる始末
84は盛り上がらないと揶揄されたが83の途中から兆候があった 第6戦、9回表2死からの中畑逆転3塁打で逆転して、西本がテリーをセカンドフライに打ち取って1死もそこから4連打で西武同点。
伝家の宝刀シュートを多投して狙われた。山崎三遊間−片平一二塁間−鈴木葉三遊間−石毛遊撃内野安打。
10回表篠塚を三振に打ち取り勝利投手となった永射に続いて片平も鬼籍に。