元広島のマイナーな選手を懐かしむスレ その3
>>194
ロードン(89-90)かジョンソン(87-88)のどちらかだろうね。
85-86は外国人選手不在、87-88年にランス(左打)とジョンソンが来て
89からロードン(90まで)とアレン(91まで、黒人)、90にいたヤングも黒人で
91にいたバークレオは左打ち。
92-94のブラウンか93-95のメディーナという線もあるにはあるが >196
思い出したわ
今でも口ずさめるぞその唄w デユプリー、ガードナー、フィルキンス、アイルランド、レーシッチ、ランス、
ジョンソン、ロードン、アレン、ヤング、バークレオ、ブラウン、メディーナ ★在日に多い苗字
『徳山』・『金本』・『金山』・『新井』
★在日に多い一文字名
『正』・『成』・『雅』・『圭』
★広島県内の在日比率の高い市町村
1位.府中町 2位.広島市 3位.海田町
4位.大竹市 5位.東広島市 6位.安芸高田市
上記市町村に在住で『徳山正』や『金本圭』って
バレバレな通名の奴は居ないだろうw居たら確実に在日w >>204
84年。結局小林誠二が好調だったのとレーシッチ自身も不安定な投球で定着せず
実弟ゲーリー・レーシッチの中日入団は86年。 84年の小林はすごいな
この年はボールがよく飛んだのかすごい打高投低
の年だったにもかかわらず
55試合防2.20(1位) 11勝4敗9S
で一番すごいのは被安打が少ないところ
130回2/3投げて被安打が98 これはダントツで被安打率が低い。
2番目に低いのが小松の186回166被安打だから >>190
競輪は低身長のフィジカルオバケじゃないと基本通用しないからなあ 高木
高木は紀藤と背番号の交換よくやっていた印象
石貫
佐々岡の前によく投げていた印象 Wikipediaで川島堅(敬称略)を調べたら近所で整骨院をやっていてビックリ 前の優勝の時にいた、近藤、片瀬、望月って覚えてる? 前の優勝の後に出てきて、連続Bクラスが始まる前くらいまでの間に活躍してたイメージだが。 213の面々は96年頃にアホの上土井に一斉解雇された連中だな
財政的に仕方なかったとはいえホンマ無茶苦茶やってたわ
215の田中の初先発
今時分の消化試合でいきなり7点くらい取られてKO
そのまま一軍からも消えていった・・・ 田中といえば佐々岡のノーノーの翌日にフルボッコにされた田中由基 選手よりコーチとして少し貢献して古葉監督の右腕の一部
って言われた(選手名鑑か何かの本でそう書かれてた)
小林正之 最終的にはメジャーとして選手生命を終えた小林誠二も西武に武者修行に出されてなかったら
マイナーのままで終わってたかもしれない >>216
上土井は元々選手だったんだな。
広島商業高校ではエースで山本一義、迫田穆成現如水館高校監督らと甲子園に出場して、
1957年入団の投手だったが、現役はわずか2年で、一軍出場は1年目の4試合だけという…
球団本部長末期には老害化して、達川監督時代に大下ヘッド失脚と同時に連盟担当に廻されて、
阿南準郎が球団本部長になっていた。 近藤はスカウトで東北担当してるよ。
望月は引退後に進学、資格を取ってプロ野球のトレーナーになった。 >>222選手としてはマイナーな方だけど、
スカウトは一流だと思う。
他球団のスカウトからも一目置かれる存在
のようだし。 山本文男 選手としてはマイナーどころか知らない。審判でメジャーになった。 山本譲
自由契約になってホークスに移籍。そのあと、ブルペン捕手等
裏方で活躍したが、何年か前亡くなった。 バカープOBって松田家に媚を売ってる人や今のオーナーに好かれてる人がやたら多いから最高級のアホ、バカが圧倒的に多いw
もちろん今のオーナーも本物のアホ、バカ 今年2軍しかいなかったブライディはマイナー外人トップ
かな。(ドミニカからの選手除く) カンバーランドとかラドウィックとかスタニファーとかランドクィストとか名前だけは無駄にすごそうなのが多かった2000年代前半 近鉄からきた森脇と西武からきた大原
両方とも内野手の層の厚さから出場機会がほとんどなかった。 獲得しておいて出場機会を与えずに不合格を烙印を押す場合が多い。 ハロカスヲタはすぐモームス云々言ってくるよな
臭いから出てけよ ブラジル人のエンリケ玉木とか居たな
今はヤクルトのブラジルアカデミーの講師だっけか 小林誠二が高校のとき、完全に投げ勝っているのに
凡フライ、凡ゴロが野手の居ないところに飛んで
甲子園を去った。 野手のいないところに飛んだら凡フライ・凡ゴロじゃないのでは 渋谷は試合慣れすればいけると思ったが
あまりチャンスを与えなかった。
守岡はレギュラーを掴みかけていたのに外国人を獲得した。 高木、沢崎、山内、山本幹、長冨、
活躍できなかったのはなぜだろう。 新人王を獲って77勝もした長冨って活躍してない?マイナーではないと思われ。 50年の連敗ストッパー永本。
ボールに力があるのになぜか活躍できなかった。 >>225
「山本譲」ではなく、山本穣さん(現役時代:広島―南海)ですね。
言偏(ごんべん)ではなく、禾偏(のぎへん)です。
山本さんは、2000年に亡くなられました(享年42)。 西沢という捕手の長打に期待していたがトレードされて干された。 >>246阪急で少し(82年ぐらいにローテーション投手として)
活躍してたな。永本が広島にいた事を知らなかった時期があった。
78年ぐらいからのファンとしては。 >>227
「ブライディ」ではなく、プライディさんですね。
頭文字(かしらもじ)が「B」ではなく、「P」なので。 2000年代の左中継ぎ 広池、佐竹のコンビ。
菊地原や河内と考えたら、マイナーだな。 ウルソー
ヤング
ベルトラン
ニューマン
ベイル
ワトソン
コジロースキー
日本人が駄目すぎて毎年のように外国人左腕を補強したが
まともなのはベイルひとりだった・・・ >>255
ベイルは最初の入団時は好成績だっただろ
あとコジロースキーじゃなくてコズロースキーな
これも一年目はそこそこの成績残してる >>255
懐かしいな・・・
ウルソー ビア樽みたいなワンポイントフォアボーラー
ヤング オリンピック金メダリスト
ベルトラン 記憶にない
ニューマン ヤクルトのお古
ベイル 先発で10勝、抑えで30セーブの優良外国人
ワトソン 3ヶ月くらいしかいなかったけどあと1年様子を見たかったかも
コズロースキー 抑えも先発もやったけど中途半端だった 試合前のランニング中のガードナーに声を掛けたら
ピースサインで答えてくれたのがうれしかったなあ
来日1年目は活躍したのに2年目は急に打てなくなってあえなくお払い箱 >>248
恐らくその山本捕手だったと思う。昭和56年9月?中日の三沢が先発してた中日戦でライトスタンドにいてブルペンの金網越しに
山本捕手に握手してもらったこと覚えてる。分厚い手だった記憶がある。
川端という投手と白武という投手が西区草津南の同じマンションに住んでた。 既出ですが山根和夫(けっしてマイナーではなかったと思いますが)に良く似た漫才師がいませんでしたっけ?思い出せない‥‥ >>262
名鑑には団しん也に似ているとよく書かれてたね >>263
それぞれ!ありがとう、スッキリした(^^) (・ε・)「河野はこのスレでも冥福コメ書かれないなんて実におまんこだね」 1年だけだが抑えで活躍したしオリンピックにも出たし
丸刈りやら逆レイプやら肘が痛いやら佐々岡に謝れやらネタも豊富だし
河野は言うほどマイナーでもない >>213
いつも投げる前にお祈りする人だっけ?
違ってたかな
浩二監督時代によく使われてた投手はどれもタイプが似ていて
記憶がごちゃごちゃになってるw 捕手としてはメジャーの西山
三塁手としてはマイナーの西山
外野手時代の野村研二郎 衣笠を早くサードにコンバートして渋谷をファーストで使って育てれば
大成したかな?
衣笠の代わりに斉藤を使って育てれば大成したかな? 一年だけ活躍した前間
高校時代は学業優秀で国立大への進学も決まっていたというが
意気に感じてプロの世界へ でも結果は×
厳しいね 半年だけ活躍した守岡
外国人選手を獲得して出番がなくなったね 前間は最後の年も一軍で投げていてクビになるような成績ではなかったのに自ら引退したんだっけ >>276
理系出身の野球選手は割と珍しい
プロ入りせずにそのまま進学→就職していれば
今は… >>282
適性があったとしても理系学部なら研究やらレポートやらで多忙で
部活動との両立が難しいからじゃないかな 原辰徳と同じ時期にデビューした(年齢は違う)のでチームもタイプも違うのに
「もう一人の原」とか「影の原」とか、マスコミに取り上げられるときは
本人にとっては失礼極まるリードが付いていた 80年代に終盤の代走で良く出てきた、
「足のスペシャリスト今井」
割とあっさりと引退して実家の魚屋を継いでた。 80年代の走り屋といえば、セリーグは今井、パリーグは近鉄の藤瀬 今井の息子は古葉監督率いる東京国際大でレギュラーでプロ志望ながら、
指名はなく。社会人でもプレーしてたが。 カープ初期にいた三村勲は三村敏之より後に亡くなったんだね
今年も健在の秋村
===
宮城球場
2017年(平成29年)、楽天との命名権契約を更新。同時に球場名を「Koboパーク宮城」に改称。
8月30日にナイトゲームとして催された楽天対西武戦では、8回表の終了後に激しい降雨で中断している間に、野鳥の大群がグラウンドに飛来。内外野を低空で旋回したため、グラウンド整備後も試合を再開できない事態に陥った。
スタッフが笛を吹きながら野鳥を追い掛け回したり、中堅の後方から花火を数発打ち上げたりしても上記の事態が変わらなかったため、最終手段としてテレビ・ラジオの中継ブースと1塁側・3塁側のダッグアウトを除く照明を消灯。
この状況でドローンを球場の上空に飛ばしたところ、野鳥の大群は内外野から離れた。しかし、すべての照明の再点灯に時間を要したため、試合が58分間にわたって中断。さらに、8回裏の終了後に雨脚が再び強まったことから、
2度目の中断を経て球審の秋村謙宏から降雨コールドゲームを宣告された(結果は8-8の引き分け)。2リーグ分立(1950年)以降のNPB一軍公式戦において、鳥の飛来で試合が中断した事例は、この試合で4例目である[34]。
>>287
もう一人の原はまだ許せるが影の原はダメだなw
球界は巨人中心に回ってると関係者の誰もが思い込んでいた時代には
不思議でもないことだったのかもしれない 前間は活躍しかけた矢先に「野球選手では将来が不安」といって引退してしまった
先見の明がある 誰か教えていただきたいのですが
高橋俊春投手ってどんなフォームから球種何を持っていましたか? >>294
先見性があれば端からプロ入りしてない罠
何年在籍してたか知らんが貴重な時間を無駄にしたことは確かだ 野球漬けで生きてきた人間にそんな事言っても無意味
プロで自分の可能性を試せる機会を貰えたことに無上の喜びを感じてるのに。