元大洋のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
早朝出勤のためにビジホに前日から泊り込むことがたまにあるが
そんなとき必ず思い出すのが 荒川が三角トレードで暴漢に襲われなかったら
谷沢より上だったんだろうな。 とりあえず堀井
なかなか勝てなかったけど、中継ぎで役だつようになり勝利もいくつかあげた 前泊の120KM台のストレートが速く見えたあの頃が懐かしい 肩を痛めたのは残念だった
体格の割りに凄いボールを投げすぎたのだろう 理解に苦しむコンバートが多かったな
外人野手を投手へとか
近年では外人投手を代走に 池田と増本の見分け方って、スリークォーター気味に投げる
方がたしか池田だったかな 池田って池田弘のこと?
完全なオーバースローだったと思うが。
最近までyoutubeに巨人の原にホームランを打たれてる映像が出てたが
消されてしまった 増本は引退後保険会社に転職して成功したという記事を見たことがある
風貌もサラリーマンっぽい感じだったし 変則投手のマニアックな人には大洋は良かったね
晩年 左腕のワンポイントタコ見たいにクネクネした佐藤政則(ロッテ中日ロッテ大洋)
永井(永易) 太平洋クラウン西武大洋
晩年は超スローボールの小谷正勝
全盛期は先発で20勝した 土井監督〜関根監督時代に加藤英というサウスポーがいた
中学・高校・社会人時代は地元北海道ですごい評判だったが
プロでは一勝もできずじまい
アマ時代は大エース格でもプロではせいぜいワンポイント起用が関の山なんて、
プロは厳しいのう〜 土井監督の時はどん底。何やっても報われない時代だった
加藤投手は入団した時期が悪かったな >>27
松原が衰えて放出、高木由や長崎は伸び悩み、外国人はハズレ、投手陣は平松遠藤明雄以外は一軍半ばかり
ドラフト一位は他所なら6位以下のハズレ投手だらけ
これではな 斉藤明は基本はオーバースローだが、稀にアンダースローで投げてたこと >>27
古賀が巨人から来た年に全然フォークを投げなくなって低迷したが
これも捕手出身の土井が何か指導したからと言われていた
大洋監督解任後、コーチとして吉田義男に請われて85年の阪神コーチに就任し日本一に貢献している
指導者として相反する結果を残している 記憶ないなぁ…
スリークオータかサイドスローじゃなかったのかな?
>30
> 斉藤明は基本はオーバースローだが、稀にアンダースローで投げてたこと >>25
大洋は左腕に変わったの多かった
王選手に800号打たれた大川投手
それと何と最晩年の小山正明投手
土橋監督がコーチ兼任で呼んで、317勝(鈴木啓示 )+3勝(大洋時代)
3勝積み上げたから草に抜かれなかった
タイ記録だったら、草ももう少しやったかもね 斉藤明はピッチング練習の終了をキャッチャーに教えるために、最後の球を
きれいなアンダースローで投げていた。
TVには映らなかったと思うけど、球場で見ていた人は知っていると思う。
ただし、本番でアンダースローで投げているのは見たことはないな。
本番で一時アンダースローを混ぜていたのは村田兆治。 >>35
(・∀・)ソレダ!!
フジテレビのナイター中継で一度だけアンダーで投げてたのを見た記憶がある
多分1981年のとき。 >>32
古賀で思い出されるのは甲子園での阪神戦で安打か四球で出塁したあと
あろうことか単独スチールを成功させたのはいいが、次のイニングで打たれて負け投手になったこと
調子に乗って普段やらないことまでやると痛い目に遭う好例だったw 走者投手の場合に盗塁されるなんて相手バッテリーにして見たら屈辱じゃないの
ピッチャーはまんまとモーションを盗まれたわけだし、キャッチャーは二塁で刺せなかったわけだし。 ピッチャーやる様な奴は基本的に足は速い。
運動神経の塊だから。 打席に立つ機会のあるセリーグの投手はどのくらい走塁の練習をやってるのかな
塁上クロスプレーになった場合にケガする恐れがあるから投手にはあまり走らせないものだという解説を聞いたことがある >>37
盗塁と被安打との間に何の因果関係が?
投手と雖もそんなにヤワじゃないでしょう。
盗塁成功させてなくても次のイニングには打たれてたかもしれんし。 12球団勝利投手を最初に達成したのが野村収、2番目が古賀正明。
いずれも大洋に縁がある投手なのが興味深い。
しかも二人とも同じ1983年に達成。
いまでは交流戦があるからそれほど希少価値のある記録ではなくなったが、
当時は最低でもセパ2球団ずつに在籍してないと達成できないわけで、
新聞でも大きく取り上げられた。 野村と古賀、通算勝利数は雲泥の差だけどな。
野村は暗黒の81年、3勝14敗という記録的な低勝率に終わったが
それでも起用せざるを得ないほど投手事情が悪かったことが窺える 斉藤(明) 1981年 5勝15敗10S
確かに勝敗だけで見ると10の負け越しだが
セーブを10個挙げているから勝利の貢献度ではマシな方かもね。
この年、公式戦で勝ち星が負け星を上回った人はあの佐藤だけ(6勝4敗1S)。
遠藤も平松も野村も古賀も竹内も前泊もみんな負け越し。まさに投壊だった。 前泊は見事過ぎるくらいに一年草。
なかなかこんな例はない。 大飛球を打たれても、フェンスの手前で失速して捕球されるマエドマリ
と、巨人の選手から嫌がられた、そんな逸話を残した前泊 ロッテのドラ1ながら僅か2年でお払い箱になって
大洋に来たサブマリン田中が最後のご奉公をしたのも81年。
ノーコンで登板すれば四死球ばかり出してた。
いかにも81年のどん底を象徴するような投手。 広瀬、右田、大畑、竹田
80年代ドラフト1位投手の顔ぶれ
まあ80年代末には盛田や佐々木も獲れてるんだけど… 竹田はドラフト指名の時に「星野二世」と言われてたが
全然投球スタイルが違うしキャラクターも違うし、
ただ大学が明治というだけで何が共通してるのかよく分からんかった 竹田はまだ良い方。
大畑ほどアマ時代との落差が激しかった選手はおらん。
育て方が悪かったのか、素質を過大評価してしまったのか 右田は阪神と競り合ったと記憶。
で、大洋のキャンプを偵察した阪神スタッフがブルペンで投げる右田を見て、
「(籤が)ハズレでよかったよ」と言ったとか言わなかったとか。。。
右田を逃して獲得した源五郎丸の方が素材としては上の評価だったんだろうな。
でも結果はあのザマです。
スレ違いなのでこのへんで。 竹田は
『肩がもうイカレてます』
みたい球しか投げられなかったな
27番が泣いていた 右田は巨人戦で駒田に満塁弾を浴びた試合しか覚えてない。
右田と同じ時代に関根という社会人出身の投手がいたな。
同姓のよしみかどうか分からんが関根監督時代には重用されたものの
近藤監督に代わってから完全に干されそのままフェイドアウト。 >>57
関根は規定投球回のために
シーズン終盤のダブルヘッダー両方先発したな。 右田は大洋じゃ期待に応えることはできなかったが、代わりに来たおすもうさんのお兄さんが結構いい働きをしたよな >>58
うん、覚えてる。
で、2試合とも負け投手になったんだっけね。
シーズン成績3勝11敗。防御率4.29で投手10傑圏外。
連チャンで先発という荒行なんてしんどいだけなのに、
規定投球回数に達すると何かご褒美が出たりしたのかな? >>49
お払い箱じゃないだろ
田中を取るためにリリーフエースだった奥江と渡辺メリーまで出してんだぞ >>57
干されたんじゃなくて、内蔵を壊して投げられなかったんだよ
最後は自分から引退を申し入れた >>62
活躍っていうほどでもないけどね
この時代の一軍半の野手で他に清水、吉本、河野、山崎などが
起用のされ方がよく似ていてイメージがダブる 関根投手は肝臓をやられてたんだっけ
野球選手で肝臓を傷める人は意外に多い。
東映→ヤクルトの故・大杉氏はそれで寿命を縮めたし、
他にも有名選手で療養のためシーズンを棒に振ったり、関根投手のように選手生命を絶たれた人もいる。
スポーツ選手だからと言って健康とは限らないんだな つか三浦は若い頃夏場になるとしばしば肝臓でリタイア
してたよね
今まで現役を続けていられるのは節制の賜物だと思うわ 姉さん女房、子持ちルーキーで話題になった門田
82年6月のの巨人戦完封劇はそれまでの苦労を知ってただけに
ラジオ中継を聞いていて少し感動したの覚えてる。 門田こそユニホーム姿でなかったらそこら辺のサラリーマンにしか見えない 門田富昭は現役晩年に
リリーフエースとして活躍した年があったな
通算31勝なら、少なからずプロで成績は残せた方だろう。 前年までいたシピンに追いかけられた
門田とはすれ違い入団だから災難だったな 門田は、大学の時「西の江川」なんてもてはやされてたけど
通算31勝か。 弱小チームに在籍してたことを考慮しろよ
といっても江川との差は開き過ぎだけどな >>77
西南学院では不滅のエースで地元テレビ局で追っ掛け特番があったらしいくらい有名だったが
「西の江川」は聞いたことないなあ。さすがに持ち上げすぎじゃねえの? 1年目の5勝11敗のあとは中継ぎでチョボチョボ投げていた記憶しかなかったが
それから26勝もしていたんだな 一番活躍した82年、ハマスタで巨人を完封した時点で4勝1敗。
しかしシーズン終わってみれば8勝9敗。
巨人完封後は4勝8敗だったんだな。
主力だったらせめて通年で五分の星でシーズンを乗り切って欲しかった。 低迷期からの復活という意味では1982年は印象的かもしれんが
先発とリリーフの両方で起用された1985年や
リリーフ専門になって防御率・勝率が自己最高になった1986年の方が自身にとっては思い出深いかもよ。 >>68
痛み止めの薬の副作用で内蔵をやられる
選手も多いらしい
中野渡本にあった >>84
近藤監督にフォームを弄られたんだっけね。
結果が良い方に出た稀有なケース。
フォーム改造は失敗が多いので門田は幸運だったと思う。 クラウンが江川獲りに参加してなかったら門田はクラウン入りしてたかもしれん
地元では人気あったからな 辻が衰えて、さあこれから、と思ったらアメリカ帰りの若菜が入団したので割りを食った。
もし若菜が来てなかったら、正捕手になれてたかも? >>88
弄られたというか、タメを作った方が良いとアドバイスしたという方が正確。
門田には拒む選択肢もあったが、熟考のうえ受け入れて改造した。
押し付けで変えさせられた人はダメになってるな 渡部高史っていたよね?
何年か前、FM番組で湯浅さんっていう女性DJがいきなり彼の名前出して驚いた
中学の同級生だったそう