1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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この年の開幕戦で、巨人は誰がどう見てもファールであるにも関わらず、
ホームランと判定された”誤審”により、勝利を収めた。
そして今日、歴史は繰り返すのか(?)、ソフトバンクがオリックス相手に
誤審で勝利を収めてしまいました… 開幕戦での篠塚選手のあのポール際の打球、
この年からセ・リーグで採用された審判4人制がいきなり試される結果になりましたね。
打った瞬間、篠塚選手の打ち方から「ああ、ファウルだな」と思ったら、
意外に打球が切れなかったのがむしろ驚きでした。
斎藤投手は、あの本塁打で敗戦投手を免れた事で勢い付いたのかな?と思っています。 田淵幸一
1978年 阪神選手 最下位
1979年 西武選手 最下位
1990年 ダイエー監督 最下位
杉本正
1990年・1993年 ダイエー投手 最下位
2008年 ソフトバンク投手コーチ 最下位
2009年 横浜投手コーチ 最下位
2018年 楽天巡回投手コーチ 最下位 >>769
若い人には分からないだろうが
それぐらいプロ野球ってのは昔は人気があったんだよ
そこらへん歩いてる人だって野球選手の一人や
2人の名前は言えた 野村の「巨人が強い理由がよく分かった」ってコメントに
喝采を挙げたファンも大勢いたんだろうなぁ >>784
特にノムさんの場合は、開幕早々に「ジャンパイアの洗礼」を
思いっきり浴びてしまったからね >>783
広島の選手で顔が分かるのが新井くらい。
菊池も鈴木、丸、野村、薮田も顔はよく知らない。 「アグレッシブ」(前)
監督が代わったチームの初年度は好成績を出す事が、プロ野球の世界にもある。特に横浜大洋の場合は前半戦で顕著にその傾向が表れていた。
80年の土井淳は老舗球団の低迷をよそに6月までは2位で首位広島を追い掛け、82年の関根潤三の時も6月下旬に貯金7として首位だった広島に
2.5差と詰めるなど7月まで巨人、広島、中日と首位争いをした。90年代でも球団名が変わった93年の近藤昭仁の時には、球宴1週間前まで2位で
首位ヤクルトに2.5差と健闘していた。96年の大矢明彦に至っては、GWまでだが貯金2ケタで首位を走ったほどだ。中でも取り分け90年の須藤豊
の時は、前任者・古葉竹識とのギャップと対話重視が選手に強い新鮮味を与えた。
ベテランには「まだまだお前の力が必要だ」と言い、若手には巨人二軍監督時代に指導した同期の名を出して「お前が上」と言ってやる気を引き出した。
イースタン4連覇の経験則から熱血指導で練習量も多かった。就任時に掲げた「AFT野球」のAは“アグレッシブ”の意だったが、対選手だけでなく
采配にも表れていた。
開幕ローテーションに野村弘樹と盛田幸妃の21歳2人を組み込み、先発での働きに陰りが見えた遠藤一彦と前年抑えで10敗もした中山裕章を
入れ替える配置転換も実施した。打者では通算6安打の横谷彰将をトップバッターに起用、同じく14安打の清水義之を銚子利夫に代えて三塁の
レギュラーに抜擢した。
開幕戦に引き分けた後に接戦続きの3連勝スタート、巨人の対抗馬と言われた広島、中日を尻目に4月10勝6敗、5月も1分けを挟んで3連勝発進で
単独首位に立つなど巨人と首位争いを演じた。登用した野村、盛田、横谷、清水は奇しくも全員3年目、盛田こそ結果が出なかったが5月末までで
野村は5月の3連勝で4勝2敗、横谷と清水は3割前後の打率をキープして躍進に貢献した。前年5勝しかできなかった巨人戦に既に5勝(3敗)と
健闘して、5月の成績13勝9敗は月間首位だった。
5月7日に首位を譲ってからも、チームは30日に最大貯金9まで一時伸ばし快走する巨人に食らい付いた。打線では5月打率.309打点22の
ジェームス・パチョレックで走者を還す形が確立、下位打線にも絶好調のベテラン高木豊を置いてパチョレックが歩かされるのを防止した。高木のみ
ならず投手陣でもベテランが“須藤マジック”で息を吹き返し新浦壽夫が5勝1敗、斉藤明夫は2完投1完封で3勝、抑えの遠藤は防御率1点台で
9セーブを挙げた。若手でも開幕投手中山は精神的に強くなり2完封で3勝、中継ぎの岡本透は30日までのチーム39試合のうち19登板、
27回3分の2イニングでわずか1失点と、噛み合った新生大洋に必要なのは“アグレッシブ”や“マジック”だけでは補えないスタミナだけといった
ところだった。 (続) 「アグレッシブ」(後)
須藤大洋と巨人との自力の差は、6月以降の成績にしっかりと表れた。球宴前まで常に2位はキープしていたが、6月と7月は2ヶ月連続負け越しで
球宴後すぐの7月末には、遂に中日と入れ替わり3位に転落した。この2ヶ月では、勝ち頭だった新浦が1勝も出来ず3連敗したのが痛かったが、
開幕投手にも指名して右のエースと目した中山が先発では8月下旬まで7連敗したのは一番の誤算だった。安定していた右の松本豊、左の岡本透と
いった中継ぎ陣も打ち込まれる事が多くなってきていた。大洋は6月からの2ヶ月で、3連敗と4連敗を2度ずつ、5連敗1度で最大9あった貯金を使い
果たしてしまった。
借金生活に入り巨人と12.5ゲームの大差をつけられた大洋の8月以降は中日、広島との2位争いの戦いだった。5月以上にパチョレックが打線を
引っ張り、打率.446に24打点で2年ぶりの月間MVPを受賞した8月は、野村と遠藤が3勝ずつを挙げて月間勝ち越し、この間は2位から4位の
順位が目まぐるしく入れ替わった。8月は広島が15勝9敗と星を伸ばし、シーズン初めて2位に浮上した。この頃の広島は不振の大野豊を救援に
回していたが、大洋でも同じベテラン左腕の新浦を中継ぎに回して中継ぎ強化を図った。打線では2年目の宮里太が三番に座り、安定した打撃で
ジョーイ・マイヤーとパチョレックの両外国人へのつなぎ役になった。
9月はいきなり8連敗の中日が2位争いから脱落、巨人のリーグ優勝が早くも8日に決まり、激しい争いはといえば広島と大洋の2位争いだけだった。
一時大洋は広島に3.5差をつけられたが、二村忠美の連夜の決勝打もあって8日からの敵地3連戦に全勝、一度は残り16試合時点で2位を
奪い返す粘りも見せた。残り少ない最終コーナーの10月も4連勝して猛追、最終試合となる広島戦に勝てばタイとはいえ11年ぶり2位と7年ぶりの
5割確保という所まで来ていた。
左腕を苦手とする広島に村田辰美、岡本透、新浦の左投手による1失点リレーで最終戦を“取りに行った”須藤だったが、打線が0勝3敗と苦手の
佐々岡真司の前に3安打完封負けで2位と5割と逃した。ただ、須藤も「ホッとした」と言ったように7年ぶりのAクラスは無事に成ってアグレッシブな
シーズンは終わった。目立った補強の無い状態で健闘した大洋は、翌年は5位ながら90年と全く同じ64勝で、須藤は3年目の92年5月頭に成績
不振で辞任した。92年はわずか22試合の消化と早い段階での休養だったが、2年間の戦いを見るともう少し監督生活を続けて戦国時代だった
90年代前半のセ・リーグに旋風を起こして欲しかった。 (了) >>790
コラムさん乙
須藤と森脇って似た者同士やなw 久々にAに入り本を出したら翌年からまた暗黒に戻ったり ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
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◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
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@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 田代の引退試合の満塁ホームランと、その日のダブルヘッダー第一試合でボロボロの盛田がバックの援護に恵まれてプロ入り初勝利した事しか覚えていない 与田と佐々岡の新人王争い。
リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような。 >>796
一般の人でも選手の成績を容易に入手できる現在のような環境ならば、そうだったかもしれません。
与田投手の「勝因」は
・最速157km/hを記録するほどの速球のインパクト
(当時は野茂投手でも150km/h超の計時は珍しく、
小松、槇原投手の急速は低下、伊良部投手はまだ成長段階)
・新人の歴代最多セーブ数
・星野監督のプロモーション(談話等でのプッシュ)
こんな感じかなあ、と自分は思った次第です。
それと余談ですが、
翌年、森田幸一投手と岡林洋一投手が新人王争いをしている時期に
誰だったか忘れましたが、
上記「勝因」の3番目の理由を挙げて森田投手有利としていたのを当時聞いた記憶があります。 >リアルで見てない世代だと、先発・抑えやって規定投球回にも達して防御率も与田よりよかった佐々岡に軍配を上げる人が多いような
逆じゃね?w >>798
当時のプロ野球ニュースでも解説陣が佐々岡の新人王で纏まりそうになってしまい、中日OBの鈴木孝政が「与田があれだけ目立ったんだから、今年は
与田にしましょうよ(汗)」と焦りまくっていたっけ(´・ω・`) 何だかんだ言っても、タイトル(セーブ王)を獲得した
というのは大きいと思う この年、巨人が日本シリーズ4連敗を喫する兆候はどこにあったんだろうか?
やはり斎藤をシリーズ第1戦に持って来るべきだったのではないか? 96年の日本シリーズで巨人が負けたけどこの時ほどは負けたことが言われていなかったな >>801
斎藤もシーズン終盤はダメダメだったから、
敢えて言えば桑田だったらマシだったかも知れん
第3戦で打たれちゃいるけど、斎藤よりはいい内容だったと思う シーズン終盤の巨人戦のテレビ中継で
先発投手だった斎藤雅樹投手のフォームについて
解説の堀内恒夫氏が「(好調時に比べて)肘が下がっている」と指摘していましたね。 シーズン終盤でいえば西武の投手陣もかなり悪かった。
特に渡辺久信は9月初め頃までは奪三振以外のタイトルを総ナメする勢いだったのにほとんど勝てなくなった。 >>805の堀内氏の指摘は
「肘が下がっている」ではなくて「リリースの直前に肘が(手よりも)前に出てこない」だったかもしれません。
肘の位置についての指摘は間違いなくされていたのですが。 96年は1勝しているし90年ほど序盤でボコボコに打ち込まれてないからな 阪神も未だに05は言われるが14はほとんど言われない https://www.youtube.com/watch?v=nvg8TKebaDo
4:01〜数秒間のあいだに映ってる20歳位の女性2人組はジャイアンツファンっぽいけど
3連敗後の4戦でも敗戦が目前に迫った状況にも関わらず笑顔で応援してるね。
こういうのを見たら自分なら闘志が湧いてくるけど。
まあそれだけで勝てるほど甘い世界でもないとは思うけど。 90年シーズン中の最も調子の良い時のジャイアンツとライオンズがシリーズを戦ったとしても
4勝1敗でライオンズが勝ったと思う。
斎藤が本来のピッチングをしてもその試合は2対1とかでライオンズが勝つのではないかと思う。
ベストピッチをしたからと言って完封する訳でもなく結果完封であった試合をベストピッチ扱いする傾向にあるけど、
そうではないと思う。
そういう意味ではジャイアンツの当時の投手達はいつライオンズと試合してもベストプレーは出来ないと思うし、
当時のライオンズはジャイアンツの様なチームを相手にするのが得意である様な気がする。 ライオンズの選手が88年のシリーズ後にドラゴンズに対して
「何故あのチームにセントラルを制する事が出来たのか分からない」
とコメントした選手がいたけど(石毛だったかな??)
90年シリーズの後にそういった言葉は聞かれなかった。
それは西武の選手の成長かな?
88年ドラゴンズや90年ジャイアンツの様なチームを得意とする自分達と同じ様なチームがセリーグには無かっただけだと思う。
逆に92年のスワローズなんてライオンズからしたら苦手なチームだったのではなかろうか?
ライオンズの選手からしたら92年スワローズはセントラルを何故独走で制する事が出来なかったのか?と不思議に感じたと思う。 連投になってしまいすみませんが
92年の東京ヤクルトはもしかすると発展途上のチームであって
前半と後半の強さが全く違い一年を通して後半の状態を維持すれば独走優勝してたのかな??
ちなみに92年のジャイアンツに10連勝→4連勝→7連勝で21勝2敗の成績を挙げ
その間の1敗も偶然負けただけで内容的には勝ちゲームだったという非常に強い時期があった。
あの時期に巨人と西武がシリーズを戦えば巨人は4連敗を回避し1勝4敗位にはなったかもしれない。
巨人というのはそれほどに西武が手玉に取りやすいタイムのチームだった。
同じような例で92年好調であったタイガースはジャイアンツには大負けした。
タイガース有利な展開でもワンチャンスでひっくり返され最後はジャイアンツに軍配が上がるといった感じに
何故かジャイアンツに有利有利な展開になる事が多かった。
これは西武が巨人を得意としたように巨人が阪神を得意としていたからと思われる。
この様に相性というものは確実に存在しており、どんなに巨人三本柱が絶好調と時に西武と当たっても
90年については巨人は良くても西武に1勝しか出来なかったと思われる。
クロウも日本シリーズ前に「うちは1勝出来ればいい方だろうな」とコメントしている。 藤田2巨人はOP戦含めて、西武には全敗。全部で何連敗だったか?
それは長嶋巨人になって途切れた。
不思議と長嶋には西武コンプレックスがなかった。
それは西武黄金時代と長嶋浪人時代がほぼ被るからか? 単純に94年の西武はデストラーデはもういないし石毛は衰えるしで
長く黄金時代支えてたメンバーに陰りが見えていただけだと思う
まあ西武も西武で試合前に森退任報道をリークして西武ナインを動揺させたけど >>814
89年 二連敗
90年 六連敗
91年 三連敗
92年 三連敗
88年4月のビッグエッグオープニングトーナメント戦で勝利してから
93年3月のオープン戦で勝利するまで14連敗 結局、第二次藤田政権時代は西武に一つも勝てなかったのね >>810
その少女らは16〜7あたりに見える。
現在45位。
幸せに暮らしてるかな?? 長嶋は阪急コンプレックスだからな
オリックスにあっさり負けた >>810
右の娘なんて中学生じゃないのか?
そんな子も3〜4年後は黄色い髪にして真っ黒な顔になってたんでしょうねw ヤクルトで監督野村、コーチ高畠コンビが13年ぶりに復活も1年でコンビ解消 >>810
その子供っぽい高校生の娘と同様90年の巨人軍は子供っぽかった。
一方4年後の巨人軍の選手達は4歳大人っぽくなっていた。
あの子供っぽかった桑田や緒方、斎藤が普通の大人っぽくなってた。単に外見の話だけど。
その高校生達は成人してたであろう94年のシリーズは観戦したんだろうか?
もし観戦したのであれば前回と違いさぞや良い想いを出来たのであろう。 >>804
実際1994年日本シリーズは1戦目の先発は
桑田だったしこの時の長嶋采配は
結果的には成功だった。 94の西武なんて
秋山、デストラーデ、石毛もいないし
ナベQも郭泰源も劣化してるし若手も糞だらけで
かなり弱体化してたから勝っても自慢にならんわ しかも、試合前に讀賣新聞のニュースで、「森監督退任」なんてニュースまで流れたからねw あのニュースも西武側がリークしない限り絶対漏れない話だからなぁ
リーグ優勝した際にもパーティ一つ開かれなかったというから
根本が退団して以降の西武フロントの動きは陰湿 >>810
1戦後の夜中にドーム外で2戦に備えて並んでる女子中学生2人が「明日は斎藤だから絶対勝つ」
みたいに言いながら、緒方の応援歌をフリ付で歌いながらノリノリって場面を放送してた番組があったけど、
その時の中学生に非常に似てる感じする。
お友達同士ですか?何歳ですか??どこから来たんですか???とかレポーターから色々質問されてた。
その番組知ってる人いる????何の番組だったかな。1戦とその後を伝える日曜朝とかの番組だったかな? >>826
堤派
清原派
石毛派
工藤派
と分裂しちゃった…
もっとも現状では工藤以外は失脚して
存在感なくなったけど…(特に堤、清原) 藤田元監督は、
藤田前監督巨人軍を語るという著書の中で、
90年のジャイアンツはそれほどでもなかったのだが他チームの調子が悪すぎて簡単に勝ち進めた。
また92年の自軍は充実しており優勝候補筆頭と自負しており他軍もジャイアンツをそう見ていたと思うが、
92年は皆強かった。下位の中日太洋に至るまで皆が強かったと述べている。
藤田氏は90年よりも92年の方を上に見てた様だ。しかし他球団が強くて勝てなかったと。
証拠は同氏の著書の中にある。しかしそれが事実かは分からない。藤田氏はそう感じたというだけの話である。 90年巨人が強すぎたというのは間違い無い。
しかしその理由は他が弱すぎたからだ。
藤田元監督はそう思ってるようだ。
さすがに弱すぎるとストレートに表現していないが、
どのチームもそれほどの調子ではなかったと自身の著書で語っている。 石毛って西武黄金期のリーダーやってたとは思えないくらい精神論者だよなぁ
野村ID野球も「野球は頭を使ってするものではない」と全否定 藤田氏は92年ジャイアンツが自身最終年にして最も強い状態としたうえで、
原辰徳についても92年は入団以来最も良い年であったと振り返っていた。
チームと原辰徳。この二つが藤田氏にとって最高であったのが92年であったようだ。
それらはあくまで藤田氏の見解であり異論も沢山あるとは思いますが。 92年原の3本の本塁打(大野からの逆転弾、与田からの勝ち越し弾、伊東からの同点弾)は4番としての威厳存在感を、
これでもかというほど示しており、そういった原の『真の4番としての存在感&力強さ』を発揮した本塁打を藤田氏は92年に初めて見たという。
89年の日本シリーズでの満塁弾などまるで眼中に無いかのような最大級の評価を藤田氏は92年原に対してしている。 第二次藤田巨人はドラフトでとった即戦力が壊滅的だったけど、他チームは88〜91年のドラフトで戦力強化していったからな。 1990年の巨人は、公式戦では相手チームが攻守でミスをして勝手に負けていくという印象がありました。
シーズンが進むにつれて、その傾向が強くなったような気が。 清原より原のほうが成績良かったのに原のほうがマスコミに叩かれてたな >>810
中学生ぢゃないか??
もしくは無職の16歳 >>839
清原は華試合や大舞台には滅法強かったけど原は違うから。原はTV中継が始まる前にHRを打っていた印象。 時代背景が全く違うのに、そこだけ切り取って同列に語られてもねえ… のぼせもん気質の博多っ子の与太話にマジレスしてもね(w
「どーせ弱くなったら嘗てのライオンズのように見向きもしなくなるんでしょ?w」と言い返してやれよ。
強きを助け弱きを挫く九州人気質(だから893が増長する)を示す格好の材料でもあるし。 阪神はな
ひょっとしたら強くなる土台ができて…
仲田幸司・湯舟敏朗・中込・野田・葛西・弓長・田村 >>848
湯舟・弓長・田村の3人は、1990年の時点では阪神に在籍していない
(湯舟と田村は1991年〜、弓長は1992年〜) 8月のナゴヤの中日戦で原が大飛球打って「ホームラン」って実況が言ったのにファール。
今ならリクエスト。桑田の連続関東がかかってたのだが。 88年吉田
89年大森
90年元木
91年谷口
ひどすぎ さらにひどいのは2位指名以下も壊滅的なこと その辺が育たなかったのが、
FA設立にも繋がってくるのだろうなぁ
元木の使われ方が、斜め上だったが この年の今日、讀賣が史上最速(だったかな?)でリーグ優勝を決める
しかし、日本シリーズでは西武相手にひとつも勝てずに終わるw >>855
最速。9月1週目に決定、
確か吉村のサヨナラヒットだったかね? 当時埼玉に住んでいたが、
巨人ファンのほうが多くて西武が勝ってもまだ醒めていたわ >>856
日テレ山下末則「ホーーーーーーーーーーーーーーームラーーーーーン!!!吉村!!」 日本シリーズの最初の3試合で讀賣が3敗
これ自体は前年も同じだったんだけど、前年はそこから日本一
一方この年は呆気なく4連敗
さて今年は… >>853
FA創設を主導したのは巨人じゃなくて選手会だけどな 巨人がこの年以来の日シリ
4連敗だが翌年はヤクルトとの
Aクラス争いが精一杯だったんだっけ? >>865
そして、それにも敗れてBクラスへ転落だった
この年に前倒しで勝ち運を使ってしまったんだろうねw 選手会発足時からFA制度の導入を叫び続けていたが当初は梨の礫だった
巨人の野手陣が過渡期になり打線に迫力がなくなると、
発言権を持ち始めていたナベツネが読売新聞をフル活用して
「ドラフトにも職業選択(球団を選ぶ)の自由を!」と
大々的に打ち出し、FA制度導入への流れへ傾いていった FAはナベツネのバックアップがなけりゃ導入はもっと遅れてたよ
選手会が発足して最初の10年間、全くと言っていいほど話に進展が無かった
その間ずっと主張し続けてたから選手会の頑張りのおかげって言い方も正しいけど
選手に権利を与える」のではなく協約に則って他所の選手を獲得できる手段として
ナベツネにはさぞ魅力的に映ったろう 当時はまさか巨人から渡米する選手が出るなんて思いもよらなかったからなぁ。 職業選択の自由を盾に導入しようとしてたのは逆指名の方な
FAと併せて空白の事件よろしくセリーグ脱退新リーグ設立を匂わせて
他球団が及び腰になったところを強行して導入させた >>131
その川崎を開幕投手にして、川上憲伸の登板をズラした落合が2004年にリーグ優勝する。 第1戦で槙原が3ボールからど真ん中直球を投げて大ホームラン打たれた一方で、原は第3戦の初回、一死二・三塁で、3ボール後の4球目の棒玉を平然と見逃した。
その夜の『プロ野球ニュース』の解説で、権藤博は呆れながら
「これど真ん中ですよね、デストラーデは打ってるわけですし」
「(第5球で見え見えのスライダーを空振り)まさか続けて同じタマが来るとでも思ってたんですかね」
「(最後はハーフスイングにボールが当たってピッチャーゴロ)まあ最後はこうなりますよね」
と言っていた。 打つ方では3-0後の4球目は必ず見逃し、投げる方では0-2後の3球目を必ず外す、という野球は、当時の巨人の特徴だったように思う。
原なんかはその典型だ 古田敦也はプロ1軍最初の試合も1軍最後の試合も途中出場なんだよな ナゴヤで延長で原が「ホームラン」とラジオで実況されたのにファール。
桑田の連続完投もかかってたのパーになった。 >>880
それに背いて裏目に出たら罰金とかが科せられていただろうからね 高三陸上競技部でした。西武王国も野茂も故金やんもその他もでした。 この年発売された桃太郎伝説Uに桑田もどきの鬼が出てきたり
巨人ファンだと言うと通れない階段があった >>885
さくまあきらは大洋のファンだったよな確か >>762
ただの左キラーの外野の西岡で巨人不動のクローザーだった鹿取が取れるとは中継ぎ投手重視野球の今じゃ考えられないトレードだな
鹿取に限らず中日の控え捕手の中尾と交換で西本を出し、鹿取の前の守護神だった角をタダでハムに出し、
あの頃の巨人はよほど投手力に自信があったからなのか気前のいいベテラン投手のファイヤーセールを繰り返していたなw そらあれだけ完投できる投手そろえてたら
リリーフなんていらんわ しかし当時、巨人同様に投手王国と言われた広島とか西武でも、
力のある先発を終盤まで投げさせて、潤沢なリリーフ陣を投入する
ってパターンが結局は投手王国として長持ちした印象だなぁ >>889
緒方が二塁が主となり、外野が原・クロマティ・吉村と何時守備破綻してもおかしく
ない(現に日本シリーズで露呈したが)メンツの中では、貴重な外野守備要員として
の役割も担ったんよ。
元々外野が鉄壁な西武では左の代打の一人(他には広橋とか苫篠とか)に過ぎなか
ったけど。
そんなザル外野について、当時巨人ファンから緒方とともに熊工コンビとして期待され
ていた井上真二がモノにならなかったのがなあ・・・との嘆きも聞いたり。 >>892
消化試合っていうのはあれでなかなか哀愁漂うというか味わい深いものがあるんだが、
あんな20試合くらいの消化試合は飽き飽きした 今なら優勝やCS関係なくなったチームだと自軍他軍問わず引退試合をぶっこみまくるが当時はまだ春にやる流れが残っていたからそれもなかった 優勝決定したら中継を打ち切るのに、この年はそれすらやらなかった。 優勝決定が早すぎて、
中継打ち切りしなかったってパターンなのよね
今とは隔世の感 日本シリーズで巨人が惨敗した伏線は、何だったんだろうか。
槇原を1戦目に持ってくる判断は疑問がある。
9月8日に優勝決定後、投手陣は調子を落としていたりとかしたのかな。 東海テレビ21時前のドラゴンズtodayは早々とあすの天気に変わっていたが。 >>899
江本の暴露本によると優勝決めた巨人の選手は祝勝会で連日連夜飲み歩いてまともな練習してなかったらしいんだが本当なんだか。 伏線というか、そもそも実力差が歴然なのに、
西武より2週間早く優勝決めて、
(これで西武より強いと錯覚した気さえする)
浮かれて飲み歩いていた上に、
投手陣の調子は落ちていたし(連動していたのかも知れんが)
要は舐めてたとしか言いようがない気がする。
05阪神と似たようなパターンちゃう つまり、讀賣が日本シリーズで惨敗したのは必然だった
ということね 当時一つでも負けたら前年の例があったから
一気に流れが変わることを恐れていたからな
西武応援してた俺も気は抜けなかったよ >>898
さすがに中継延長はなかったが、巨人優勝のちょうど翌週に、
フジが茨城県ひたちなか開催のヤクルト×大洋のデーゲーム中継していた。
本来ならカード的に中継中止対象にしたかったのだろうが、
地方開催、それも球場こけら落としということで、地元民に配慮しての中継だったのだろう。 >>900
Bになるとそこで打ち切るのが昔のあの時間
ニコニコには85年に三浦和義が逮捕された日のニュースとあがっていたが9月にはもう優勝無理だから既にオフ体制 >>889
鹿取、角、西本も移籍先で最後の花を咲かしたからなあ。少なくとも飼い殺しよりは良かったんじゃないか。角と西本に至っては藤田元司に感謝してるくらいだし。 確か優勝決定時点では、斎藤雅樹の防御率が前年に近いペースだったのが
結局最終的には2点を超えてしまったんだっけか? >>908
24試合目まで
18勝4敗 防御率1.67205.0回、38自責点)
最後3試合(広島、中日、中日)
2勝1敗 防御率7.58(19.0回、16自責点) >>889
鹿取があんだけ西武で長くクローザーやるなんて、まったく計算外だった。
王監督時代の酷使でくたびれて、終わったと思ってた。
もし鹿取が外人だったら切られてそこで野球生命終わってても不思議じゃない。
ただ堀内は「今年は肩使っていないから、来年は最高じゃないか」なんて
言ってた。 日産ル・マンでポールポジション&決勝5位
日産R90CP耐久チャンピオン
スカイラインGT-Rツーリングカーチャンピオン 凡打する打席も全打席テレビに映る原
プロ野球ニュースで売った場面だけダイジェストで出る清原 >>912
これ
清原が巨人に来て「実力通りの成績」を残したのに叩かれた理由 そういえば大洋はこの年オープン戦横浜スタジアムでやれるかどうか怪しかったんだよね
2月後半に発生した大島近海の大地震で横浜でもちょっと被害出てたし >>898
それが問題になって実は翌年から打ち切りオプションを付けてる
だけど91、92、93と最後までもつれて発動しなかった
94ももう巨人が優勝してるからとフジは最終カードあたりを打ち切る計画でいて中日阪神広島は現地ローカルの録画ですまそうとしたが、あのように縺れて最後の最後の日まで中継した。
東海は最後の中日巨人を深夜録画で若手の訓練用にしようとして主力をゴルフ(中日クラウンズ?)にまわしていたが話が変わり吉村をゴルフからはずして、二戦級解説にするとこをたかまさとtssから達川を借りて全国生放送に そういえば10.8の試合、
山梨ではテレビ中継がなく、
視聴率48%だかに貢献できんかった
昭和ばりにラジオにかじりついて聞いてたなぁ >>899
逆に2002で西武が4連敗したときはどう言われていたの?
>>907
角はヤクルト、西本はオリックスでも多少なりとも活躍していたな
>>916
これパの変則プレーオフなみに皮肉すぎるよな >>918
一行目
和田のタイムリー性の当たりを仁志が好捕で、
無得点に終わったため、流れがどうのこうの
ってのは割と聞く >>899
斎藤が>>908-909のような状態だったから、初戦の登板は避けよう
ということになったんじゃないの? かといって槙原も病み上がりだったから、
あの時点なら桑田が一番調子良かった気がするけどな
とはいえそれでも勝てたかも分からんし、
せいぜい第6戦で終わってたろうw
本来伏兵の香田木田を投げさせてたら、一矢くらいは報いたかな? まあしかし香田木田宮本あたりを第1戦先発という選択肢はないしな 96年もシリーズ負けたけどこの時ほど言われてないよな 世論がオリックスに味方してたから
前年のヤクルトは勝った為にボロクソ叩かれた 長い間プロ野球見てきてるけど
日本シリーズで虚カスを応援したのはこの年だけ
それだけ西武の強さが憎たらしかったが
この年の強さは半端なかったな この年の貧弱な巨人じゃ今のソフトバンクにはやすやすとレイプされて終わりだな 去年でさえ、讀賣はソフトバンクにフルボッコだったからねw オリックスにボコられた長嶋にしろ昨年の原にしろ、
負けても相手を過大に褒め讃え、自らも力不足だとコメントしたが、
この年の藤田は捨て台詞を吐いただけで、西武に対して祝福の弁どころか、自らの負けを素直に認めなかった。
翌年からナインとの間にギクシャクした空気が流れたのも当然。 日本はいじめ国家になったもだけど気持ちはわかるが…ってやつだな
選挙でも落選してふてくされたり有権者叩いたりしたやつはもう次が無いらしいな 日本シリーズ前の下馬評はどうだったんだろうね。
「あれほど盤石投手陣で独走優勝の巨人に、負ける要素はない」
「独走で連覇の巨人>>>昨年3位の西武」
が大方だったんだろうか。 >>930
長嶋はオリックス褒めたたえてたか?
なんか力を発揮する前に負けてたみたいなことを言ってたぞ >>932
いうほど西武圧倒的有利の下馬評ではなかった
西武陣営も投打の中心の清原・渡辺久が消化試合で絶不調だった
巨人も終盤に投手陣の調子が悪かったけど西武も同じように投手陣の調子は落ち目
消化試合で好投した鈴木哲を秘密兵器として先発させようかという話もあったほど >>933
イチローを中心に素晴らしいチームに成長してる
云々のコメントを残したが
あの33-4のA岡田もロッテに祝福コメントしてるほど
藤田も西武は完成されたチーム、うちも見習いたい的なコメントが欲しがった >>932
直前の予想番組でMr.マリックが4勝3敗巨人って
予言したのを信じた俺
ファンの気持ちを踏みにじりやがってバーロウ(´・ω・`) 礼儀がなってないと、翌週テレ東のスポーツTODAY月曜スポーツ討論会で
青田と志生野が藤田ヘボ発言を批判
ダンカンも敵将として尊敬してたが正直見損なったと怒ってたりもした 藤田さんも青田だのダンカンだのに言われたくないだろうよ
前から思っていたが殿堂板にいるアンチって無駄に年を重ねている分たちわるいな
江夏とか藤田がそうだけど野球の実績じゃケチつけられないからって
何十年も前のことで毎日毎日くだらないいちゃもんつけてて怖い >>932
当時大学生だったけど、
仲間内の巨人ファンの嫌な奴も「西武に勝つ要素はない!(キリッ)」とイキってたよw
独走でリーグ優勝なら日本シリーズも圧勝なら苦労はないわな。 >>939
藤田アンチの長嶋シンパは、気持ち悪い奴らが多いからなぁ >>939
野村のアンチなんて
現役時代の実績は審判や記録員に金を渡して作り上げてもらった捏造記録
とか堂々と言ってのけるからな
人格的にはそら褒められた人物じゃないが >>941
教祖(?)が性悪だと、信者どもまでもが右へ倣えとばかりに
性悪になってしまうのかしらねw >>940
江川と掛布は西武日本一論を曲げなかった
山下大輔はどちらが勝っても4勝0敗と大胆予想
結果は当たった >>939
>江夏とか藤田がそうだけど野球の実績じゃケチつけられないからって
江夏は覚醒剤、藤田平は監督解任に反発して籠城
現役時代の実績に泥を塗る行為で失望したな >>940
独走といってもレベルの低いセ・リーグで対抗馬の中日、広島がコケてくれた中での独走だからな
独走したことで自分たちは強いと勘違いしてしまった それはロッテにスイープされた05年の岡田阪神にも言えるな >>939
>>945
藤田の実績というけれど、1981首位打者獲得も相手の篠塚を敬遠しまくったり、
結膜炎と理由を付けて欠場したりと、決して褒められたものではない しかし生え抜き唯一の2000本安打という素晴らしい実績を残しているがな >>950
それには異論はないが、監督解任通告での「そんな話(クビ)は聞いていない」
ありゃないよな・・・ >>930
「監督がへぼだから負けました」だったよね?
他にも原のフライ落球について「こっちは平凡なフライを落とすなんて...」と。
「西武の強さは想像をはるかに超えるものだった」と言っておけば、問題なかったんだろうか。 「ヘボだから負けた」は自らの負けを認めた様な気もするが、
相手を讃える表現ではないわね
相手を讃えると、自分たちは永久に勝てない印象を植え付けるから、
意図的に言わなかった・・・なんてこともないか・・・
祝勝会の潮崎とかのはしゃぎっぷり見れば、
讃える気にもなれんかも知れんがw 何で相手を讃えなきゃいけないんだよ
少年ジャンプかよ >>953
「西武は完成された素晴らしいチーム」
「悔しいが完全に力負け」
「脱帽に尽きる」
これくらい無難なコメントをしていればね。 「私だって寝ないで采配したのにひどい、日本はイジメ国家になったもんだ、イヤなら巨人を観るなよ!たかがファンが」
これまで言ったらどうなるか 藤田は慕う選手も多いし2度も巨人を立て直した功労者であることは間違いないが
長嶋一次政権時は川上と一緒に長嶋采配をせせら笑っていた立場でもあった オリックス神戸移転決定。
結局根付けず大阪にまた移転。根なし草。 >>961
今じゃ、合宿所も二軍の本拠地も全て大阪府にあるからね そして、日本シリーズでパリーグ優勝チームにフルボッコされるわけですねw 次スレ立てる時はPart.じゃなくてPartにしてください(.は不要) ダイエーがゴセージを獲ったのは今でいうキンブレルが来た様なモンだな
三宅一生デザインのユニフォーム、宇崎竜童作曲の応援歌、立木義浩撮影のファンブック、
極めつけによこトピア後の百道浜に福岡ドーム建設と話題作りの為のお金の使い方がバブルだったな
DeNAの南場はこれを真似して布袋寅泰に応援歌を作曲依頼したりしている ソフバンはシリーズで3勝したら次の試合の監督を田淵にするルール作れよ ついでに大石バッテリーコーチと杉本投手コーチを呼ばないと やはり田淵時代は今となっては黒歴史なんだろうか
特に一年目 本人もいい思い出は皆無だろうし
球団としても何の意図も感じられない道楽人事でしかなかったからなあ >>968-971
田淵にとっては忘れてしまいたい時期だろうね 「新人の当たり年」
大豊作と言われるドラフトは、やはり68年と89年になるだろう。後のスター選手が勢揃いしただけでなく、入団1年目から即戦力として働いた選手が
多かった事も共通している。ルーキーイヤーに主戦選手として活躍したのも68年組が9人、89年組が10人を数えた。
違った点といえば、68年組では新人王を獲った22本塁打の阪神・田淵幸一と21本塁打のロッテ・有藤通世を筆頭に12本塁打、40打点の
広島・山本浩二、125試合出場の中日・島谷金二、大下剛史を二塁に追いやり122試合で遊撃を守った東映・大橋穣といった野手陣が多く、投手では
18勝の東映・金田留広、規定投球回未満ながら9勝を挙げたアトムズ・藤原真、チーム最多登板で8勝の中日・星野仙一くらいだった。それに対し
89年組ではタイトル総なめの近鉄・野茂英雄と中日・与田剛の新人王コンビに、先発リリーフ兼用で13勝17Sの広島・佐々岡真司、リリーフのみで
100イニングを投げ15SPの西武・潮崎哲也、防御率リーグ4位のロッテ・小宮山悟と投手が多く、野手はゴールデングラブ受賞のヤクルト・古田敦也
と近鉄・石井浩郎のみだった所ではなかったか。
プリンスホテルから25歳でのドラフト3位入団だった石井の初出場は5月、プロ初安打は6月と出遅れたが7月4日にプロ初アーチを放つと7月9本、
8月8本の一発を打って強力な近鉄打線の一員となった。三塁手と一塁手をこなしながら、22本塁打を放ち期待に応えた。
投手での即戦力といえば日本ハムの左腕、酒井光次郎は4月から働いてパ・リーグでは他に野茂だけという新人2ケタ勝利を挙げた。プロ初先発で
いきなり完投勝利、前半戦は全球団から1勝ずつの5勝、後半戦では8月に4完投3完封で4連勝して防御率0.25の成績で文句無しの月間MVPに
輝いた。近大時代80回3分の1イニング連続無失点の記録は伊達ではなく、シーズン3完封は同僚の松浦宏明、オリックス・山沖之彦と並びリーグ
最多タイだった。
日本ハムではドラフト6位入団の有倉雅史も印象的な働きぶりだった。6月19日、3点ビハインドの6回途中から最後まで無失点で投げ切ると9回味方
打線の逆転サヨナラで初星、4日後も6回無失点の好救援後にまたも逆転サヨナラで2勝目といった内容で、7月は先発での勝利、シーズン最終戦
では初完投で4勝無敗の成績で終え将来を嘱望されている投手の一人に加えられていた。
セ・リーグでも前述の与田、佐々岡以外に後の主力となった選手が多くいたが、ルーキーイヤーでの活躍と言えばヤクルト・西村龍次が酒井同様年間
先発ローテーションを守り10の勝ち星を得た。とはいっても当初は抑え役で1勝1Sの西村、開幕10試合もしないうちに先発転向、先発初勝利は
5被弾しての初完投だったが、1−0の完封も2度するなどコンスタントに勝ち星を稼いだ。球団では高野光以来の新人2ケタ勝利だったが、尚且つ
勝ち越しで終えたのは61年の森滝義巳と西村の2人だけだった。
90年シーズンは新人王だけならず特別表彰を受けた選手も3人いたが、それでも表彰には漏れて“記憶より記録”に残せた選手が多かった文字通り、
新人の当たり年となった。 (了) 山内孝と山内和が犬猿の仲とは知らずにキャンプ同室にしたらしいね この年の巨人は、今年のJ1でいえば川崎フロンターレみたいなものだったのか? >>977
向かうところ敵なしで完全独走してるし、リーグの歴史に名を刻むくらいの勝率(勝ち点ペース)を残そうとしてるからな >>977
ちょっと待て
それだと、フロンターレにも落とし穴が待っているかのようだなw この年の今日、ドーム球場としては初の試合中止
という出来事があった
(中日が台風のため東京へ移動できず) >>981
19:00から巨人の前半戦振り返り
19:30からのびっくり人間みたいな傘番組が面白かった記憶がある この年の今日、讀賣が独走状態でリーグ優勝を果たす
しかし、日本シリーズで西武に木っ端微塵にされるw そして、勝ち運を前倒しで使ったせいなのか、翌年はBクラスに沈むw >>987
謚墓焔髯」蟠ゥ螢翫→謐墓焔縺悟燕蟷エ繝悶Ξ繧、繧ッ縺励◆譚醍伐縺碁ァ�岼縺ァ蜷牙次縺ィ菴オ逕ィ縺ィ縺九 >>987
投手陣崩壊と捕手が前年ブレイクした村田が駄目で吉原と併用とか。
何故か986が文字化けした。 江川が西武のクリーンアップのホームラン数見て かなうわけがないみたいなこと何度も繰り返してた 外野のレベルが違いすぎ
あきゃま、平野に対し、原クロ吉村とか河原の早朝野球かよ そんな現スレも、もうすぐ1000になろうとしている この7年の間に当時の球界のスタッフにもいろいろ変化があったなあ
清原とか野村とか星野とか金田とか 清原はこの歳首位打者を取れないかったのが後々まで響いた このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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