1993年のプロ野球
日テレ中継で試合後のダイジェストで流れるBGMが凄くカッコよかった
また聞いてみたい ZIGGYのstay goldね
今聞いても良い曲だと思う シゲヲ「熱く〜熱く〜信じていたい〜」
皇太子ご成婚当日発売だったな この頃には使われなくなってたかも知れんが、
スポーツ行進曲とかいうタイトルの曲が好きだったなぁ。
公式戦でも使われてたんかなぁ、何か日本シリーズのときに、
よく聞こえてきた様な印象なんだが。 この年はペナントレースよりも
プロ野球vsJリーグみたいな雰囲気もあったな 田村藤夫ってベストナインとゴールデングラブ賞とってたんだな 1992奇跡の二位阪神
オフに松永←→野田のトレード
三塁手オマリーが一塁にコンバート
一塁パチョレックがレフトにコンバート
八木新庄亀山の俊足好守の外野トリオの崩壊
野田の後釜として計算していた嶋尾の故障
松永の阪神コーチ批判、挙げ句の果てに1993にFA
2002まで、暗黒まっしぐらのきっかけ作ったような年だったな >>436
全てはあのトレードから始まったわけか。 まぁパチョレックは元々レフトとファースト兼任だったからな >>428
夕陽を背に受ける高津のガッツポーズが懐かしい。
他球団を震え上がらせた西武時代がついに終わった感が半端なかった。 あの日本シリーズは覚えてる
王者西武打倒はセリーグの悲願だったから デストラーデが抜けてAKに凋落の兆しが見えた
西武黄金期の終わりの始まりかな。 JリーグにはハマらなかったけどW杯予選の日本代表には燃えたな
同時期にやってた日本シリーズがちゃちく思えたな 鈴木健は第4戦で飯田の超絶バックホームにより阻止されたり、
第7戦では高津から三振を奪われ最後の打者となるなど、当時からヤクルトに縁があった。 http://youtu.be/oaigNFKXPds?t=5m52s
http://youtu.be/NH3xcRf6R2E?t=3m7s
日本シリーズ第7戦、川崎の豪速球をレフトスタンドに叩き込む姿も、高津に手玉に取られて三振する姿も、
とにかく絵になってカッコよかった清原… >>446
前年の日本シリーズ第7戦で石井丈の飛球を取れなかったからな。 前田江藤ブラウンのクリーンアップは悪くなかったんだがな エース(佐々岡)が5勝17敗じゃ、最下位も致し方ないかも。 >>444
そういえば、ドーハの悲劇も10月下旬だったんだよな。 >>453
次の日のニュースで日本シリーズが全然話題になんなかったからサッカーが大嫌いになった >>454
B'zの愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない、裸足の女神が200万近く売り、更にそれ以上に売れたのがチャゲアスのYAH YAH YAHだった。
娯楽の洪水のような年だった。 >>455
jポップはその頃興味なかったな
Dr.dreとか聴いてた スーファミ全盛期
100万本売れたソフトがこの年だけで7つくらいあった気がする 初代パワプロは次の年の発売だがデータは93年のもの。 >>458
93年と94年度版
亀山が走肩守AAAだった
送球は今の選手なんかと比較しても
全然うまいな ABAAA
BABBA
CACAB
BBDBB
EBAAA
EAEED この年から西武が日本一になれなくなって
2002年あたりまで日本シリーズはセ優勢の流れ 秋山→ダイエー
工藤→ダイエー
石毛→ダイエー
清原→巨人
辻→ヤクルト
デストラーデ→マーリンズ 日シリで胴上げされた野村、ユニフォームを
引っ張られて、ピンクのトランクスが見えて
しまってた。 さすがにもう大昔だよ
俺ももうハゲ山努になっちゃった
亀山なんか40過ぎて凄いフサフサだよな。
40過ぎたらデブよりハゲのがみっともないよ。 >>467
日本の野球選手ってフサフサ多いよな
メジャーは薄いのがほとんどなのに 白人はハゲやすいらしいね
ハゲてることが珍しくないこともあって、
それでからかわれたり、気に病んだりする概念もあまりないらしい
外国に産まれたかったお(´・ω・`) 今中 山本昌 野村
最多勝が3人ってこの年ぐらいかな >>470
1988 渡辺久、西崎、松浦
1998 西口、武田、黒木 93年と88年は両リーグで最多勝が5人もいたんだよね >>473
93年:山本昌・今中・野村・野茂・野田
88年:伊東・小野・渡辺久・西崎・松浦
だったんだよな。 >>467-469
日本のプロ野球選手の引退後のフサ率は一般平均より高そうだよな
原、大魔神、工藤とかな
海外は20代のメジャーリーガーでもスキンが一定数いる
楽天の外人助っ人、AJやマギー、ユーキリスなんか30代でスキンに近かったのに 昔は、ずっと帽子やヘルメットを被るからハゲやすいとか言われてたけど
現役中にハゲた有名どころはせいぜい衣笠とか倉持ぐらいか 投手なら佐野とか渡辺久信もだな
現役だと青柳が将来有望 ナベQは現役時代でもハゲてたんか・・・
ダリルストロベリーとかは、昔からスキンだったけど、
彼はハゲだったんじゃなくて、単にスキンヘッドにしていた
・・・のだと俺は信じている・・・ 93年はすでにはた目でわかるくらいハゲ進行してたな ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け投資家フェイクニュース 宇野選手が前の走者を追い越しましたので、アウトにします >>485
正直、何で出てるの? そんな雰囲気だった(ファン投票選出だったが) 宇野はロッテ移籍で地元千葉に凱旋だったしその影響かもね 横浜、巨人、ダイエー、日本ハムとユニフォームを変えた球団が意外に多い 巨人のチームジャンパーでリバーシブルになってて黄色とかあったよね? あれはダサかった。 そもそも黄色って阪神のイメージカラーだしなあ
もし阪神がオレンジの入ったジャンパーなんか使ったら
大勢のトラキチから苦情が殺到するぞ 福岡ドーム竣工前ってことで、ダイエー主催のオープン戦が平和台でも開催。
巨人戦が日テレ系で中継されたけど、平和台ではこの1試合だけだっけ? この年と翌年あたりまでの長嶋野村の遺恨試合は面白かった 新庄が色物でなく、
普通に恰好よかった。
とにかく新鮮でワクワクした。
どんだけやるのか?と思っていた。 「過渡期」
在任5年目の広島・山本浩二監督が打撃コーチの水谷実雄と共に辞意を表明したのが9月16日、まだ32試合が残っていた時だった。勿論順位が
決まっていない状況だったが、辞任の引き金となったのが8月末にあった25年ぶり12連敗の屈辱だった。2年前に引退した津田恒実を亡くした
真夏の頃から親友の星野仙一に「辞め時かも・・・」と漏らしていたという山本だが、盟友の居ないグラウンドで今ひとつ燃えなかったのか星野が
中日を退団してからの2年間はチームの成績を落としていた。それだけに、現役から数えても自身一度も経験の無かった12連敗は堪えた。
8月29日の対巨人戦で引き分けてから突然の大型連敗だった。12連敗中は得点より失点が33点も上回ったが、9連敗目から4試合全てで1点差
だったのを含めた6試合の1点差負け、先発投手が責任投手になったのも9度あるなど投手陣も持ちこたえられなかった。負け方も阪神に5点差を
ひっくり返された試合、ヤクルト・山田勉にリーグタイの16三振を喫する完封負け、中日打線からの6発被弾、守護神・大野豊の救援失敗と色々
あって、勝てない期間は17日間に及んだ。連敗前には借金持ちながら首位・ヤクルトと8ゲーム差の3位だったが、連敗後は3位・阪神とだけでも
6差の最下位にまで沈んだ。新人・鈴木健の完封で連敗を止めた後も10勝21敗と低空飛行したチームは、9月19日以降は一度も5位に浮上
出来ないまま19年ぶり最下位で閉幕した。
かつて投手王国といわれた主力が軒並みピーク年齢を過ぎて徐々に力が落ちてきていたが、91年の優勝で新世代への移行が遅れた。球団新の
開幕6連勝で始まり5月3日で貯金9、下旬までは首位争いをしていたが、一年を乗り切る投手力が無かった。長打力に欠けていた分、江藤智や
前田智徳に代表される大幅な切り替えが出来た打線とは裏腹に、投手では中堅クラスに差し掛かった望月秀通、秋村謙宏、近藤芳久が中継ぎで
奮闘しただけで、鈴木と佐藤剛の新人組や高橋英樹、山崎健らの若手が結果を出せなかった。それらをリードしてきた達川光男が、前年に引退
したのも響いた。
低迷の原因は球友の死や投壊だけでなく、優勝を置き土産にして91年オフに大下剛史が退団したのもあった。売り物の盗塁と犠打が大きく減少、
盗塁数は前年より42個も減っていたが、なにより盗塁企図数自体が91年から148、131、88と大幅減少していた。
12連敗した翌日での山本の辞意表明だが、2日後に二軍監督・三村敏之が次期監督を受諾、そのまた3日後には組閣も含めた新体制発表と
球団の動きが実に速かった点を思えば、山本は親友だけでなく既に球団にも結果次第での辞任を伝えてあるほど情熱が早い段階で薄れていた事が
采配にも表れていた。 (了) 今年は冷夏で稲作がヤヴァイらしいな…(´・ω・`) 9月の東京ドーム巨ヤ戦で金森が橋本清から受けたデッドボールにマジギレして乱闘勃発。
巻き添え喰らった堀内コーチ、ユニフォーム破られ眼鏡も壊され御難だった。 あの時の堀内のボロボロっぷりは乱闘にかこつけて
普段の恨みを晴らされたような感じがして正直笑ってしまった >>490
その4つのユニフォームはマイナーチェンジはあったけど
結構長く使用されていたな どうも今年の金本阪神がこの年の高木中日と
そっくりな動きしてんな…
巨人の不振を突いて2位にいるし… ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 日経ビジネスの敗軍の将、兵を語るに山本浩二が登場していた >>503
阪神は巨人が低迷してるときが優勝チャンスだから
今年なんて優勝しとかなきゃならんのだがなー
これでまた当分優勝は先送りだな 連覇チームがリベンジに挑む
野党が選挙でめちゃくちゃな野合をする
天気の悪い夏、とりわけ九州東北被害 >>508
それって、来年(4年ぶりに)讀賣が優勝するということか?
勘弁してくれよw 巨人、15年ぶりの優勝!
みたいなのがあってもいいんじゃね?
その間はナベツネがブチ切れない程度に優勝争いだけしとけば >>27-28
04と11は梨田監督が辞めるという共通事項あるんだよな…
しかも前年は鷹1位、猫2位で阪神がaクラスというのも… >>511-512
あと15年後だったら、ナベシネだって100歳は超えているから
さすがに黄泉の国に行ってるだろうw ヤクルト・伊藤智仁のルーキーイヤー
優勝は手にしたけど、その代償として多くの故障に見舞われる… すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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2CELT >>510
それだと、今年は讀賣が優勝する番か?
そんな暗黙の了解なんかいらないw この試合だったと思うのですが、
http://2689web.com/1993/KM/KM21.html
野茂投手がマックス選手の打球を側頭部に受けて千葉市内の病院に救急搬送されたのですよね。
打球を受けた場所が場所だけに、ここで野茂投手の今シーズンは終了、
下手をすれば命にかかわると思っていたのですが・・・
診断結果は頭蓋骨がずれただけで命に別条はないという。
そして、その後3連勝、しかも最後は中2日での先発で最多勝をもぎ取るなんて、タフすぎます。
シーズン終了後のプロ野球コンベンションで、
インタビューを求められた際に「まだ頭の骨がずれたますので」と言っていたのが印象的でした。
しかし、野茂投手、本当にタフな選手でした。 あー、ニュースとしては記憶にあるねぇ
報知新聞取ってたけど、一面がその記事だった様な。
この年の巨人は、9月終わりにはお寒いニュースしかなかったからなw >>524
でもその頃、松井が覚醒しだしたから楽しかったよ 広島は酉年との相性は悪いジンクス
93、05は最下位
17は優勝したがCSで… マーリンズが誕生した年でもあるんだな
ハフやサンティアゴ、ホフマン、後に近鉄に来るアキーノや前年まで西武のデストラーデもいた 「最多浪人記録」
91年頃を初めとした大相撲の若貴フィーバー、F1ブーム、92年5月に発足の全容を発表したサッカーJリーグといった日本スポーツの多様化から、
“野球離れ”が囁かれていた。しかし、91年と92年のプロ野球が人気低下するほどの内容かといえば、共に西武日本一の結果とはいえ近鉄との
激戦だったパ・リーグと、2年とも混戦のセ・リーグの戦いを見ても決して退屈するものではなく、日本シリーズは2年連続で7戦までもつれる大接戦
だった。野球人気について球界関係者が焦っていたといわれたが、その間巨人は4位と2位で92年の2位も前半の低迷が目立つ戦いぶり、即ち
当時の野球人気低下は巨人人気の低下といった時代だった。
読売グループにとって人気復活の切り札は長嶋茂雄だった。巨人の不振に加えて、91年には長嶋復帰に反対していた務台光雄の死去があり準備の
流れは着々と進んではいた。前年に続き優勝を逃した巨人は92年に10月7日に全日程終了、その翌日に長嶋の復帰が球団から発表された。さらに
4日後の12日には、長嶋の華やかな復帰会見といった動きは実に速かった。
会場となった東京・九段のホテルには48社のマスコミに、228人の報道陣が集まった。会見で「チームで戦うキメの細かい野球」と話していた長嶋、
監督復帰までの十二浪は“最多浪人記録”だったが、その間に五輪や世界陸上など色々なスポーツに触れて幅広く知識を身に付けてきた。就任時に
掲げた「スピード&チャージ」は、そんな取材から得た「スピードこそスポーツの原点」という感想からだった。本業の野球でもゲスト解説の席で、
進塁打の重要性を熱く語って“カンピュータ”のイメージ脱却を図ってきた。マスコミはその長嶋を「充電期間で視野を広げた」「視聴率と人気アップの
救世主」「「選手が蘇り若手が育つ」などと祭り上げた。
ただ長嶋によると、復帰について「降ってわいたような話、もう来年のスケジュールは決まっていた」と吐露していた。しかも第一次政権時の川上哲治
ほどでは無いにせよ、二回目も前任者の藤田元司が二度の監督生活7年間でリーグ優勝4回、日本一2回の実績を挙げていた事が長嶋には重圧と
して重くのしかかっていた。長嶋にとって謙虚に神妙にスタートするはずだった第二次政権を、周囲の鳴り止まない賛辞が戸惑いを与え発進を
微妙に遅らせた。 (了)