「致命的試合」

1993年、セントラルの優勝を争ったヤクルトと中日。この両チームが戦ったカードにおいて、8月18日の18回戦から最終戦までの10試合は
“首位攻防”といわれる激闘を見せた。10戦のうち1点差以内の試合が5つ、2点差試合も3つ。延長戦3試合にサヨナラも4試合と接戦続き。
とはいえ8月18日現在では、34試合目から首位を走り貯金を二桁に乗せていたヤクルトに対し、7月までAクラス争いで8月5日に2位に浮上
したばかりで貯金も3つという中日。この時はまだ首位攻防というよりヤクルトへの挑戦権を得られるかという構図だった。そこからハイレベルな
マッチレースを両軍が演出した。

燕と竜の後半10戦は、中日が7勝2敗1分けと大きく勝ち越す結果となった。2勝、2勝1分け、2勝1敗とヤクルトが優勝濃厚となっていた
最後の2試合以外、全てのカードで中日が勝ち越した。特に地元ナゴヤの6試合で5勝1分けと負け無し、逆転優勝へ向け意地を見せた。
8月18日時点での5ゲーム差を直接対決でちょうど0まで縮めた計算になるが、中日にとっては同じ中身でも「7勝」より「2敗1分け」の内容が
天王山以外に大きく影響した。
「1分け」は9月2日、延長15回裏にクリーンアップが無死満塁から内藤尚行に三者三振を喫して語り草となった試合だが、もっと痛かったのは
エース今中慎二が完投勝利目前の九回二死で池山隆寛に浴びた同点本塁打の方と言ってもよかった。
「2敗」にいたっては、どちらもサヨナラで両方とも後半戦から抑えに専念していた郭源治で落とした試合だった。特に0.5差で23日ぶり首位を
奪回するチャンスだった9月25日の試合は、5回と8回に二度のビハインドを追いつき、ベンチも郭を含む8投手を継ぎ込み野手も総動員
しながらの敗戦だけに大きかった。

天下を分けた引き分けに、総力戦の末のサヨナラ負け、首位決戦以外にも7点差を大逆転された9月5日の阪神戦といい、後半戦40勝22敗の
中日にとって致命的な試合が多く10月の戦いに影を落とした。高木守道監督は「勝負所での脆さが出て優勝を逃してしまった」と振り返ったが、
当時は高木もまさか翌年また、大一番の最終戦で“致命的どころじゃない試合”をするとは露ほども思わなかっただろう。 (了)