「豊作」

川上憲伸、高橋由伸ら4人がハイレベルな新人王争いを演じたのは98年。その翌年もまた、セ・リーグの新人は豊作だった。その背景には、逆指名
での入団によって気持ち良くプレーできた選手もいた事はあったが、もし巨人・上原浩治の超人的活躍が無かったら前年同様に新人王の選考に
困っていたところだった。

上原と共に巨人に入団した二岡智宏は近大時代に数々の記録を作った即戦力遊撃手、18本塁打51打点の強打で川相昌弘をサブに追いやった。
他球団の遊撃手と比べても遜色ない成績で、川相よりも劣るといわれた守備面でも9失策に留めるくらい無難だった。それまで広岡達朗、黒江透修、
河埜和正、そして川相といった過去を見ても球団史上珍しい攻撃型遊撃手の誕生だった。
二岡と同郷で高校まで同窓生だった阪神・福原忍は、この年就任した野村克也監督の下で前半は中継ぎ、後半は故障離脱したベン・リベラに代わり
抑えと年間通して投げ続けた。チーム事情による登板環境もあって防御率は4点台だったが、リリーフのみでチームトップの10勝を挙げた。
7球団競合ドラフトから3年の月日を経て中日に入団した福留孝介は、攻撃型二番打者として主に活躍した。欠場はわずか3試合で、打撃3部門
でも二岡に負けない数字を叩き出した。しかし両リーグワーストの19失策とリーグ最多の121三振で粗さも露呈した福留、日本シリーズでも第3戦と
第5戦で致命的な適時失策を犯した。
福留と同じく中日の11年ぶり優勝に貢献した岩瀬仁紀は、春季キャンプの段階では投手コーチ・山田久志から「これは使えん、使えてせいぜい
ワンポイント」と酷評されていた。しかし山田がフォーム改造などマンツーマンで指導して制球難を克服、両リーグ最多タイの65試合に登板して
防御率1点台で10勝(2敗)を挙げ、最優秀中継ぎ賞に輝くセットアッパーとなった。

上原を含めたこの5人が99年だけでなく、長きに渡って活躍した所からも豊作ドラフトであるのが窺える。中でも岩瀬、上原、福留は40代になった
2017年現在でも現役を続けている。前年の98年は十分過ぎるほどの大豊作だが、こと選手生命の長さでいえば第一線で活躍している期間も
含めて99年の方が、より豊作だったと言えたのではないか。 (了)