意外な起用・守備位置・打順・登板2
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意外な起用方法や守備位置や打順、先発や中継ぎ登板した選手について語るスレです セカンド原、落合、藤本博
9番村田、8番高橋由
07日シリ第5戦の9回岩瀬 一番センター高山
12球団一下手で出塁率3割ちょいで足も速くない 巨人時代の広沢がサード守ってたことあったよな
何年かは覚えてないけど で、次の年はサード清原&レフトマルティネスwwwwwwwwwwwwwww >>722-723
レフトマルティネスとかは知ってたけどコレは初めて知ったわ
とんでもないことしてたんだな 98年の巨人は二岡が入団前。川相の衰え、ダンカン外れ。元木は便利屋とはいえ、スタミナ不足。仁志も二塁三塁を兼任。石井や広沢を三塁に置かざるを得ない状況だった。外野は、清水、松井、高橋と強力だったが・・・ >>722-726
そりゃもう、当時の讀賣の監督と言えば
あのお方だからねw
セオリーも何もあったもんじゃないw ノムも意外とサードを軽視するところがあった
ミューレンとか浜中とかペレスとか ノムのヤクルト初年度にも広澤サード守ってた記憶がある デーブ大久保が引退って時に「もったいない、ウチならサードで使う」とか言ってた 阪急梶本とか六番ファーストとかありそうだな。鈴木も梶本も60年代までは、出場試合数>>>登板数の年度や、外野内野の出場試合がありました
梶本鈴木は代打出場試合が
あったかな?
>>593
> 鈴木啓示、投手としては6番が最上位
> 偵察メンバーで3番はルーキーの年、
> 1966年8月14日対阪急戦第2の1試合のみ 一番バース あれは逆にプレッシャーかけたかな
でも一番で挑まないと逆に後悔したかな? 西本監督時代に梶本は三番ファーストで起用されたと近藤唯之の本で読んだね >>734
5/12- 東 東京1 ● 1--6 8衆樹資宏 5岡嶋博治 1*梶本隆夫 7中田昌宏 9*杉山光平 2岡村浩二 3*戸口天従 4永井進 6本屋敷錦吾
5/12= 東 東京2 ● 1--6 8衆樹資宏 5岡嶋博治 3*梶本隆夫 7中田昌宏 9*杉山光平 2岡村浩二 4永井進 6本屋敷錦吾 1米田哲也 >>734
この試合だな
http://2689web.com/1963/FB/FB10.html
梶本は完封負けを免れるタイムリーを放っている。
ちなみにこれはダブルヘッダーの第2試合だが、第1試合はこちら
http://2689web.com/1963/FB/FB9.html
梶本は「3番投手」で先発するも援護もなく完投負け。 スタメンデータベースを見たが、さすがに三塁広沢で遊撃ダンカンという組み合わせはなかった。三塁石井、二塁ダンカンならあったが。
1998年7月12日に偵察メンバーで三塁斎藤雅→広沢があるのが謎。相手先発は右投手なのに。 ついでに小笠原の三塁コンバートも普通に行われたのが、わりと当時は驚きだった。
それまでプロで1試合も守ってないのに、コンバートされた2003年は三塁だけを守り続けた。 デーブは西武若手時代に三塁チャレンジしてた、ファームでは出てるはず。
小笠原は社会人時代に内野経験してたという話があった。 1真弓 バッテリー以外全ポジション経験
2弘田 外野手全ポジション経験
3バース 一塁 右翼
4掛布 三塁 遊撃
5岡田 バッテリー以外全ポジション経験
6佐野 外野手全ポジション経験 一塁 三塁
7平田 内野手全ポジション経験 >>741
某サイトによると数試合ながら佐野仙好はショートもセカンドもある
さらに弘田澄男もショートもセカンドもある
バース以外全員ショート (他チームファンの印象)
打順はともかく、セカンド・マギーなんて穴だらけだと思う >>716二軍落ち
>>718さらに悪くなってる(走・攻・守の全部がマイナスw)
6番の鳥谷が出塁率が高く、レフトの中谷のほうが上手いのに金本はバカなのかwww
ショートは下手でも外野は上手い選手はいるが、レフトが下手なのにセンターwww しかし、何十年も野球見てきて今更な疑問だが、
プロ野球選手になれるぐらい素晴らしい運動能力と野球センスがあり、
かつ、まだ若い選手が、
必死に頑張っても、守備って上達できないものなんだろうか?
バッティングについては、そりゃ頑張ってもなかなかヒット打てないってのはわるが、
なんか守備は、若いうちならなんとかなるんじゃないかと思えてしまう 中村ノリの4番ショート。
3割40本打って、時にはショートの守備もしたりと、
どんだけ、攻守万能なんだよ。 2004年の日本シリーズ第7戦、8回に1イニングだけ、前日先発した松坂が連投で登板した事。
前日に8イニングも投げて、なんで?と思った。
9回胴上げ投手で投げさせるならわかるけど、謎だった。 1996〜1998年の西武ライオンズの西口。
16勝10敗1S
15勝5敗1S
13勝12敗1S
微妙にセーブを挙げている先発投手。 2009年のオリックスの金子。
11勝8敗4S
微妙にセーブを挙げている先発投手。 98年のオリックス
レフトイチロー、センター谷、ライト藤井の外野陣 >>749
一番野球の上手い(身体能力が高くセンスがある)子供がバッテリーだったりショート、上にいくにつれ淘汰されていきサードやセカンド、最終的に外野手。
学生時代から外野手専門の時点でたいしたことはない。中には赤星や福本ほどのずば抜けた俊足だからセンターはあるが。
イチローや元西武秋山や福留はプロ入り後からの外野手でも直ぐに上手くなった、もしくは最初から上手かった。 >>757
なるほどなあ。アマ時代に外野専門だった選手は、
往々にして元々守備がアレだったと
理解できました。ありがとう 赤星も二塁でセンバツ出場、大学から外野。(内野に井端らがいた)
イチローは高2甲子園は外野だったが。 打撃コーチ村田真一、捕手としては打てるほうだったけど。 阿部真宏一軍打撃コーチもだな
どうみても内野守備走塁って選手だったのに >>729
ノムはサードは取って投げるだけやから簡単でバカでもできると
セゲヲへの対抗意識丸出しのセリフを言ってたぐらいだし 川藤はウエスタンリーグで盗塁王の経験もあり、最初に一軍に上がってきた時は今の俊介や大和のような代走守備要員だった。
人気が出たのは脚の怪我で代打専門になってからだけど。 >>772
川藤は2シーズン連続でチーム最多盗塁も記録してるしね
といってもどちらも9盗塁だが
晩年のイメージと、「代走要員・川藤幸三」とがまったく結びつかないw 82年 西武永射が阪急戦先発
勝てば前期優勝マジックがでる試合で、先発の理由は
「福本さえ抑えればこの試合は勝てるから」だったらしい 後年はリリーフに回っていたから、確かに意外だよね。 >>775
福本並びに加藤英な。
当時西武に在籍していたスコアラーの祖・尾張氏がメモとして残したアドバイス
に従ったものらしい。 カープにいた打点王のロペスがダイエーに行ってサード守ってた
上手かったかどうかは知らん 野茂のリリーフ。確か日ハムの柴田がノーヒットノーランをやった試合で。 >>787
その試合生観戦してたよ
四球が多かったが三振も結構奪ってた記憶がある
つか、野茂は当初は中継ぎだった様な
近鉄繋がりでは有田が四番打ってた事無かったっけ?
あとは89年五月ごろの巨人の一番白幡ってのも印象深いな 90の野茂初勝利まで
4/10 6回自責4● 三7四7←プロ初先発
4/18 7回2/3自責7● 三12四7
4/25 中継ぎ3回自責2 三3四4
4/29 9回自責2○ 三17四2
野茂のNPB時代の救援登板は139登板中5試合
印象深い救援登板は、91年のオールスター前に西武2連戦での連投救援。
1勝1Sを挙げチームの首位折り返しに貢献。
もっとも最後は西武にひっくり返され「鞭を入れるのが早すぎた」と批判されることに
ヘタしたら、来年は「ショート大山」だってありえるぞw 昭和49年、長嶋茂雄現役最後の年だが一時期一番打者をしていた。 確か、その試合は登板した投手が全員リリーフ投手だったはず。 >>789
ブルペンからベンチに「野茂の球が唸っています」と連絡があって救援登板させたやつか >>797
現役生活の前半3分の1しか捕手として出場していなかったからね >>797
ノムさんが外野に回したのね
wikipedia見たら「あいつの打撃フォームは教科書や」と打撃は高く買っとったようで ノースリーから変化球投げさせて四球になって
ベンチに戻った秦に「何で変化球投げさせた?」と聞いたら
「なんか打ってきそうだったから」と答えてその日を境に捕手をさせなくなった
何が気に入らなかったのかは分からない >>802
何年か前に文化放送の番組で、そういう趣旨のことは話していたな
で、結果的には古田が正捕手になり、十数年に亘りその座を守ることに >>802
具体的な根拠を出すなりしない姿勢が気に入らなかったんだろ。
なんか打ってきそうって何それ?って。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
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SANCS 1992年西武 1番レフト安倍 オリックスの伊藤を得意にして
いたみたいだから 安倍は7番てイメージだよな 当時の西武だと「7番レフト」しか空いていなかったからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています