1979年のプロ野球
中畑とオチでサードの定位置争いだろ。負けた方がトレード。
中畑の方が元気を買われ起用されたんじゃなかろうか?
オチはバッティングフォームをいじられ低迷 近鉄にプレーオフで3連敗で、結果として強い阪急の終焉の年になった
まあこの時点では阪急が翌年5位まで落ちるなんて
誰も想像していなかっただろうけど あなたは40代ですか? ドーハの悲劇ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? >>334
腰痛完治の加藤英司だけが輝いていた79年 >>334
そして、2年後に上田監督が復帰することもだな。 >>337
プレーオフに負けたとは言え、年間の勝率は6割を軽く越えていたし、近鉄より上だった。山田は21勝してるし、島谷も102打点。ちなみに、MVPはマニエルだが、次点は加藤では無くて山田。 近鉄の打線が凄すぎた
打ち込まれた試合ばかり見た気がする 近鉄に負けたとはいえ、この年の阪急も十分強かったんだけど
黄金時代を支えたレギュラー陣の中で大橋とウイリアムスの
出場試合がこの年減っている。
鉄壁だった守備力の衰えが少しづつ現れていたと思う。
近鉄とのプレーオフ第3戦の決勝点は
大橋に代わってショートに入ってた井上のエラーだった。 大橋は余りにも打てなさすぎw
ウイリアムスも当時の外国人としては、今ひとつ打撃が物足りない 近鉄が前期優勝の足踏みしていた時に
山田、加藤、福本等が
栗橋、羽田等にハッパをかけたというエピソードを聞くと
同門意識のようなものがあったみたいですね。 西武の海外キャンプから、日本国内オープン戦無しは無謀にも程がある。 小林繁が、江川の生け贄にされたのは、有名だが、小林繁の登板日の相手の先発は、必ずと言っていいほど、加藤初が、生け贄として捧げら記憶がある。 ふむ
4/10 加藤初
5/3 西本
5/22 西本
6/1 加藤初
6/22 加藤初
7/8 堀内
7/27 加藤初
8/15 浅野
9/5 新浦
9先発登板中4つが加藤初先発だね >>350
サンクス。そんな、罰ゲーム以上の事をさせられて、その後も、巨人に長く在籍できたなあ。しかも、この頃、セゲヲに干され気味で、扱いも悪く。翌年のセゲヲ解任は、笑いが止まらなかっただろうなあ。 >>348
案の定、最下位に終わったもんな。
しかし、現段階での”西武ライオンズのシーズン最下位”は、後にも先にもこの年だけ。
いかに、根本さんや後に監督になる広岡さん、森さん…が良かったかということよ。 >>348
一番割りを喰ったのはマルーフとミューサーの新外国人2人かな。
日本の投手に慣れる時間すら与えられずにいきなり実戦投入で
マルーフはトップバッターとしては及第点で何とか適応できたけど、
ミューサーは案の定さっぱりダメで前期限りであえなく解雇・・・ 沿線民でよくタダ券もらってみに行ったけど
南海戦以外はまともな試合になる感じがなかったなあ 南海と西武の弱さが際立ったシーズン。しかし、3年後に日本一になる西武と、前年から20年連続のBクラス街道を行くことになる南海・ダイエー。この時点では、どちらも予想出来なかった。 数年のうちに西武の黄金時代が来ることは分からなくても仕方ないけど
南海がしばらく低迷しそうだというのはある程度予想できたと思うけどなあ
泥まみれ野球とかいってそれまで築き上げてきたものを完全にぶち壊しちゃったし しかし、広岡監督が一番警戒していたのは南海ホークスだった
曰く『あそこは投手陣がいいですからね、一番気をつけなければいけないチームですよ。』 野村退団後の南海には投壊状態の印象しか残ってないなぁ >>359
いくらなんでも、16年連続負け越しや、20年連続Bクラスの超長期低迷は予想出来ない。 しかもこの年は門田がキャンプ中にアキレス腱を断裂してシーズンの殆どを
棒に振った(終盤にやっと復帰)しな。
外国人のメイはそこそこ打ち、王天上も数字だけなら及第点な感じだったが >>363
投手陣がガタガタ。前年は4・01だったチーム防御率が4・86。飛ぶボール、圧縮バットの影響もあるが論外。開幕戦で藤田学が故障で離脱も響いた。 広岡西武後半の昭和59〜60年頃には、山内トリオに井上祐二、さらに藤本修二や加藤伸一など、戦前は投手王国予感させるに充分な布陣だった。
結果論だけで物を言ってはいけない。 この頃の南海は左投手(特に先発できるのが)がほとんど居なかった。 昭和59年頃はすでに山内新一は燃え尽きた後だし
毎年毎年投手のコマが足りないんで当時の南海をよく知ってれば
投手王国誕生なんて言葉は間違っても出てこない 広岡は若手選手が好きだったから、将来的にそうなりそうという
ニュアンスだったなら分からんでもない >>367
実際に広岡がそう発言しているのだから、それはないも何もないだろ スレチだけど昭和59年頃は藤田引退、金城と山内新一は衰えて放出が重なった時期
畠山、加藤といった高卒選手に期待しないと厳しい状況
ちょっとどころかかなり投手王国からは程遠かったと言わざるをえない
危機感から新井と山口トレードしたんだがこれがまた球史に残る失敗でなぁ… しかし井上、畠山、藤本、加藤と、デビューした頃の高卒投手達の素材は本当に素晴らしかったな >>366
広瀬監督いわく
投手不足で引退してた上田(ジージョ)を復帰させたりしたけど
他球団との差は目をおおうばかりで監督した三年間は辛いだけの日々でした、と
生え抜きで野村放出後のミスター南海と呼べる存在が
これだけ言ってしまうくらい当時のホークスは… 当時、同級生が被ってたプロ野球帽で南海だけいなかった >>373
あの恥ずかしい西武の帽子かぶってた奴いたのか 西武は移転先の所沢(埼玉県内)で球団の知名度を上げるために子供の通う学校近辺で
西武の帽子を無料配布してた。 8月に広岡の解任。
腹心の森ヘッドコーチと植村投手コーチの休養発表に
反発して。 この頃のヤクルトの家族主義はちょっと行き過ぎていて
外様に排他的な一面もあった 森と広岡はこの後も親密な関係だったのに、
西武時代の84年途中で対立して今は・・。
森が98年ぐらいに巨人監督に就任って言われた時
広岡は「森のような性格が巨人監督に合わない」って
言ったんだよな。 >>382
ファースト 片平
セカンド 河埜
サード 藤原
ショート 定岡
の内野陣は、それほど悪く無かったよ >>383
この面子はマシだったがそこから
片平トレードで放出
河埜チーム事情でポジション転々
藤原、穴吹監督就任に伴い引退してコーチ就任
定岡アキレス腱を切って引退 藤原はまだ現役続けるつもりだったが
後進に枠を空けてほしいという要望を聞き入れて引退
これが大失敗だった 山内、金城、藤田
衰えの見えた主戦投手を補おうとしてトレードに手を出し
だぶつき気味の新井を出してこの年近鉄Vの立役者山口を獲得する
が、現在でも球史に残る大損トレードとして語り継がれる 野村退団以降の南海はトレードをほとんどやらなくなった
たまにやっても失敗ばかり
なんか成功したやつあったっけ 阪急上田監督に言わせれば
「あれは『補強トレード』じゃなくて、『補弱』だ!」
さらに
「近鉄は新井で随分助かっている。南海はなぜ出したんだろうねえ…。」 片平、黒田と山下、山村も失敗でしたね。
片平は西武で有名になった。 ドラ1名取を入団一年目のシーズンオフにトレードに出してタイロン獲得
タイロンは南海で主力打者、名取は西武移籍後目立たず引退するので南海が得か?
でもタイロンも結局二年で守備難を理由にお払い箱になるんだよねえ >>392
でも山村はブレイザーのオキニ。
長年ホークスでコーチやってたし。 西武とヤクルトの開幕からの低迷。
西武は内野陣が大崩壊。
山崎の怪我欠場もあるけど、
山村、伊原、広瀬等ザルもザル。
外国人のミューサーは全く打てなかった。
守備は良かったけど。 >>395
大原もお忘れなく
新人森繁、怒りを通り越してマウンドで薄ら笑い
根本監督激怒
『オマエらはプロじゃないっ、同好会だ!』 青田昇さんのおかげでハンデ師とかしっかり勉強させてもらえた。だから今度の騒ぎでも何を今更って感じ。 やっぱり小林キャリアハイの22勝、内巨人戦8勝無敗ってのは
プロ野球ファンの胸を打った
まさにカッコいい男を地でいってた、男はグダグダ言わず仕事の結果で意思を示す的な。。 エースが獅子奮迅の大活躍、方や四番の掛布も確か48本打って
本塁打・打点の二冠獲ったんじゃなかったっけ?
それでも2位にすら滑り込めない阪珍タイガースw 実はこの年の掛布は3番が定位置。4番はラインバックとかスタントンとか竹之内だった。
あと、序盤の4月で一塁の藤田平が肉離れで離脱→重度の筋断裂と判明し、
ブレイザーの紹介でアメリカで治療・リハビリしてシーズンのほとんどを休んでた。
代役の一塁には佐野がコンバートされてた。 阪神は8月まで広島と首位争いしてたけど、
下旬の直接対決で3連敗して完全に脱落したな。
巨人もこのあたりで王が怪我で欠場していたし。
9月1日のヤクルト戦では
スイッチの柴田を含めて全員右打者を並べて神部に対したけど
2安打完封負け。 神部とか懐かしすぎる響きだなw
いぶし銀サウスポー梶間も同時期だったよな? NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者) >>171
日生藤井寺劇場は川崎球場より 狭いよ
照明が暗いし、階段は急でトイレ汚い
まあ照明暗いのは投手には有利だな >>402
小林繁 22勝9敗1セーブ 17完投 最多勝利 沢村賞
→優勝したらMVPでしょ
掛布48本塁打
これで優勝出来ないんじゃ >>141
>>138
新浦も途中まで小林より勝っていた
うまくいけば、20勝するかなと思ったが夏バテした
せっかく先発回数が増えのに、1年浪人あけで完投能力が低い江川の尻拭いに、エースが救援だから過保護特別扱いも甚だしかった
長島杉下小俣(長島の横にいた)堀内みんな安心仕切ってた
79年に限っては先発完投が期待出来たのは、新浦しかいなかったもんな
長島が四年間無茶苦茶な使い方したから、いつかは故障すると思ったよ…
新浦は後楽園で開幕投手で144 145 神宮球場でオールスターで149出してる
中日名古屋球場では最速何キロだしたかな? 8月16日時点
中日 40-35
広島 42-37
阪神 43-38
8月19日時点
広島 44-37
阪神 45-39
中日 41-37
8月23日時点
広島 46-38
阪神 47-39
この後甲子園に戻った阪神は4試合連続無得点負けで後退 >>402>>411
小川16勝、バレンティン60本塁打
で最下位のチームもありましたが… >>414-415
最多勝投手&本塁打王がいたにも関わらずチームは最下位
いつぞやのカープもそうだったなw この年、広島カープは初の日本一に輝く。
さて今年は… >>413
俺、8月17日に横浜で大洋に逆転勝ちして首位に立った試合見た。7回にギャレット同点2ラン、9回衣笠決勝タイムリー
裏に1死1、3塁のピンチを迎えたが江夏が代打田代を三振、最後の打者は覚えていないが。
これっきり首位の座を譲らなかった。 ギャレットといえば今年の巨人広島戦を見てると
未だにギャレットが打って巨人に点が入ってるのを変に感じちゃう >>402
全体の選手層は薄かった
特に抑えが皆無
先発が足りず抑えが皆無では
打線は本塁打数リーグ1位だっただけに >>400
小林繁はこの年の巨人戦の8勝無敗ばかりクローズアップされるね
同投手の80年〜83年の巨人戦成績は5勝15敗で実は巨人戦は通算で負け越している事実
はマスコミはあまり取り上げない
なんでだろ >>422
それだけ、巨人戦8勝無敗のイメージが強すぎた
ということですよ。 風船飛ばしは、まだなかったけど
甲子園ラッキー7の音楽がこの年から流れてた >>816
ゲーム差0で勝率の違う3チームが並ぶのは珍しい >>396
森繁は、開幕12連敗中に喫した二度の0-1試合で、両方とも先発だな。
シーズン通算では失点と自責点の差が18もある。似たようなイニング投げた松沼博は6。
森繁は本当にバックに足を引っ張られまくったのだろうな。 8月16・17・22・23日とゲーム差ゼロに迫りながら結局一度も単独首位に立てなかったタイガース 今夜みたいなイライラする試合を名試合に書いた山際は神