金田ってインチキ無しだと何勝なの?
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ってか、今からでも遅くないからソッチをオフィシャルに白。 インチキとか言い始めたら勝利数自体が胡散臭くなるからやめとけ ちゃんと検証されてるのか怪しいけど
リリーフ勝利にしても負けてる状態から登板して
逆転勝利も多かったという話を聞くぞ インチキだとは思わないけど。
シーズンを通じて先発に抑えにフル稼働だなんて大変だよ。
リリーフだってワンポイントではなくてロングだからね。
ダルビッシュはスピットボーラーだからインチキの固まりだけどね。 リリーフ勝利の大部分は、勝ち星強奪だから、
先発の268勝とリリーフ勝の半分ぐらいで、330〜340勝ぐらいが正味の勝ち星なんじゃね? 米田のほうが実質、勝ち星が多いという人はいるなあ。 そもそも何で先発投手は5イニング投げないと勝ち投手になれないんだろう? 500勝は知らんが、別所との大喧嘩が始まってたのは間違いあるまい 強奪ってのは、定義するならせいぜい「勝ってる試合の5回から登板」限定でしょ。
負けてる試合で登板なら、国鉄の貧打を考えれば強奪にはならない。
勝ち試合の5回からなんて、そんなのは僅かしかなかったと思うよ。 少なくとも400勝目は城之内から強奪だな。
4回城之内
5回金田
勝ち金田
川上も悩んだだろうな。 南原がよくANNでインチキ400勝投手って馬鹿にしてたねw 04年に出たベースボールマガジンの記録本で金田の全登板記録
が載ってたが、国鉄時代に勝ち星盗んだ軌跡は見受けられなかったけどな 国鉄に移籍してきた豊田も金田のあまりのわがままぶりには呆れ、
ある投手に「おまえ、何勝ぐらいとられた?」と聞いたら「50ぐらいですかね」と。
監督そっちのけで勝手にマウンド上がっていくのも日常茶飯事だったらしい。 通算投球回と通算勝利数ってあんまり順位変わらんのよな
でもって通算投球回2位の米田とは400回、10位の稲尾とは約1000回も差がある
それを鑑みれば仮にインチキがあったとしても金田の功績に対して極端に数字が減るってことはないと思うんよな 当時の国鉄のカネヤン以外の選手が野手陣を含めて「俺達」だらけの中での350勝は賞賛に値する。 昭和35年10月1日付毎日新聞より
記録をあせった金田の態度@
20勝をねらう国鉄の金田投手は対中日25回戦の試合開始直後から入念な
ウォームアップでリリーフのチャンスをねらっていた。ところが国鉄の先発
島谷は好調で、登板のチャンスがおとずれない。五回表も島谷が投手板に
進んでいく。これをみた金田はブルペンで投げるのをやめて持ったボールを
地面にたたきつけ、ダッグアウトの方へもどりながら投手板へ行くような
そぶりも数回みせた。しかもダッグアウトに入ってからも座らず立ち上がった
ままじっと投手板の方をみつめている。いかにも「オレを出さなければ・・・」
といったデモンストレーションめいたゼスチュアは不快の念を与えた。
20勝に対する情熱はわかるが、若い投手が好投しているのだから、むしろ
これを助けてやるくらいの気持ちがほしいもの。 昭和35年10月1日付毎日新聞より
記録をあせった金田の態度A
当の金田投手は試合後「よかった、よかった」とニコニコしながら
「私が五回にとった態度は悪かったと反省している。球を投げつけるつもり
ではなかったが、出られないと思い、ついカッとしたらボールが落ちてしまった。
こんなことではいけないとは思っている。左手首が少しはれているので
調子は悪いがあと五試合しかないし、気分も盛り上がっていたので懸命に投げた」
と弁解する。また宇野監督は「金田の20勝はこの試合でなくてもできると思っていた。
島谷が調子がよかったからなおさらその気はなかったが、五回根来捕手に
聞いたところいまは調子がよいが完投はむずかしい。六、七回ごろにくずれそう
だというので思い切って代えた」と語っていた。
>>19
昭和44年10月11日付讀賣新聞より金田の話
「川上監督が、『巨人は優勝して一つの区切りをつけた。お前もつけろ』
と言ってくれ『金田に協力せい』とナインに言ってくれた。
城之内が勝利投手をあきらめてくれたし・・・。本当にワシはしあわせもんだ・・・。」 >>22
流石に一人の人間が、50勝利とられることはありえないと思うが。
釣りだよね? >>29
昔、BSでやってた「よみがえる熱球 第7集 二つの引退 昭和44年・金田と稲尾」での話。
オーバーだとは思いますがと豊田も断ってはいたけど、そういってたのはマジだよ。
右っていってたから、村田元一かなとかってに予想。
いくらあの時代でも一人から50は無理じゃね?とオレも思ったけど
一人がそういうってことは全員トータルでいったら50オーバーは確実かも? とも思った。
阪神・井川の20勝もインチキ?
何十億円もヤンキースから強奪 >>28
金田400勝は昭和44年度残り何試合で達成されたの?
>>33
124試合目で達成、残り6試合。
なお、129試合目にシリーズの調整をねらっての登板をするも
5回1/3、5自責点とイマイチでの公式戦最後のマウンド。 シーズンを通じて先発に抑えにフル回転した事が果たしてインチキなのかね? さすがに5回から好投している投手を降ろして登板というのはな。
今だったらちょっと問題になるかも。 >>19
>少なくとも400勝目は城之内から強奪だな。
>4回城之内
>5回金田
>勝ち金田
>川上も悩んだだろうな。
川上は城之内が嫌いで干して、それを金田がロッテに拾ったな。
借りを返したのかね?
城之内はロッテのスカウト時代に落合を発掘して、ロッテに貢献。
落合は78年のドラフト3位だが、この年巨人はドラフトをボイコットしていなかったら2位で落合を指名予定だった。 最晩年の400勝を達成した頃はもうよれよれって感じだが
引退したこの年でまだ36歳だったんだよな 読売移籍直後、張り切り過ぎてキャンプで怪我。
それでも防御率1位のタイトルは取ったが翌年からは完全に勤続疲労。
結局20勝を挙げる事が出来ないまま引退。
400勝達成後も本人は現役続行のつもりだったが2年契約が切れて川上に契約拒否され引退を決意 >>43
いやっ二位は本荘高の工藤だろ。
落合は3位で指名予定。
当時の報知新聞にぼいっこっとにより
指名できなくなった選手の指名順位が書いてあった。 >>45
巨人での防御率のタイトルはルール改正に助けられたな
前年から規定投球回が140と大幅に下がった
それ以前のハードルの高い規定投球回だったらこの年の金田は規定未到達扱いになるところだった
完投数でスタルヒン超えたんだし、インチキとかやめてやれwスタルヒンの完封数にもあと1に迫ったんだし。
金田正一………944登板569先発400勝298敗365完投82完封 通算防御率2.34通算WHIP1.07
鈴木啓示………703登板577先発317勝238敗340完投71完封 通算防御率3.11通算WHIP1.12
Vスタルヒン…586登板449先発303勝176敗350完投83完封 通算防御率2.09通算WHIP1.07
稲尾和久………756登板304先発276勝137敗179完投43完封 通算防御率1.98通算WHIP0.99
(スタルヒンの時代は極端に試合数が少なかったため、登板数先発数が少ない)
しかし鈴木啓示は凄いな…尚上記怪物陣で、指導者として成功した(まともな指導者だったのは)のは稲尾のみ、
スタルヒンは早死。鈴木啓示は野茂事件で評価を落とした。金田は名球会作成がな…
金田の監督時代のエピソードは良いのも悪いのも色々あるが、
金田『特にね!金田!星野!この二人に監督をやらせたら絶対ダメ!』 カネやんは日本一監督だぞ
十分成功したろ
まともかどうかはともかくw 金田正一氏「記者をソープ誘ってワシは悪く書かれなかった」 2013.02.20 16:02
http://www.news-postseven.com/archives/20130220_172227.html
プロ野球のキャンプは真っ盛り、連日各地から球春を告げるニュースが伝えられている。開幕前の大事な1か月間。
しかし血気盛んな若い選手たちが集まれば、色々な“事件”が起きるのは当然だ。
半世紀にわたるキャンプの歴史の中で、いまだ語り継がれる秘話を公開する。
遊びも控えて、ひたすら練習漬けのキャンプを送る選手は多いが、ただ闇雲に禁欲を強いてもうまくいくものではない。
元巨人の金田正一氏はロッテの監督時代、球界初(?)の“生理休暇”を導入した。
「妻帯者にはキャンプ中、10日に1回の帰宅を許可して飛行機代も出してやった。最初はテレていた選手たちも喜んで帰るようになったよ」
独身や家に帰らない選手たちには、オープン戦が始まると遠征先のソープランドを貸し切って招待した。
「2万円のところを、団体割引で1万円に値切って頼んだり、ワシが仕切っていたよ。
マスコミも一緒に誘ってやるから、番記者でワシのことを悪く書くやつはいなかったなあ」 「ワシらの頃は180kmくらいスピードが出とった」と言ったらしいね >>54
あと一言!
そんな昔に180KMなんて出るわけないだろ!
135KMが精いっぱいだ!
長嶋といい、王と言い、そんな馬鹿な言っているから日本の野球は人気でないんだ!
老いぼれ爺選手など、メジャーに挑戦している選手に比べたら足元にも及ばねえんだよ!
少しは現実を見たらどうだ? >>57
>長嶋といい、王と言い、そんな馬鹿な言っているから日本の野球は人気でないんだ!
真偽はともかく、現在人気が出ないのを長嶋とか王の言動に擦り付けてる時点で情けない。
おまえが現実を見たらどうだ? 長島や王は、「カネさんは速かったよ。145キロは出てたんじゃないかな」と現実的なことしか言わんぞ 当時の左腕で145キロ(しかも毎年300イニング投げている)なら
大したもんじゃないかな 今の金ヤンならワシは165q/h出てたと云いそうだな
若い頃は150前後は出てたかな 他の300勝投手でもリリーフで勝ってるんだから
金田が300勝以上じゃないと
他の300勝投手も怪しいってことになるけど >>58はただの馬鹿だな。俺が言いたいのはそれだけだ。
それからもう俺にレスはするなよ。 鈴木が先発多いのはリリーフ登板拒否したから。
それはそれで金田と別の意味でチームメイトの顰蹙かってた。
チームの勝利より自分のスタイルに固執してたわけだから。 かねやんは145だとして 今の基準でも左で 184センチ マックス145 コントロール良くて カーブが良く めちゃくちゃタフなら 現代野球のスペックとしても十分。 現代に通用するかは別にしてだよ。 あれだけ角度のある左で145も出たら十分に今でも通用する。
それに加えて今中レベルのカーブがあったんだろ。 勝ち星泥棒ではなく
国鉄が少ない勝ち星を確実にするためにスクランブル登板させてた側面もある
ただカネヤンにカモられてた「国鉄の」投手がいたというのは聞いたことある 今でいうセーブに相当する登板も多くて他投手の勝ち星をアシストしてたし
国鉄時代後半は若手の指導役も兼ねてたから
必ずしも他の投手から疎まれていたわけではない もし金田が居なかったら勝率2割だぞ
勝てそうな時に金田に交代して確実に勝つのは横取りでは無い
400勝50セーブ位貢献してるだろう 結成1年目のスワローズは勝率1割に満たなかったが
シーズン中にカネヤン入団してからは最下位を脱出した >>75
18勝61敗1分 .228
----金田ここから----
24勝33敗1分 .421 >>74
確かそのぐらい。先発最多勝は鈴木。
国鉄では天皇でも、川上巨人に入ってからは2番手以降で勝ちを拾うとゆう我が儘ができずに極端に勝ちが減った。(防御率を見る限りは衰えてから巨人に入ったわけではないだろうが) 実際に試合結果検証していんちき勝利数えた奴はいないのか
多分実際には10もなさそう
試合結果アップしてるサイトがあるから揃ったら数えてみるか >>76
スマン。何かの本の都市伝説を鵜呑みにしてたわ。 >>76
ルーキー年度の金田って8勝12敗で150イニングぐらいだったと思うが、
チーム60試合弱でこの成績とかマジ酷使。 >>82
巨人入団後末次の件がなければ500勝してたと豪語してる
それはむりでもまだ勝てたな
末次も因果応報で自分の目が………て事か皮肉だな >>71
先発が崩れて急遽登板とかではなく4回まで先発が0点に抑えてても
5回から交代登板したりする試合が多かったのはどうなのかなとは思った。 金田正一[81]×米田哲也[76]×小山正明[80]
「今どきの選手は甘すぎやせんか?」 >>84
だからそんな試合は実際何試合ぐらいあったんだ? 張本のセーフティバントで打率稼がせてもらって牽制死も
何十回もやった訳じゃないよね 仮に50がインチキだとしても日本トップタイだもんな
こういうの言い始めたら他の人のラッキー勝利も勘案しないといけないし結局金田さんが単独トップになると思う 400勝金田
400S岩瀬
4000安打イチロー
愛知県出身者何故これ程偉大なのか 徹子の部屋 ゲスト予定
8月10日 月曜 井上 順 68歳!若さの秘密は30歳下の彼女?
8月11日 火曜 釈 由美子 登山の喜びが繋いだ亡き父との絆
8月12日 水曜 金田正一 終戦特集(1)小2の私が見た戦争の日々
8月13日 木曜 掘北真希 終戦特集(2)秘蔵映像で語り継ぐ戦争体験
8月14日 金曜 宝田 明 終戦特集(3)銃撃され麻酔なしの手術を 名球会の金使い込んで、名球会から追放されたジジイが
プレミア12にケチつけたらしいな。 ここでボックススコアが見られるから調べられそう
http://2689.web.fc2.com/games.html
しかし三原監督時代の稲尾のほうもかなり酷いような気がするんだわ
西鉄が何点か取ってリードして2−0ぐらいになったら
3回ぐらいから稲尾とか、そういう試合がたくさんある
稲尾の責任じゃないけどね 偉大なる金田投手をインチキ呼ばわりする奴は許さん!罰として原スレへ行け!
知ってると思うが俺様がカキコしないと瀕死の状態だ!助けてやれ!原は周りの
助けがないと存在感が無くなるからな。もし金田がインチキをしたら893勝は
挙げてたな!そしたらヤクザが「893はインチキだ!」って怒鳴り込んで
くるだろうな。 400勝298敗勝率0.573 勝ちも多いが負けも多い
勝率が6割にも満たない、ただただ登板数が多いだけの印象 日米野球では、いつもメッタ打ちされてたってホント? >>95
今の西武からしたらたとえインチキ最多勝を獲得したとしても滅茶苦茶有難い投手だわ。 金田って毎年20勝してからは適度に流してたと読んだことがある。
20勝したら幾らってインセンティブみたいなのがあったのかな?
対談でたけしに「有楽町のガード下の権利をやるから年俸はこれで我慢してくれ」って言われて断った。
断ってなかったらバブルで失敗して首吊ってただろう、とか言ってた。
野球がひと段落して「あんたなら今からでもテニスで一流になれる」と石原慎太郎に言われて一瞬その気になったが
銭にならないと聞かされて一気に興味を失ったとか……
三国人嫌いの石原慎太郎が金田のファンだったとかよく分かんない人。 かねやんには「三国人」の枠内に収まりきらない人間的魅力がある。 >>103
先日なにかで読んだけど契約更改はほんとに20勝インセンティブだったようだ
端的に言うと「20勝したら年俸上げろ、そのかわり20勝できなかったら下げていいから」のような内容だったと思う
だからシーズン20勝にはこだわった 歴代RSWINベストテン[1936-2015]
1位 金田正一 55.80
実働20年 1950-1969年 400勝298敗 5526.2回 防2.34
2位 稲尾和久 55.40
実働14年 1956-1969年 276勝137敗 3599.0回 防1.98
3位 V.スタルヒン 54.60
実働22年 1939-1955年 303勝176敗 4175.1回 防2.09
4位 藤本英雄 46.40
実働13年 1942-1955年 200勝87敗 2628.1回 防1.90
5位 別所毅彦 44.45
実働17年 1942-1960年 310勝178敗 4350.2回 防2.18
6位 野口二郎 39.94
実働12年 1939-1952年 237勝139敗 3447.1回 防1.96
7位 村山実 39.78
実働14年 1959-1972年 222勝147敗 3050.1回 防2.09
8位 杉下茂 39.55
実働11年 1949-1961年 215勝123敗 2841.2回 防2.23
9位 江夏豊 38.34
実働18年 1967-1984年 206勝158敗 3196.0回 防2.49
10位 小山正明 38.03
実働21年 1953-1973年 320勝 232敗 4899.0回 防2.45 ちなみにRSWINとは
平均的な投手が同じイニングを投げた場合と比べて、投球でどれだけチームの勝利数を増やしたか
増やした勝利数は失点率と投球回から判断して算出するため、所属チームの強さにより数値に影響が出ることはありません。 昨日、読売ジャイアンツの宮崎キャンプを訪問していたOBの広岡達朗氏が、
ファームの練習を中断させて延々と選手たちを叱責する光景があったという。
その直前、同じくOBで400勝投手の金田正一氏と原辰徳監督が談笑していると、
ウォームアップを終えて近くを通りかかった内海哲也に原監督が
「この人誰か知っているか?」とたずねたのだが、
内海は「はい、金村さんです」と即答してしまったという。
さらに原監督が助け舟を出すつもりで「何勝したか知ってるか?」と聞くと、
今度は「300何勝ですよね」とさらに恥の上塗り!
しかし「300何勝」なんて中途半端な数字を答えるくらいなら、
内海も切りのいい所で「400」って応えればよかったのに、
ない頭を無理して絞るから、かえって墓穴を掘ったのだろう(笑)
内海の「300何勝」発言はカネヤンの実質勝利数を皮肉ったとしたら深いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています