【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
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>>790-791
トレードはイメージ作戦で、
チーム強化は新人発掘というのは当初からの方針だったらしい。 既にプリンスホテルで石毛や中尾を確保していたから、ゆくゆくは彼らで行こうとの方針だったのかも。
それではあまりにも露骨過ぎるからか、中尾は中日に行ったけど。 その中尾は晩年になってから西武に在籍したけど、
プロのスタートが西武だったら、一体どうなっただろう… 中尾はシーズン100試合以上出たのが81,82年だけというスぺ体質だったから、
中日に入った1年目に西武が地元の定時制に通わせて囲っていた伊東が出てきた時点で、
おそらくレギュラーの座を失ってた可能性が高かっただろうね。 スタートが西武じゃなかったことが、中尾にとっては
かえってプラスに働いたのか 中尾は徹底した内角攻めとホーム上での激しいブロックが一番の売り物となっていた捕手(無論、プロでも発揮した強肩強打振りも魅力となっていた)
だが、その代償として相手投手からの死球やホーム上でのクロスプレイでの負傷に依る故障離脱が絶えず、巨人の牧野コーチは復帰した際、山倉
捕手に「中尾の様な真似などしなくて良いから、全試合出場出来る様に準備しておけ。」と指導したと言われる。
山倉はその忠告を「忠実に」守って、巨人の正捕手を守り続けたが、その安全第一なプレイスタイルを内心物足りなく思っていたであろう藤田監督が
再度監督就任した際に(後省略) 一方、激しいプレイスタイルこそ監督好みだったが、故障の多さに対する体のケアが充分でないと判断した(と思われる)星野監督は、自身が連れてきた
投手コーチと中尾が衝突して「あの人が投手コーチで居る限り二度と捕手なんてやらない!」とまで中尾が激怒した(中尾自身がつい最近語った逸話)事
もあり、中尾以上の強肩に加え、「殴っても蹴っても壊れない」体の頑丈さを兼ね備えた中村に目を付け、ノミの脳味噌レベルだった頭脳面も合わせて、
早急に中尾以上の捕手にすべく・・・・・後は皆さん周知の通り((((;゚Д゚)))) 新球団なので全国区の選手がほしかったという理由で
根本が西武の時は田淵 ダイエーの時は秋山を獲った 田渕、野村が客寄せなのは、誰が見ても明らかだった。その一方で有望な新人をどんどん取って育成にも成功した。 >>798
中尾が衝突したコーチって、RCCで解説者をやってた池田英俊か。 >>801
星野とは明治の先輩というだけで何の接点も無かった。
当時から謎の人事だったな >>801-802
余談だが、池田が1987年に星野中日のコーチになったために
RCCは解説者が大下剛史軍曹と長谷川良平の2人だけになってカツカツになってしまって、
ラジオの二重制作にテレビ中継が重なると裏送り分にビジターの解説者も呼ばなければならなくなり、
シーズン途中から広島で飲食店を経営していた高橋里志に加わってもらう羽目になった。 【サッカーで、洗脳″】 スポーツで関心を方向転換させ、投機家を通じて、すべて我々の金庫に収める
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529980919/l50
マスレジャー、スポーツ、クイズ番組によって、自民党が国民を飼いならす! どうやら今のままで行けば阪神の陽川は巨人を拒否して大正解ということになるかもしれないな。 拒否する選手は何が何でもプロでとは思ってないだろうな
だから意中の球団以外は全て拒否 とはいえ、巨人は二軍に犯罪者養成所というイメージがついてきちゃってるから、
陽川のように拒否されるケースがまた出てくる可能性もありそうだな。 合理的に考えると、高卒で育成指名なら拒否するわ。
大学や社会人で芽が出なければどうせプロ行っても芽は出ないし。 高卒の育成指名拒否といえば、4年前に中日の指名を拒否して現在もHonda鈴鹿にいる佐藤雄偉知もそうだったけど、
佐藤ももし入団してたら今頃既にポイ捨てされてた可能性もあっただろうから、たとえ今後プロ入りできなかったとしても拒否は正解だったね。 >>802
星野は池田の投球フォームに真似してたぐらい影響を受けていて
監督就任の際自ら投手コーチの要請した 佐藤は東海大相模だからダメでもスタッフで残れたかもね。
まあそこまで配慮されるなら育成指名は逃れなかったのか…とも思うが。
昔は社会人の方が生涯収入考えるとよいとか選択肢があったが
今はプロでダメでも若ければ社会人に拾われる可能性もあるからなあ。 囲い込みで入団させてもプロテクトでは囲われなかった内海と長野 >>5
長野は出されてしまったことで待った時間込みで微妙になったな
内海はまだ高校から2年だからそれほどでもないが >>5で「正解」と言われた選手4人のうち3人が、このオフ
所属チームが変更になったな 去年巨人を戦力外になった篠原を拾わなかったハムは正解? 神部年男はなぜ巨人を拒否した??
翌年、近鉄へ・・ この時代だと突然指名も多くて会社が許してくれなかったとか、かなり実績あったみたいだし。
あとは、巨人では出番がないと考えたか。
球団側も1位以外は来てくれたらラッキーぐらいで、感触悪いと追わなかったり。
中日入りした曽田なんかも社会人で一度巨人を拒否してる。 巨人だとローテ昇格のチャンスが無いと思ったのと、所属先企業の監督の反対にあったからというのが、当時の社会人選手の入団拒否の常套理由ですわ。
翌年、都市対抗野球の優勝に貢献し(MVPにあたる橋戸賞を受賞)、晴れて監督からの許しを経てプロ入りへって経緯かと。
又、当時の社会人選手だと、近鉄の方が巨大企業だから将来も安心という考え方が普通だったようで、大の阪神ファンで近鉄からの指名を不満に思っていた
鈴木啓示も周りからは「会社大きいからエエやないか!阪神なんて比較にならんよ!」と励まされたらしい。
後の加藤初のケースが分かりやすいけど、
本人はプロ入りを熱望も、会社側が「安田(猛)と同時に投手は出せない。」とプロ側に表明し、安田のみドラフト指名で加藤は指名されず
↓
プロに行きたかった加藤はドラフトの数日後、会社に辞表を提出するも不受理となり、喧嘩別れの様な形で退社。
↓
直ちに西鉄や巨人から誘いが来たが、西鉄の方が高評価で動きも早かった事と、弱小の方が登板機会が多いと観て西鉄を選択。
と当時の社会人選手はそんな感じだった。
阪急が新人補強を社会人選手を頼ったのも、そんな点に依る所も大きい。 門田の阪急入団拒否は一応本人が「もう一年会社でプレーすると約束してた」と告白してるけど
順位への不満もそれなりにあったんじゃないかと思ってる
6位以内で少し多目に契約金積んだら入団してたのではないか 当時の下位指名って、プロ拒否でも他球団に抜け駆けされない防御策だったようにも思う。 >>823
もし阪急に入団してたらどうなってたのかな。
本人の本塁打志向と、西本監督の強打者を育てるって志向が
上手くマッチしてたらもの凄い事になってたかもしれんが
噛み合わなければまるでダメって事になったかもしれんし。 正解
袴田英利(ロッテ(高卒時)→ロッテ(大卒時)) プロ入りそのものを拒否した杉浦正則は後悔してるだろうな 山中正竹ははじめから拒否したかすでにボロボロで指名されなかったかどっちなんだろうな >>825
加藤、門田。
強打の左打者、社会人出と被る2人の新人が同一球団にいては、
揃って大打者にはなれなかったかも >>822
その加藤が最下位に落ちた長嶋巨人に呼ばれて早速4月にノーヒットノーランなどで月間MVP(当時は投打で1人)。
最下位からの優勝の試合で先発し勝利投手。巨人に15年在籍し引退。 >>832
そんな二人が後年(加藤にとっては現役ラストイヤー)、同じチームに所属するとはね 山中は体の小ささもあって、大学の松永監督が自身のいた住金入りを決めた。
監督の権限が大きく、当時の社会人は生涯で見るとプロに劣らないコースだった。
現代のように社会人でも将来の不安、プロ入りでもアマ復帰や指導者にもなれる状況だと、だいぶ違う。 鶴岡御大が息子のプロ入りを全力で阻止したのもそれが原因か 杉浦正則はかつてNHKの番組の中で
自分はプロよりアマの方が向いているからと、あっさり発言。
後悔とかいうのは周りが勝手に言っていることだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています