2005年堀内巨人
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巨人の歴史には珍しかった暗黒の2005年
開幕3連敗、その後一度も貯金を作ることが出来ずにフィニッシュ。
機動力皆無、新外国人2人もネタの領域、目の前でライバル縦じまの胴上げ
悪いことだらけだった05巨人をもう一度振り返るスレ Bクラススレがあるからそっちでよくない?
まあ阪神も暗黒時代スレがいくつかあるけど。 巨人30年周期暗黒説を確立した年か。尤も1945年は球界全体が暗黒だったが。
5位という順位以上に暗かったな。 「悪太郎」っていうくらいだから、良くも悪くも自分のやりたいように
思い切ってやるだろう、と思っていたら、周りに気を配る普通の
中間管理職のおっさんだった。
清原のハイタッチ拒否なんて、その場で殴ってやりゃよかったんだ。
そうじゃなきゃ、堀内に監督やらせた意味なんてなかったのに。
伊達 後藤光 マレンにすがるあたり暗黒としか感じられなかった
きわめつけはあの2人の外人だが 矢野が4割打ってたのに二軍落ちはさすがに酷かった。
あとはローズと清原と元木がチームをダメにした。 当時、清原があそこまでカスな奴だとは思わなかったな
そう言えば藤川にもアホなこと言ってたな
堀内もよく耐えたな、こんな奴のワガママに 清原発言をマスコミが一斉に擁護してたのに寒気を感じた ローズが3番から5番にされて怒った時に清原が
「打順なんか何番でもええやん。」ってなだめたんだよな。
その後に自分が打順を変えられると・・・ 堀内の後釜があの人になりかけたよな。
もし原じゃなくてあの人が監督になったら
06年は最下位だったかも。 >>17
2006年は、開幕ロケットダッシュ後に交流戦で失速して以後低空飛行。結局4位。 ナベツネオーナーがこうまでして
1年目優勝監督の原を切って堀内を監督にしたかった理由って何なんだろう?
...ってくらい酷かったな。
前年は火力だけは凄かったけど清原・ローズが一発屋だけになって。 04年はAクラスだったが暗黒時代の到来を予言する部分がちらほら 長いこと巨人ファンやってるが、開幕2試合を終えた時点で
最下位を覚悟したのはこの年が初めてだった 2005年の春季キャンプ見にいったときローズ、清原、元木の三人が
アップ中さぼって談笑してる姿をみて優勝はねえなと思った。
ただローズはサインしてくれたからいい人だけどね。 外野守備強化の為に獲得したキャプラーが全く駄目で
結局は清水ローズ高橋由の外野陣に ミセリはスタルヒンを越える!キャプラーはクロマティを越える!なんて言われていたのはなんだったんだ…
グーグルで検索して見つけたとか陰口叩かれたのがこいつらだっけ? ミセリとクルーンを見比べてミセリを獲ったって話だっけ 巨人ファンにとっては最悪の1年だった…もう2度とあって欲しくないなこんな暗黒時代は。 清原とペタジーニのファースト争い
ファン+マスコミは清原使え!と大ブーイング 徳光が引きとめの手紙出したのがいけなかった。
「例え控えでも巨人に残るべき」と言っても
清原程のキャリアの選手がチームにいる限り優先的に使わざるをえない。
シーズン中盤になってローズ共々、怪我か何かにかこつけて
強制的に排除してたけど。 当時は「痛みのある改革」が政治フレーズになってたが堀内は巨人に対して痛みのある改革をやったんだよ。
おいしいとこは原に持っていかれたけどそれを経て復活したし。
痛み改革だから自民に向いてるっちゃ向いてるかもしれん。 カウント間違えてボールをスタンドに放り込んだ外人いたな
あれもひょっとしたら2005年? レイサムビームは2003年だから堀内ではない
04年は残留したけど出場は無かった 絶対的抑えの確立も達成して欲しかった。
堀内が期待していた佐藤宏志も堀内時代の2年間、防御率5、6点台。 佐藤宏志は春先調子よかったけど堀内の酷使で崩れた感じ 交流戦で岩本にホームラン打たれた野間口w
それでも勝利投手になった 堀内は先発至上主義の抑え否定派だからリリーフ陣は軽視されてた感じ >>34
堀内は改革どころか、清原軍団を上長させていただけだろ。
バー堀内なんて開店休業だったらしいしw
実際に清原軍団排除の改革をしたのは、滝鼻と清武だよ。
ナベツネと三山のアホがいなくなって、まともなフロント体制になったから。 >>43
滝鼻、清武ってのは、なかなか良いよね。
清武は歴代の代表のなかで一番情熱を感じる。
なぜナベツネが原解任してまで堀内プッシュしたのかわからん ナベツネがクビにしたんじゃなくて、三山と衝突した原が
急に辞任して、慌てて次期監督を探したが、引き受けたのが
堀内しかいなかっただけ。 堀内センセイ
議員よりも学校の先生をやらせたかった
堀内が教師になったら生徒は… >>46
wikiの三山秀昭ページを見ると経緯が書いてあるね。
45と同様に思ってた19だけど
外から見るとナベツネ一極体制であり
ナベツネの選り好みで解任、建前上で人事異動とか言ってるように映ってたな。
原個人の辞任なのに何で川相のコーチの話まで浮くのか...とか。
松井をメジャーに出したり逆指名枠削ってまで
高卒1位指名寺原獲りの冒険に出たりしたのが
ナベツネには気にいらなかったのか...とか思ってみたりした。 就任当初はセンター斉藤宣之の構想だった
でもさっさと怪我して斉藤の野球人生もオワタ 矢野と亀井、2人を合わせてようやくレギュラークラス?
と思ってみたりした。 ローズがマスコミの前で「ファック、ジャイアンツ!」 こいつ、就任時の会見では薄笑いを原の隣でしていたくせに辞める時はあいつと同席させるなら会見しないとぬかした
しかもそのあと発売された週刊誌の中で「選手もコーチも謙虚さが足りない」なんて発言してる
きっと後日本当はやりたくなかった、なんてね なんぼ酷くても03年とか95年とか、その程度の成績には収まるとは思っていたがなぁ。
開幕シリーズを見て、どう考えても優勝争いはないが、
帳尻巨人魂でAクラスだけは結果的に確保するかと思っていたが、
5位は流石に予想していなかった。 最悪な年だったけど、今より個性的な選手が多かったと思う 元巨人・堀内氏死去 のニュースを見て
びっくりした。 監督賞がじゃがいもや野菜だった時代。
有力なタニマチがいないから 原時代に勝るものがあるとすれば
04年超重量打線、仁志個人の成績。
原時代でも2番としてでなく
「1番は清水を入れるけど7番辺りで
重量打線の続きで長打で盛りたててくれ」的
ニュアンスを与えていたら腐らなかったかな。
2番に入れること自体、ある程度買ってのことではあったはずだけど。 野球解説で高評を得た人が監督やっても大概が失敗している。
見る野球とやる野球はやはり違う。
堀内はコーチとして既に失敗してたからこんなものさと割りきれた。
単なるナベツネのごり押し人事だもん。 若手少なかったのがあれなんじゃないか?
阿南とか真弓みたいなやつなら勝てたかも。 巨人の元代表の三山、
今年の6月に広島テレビの社長に就任w ミセリの誤算がそのままシーズン全体で尾を引いたように思う。 新外国人の相次ぐ失敗と清原を使わなければいけない状況を考えればよく5位にとどまったとも考えられるけどな
矢野や亀井の台頭とか必ずしも嫌なことばっかりじゃなかったと思うよ 退任直前の高校生ドラフトが強烈な最後っ屁。
辻内というババを引き、さらに福井に逃げられる。 結果的にはそうなっちゃってるが、
辻内は当時の目玉をクジで引き当てた訳だから、
最後の最後に置き土産を残してくれたと思ったもんだが・・・
てか高卒で騒がれる左腕って大抵ババじゃね?
阪神の足立とかオリの川口とか燕の高井とか・・・
雄星は大丈夫そうなのかな?
ナンボ球が速くてもコントロール悪い、ノミ心臓じゃなぁ・・・
↑のメンツって、何となく似た様なタイプって印象なんだよな。
川口はビッグマウスだからノミ心臓ではないのかも知れんがw
今中とか騒がれてたのかなぁ、プロ入りしてから大成した様な印象。 開幕数試合だけで こりゃだめだと感じた まれに見る年
ミセリ爆弾は強烈すぎた 堀内の人の良さが出て逆に安心した。
指導者としては失格だけど。 三山の後の清武はいい人?と思ってたのに
この人もナベツネに追いやられると
この頃のような暗黒時代が再び...。 投打共に、選手起用がシーズンを通して一貫できなかった >>76
解説を聞いてても
辛口なようで、結構人の良さが出てるもんな。 >>74
今中は当時中日を逆指名。 巨人は細身の左腕よりがっしりした
右腕ということで川崎指名 >>79
長島派の中では
最もまともなようにも思える。
まあ監督としての手腕は最悪だったけど…
どう考えても急造内閣だしな。席だけ用意されてもどうこう出来ないだろうな。 >>83
就任の記者会見でも、急に選任されまして…てな事を言ってたし
長期展望とか、何もない状態でのドタバタ組閣だったもんな。
選手は選手で、清原なんかがチームを牛耳ってる頃だし。
カツノリを取ったのは笑えた。野村は堀内に挨拶しにいったのかなw 親父と仰ぐ長嶋茂雄の尻拭いを買って出たのでは?
巨人史上最低のダメ監督みたいな評価だけども、結果的には清原軍団(笑)を解体出来た訳だし。 今に比べたらあの頃のほうが数倍マシだった。
あの頃は清原がいたら勝てねーから仕方ないと思えたフロントが悪いが今は勝てないのがおかしい。
堀内にもう1度お願いしようや。原に比べたら数倍マシだ。
2004の話しで悪いが、堀内就任当時はこんな構想だったよな。
1 仁志(4)
2 斎藤(8)
3 二岡(6)
4 高橋由(9)
5 清原orペタ(3)
6 小久保or江藤(5)
7 ローズ(7)
8 阿部(2)
結局斎藤二岡が故障して構想崩壊。
開幕は
1 仁志(4)
2 清水(7)
3 小久保(5)
4 高橋由(9)
5 清原(3)
6 ローズ(8)
7 元木(6)
8 阿部(2) 堀内の本音は投手力を中心とした守りだが補強したのはローズと小久保だからなw 内海は、原が監督なら04年に新人王になってたはずだ。堀内のせいで1、2年目から活躍できなかった。 >>95
結果的に放出できたんだから
それはそれで良し。 確かこの年は夜中にハイライトだけ放送とかやってたはず。
もう巨人が優勝することはないって本気で思ってた。 俺もこの時は冷めた
しかし2009年にまた巨人ファンになった この年の巨人と広島はセにおいては21世紀最低レベルな5位6位だろうな
今年の阪神DeNAといい勝負 もはや悪影響しかなかった清原一派を道連れにしたことは評価できるだろ 阪神の胴上げを敵地・甲子園のベンチでじっと見つめていた巨人の選手たち
の悔しそうな表情が忘れられない 阪神の05優勝メンバーがかなり減りそうだが05巨人の選手も少なくなった
投手は内海、西村、野手なら由伸、阿部、亀井、矢野、鈴木辺りか…
東野や久保もこの頃に在籍しているが復活はあるだろうか あまりにもストレス溜まりすぎて、最後にまったく関係ない33-4で溜飲下げた巨人ファンかなりいただろうな。 >>100
終盤の直接対決を「裏天王山」と呼ぶ者さえいたw >>102
阿部「オレってひねくれ者だからさあ。いい場面なんて忘れちゃうんだよな。
で、悔しい場面は一生残ってる
プロに入り、幼い頃から野球してきて、言ってはダメなんだけど天狗だった
しかし2005年の甲子園で優勝したとき
オレ最後だった
アウトになって、とぼとぼ帰った時涙がでた
涙なんてさあ。オレの顔に似合わないのにさあ。でその晩、行き着けの居酒屋行ったら、普段巨人って野手とピッチャーって仲が悪いんだけど、何故か主力が揃ってた。参加しなさそうな由伸さんまで。みんな口々に言った。悔しいって
ところがオレってひねくれ者だからさあ。悔しいって事、今までやりましたかと。普段本気で野球しましたかと
いきなり○○さん。オレの胸ぐらつかみちょっと来いと。公園で大喧嘩した
あまりに大声だったから警察来そうになってやめたが、その後、野球ピッチャー全員で肩抱き合って大泣きした。みんな変わろうぜと。あの泣かない由伸さんまで大泣きした。みんな天狗になってた。あの時の悔しさは、優勝さらわれたとかBクラスではない
何とも言えない圧迫感や恐怖を感じた
だから日本一になっても、あの屈辱が忘れられない限り、高みは目指せる。オレってひねくれ者だからさあ」 それでも悔しさを感じられるうちに変われたことは救いだったと言える
去年のベイスなんてこの時の巨人ナインと同じレベルで悔しさを実感できてたのは
せいぜい村田と筒香ぐらいのもんだったし しかし今思えばかなり貧乏くじ引かされた監督であると思う
FA制度以降から選手乱獲したツケを全部押しつけられたイメージ。 2005年はなぜか8番にピッチャー入れて仁志が9番打たされたりしてたよな。
あと終盤は阿部がファースト守ってたけど、清原並に守備範囲が狭くて泣けた。 >>79
堀内が最初にコーチをクビになった頃の解説知らないだろw
王監督時代だったかな、采配批判は聞くに堪えなかった。
「どうでしょう、僕にはわかりません(例:あの交代が〜とか)」
嫌みったらしい結果論の批判ばかり。
その後長嶋時代にコーチやったが全く功績なく、
また解説者に天下りするたびに解説も徐々にトーンダウン。
そりゃそうだよな、偉そうなこと言えるわけ無いからw
>>91
冗談もほどほどに
堀内以下の監督なんか鈴木啓示ぐらいだろw Turn up radio 今日も聞こえるよ 敵に打たれ降りるstarter
肩を落とす不快気なHoriuchi バットを投げて怒るよRhodes
よく晴れた空の真下 僕らは屋根の下野球しました
ミスター貴賓席に呼んで先発罵倒の中knockout降板
今想う闘いの日々 負けるごとに叩かれた日々
しのぎを削った裏天王山 今なお続く今日は広島戦
ミセリが招いた救えない怒り キヨのGへのしつこい拘り
栄養費くれた暖かい読売 明日の試合も負け抜くために Turn up radio 今日も聞こえるよ 敵に打たれ降りるstarter
肩を落とす不快気なHoriuchi バットを投げて怒るよRhodes
よく晴れた空の真下 僕らは屋根の下野球しました
ミスター貴賓席に呼んで先発罵倒の中knockout降板
今想う闘いの日々 負けるごとに叩かれた日々
しのぎを削った裏天王山 今なお続く今日は広島戦
ミセリが招いた救えない怒り キヨのGへのしつこい拘り
栄養費くれた暖かい読売 明日の試合も負け抜くために 俺は大阪生まれ大阪育ち 巨人の奴は大体友達
落合とかと大体同じ 東ド中心に見てきたこの街
巨人 長嶋に そう思春期もそうそうにこれにぞっこんに
バットなら置きっぱなしてきた西武に マジ俺に迷惑かけるな本当に
だが時は経ち 今じゃ構想外 そこらじゅうの記者に煽られる半端無く
バット掴んでも マジで打てねぇ 大阪代表アベレージ最下位だ
そう 仰木さんから熱い意志預かり ノリと一緒に 天下を目指し
仲間達 親たち 仰木さんに今日も感謝して進む整った桑田ロード 交流戦の成績は良かった。
打線が上手く機能した。
パリーグ仕様のチーム。 >>120
俺も「去年6月の様に、一気に首位近くまで浮上するだろう」とか
ドヤ顔でどっかのスレに書き込んで恥さらしになったわw 「選手たちが監督の支持通りに動いてなんだろうねぇ」
「強くなるには並大抵の努力がいるけど、弱くなるってのは簡単なことなんだねぇ」
「この程度の弱いチームに負けてたら(阪神は)優勝なんぞ出来ませんからねぇ」
甲子園のTG戦での有田修三のコメントが印象的だった。 連投スマソ。支持じゃなくて指示だった。
追記すると最後の阪神2連戦は1勝すれば胴上げを見なくて済んだ。
前日も大敗でRFで解説の柴田勲が今のナインには
明日の胴上げを阻止しようと気持ちすらないという事を言ってた。
この年は阪神と中日どころか横浜にさえ6勝16敗とコテンパンに叩かれた。 この年の横浜は結構強かったもんなぁ。
今の惨状しか知らない世代だと、横浜に6勝16敗と聞くと、
断トツ最下位とか思うかもね。
Bクラスチームとは、どうにか互角に渡り合えてたのかな。
交流戦はそれなりに貯金できていた。
横浜線でまともに覚えてるのは小久保が3HRして、
マレンが完封した試合くらいかな。8月下旬くらいだった。
一方、今日にも優勝が決まりそうな今年の巨人だけど、
この当時の方が熱心に勝敗を気にしてたなぁ。
テレビ中継が減ってきた頃だったけど、ヤフー速報開いて、
「また負けてるのか・・・」と涙をぬぐいながら、得点チャンスになると、
頻繁に更新して「頑張れ頑張れ」って思ってたもんだ。
あれだけ叩かれた時代だったけど、ファンを辞めようとかは
概念にも無かったな。 自民党谷垣と堀内は似てる。崩壊した組織を立て直すという意味で。おいしい所を安部(原)に持っていかれたのも。
この二人は気が合いそうだ。 次のグレートセントラルで堀内時代のユニ復刻してほしい 堀内時代って2004年のYOMIURIロゴと2005年のYGマークのどっち? 見逃し三振したローズが、キレてバットを横に放り投げてる図とか、
ミセリが巨体を揺らしながら緩い変化球投げて炎上してる図とか、
無駄に太った清原がピアスを輝かせて打席に立ってる図しか思い浮かばない。
視聴率低迷が叫ばれながらも、なお巨人戦中継の権益確保に固執する民放各局の
巨人戦撤退を決定的にしたともいえるシーズンだった。
確かこの辺から全国ネットじゃないので全国のお茶の間に巨人戦をお届けできない
という「公益性」を理由に排除されてたテレ東の巨人戦中継が増えたはず(押し付けられた?)。 後、ベンチでヘラヘラしてる元木の図とか・・。
若さの欠片もない、淀んだ集団といった印象だった。
清原が抜けて元木が引退して、チームに蔓延した淀んだ空気が消えていった。 どう考えても強いチームとは思わなかったけど、あの打線があれば
腐っても3位くらいにはなれるモンだと思ってたわ。
前年よりは格落ちしてたけど、それでもリーグトップの180発くらい打ってたし。
たとえBクラスに甘んじていても、目の前の試合を一つでも勝とうし、
順位を一つでも上げようという気概すら感じられんかったなぁ。
5月頃の交流戦でちょっとだけ調子が良かったけど、
アレが無かったら、マジで最下位もあり得たな(。A 。) 個々の力を見るとあそこまで負けるとは思わなかったが
やはり団体競技のむずかしさ 選手がほとんど違う方向に向いて野球していたんだろう この年交流戦の成績だけは割りとよかったのだが
翌年首位で交流戦に突入したら面白いようにボコられたな
まあ2006も交流戦入る前から明らかに調子崩してたし
カモれるなんて全く思っちゃいなかったがそれでもさすがに
あれだけ負けるとは思ってなかった まあへたれたのは2006の方だよなあ
2005は最初の三連戦で完全に見限った
ただ3タテした広島もこんな勝ち方じゃ上位は無理だなと思ったな
案の定その2チームが最下位争い >>135
2006は首位独走してた頃から全然このままいけるとは感じなかったな
調子落としたって言うかそもそもなんで勝ててるのか分からない状態だった 俺は全く反対で、このまま勝率7割で優勝すんじゃね(。A 。)
とか思ってたわ・・・ 巨人は死んだふりのような暗黒から勝ち上がって優勝もあるし独走で優勝もある
どっかでターボかかるんだがこのあたりはターボ期に負けまくりだった
1989年、2000年、2012年あたりはGW明けからスピード上げた巨人の優勝でよくあるパターン。
しかし2005年、2006年はそこでクソみたいな連敗。
ここで乗せられないと本当に苦しい 2006は開幕前の下馬評も低く、コメンテーターの多くは優勝はないが最下位もないが多数だった。
それが開幕ダッシュに成功して世間も「優勝優勝」と煽り立てたもんだから、
選手達が増長いうか慢心したのが失速の原因でしょ。
富士山から西方面で活動する解説者の多くは巨人の開幕ダッシュを
「春の珍事」、「Bクラスで終わる球団によくある傾向」だの言いたい放題だった。
結果は大多数が当たったが、この時期の巨人に対する期待はないに等しく、
堀内も短期間で負け犬根性を植え付けてしまったんだなとつくづく思い知らされた。 原も堀内から引き継いだ負の遺産のせいで06年は気の毒だったな てかあの年の巨人が序盤好調だったのって
村田コーチがスパイしてたからでしょ?
それをどんでんに指摘されたとこにきて
小久保がスペって終了、って感じじゃなかった? >>141
西の解説って小松や福本や達川か
たまには当たるもんなんだな >>141
そうだったんか。
戦力的な評価はどうだったんだろう?
腐っても鯛とでも言えば良いのか、打線(のメンツ)的には、
HRだけなら相変わらず200発くらいは打てそうなオーダーじゃなかったっけ?
スンヨプ(当時は国民的って言われてたなw)、小久保、由伸、阿部、二岡、仁志。
投手陣も上原、高橋久、パウエル、工藤で50勝近くは見積もりたくなるし、
「初のまともな補強」と言われた豊田が来たでしょ。
このメンツに若手も登用して一年目で独走日本一になった原が復帰したら、
筆頭とまでは言わなくても優勝候補の一角くらいには言われても良い様な
気がするんだけどなぁ。
04年開幕前とか投手陣はともかく(Bランクくらい)、
史上最強打線で優勝候補とか雑誌に書かれてたよ 割とマジでw 開幕戦のミセリ炎上がすべてだと思うわw
あれで今年もだめだわ見たいな空気が蔓延したかも >>145
06年の開幕前優勝予想は前年覇者の阪神と中日が圧倒的で巨人はせいぜい3位が妥当との声が多かったね。
OBのなかには優勝よりもまずはチーム再建を優先する戦いをと願う発言すらあったほど。
また、堀内巨人の膿を完全に出し切れてないから連続Bクラスもありうると発言していた解説者すらいた。 2006はなんだかんだで補強は成功してるからな
スンヨプは文句なしのキャリアハイ
JPも中盤からはへたったが十分働いた
豊田は全盛期からすりゃあれだがそれは前年の成績見れば分かることで
最低限の仕事は果たしていたと思う 06年はあまりに前年までの堀内巨人のインパクトが強過ぎたんだろうw
交流戦からは前年と変わらぬ低調ぶり。「その日暮らし」的な戦い方で、
6月の後半には「来季の事を見据えた戦い方をしたほうがいい」(田淵談)
などとファンどころか評論する側にまで呆れられていた。 2005が弱すぎたから06程度の補強じゃどうにもならんかった印象があるな
交流戦で野戦病院化してたのもあるけど 阪神ファンにまで同情されるほどの弱さだった2005年の巨人。
「強いだけの阪神はいらない」といって、この年だけ巨人を応援していた阪神ファンもいたほど。
しかも横浜が謎のAクラス入り。1975年、1979年と並ぶセリーグ天変地異の年。
(ちなみにパリーグで最大の天変地異の年は西武が26年ぶりにBクラスに転落した2007年だと思う) 巨神中の1リーグ時代組が全てBクラスだった1997年も忘れずに >>141
>「Bクラスで終わる球団によくある傾向
79巨人、82広島、93広島、96横浜、06巨人、08ソフトバンク
開幕ダッシュに成功したのに終わってみたらBクラスw
79巨人(5位)、93広島と08ソフトバンク(最下位)の急落ぶりも半端じゃなかったw >>152
巨人ファンが最後に溜飲を下げたのは巨人ではなく33-4だったと言われるからな
よほど巨人でストレスたまってたんだろうな やっぱり終盤、東京ドームの地上波中継を深夜のハイライト扱いにされた事がショックだったなあ。確かにとっくに消化試合になってたけど…。せめて元木や後藤、西山の引退試合は見届けたかった。
あと、フジでやる予定だったナゴヤの中日戦をめちゃイケに差し替えられて、「今日は巨人戦ではなく、青ジャージ!」というナレーションが流れたのには悲しくも笑ってしまったw
>>122-123
有田さんも一応巨人OBなんだけどねw柴田さんもあの時は唖然としながら解説してたんだろうなあ。
>>124
あの時は本当に危機的状況だったからね。切実に応援したくなるのはよく分かる。 >>156
1997年なんか低迷しても中継があって、ヤクルト優勝の試合と裏表になったときヤクルトに勝った話もあるのに 開幕戦のミセリ炎上でダメだと悟った
開幕戦であんな負け方みたの初めて
あまりにもダメすぎた負け方 西山元木後藤に花束贈呈や胴上げがあって堀内に何もないって可哀想と思ったの俺だけ? 桑田が勝ち星なしのシーズン。それもやるきのなさ丸出しでノックアウトされるたびにニヤニヤ顔。
解説の星野1001曰く「何ですかね。あのふざけきった表情は!私が監督なら今すぐマウンド上で殴り倒します」w 誰だったっけな?巨人ОBの解説者で柴田かデーブかが、
桑田のKO二ヤケ面に対し、かなり怒り口調でコメントしてたっけな。
衣笠と板東も「やる気がないならもう引退すべき」的なことを言ってた。 そんな桑田を優先的に先発で使うんだから堀内の求心力も低下するわね 巨人低迷の象徴だとも言われていたな。桑田のアバウト投球w そんな低迷中でも由伸と阿部はなんとか上へ上へ順位が上がるよう我武者羅に一生懸命頑張ったそうだ。
ちなみに「一生懸命」「我武者羅」は桑田が「僕が一番嫌いな言葉」だと放送席で申しておりました。 >>165
4年前の巨人VSヤクルト開幕第3戦。
水野がヤクルトの若手選手に対して「レギュラー奪取するため一生懸命、我武者羅な気持ちで頑張ってほしい」と発奮の意味合いで発言。
それを桑田がああでもこうでもない発言したあげくに「僕が一番嫌いな言葉」だと言い放ったもんだから、
水野がキレて、実況アナが「まぁまぁ・・」と仲裁に入って事なき得たが、
あわや放送事故寸前だった。以降この二人の組み合わせはない。 堀内が「名選手、名監督にあらず」が明らかになった時代だったな 解説者時代は「私が監督ならこんな下手な采配しません」などと大口叩いてたけど、
実際に監督やったら意味不明な采配どころか、相手に戦法がバレバレなど素人レベルの采配しかできなかった。 まあ色々と泥沼だったな
ただあれによって「四番ばっか集めて大雑把にやっても勝てない」とチームが気付いて
再登板の原を中心に今の巨人を作り上げたことを考えれば無駄な時間ではなかったと思う 堀内にも原のように選手をバシバシ切る様な権限があれば、
数年かけてある程度くらいまえは立て直しもできたのではないかなとか思ったり。
自身の退路と共にローズや清原を実質的に切った様なモンだしね。 キャンプで居酒屋とかやって選手が誰も寄ってこなかったのには笑った。 キモ原がいなきゃもっとまともな采配してたと思うけどな。
しかし、個人的には大好きな監督だったな。
負けっぷりがいいし、ミセリとか使えねえガイジンをフロントが雇えば
しばらく晒してくれるし。
他球団ファンにとってはこんな有難い巨人の監督はいなかったな。 2005年の開幕直前「今年はうちと中日の優勝争いになる」みたいなこと言ってたよねw
最終的には「広島との最下位争い」www
終盤の直接対決は”裏天王山”と謳われたwww この頃野球始めて、テレビつけたら当たり前のように巨人戦やってたから自然と巨人ファンなった。
仁志の守備や西口のノーノー阻止した清水のホームランとかキャプラーとか
東京ドームでの日ハム戦で小久保の特大ホームランとか色々覚えてる。
みんな暗黒暗黒言ってるけど、弱いからこそ応援してた。
逆に最近は強すぎてなぁ。。。
少数派だとは思うが2005年は好きだった。 2005年2006年東京ドームや甲子園でジャイアンツがタイガースに
リードされていると
ドラゴンズファンから
「読売使えねぇな〜」
と言われていた >>179
この頃、ファンになるというのは珍しいかもね。
暗黒ってのもあるけれど、金満強奪のクセにひたすら弱いってのが、
ネタにされまくってたからなぁ。
俺は長年の巨人ファンだから
本当に苦しい時代だったけど必死に応援してたっけ。
書かれている試合は全て覚えてるわw
あんだけ弱くて2chでネタにされるのは分かってはいたけれど、
毎日の様に実況スレに通ってたなぁ。 弱い弱い言っても観客動員数今とあんま変わらんよね
まあ巨人ファンは絶対数が圧倒的だから観客動員で人気測るの無理なんだろうけど この年のロッテは33-4だけど巨人も交流戦でロッテに虐殺されまくってたよな 中畑ってDNAとか代表とか見てても、
意外とお馬鹿監督でもないんだなぁという印象。
この頃、中畑が巨人の監督をやったら、
多少は違った結果になったかも・・・?なんて
最近は思ってしまう。 そうか、このとき以来か。
たしかにこの年の横浜は強かったな。
今年のパターンとは違って普通に巨人より強かった。 >>130 >>132 >>156
05年そして06年あたりが
巨人戦というより地上波の野球中継自体(特にナイター)が
大きく変化していったからな ビビる大木 「巨人のファン感謝デーのMCとして参加したら、選手は挨拶無視&タバコ吸いまくり」
ソース ラジオ音源→ http://www.youtube.com/watch?v=DHARd-kgTW4 ホリビビANN
ファン感謝デーの進行を務める「びびる大木」
ビビる大木「おはようございます!」
後藤「どけ」(煙草に火をつけ大木に煙を吹きかける)
ビビる大木「おはようございます!」
阿部は目の前でわざと無視
続く選手達に「今日はお願いします」と挨拶をする大木
しかし見事に全員無視…。
清原「おい!こんなもん、いつまでやるんだ!」(マイクOFF状態)
ビビる大木「すいません…よろしくお願いします」
後藤&元木「清原さん、かったるいすよねぇ〜」
だるそうにする高橋由伸・・・。
終了後、「お疲れさん、今日は大変だったね。ありがとう!」
唯一、桑田投手がお礼の声を掛けてくれる。
面識のある上原投手、木佐貫投手の挨拶はあったそうです。
「ずっと巨人を応援してきて、こんなに悲しい思いをしたのは初めてです。
やっぱり「好き」でも近づき過ぎるのは良くないですね。
素顔の嫌な所を知る事がない遠くから応援するのが一番です。」
「選手到着してよろしくお願いしますって挨拶したら、
まず俺を無視したのは阿部慎之介。目が合いましたけど無視しました。
それから目もあわさない、うるせえなと言わんばかりにタバコに火をつけた後藤。
悲しいですけどジャイアンツの選手の態度の悪さってか…
巨人ファンとしてはこれ程悲しいことはない 」 「なぜ早大大学院に行った?」 清原が桑田への怒り爆発
2013年 週刊文春 http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3288
CMを見た巨人OBが清原に『ついに和解?』と聞くとこう答えたそうです。
清原『アホ。するわけないやろ。金のためや(笑)。
仲良うしゃべってるように見えるやろ。カメラの前以外では一言も話してない』 ちょうど10年前...。なんか今年の閉塞感と似てる部分はある。
末尾5の年は色々節目になってるよね。
1965 V9スタート
1975 赤ヘル旋風 長島巨人初年度最下位
1985 猛虎日本一 KKプロ野球へ
1995 頑張ろう神戸 イチローフィーバー
2005 猛虎最後の優勝(今のところ
33-4w
今年は ホークス黄金時代 原解任かな...。 東京ドームは空席が多かったな。
9月の阪神戦は1塁側までタイガースファンに占拠されてスタンドはまっ黄色だった。
酷い有り様だったなw 2005年の堀内巨人はリーグ5位に終わっただけじゃ無く
阪神に目の前でリーグ優勝を決められた事が辛く、
そして悲しかった。挙句にこの事を「こち亀」で
蒸し返されたのには腹が立った。1996年に買った
両津勘吉の超合金をぶっ壊して捨て様と真剣に考えた位。
結局壊しも捨てもしなかったけど。兎に角巨人、
早く阪神の前で優勝の胴上げを見せつけてやってくれないか?
甲子園で。 長崎だかで16−1くらいで負けた試合は屈辱的だったなぁ
時期的にも優勝どころか優勝争い、Aクラスさえも絶望的な
9月くらいだったと思ったが。
でも今より一生懸命応援してたなw 来季の首脳陣
堀内巨人でコーチだった人が多い
高田誠 2軍バッテリーコーチ
井上 2軍打撃コーチ
阿波野 3軍投手コーチ >>193
夏休みの日曜でも空席が目立ち、最終戦は何故か満員だったがその前日は半分くらいの入りで、試合開始後なのにライト指定が
楽々買えた。俺、こんなところを目指して生きてきたのかなあ、って思いになった。 >>155
関西では、「阪神ユニを着た巨人選手が日本シリーズに出た」と未だに言われている >>194
優勝決定試合も悲惨だったよな
ずーっと無抵抗で最後の最後に久保田のパスボールで1点とったのを
堀内が意地は見せたとか言ってるの聞いて殺意がわいたわ
まだ翌年の本拠地胴上げ許した試合の方が粘り見せていた分マシだった 投手出身の監督なのに投手の起用法がなってなかった
逆に打つほうは不良在庫沢山抱えていた割には上手く起用して打線は機能していた そりゃあんだけのメンバーがいれば180発も打つわなw
前年は260発近く打ったんだから、
それに比べれば不調だったという印象もある。
翌年が凄まじい貧打になった訳だが(´・ω・`) 堀内が自らの監督生命と引き換えに清原を放出した事の正しさが証明された。
清原退団後の第二期原巨人の隆盛は堀内の犠牲があってこそのものだと
野球史で長く語り継がれていくだろう。 この年の阪神ファンと中日ファンは、この年の巨人に対して、笑いが止まらなかったが、まさか、スパイス、ジョイナスの出現で、逆に笑われる事になるとは、思わなかっただろうな。 スパイスは1年目以外はそこまでひどくないし
ジョイナスを笑ったのは何も巨人だけじゃないからなあ 俺から見たら、自民党の議員なんて「人間やめますか?」のレベルだけどな >>205
スパイスは違反球騒動の余波で低迷したヤクルトがあったからな…
ジョイナスは復帰時期を間違えた可能性もあるがかといって
04辺りから復帰して堀内をアシストするのもね… >>159
原が美山にぶち切れて辞めたおかげで棚ぼたで監督になっただけだからなあ。
あの就任会見の嬉しくてたまらんみたいなニヤケた顔はイメージ的にマイナスだった。
正直堀内時代の低迷が、巨人人気の凋落に拍車をかけたような気がする。 在任期間の試合における功績は確かに芳しくなかったが、清原一派を一層したことにより、その後のチーム飛躍の基礎を整えたという点により、堀内公は再評価されるべきである >>210
>清原一派を一層したことにより
よくそれ言われるけど、辞めていく監督にそこまでの権限があったんだろうか? 一掃したのは清武で堀内は関係ないよ。
堀内最後の年にオールスター休み期間に、
堀内の解任と清原の解雇がフロントが同時に決めたんだから。 この年の巨人は、長嶋時代の負の遺産処理と、堀内の人望の無さが重なり、悲惨なことになった。
ただ、この一年があったから、第二次原政権は長期安定になった。
変に、誰かさんが復活していたら、おかしなことになっていただろうな。 2004・05年って、巨人OBである伊原が監督だったらここまで酷い事にはなってなかったのでは?
何で伊原に監督就任要請を出さなかったんだ? 阪神の優勝決定戦は例によって無抵抗試合だったのだが
久保田のワイルドピッチかなんかで1点とって
試合後堀内が「意地は見せた」とか言ってるの聞いて
ああこりゃ暫くは暗黒だなと思ったもんだが懐かしい話だ >>122
その、有田も、スパイス政権のヘッドコーチで、ただ座ってるだけと、ボロカスに言われてたなあ。 1 左 清水
2 遊 二岡
3 右 高橋
4 中 松井
5 一 小久保
6 捕 阿部
7 三 仁志
8 二 タコノリ 有田は佐々木近鉄でも酷かったけど
中村阪神でも優秀というほどでもなかったし
阪神のバッテリーコーチはロクなのがいないけど >>214
マジレスすると読売入団ではない所謂外様
実際に監督していたとしてオリックスや2度目の西武のように戦力の無いチームを率いたときは
選手ともめて成績も振るわずという結果になってる
当時の戦力バランスの悪さや人望の無さで堀内と大して変わらなかったような
コーチ向きの人なんだろうね 名選手名監督にあらずとはよく言われるが
伊原の場合は差し詰め名参謀名監督にあらずってとこか >>221
打撃コーチとしては教える達人なのに
監督としては「ベンチがアホ」言われた人もいましたな
>>222
今この日本で「それ見たことか」と
一番言う資格があるわな
まぁ議員先生にしてみれば
シャブ中と同じチームだった事すら消したい過去だろうが >>223
監督お公家さんコーチ怪童とか
西鉄時代からしたらびっくりでないの? 中西監督はプレーイングマネージャーで西鉄優勝させてるから監督として完全に無能かというと・・・?
ヤクルト時代はチーム低迷期の一番底、日ハムは過度期、阪神はブレイザー辞任後の代行
監督中西は人が好いのと決断力がないのがダメだと三原にいわれてるが受けた状況も悪いからねえ
人が好くなければそんな状況のチームの監督を受けたりしないとも言えるか 堀内は投手コーチでもダメだった
王時代は当時の球団ワーストのチーム防御率で辞任
長嶋時代は3本柱頼み 堀内が投手コーチのとき斎藤は伸び悩んだ
もっと長く居座ってたら完全に潰れてたな ちょうど長嶋監督堀内投手コーチになった93年5月の福岡ドーム横浜戦で、斎藤は肩痛を訴え降板。
この頃からルーズショルダーに悩まされる事になった。 1975年をリアルタイムで見てない世代の俺は割とマジで、この年から2006年までは巨人のプチ暗黒期じゃないかと思う
最下位になったわけではないんだがとにかく攻守にグダグダで、酷いスコアの大敗も多かった
そういえば日テレの巨人戦中継もこの時期に一気に減ったんじゃなかったっけ 誰しもがそう思っているのではないかと
もっと言うと03年から06年が暗黒期なのでは 03年から05年は投手陣の暗黒時代
01年もリーグ最下位の防御率だが翌年は新ストライクゾーンの影響で
全体的に投高打低でチーム防御率トップだったが 同じ投手出身で巨人の黄金時代を支えたエースという共通項もある
藤田さんは人格者で人望も篤かったのに、どうしてこんなに差があるんだろ。
藤田さんは怪我で苦しんだ経験があるからその違いかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています