田尾上川谷沢大島モッカ宇野中尾小松
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田尾、平野、谷沢、大島、モッカ、宇野、上川、中尾
じゃないの? 田尾・平野・谷沢・モッカ・大島・宇野・上川・中尾じゃなかった?
84年のオーダーは? 84年はあれだけ打って10勝トリオと抑えのエースがいて優勝できないとは。 打線なら84年と96年か
コールズ立浪パウエル山崎大豊がいた 82年から84年までの中日は最高に面白かったね。
中日の歴史全体で、これだけ豪快なチームカラーは無かった。
6番打者がホームラン王なんだから。
落合中日は黄金時代なんだろうけれど、
地味な職人タイプ志向の奴ばっかりでつまらない。
モッカが四番に定着したことなんてあったか。
八十二年が
田尾平野モッカ谷澤大島宇野中尾上川
で
八十四年は
田尾平野谷澤大島モッカ宇野上川中尾
じゃなかったっけ。
八十四年は横浜で毎回得点も記録したな。
アレ以降出てないはずだが。
田尾谷澤モッカ上川の四人が規定三割
谷澤〜宇野までの四人が三十発、田尾も二十発
平野も二割九分に駿足好手
中尾も規定不足ながら三割二桁
俺が見てきた中日打線史上最強だった。
投手陣も、小松、郭、孝政、都の四本柱に抑え牛島
これでも結局広島に抜かれたのは
それ以外の投手陣が弱かった事と中尾が離脱して走られまくったから。
当時既に大ベテランだった谷澤と大島も
この年が一線球の成績を残した最後の年だった。
で翌年弱点のバッテリー強化も兼ねて煩い田尾を出して
杉本大石取ったら今度は貧打になってしまった。
あとこの年江川が救宴で八連続奪三振を記録した時
ナゴ球だったし好調だったからそのバックで大量に中日の選手が守ってたな。
中尾谷澤田尾は確実。
宇野はこの頃は8月まではそんなに打てなかったから出てないはず。 平野が入ってないのは西武のイメージ強すぎるからかな>>1 この年の対巨人戦が開幕から14連勝したのを覚えています。確か、その試合で
中尾が負傷して、後半戦出場できなくったんじゃないか?代わりの捕手って
金山だったかな。
8月は宇野が15本の本塁打打ちましたね。で、本塁打王・三振王・失策王の
3冠王?でした。 14連勝目の試合は名古屋球場で、延長の末、
サヨナラ押し出し四球でしたね。
投手は角で、打者は石井でした。最後に角が突っ伏して
悔しがっていた姿はよく覚えています。
この試合は中日×巨人戦史に残る試合だったと思います。
確かNHKで延長中継がありました。 この年は強力打線で前半の勢いで優勝か?て感じでしたが、やはり中尾の
離脱が痛かった。この年の打線は強竜打線でした。チーム190本塁打・打率280
したんじゃなかったかな?
このころの中日は悪くいえば大雑把なチームのイメージです。
途中で総合力で勝る、広島に抜かれてそのまま行かれた感じでした。
最近の中日の野球は広島野球に近いので、最近の中日と当時の中日が試合すると
今の中日が勝つと思います。面白さでいえば別だけど
野武士時代の中日には面白さがあって山内監督の野球に合ったのがこの84年。
チームカラーも赤と青、野球の質も好対照でこの対比が面白かった。
評論家だった野村克也も「黄金期の西鉄のようなチームの雰囲気」と形容した。
田野倉のバント失敗の件なんかは特に山内監督らしいというか野武士の雰囲気といえました。 山内氏は選手、コーチとしては超一流、監督としての評価はやや低いけれど
魅力的なチームを作っていたと思うな。
ロッテ時代も庄司、弘田、張本、リー、レオン、有藤、落合、土肥、水上と
強力打線を組んでいた。 ロッテでの2度の前期優勝時も中日での84年も勝負所でもう一つだった。
84年は広島戦の大幅負け越しなど夏以降の首位攻防にことごとく敗れた。
“大雑把”の証拠として打率、本塁打リーグ一だったのに対し失策が105個でリーグワーストだった。 恐竜打線+宇野とモッカが失策王を争った84年が、いちばん楽しかった。
そんな豪快な野球をぶち壊したのが星野! 正岡が引退後エアロビかなんかのインストラクターになったのを
月ドラでみて衝撃を受けた記憶がある その後田尾トレード、谷澤、大島、モッカ衰え、宇野コンバート不振で直ぐに貧打になったろ。
星野になって落合加入、宇野復活、ゲーリー順応で、打力アップしたろ。 >>19
エアロビじゃなくて、中日文化センターの健康教室のインストラクター。
その後コーチ就任。 確かにこの年の中日が一番面白かった、
巨人戦14連勝もこの年だったな。 巨人戦14連勝は本当すごかった。新任監督でこれだけ差が出るかと比較された。
3ケタの失策数もあるけど投打ともに魅力のあった年で、
ハマスタでの毎回得点22点など打線のイメージが強かったけど投でも2ケタ勝利が広島と同じ4人、
「たら・れば」は禁物だが広島のように谷間の高木や津田のような投手が出てくれば
又は9月バテた牛島に加えたリリーバーがもう1枚いたら・・・なんて事を考えてしまいます。 広島・古葉監督がいつも「中日さんはいろいろやってくれますからねフフッ」と言ってたな。 >>23
壊れるほうが悪い
あの程度で壊れるようじゃ1003の愛弟子にはなれないぜ 星野氏の優勝時の主力は
彦野、立浪、ゲーリー、落合、宇野、中尾、仁村、中村、
特に注目される打線ではない。
>>29 足でかき回すというよりランナーを溜めてどんどん打って大量点を取る野球。
中尾のところには川又だったと思うが・・・・
かつてホームラン王を取った選手が2人も居る時点で強力な打線だと思う。
俺は星野監督になってから応援するのをやめたよ。
子供だったけど星野の野球が面白くないのは理解できた。
その頃大洋戦だか横浜戦だか忘れたが毎回得点をしたのを覚えてる。
最終回2アウトランナー無しまでいってあきらめてたら金山がホームランを打って
びっくりしたのを覚えてる。 金山が打つとは・・・でしたねw
これも山内監督らしいところで代打で送りだす金山(正確には先頭打者)に
「毎回得点なんて見たことないな、絶対に見せてくれよな!」
「では」と金山が一発。ただこの試合22−7という失点も何ともこの時代の中日を象徴。 相手の大洋も三回までは毎回得点だったんだよな
その後は倉田が抑えた ってことは倉田邦房が勝利投手か。初勝利だったかな?
スコア見ると3回まではたしかに7−4大洋リードですね。 中尾が最優秀選手になったの未だに信じられねえや
他に該当者いなかったのかよ 田尾がタイトルを獲っていれば文句無しだった。
モッカや都、牛島あたりも有力だったと思う。
82年は優勝できたこと自体、信じられなかった
9月ごろに、篠塚(だったかな?)のバントをホームランにされたことが
あったが、終盤の大事な試合であんなボロを出すチームが
優勝できるわけないと思ったもんだが、10月の江川攻略で流れが変わった ホームランじゃなくてエラーな。
あれこの年だっけ。
江川攻略は9月。 >>45-46
9月15日だって。
あの試合は6-6の引き分けだった記憶が。 82年9月15日は7−7の引き分け。
中日は最後の後楽園を1勝1分けで乗り切りなんとか3.5差で踏みとどまる
巨人 63勝44敗12分け 残り11
中日 52勝40敗19分け 残り19 >>45-48
バントホームランされた試合を、
引き分けで済ませたから、優勝できたんだろう。
クリーンアップがモッカ谷沢大島の団塊ベビーブーマーだったから、
競争が激しかった分、反発力を持ってた。 監督が星野落合になってから中日応援するのは止めた
強いチームを作るのは大事だけど、他所から持ってきた大物選手で勝てれても愛着はわかない
野球が楽しくなくなっちゃったよ 84年の谷沢にプロを見たね。
宇野、掛布の敬遠合戦に紛れ2試合で9打点の荒稼ぎ。 >>48
負け数差-4と残り試合+8が心の拠り所だったんだな。
やたら引き分けが多かったけど、引き分けはこの試合が最後だったね。 田尾と仲良かった(昔二人とも日進に住んでいたから)と思っていたが、実際は悪くないが良くもない関係らしい どっちも自分の成績だけが大事、って奴だから
気が合うのかも 84年は中尾の戦線離脱とともに平野の離脱も痛かった。
これで2番にポッカリ穴が空いてしまった。 84年は対広島戦の大きな負け越し(−7)に9月疲労ピークの牛島の度重なる失敗
これも響いた。 谷沢は付き合い悪そうだからな・・・
一緒に飲んでも愚痴多そうだしw 谷沢は本郷でよく見かけるよ。
こないだも奥さんらしき人と喫茶店でケーキ食ってた。
早稲田の監督やるんだぞ。 この頃の中日は2年連続Bクラスはあっても、2年連続Aクラスがなかったね。 84年は本当に見ていて爽快痛快な戦いっぷりだったね、
巨人に14連勝、大洋戦での毎回得点、江川を16球で初回KO、
東都(後楽園、神宮)で7月初旬まで無敗(後楽園では8月下旬に初黒星)…
7月の中尾ケガは何とか持ちこたえたものの、9月の平野骨折で完全に失速。
中尾、平野いずれのケガも、ナゴヤでの巨人戦。14連勝で大いに溜飲を下げたものの
最後にやられたな。
星野が監督に初就任した年に結婚した奴は全員
翌年トレードされた >>61
84年9月は、藤王並みに打つ選手がもう一人でもいたら、
優勝しただろう。 8平野 4上川 9田尾 3谷沢 5モッカ 7大島 6宇野 2中尾 1小松 >>79
このオーダーいつの?
やはり
たおひらの やざわおおしまモッカうの かみかわなかお ピッチャーこまつ
の5・7・5・7・7がおなじみだけど。
確か週刊朝日の「野村克也の目」で、ノムさんが
「田尾は1番向きではない。平野の足も2番では勿体無い。」と
平野 中尾 田尾 谷沢 モッカ 大島 宇野…というオーダーを提案してた。
>83
山内監督も1年目は良かったんだよ
暗黒時代は2年目から 84年の豪快な野球が長続きしなかったのは
尾上、藤王、栗岡らが期待通りに成長してこなかったから。
あと、87年のドラフトで立浪を獲ったのも大きい。
立浪は色々な意味でそれまでの中日のイメージを変えた。 NHKニュースでやってた谷沢東大野球部監督よかったな。
あれでマジで東大が強くなったら映画やドラマみたいで面白い。 谷沢はNPBでお呼びが掛からないから
近年はアマにシフトしてるが
正式に東大野球部監督ってマジ?
臨時コーチなら谷沢のブログにも出ていたが 谷沢ブログ、あんまりおもしろくないんだよなあ
いいこと書いてるのかもしれないけど NHKニュースでの谷沢さんの発言:
「西武で2年間コーチやったけど、あれは全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
「全然つまらなかった」
・・・wwww
>>89
こういうこと言うから、益々声がかからなくなるんだよなw スレタイメンバーの中で一番人望ありそうなのって誰だ
谷沢って契約更改の後の記者会見、毎年のように大荒れでフロントのこと口汚く罵ってよな。
あれじゃあ、監督やコーチで呼び戻す話なんて来るわけねーよ。
監督なんかやらせたらどんな球団批判するかわかんねーから。 あの時、巨人ファンだったけど、中日打線怖かったなあ。
巨人の選手の方がホームラン多いのに、、、って。
あの時はバランスや打線の繋がりについて知らなかったからね。
田尾はもちろんだけど、宇野とモッカが特に凄いと感じたね。
あの時、矢沢は故障してたのかな。あまりあの年は目立ってなかったような。。。
85 田尾西武へトレード モッカ引退
86 上川ロッテへトレード 谷沢引退
88 大島ハムへ 平野西武へトレード
93 宇野ロッテへトレード
94 小松引退(引退試合でイチローと対戦)
結局このスレタイメンバーで中日を全うしたのって小松だけだね。
100GET >>98
小松曰く「江川さんはいつも最後まで剛速球を維持できるけど、
自分は途中まで。年に何回かは最後まで球威落とさずに投げられた」
みたいな話をしていたな。
84年、中尾OUT後は金山、大河原、金田あたりが穴を埋めたんだっけ?
内田強はまだ入団前か?中尾の故障癖に手を焼いて晩年の水沼を獲得したりしてたよね。
今調べたら水沼は83の一年だけの在籍だった。 大石はリリーフ専門になった郭とよく組んでたな
地味だったけど好きだったよ リリーフキャッチャー大石だ♪ なんて歌われてたな
まあ微妙にスレの時代とは違うわな 谷沢さん、とうとう名球会も辞めたらしい。
これでますます野球界で友達減るなw 【中日】1982年、松田聖子が1番田尾に球速計測不能のドロップ。田尾は真剣に振って空振り「あれで江川君攻略のヒントが見えた」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bread/1303654158/
>>105
ソースは?
まぁ母校の特任教授や東大野球部のコーチしたりと
アマチュアの方に力入れてるし
日本の野球界はアマチュアの方が権力はあるから
谷沢みたいなタイプには寧ろ好都合だろ
ブログみててもそんな感がある タイトルには入ってないけどイメージとしてはこの時期だから
【ラグビー】プロ野球元中日投手の郭源治氏の息子、佳久創が7人制ラグビーの日本代表候補に
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1305127825/l50 源治はどうにもこの時代より星野時代のイメージが強くてなあ。
郭は泣いています…が焼き付いてるんだろうからか。
10・19さえなければもっと印象に残ったのに。 俺が嫌いなのは谷沢ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの谷沢に託し、谷沢が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない 谷沢は凡退すると脱いだメットを蹴っとばしててボールボーイがかわいそうだったな。 >117
守備力と足が一流というあの頃の中日には珍しい選手だったね。 センター前ヒットで2塁ランナーを刺殺って言うのが楽しみだった 田尾平野の1、2番コンビが無かったら・・・
おそろしいまでにむさ苦しい男の集団になっていたことであろう・・・ >>100
うちの周囲でこの頃流行ってた戯れ歌
一番田尾はタイガース〜
二番平野はライオンズ〜
三番モッカはクビになり〜
四番矢沢はフジテレビ〜
※いいぞ、がんばれ、ドラゴンズ〜
※燃〜えよドラゴンズ〜
五番大島ファイターズ〜
六番宇野はオリオンズ〜
七番上川オリオンズ〜
八番中尾はジャイアンツ〜
※くり返し 星野監督は、自分の現役時代を知っている奴は嫌なのかね。 スレタイの8人で、少なくとも現役時代は中日一筋だった人は、
谷沢、小松の2人くらいだね。
あとモッカも入れれば3人か。 好きだったのは平野大島モッカ上川かなー。
あのころのピッチャーだと都牛島郭が好きだった 落合クビ
→間違っても後任監督として名前が上がることがない男・谷沢 82
田尾 平野 モッカ 谷沢 大島 宇野 田野倉 中尾
83
平野 上川 田尾 谷沢 モッカ 大島 宇野 中尾
84
田尾 平野 谷沢 モッカ 宇野 大島 中尾 上川
85
平野 上川 谷沢 宇野 モッカ 大島 中尾
86
平野 鈴木康 谷沢 ゲーリー 大島 宇野 上川 中尾 自分も大島、宇野、平野は大好き。最後までドラゴンズにいてほしかった。平野、宇野がコーチでもどってくるのはうれしい。田尾、大島は一度監督失敗したけど、ドラゴンズでやらないかな。
毎回得点の辺りは超恐竜打線だったが
広島球場に行ったらパタッと打てなくなったな 大島はWBCのコーチで世界一になったからもういいわ
中日で監督?
みたいけど結果が怖いからいいですw 大島は嫁さんが体弱いからなー
名古屋には連れてこないんじゃね
遅くに結婚したんだし、家族大事にしてほしいわ でも大島さんはブログで
>名古屋を離れて久しくなりますが
やっぱり大島の体の中には
ドラゴンズの血が確実に流れていることを
再確認した一日となりました。
ドラゴンズ愛なのダ!
こんなことを、書いてる。コーチや監督頼まれたらやってくれそう 79:田尾、高木、井上、大島、ギャレット、ジョーンズ、木俣、宇野
80:田尾、藤波、谷沢、ジョーンズ、大島、木俣、田野倉、宇野
81:田尾、豊田、コージ、谷沢、大島、宇野、中尾、田野倉
82:田尾、平野、モッカ、谷沢、大島、宇野、中尾、上川
83:平野、上川、田尾、谷沢、モッカ、大島、宇野、中尾
84:田尾、平野、モッカ、谷沢、大島、宇野、中尾、上川
85:平野、島田、モッカ、谷沢、宇野、大島、上川、中尾
86:平野、鈴木康、川又、ゲーリー、大島、宇野、上川、中尾
87:平野、仁村、ゲーリー、落合、宇野、大島、川又、中尾
88:彦野、立浪、ゲーリー、落合、宇野、大島、川又、中村 間違えた
88:彦野、立浪、ゲーリー、落合、宇野、仁村、川又、中村
大島、契約更改で揉めて
"こんなチーム辞めてやる" には笑った。
中畑"きめうちするんですよ。それがあたらないと脆いところありましたね。"
アナウンサー"そうでしたね、"
さあ誰でしょう。 ta年の優勝を決めた試合は相手チームの無気力相撲ぶりが印象に残っている >>152>>153
監督が関根だったからなw
あの年は大洋様様だった・・ 6月6日楽天試合後の星野監督コメントに
宇野が登場したから貼っときますね。
記者:(田中は)味方のエラーもありましたが踏ん張りました。
星野:あそこへ打たせなきゃ良い。フライとか三振を取ればなんてことないんだけどね。
でもよくエラーしたな。
僕の時は宇野がショートを守ってましたからね。3つまでは許してましたね僕は。
そのくらいの気持ちにならないと育たないよ。
宇野勝 珍プレー
http://www.youtube.com/watch?v=tUHnHEgu1vQ
伝説となった宇野のヘディングは2分50秒あたり。
ちなみにこの時の投手は1001。 ヘディングじゃなくて当時はおでこキャッチって言ってなかった? この当時にもし2ちゃんねるとかがあって、且つ今みたくサッカーが盛んだったらどういうことになっていたんだろう。
宇野のプレーについてザックや本田や香川にコメントを求めに行く記者とかも居たんだろうか? 玉木正之の本にあったな
「将来日本サッカーがプロ化されたら、ヘディングのスペシャリストとして
宇野が呼ばれることは間違いないだろう」って
確か1986年頃の話 似たようなのは山本(ピーコ)や新庄もやってるんだけど、
2人とも外野手で角度的に前から飛んでくるフライだから・・・
宇野みたいにポップフライを頭で受ける選手って
未来永劫出てこないのでは・・・ 土曜の七夕の夜
石井押し出しサヨナラ四球で巨人戦14連勝 尾上らの81ドラフトは、結果から見れば悲惨だったなw
まぁ、訳のわからん選手を指名したんじゃないから、編成よりも育成の問題って感じなんだが。
しかし、尾上の伸び悩みだけは、ホント意外だったなぁ。
銚子商の先輩・宇野なんかより、遥かに実戦的な選手だと思ったが…。 今で言う野本みたいなもんかな?
リアル世代だけど正直名前以外よく覚えていない。 スレタイの>田尾上川谷沢大島モッカ宇野中尾小松
指導者 評論家業を含めた野球人としての格
モッカ>大島>上川>宇野>田尾谷沢>>小松
中尾はスカウト等フロント業なので除外した 尾上って82年の巨人とのナゴヤ決戦で四球選んだ打者のことか?
http://www.youtube.com/watch?v=JukFwDkeWq8
1:50辺りの打者が尾上
しかしナレーションで彼の名前は語られていないがw >>170
モッカはOAK時代の好成績や中日時代のことで評価されてるけど
最後に監督をつとめたブルワーズで
選手をかばわない姿勢を批判されたり、結構激情家な所を見せたり
高木監督が叩かれるのと同じ要素で選手とうまく行かず
2年とも負け越してあえなく解任されてるんだよな。
ロッテ時代のバレンタインのように激情がうまい方向に行くといいが
マスコミにとってどうでもいいようなロッテと違い
巨人様マンセー、阪神様マンセー、ヤクルトとつながりの深いフジサンケイと
中日が勝つのを望まないマスゴミがウヨウヨ居るんで
モッカの熱い言動もマスコミに捻じ曲げられて足を引っ張られる可能性が高そうだ 野武士軍団同窓会のサイン色紙が当たった
当時は牛島と中尾と大島が好きだったし、小松、宇野、平野、三沢、都と
往年の主力メンバーばかりなのでこの年齢になっても嬉しかった 谷沢の人望の無さは、福留以上だったな
契約交渉でのゴネも酷かった 俺は巨人ファンだったけど牛島が出て来たらもう駄目だと思ってた
それほどの牛島が川藤なんかに簡単に打たれてるのが不思議だった >>175
マスターズリーグやってた頃ウォーリー&近藤貞雄両御大にサイン貰うチャンスあったのに貰わなかったのを後悔してます
お二人とも鬼籍に(;_;) 4番は大島だけど大島より谷沢、モッカ、宇野の方が怖かった 82
1田尾2平野3モッカ4谷沢5大島6宇野7中尾8田野倉
83
1平野2上川3田尾4モッカ5谷沢6大島7宇野8中尾
84
1田尾2平野3谷沢4モッカ5大島6宇野7中尾8上川
85
1平野2上川3谷沢4モッカ5大島6宇野7川又8中尾
86
1平野2鈴木康3谷沢4ゲーリー5大島6中尾7上川8尾上
87
1平野2仁村3ゲーリー4落合5宇野6中尾7川又8彦野 強竜打線
1984年
1右 田尾 打率310 20本 49打点 最多安打
2中 平野 打率291 3本 31打点
3一 谷沢 打率329 34本 99打点 最多安打
4左 大島 打率280 30本 87打点
5三 モッカ 打率316 31本 93打点
6遊 宇野 打率253 37本 87打点 本塁打王
7二 上川 打率309 7本 39打点
8捕 中尾 打率322 12本 35打点 >>182
平野以外は3割もしくは30本あるいは両方
しかしその平野も30盗塁
助っ人モッカ以外は自前の選手ばかりだし、まさしく伝説の打線。
しかし優勝できなかったw >>182
でもこの中で中日で選手生活を終えた日本人は谷沢だけなんだよな
血を入れ替え過ぎだろ >>185
最早、補強じゃなくチーム自体が代わった感じだな >>183
山内和弘が指導すると打線は活性化するが何故か肝心なところで抜けたチームになるな。
プレーオフで負けたロッテ、84中日、優勝したが西武にスキを付かれた王巨人 イシイのおべんとくん〜ミートボール〜
かっとばせ〜石井! 大島は、3割30本100打点をクリアした79年が一塁手で次点。本塁打王になった83年は、外野手で38票の5位で、ベストナイン落選。記者受けが悪かったのか? 田尾の日本シリーズでの不幸なオーバーランが忘れられない この頃の中日にとって広島が天敵。破壊力では中日が上だったが、緻密な攻めの広島に、競り負けた試合が多かった。84年の3ゲーム差は、その象徴的なシーズン。 あの年は中尾がオールスター明け早々に肩を脱臼して戦線離脱したのが悔やまれる
抑えの牛島も衣笠に度々痛打を喰らっていたのが印象に残っているよ チャンスになると必ず右方向へ強烈なライナーを放ったモッカと仁村 83年は意味不明な打順が目立つ。開幕直後に2番大島が一か月近く。夏場に2番中尾が数試合。8月、9月は1番宇野。最後は、タイトル狙いで1番大島が数試合。 監督誰でしたか?
長打力のある大島2番、打率の低い長打力のある宇野1番、キャッチャー2番とか理解に苦しむ。
>>202
> 83年は意味不明な打順が目立つ。開幕直後に2番大島が一か月近く。夏場に2番中尾が数試合。8月、9月は1番宇野。最後は、タイトル狙いで1番大島が数試合。
田尾がパ・リーグの西武に移籍した時は、何故?可哀想って言われてたな…
75末江夏→南海
78末田淵→西武
当時パ・リーグの移籍は可哀想…島流しのイメージだった時代だった
谷沢は本当に今も昔も人望がない。言い方がトゲがある。
宇野や金森はおっちょこちょいで観客は愉しかったな。 83年は近藤貞雄監督。どうも、田尾3番を軸に打順を組みたかったような感じがする。右打ちの巧い中尾2番はともかく、大島は無い。宇野1番も、行き当たりばったりとしか思えない。 60年か61年だけど
大島が不振の時に1番打ってた 当時のネタキャラ 大島と宇野 (珍プレー的)
今のネタキャラ 谷沢、小松、田尾
引退後、2000年代の主力メンバーは、バカにしまくり、さらに、何故か、外様の山久やヨッシャーをリスペクトされている。 昭和59年は30本打者が4人も居て最強だった気がする 小松って星野に酷評されて最下位の年に切られた
ナゴヤドームで11位のチーム防御率では最下位になるよ >>207
派手な打ち合いには強いが、1点獲るのが下手。そのため、小技の利く広島に競り負けた。 軟投派の星野、松本、渋谷らが活躍したが
軟投派の北別府に負けた >>207>>210
それが逆になったのが落合監督時代だったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています