自民党 元京都府議(長岡京市&乙訓郡大山崎町)坪内正一 先生 言わく
「蜷川時代は暗黒時代であった」「北朝鮮や中国の様な、まさに独裁政権であった」との事。
https://twitter.com/matiumasuda_com/status/973893308433838080
(事例1)ある日 京都府職員(夫)の妻が、蜷川虎三 京都府知事と対立する自民党の選挙の応援に行った。
     その事が蜷川陣営にバレるや、京都市内に勤務していた府職員の夫は、翌日には丹後に飛ばされた。

(事例2)各種団体への府補助金を握り、支持しない団体へは補助金を出さなかった。

(事例3)蜷川や日本共産党の得票数が低かった自治体には、補助金を出さず、陳情も聞かなかった。

(事例4)坪内正一先生(長岡京市&大山崎町)や野中広務 議員(園部町)など自民議員が、
     地元の陳情で京都府庁へ行っても、府知事室前には蜷川の取り巻きが居て、
     府知事室に入る事も、蜷川知事に会う事すら出来なかった。

※そもそも蜷川虎三は、7期28年の長期政権の中で、当初は 日本社会党や民主統一戦線で初当選したが、
 徐々に日本共産党に取り込まれていってしまい、府政を共産党陣営に牛耳られる様になってしまった。

※京都府は2015年になって、ようやく舞鶴までの京都縦貫道が開通し、
 舞鶴港から高速道路で、青森から鹿児島まで繋がるインフラ整備が完成した。
 南北に長い京都府で、高速道路整備がここまで遅れたのは京都の日本共産党と蜷川虎三府政のせい。
 蜷川府政の中で、京都府のインフラ整備率は、47都道府県中 4十数位の下位に落ち込んだ。
 他方、新潟県では田中角栄の力で、関越自動車道が1985年には全線開通している。
 京都府は新潟県に比べ30年も遅れて、ようやく日本海側と繋がった。