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純粋・応用数学 5
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0001132人目の素数さん垢版2020/10/06(火) 19:16:49.32ID:ArpKO7AX
過去4回「純粋・応用数学」スレッドが立ったが
副題のガロア理論の話などちっともせず(できず)
もっぱら実数論・線型代数レベルの話に終始した

ということで、今回から、大学1〜2年の
・微分積分学
・線型代数
・ベクトル解析
・複素解析
・フーリエ解析
あたりで、論理に疎い工学部の連中が、
必ずといっていいほどけつまづくネタを
しつこく取り上げる

・純粋・応用数学(含むガロア理論)4
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1598748159/
・純粋・応用数学(含むガロア理論)3
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1595166668/
・純粋・応用数学(含むガロア理論)2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1592578498/
・純粋・応用数学
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1582599485/
0205132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:29:36.88ID:ZX9ptk7R
カール・フリードリヒ・ガウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス
([ɡaʊs];
 ドイツ語: Johann Carl Friedrich Gauß
 ラテン語: Carolus Fridericus Gauss、
 1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、
ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。
彼の研究は広範囲に及んでおり、
特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。
数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、
彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。
19世紀最大の数学者の一人であり、
18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで
数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある。
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注:ガウスが生まれた頃、「ドイツ」という国はなかった
ガウスが生まれたのは、正しくは、神聖ローマ帝国の中の
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領である
0207132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:32:02.08ID:ZX9ptk7R
1792年(15歳) - 素数定理の成立を予想
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いまどき、数学の重要な予想を行う中学生がいたらお目にかかりたい
0208132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:34:33.74ID:ZX9ptk7R
1795年(18歳) - 最小二乗法発見
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最小二乗法なんて、高校ではまだ教えないな・・・オソロシイ
0209132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:36:32.80ID:ZX9ptk7R
1796年(19歳) - 平方剰余の相互法則の証明。
        コンパスと定規のみで正十七角形を作図できることを証明
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いまどき、数学の重要な新定理を証明する大学生がいたらお目にかかりたい
0210132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:37:55.89ID:ZX9ptk7R
1799年(22歳) - 代数学の基本定理の証明
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いまどき、卒論で数学の重要な新定理を証明した大学生がいたらお目にかかりたい
0211132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:40:07.34ID:ZX9ptk7R
1801年(24歳) - 『整数論の研究』出版 複素数表記、現代整数の表記導入
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いまどき、新理論について書かれた数学書を出版する大学院生がいたらお目にかかりたい
0213132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:43:37.23ID:ZX9ptk7R
1807年(30歳) - ゲッティンゲンの天文台長になり、以後40年同職につく
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いまどき、重要な数学の研究を行う会社勤めの「数学者」がいたらお目にかかりたい
0214132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:47:21.11ID:ZX9ptk7R
1809年(32歳) - 『天体運行論』出版 最小二乗法を用いたデータ補正、正規分布
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本業の天文学者でも大したもんなのに、チャチく見えるのは気のせいか?
0215132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:48:28.71ID:ZX9ptk7R
1811年(34歳) - 複素積分、ガウス平面(複素数平面)ベッセルへの手紙
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ほんとうはもっといろいろやってるはずなんだがな・・・
0216132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:50:06.08ID:ZX9ptk7R
1827年(50歳) - 『曲面の研究』出版、微分幾何学を創始
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なんもいえねぇ・・・
0217132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:51:37.54ID:ZX9ptk7R
1855年(78歳) - ゲッティンゲンで死去
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まだ、ドイツ帝国ができる前ですね
0218132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:54:38.35ID:ZX9ptk7R
ガウスはドイツのブラウンシュヴァイクで、
煉瓦職人の親方であった父親と、慎ましい母親の下に生まれた。
両親ともに学問とは全く無縁の家庭環境で育ったにも関わらず、
彼は子供の頃から並み外れた神童ぶりを発揮していたと言われ、
下記のような小学校時代の逸話が伝わっている。

ガウスが7歳の時、算数の授業で教師が
「1から100までの数字すべてを足せ」
という問題を出し、生徒たちが問題を解くには相当な時間がかかるだろう
と考えていたが、ガウスはわずか数秒で「5050」という解答を出し、
教師を驚かせた。
1から100までの数字を足していくと、
1+100=101、2+99=101、…、50+51=101で、
101の集まりが50個できるため、101×50=5050になる
とガウスは計算したのである。
この逸話が事実であれば、ガウスは等差級数の和の公式を
わずか7歳で独自に発見していたことになる。
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こういう話を聞くと
・早期教育って小賢しいガキを作るだけ
・天才はほっといても生まれる
と思う。
0219132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 19:56:30.01ID:ZX9ptk7R
1792年頃、15歳当時の彼は、一日15分ずつの予備の時間を当てて
1000個ずつの自然数にそれぞれいくつの素数が現れるかを調べ、
その次第に減っていく様子から、約100年後に証明されることになる
素数定理を予想した。
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数学ヲタクといっていいな
0220132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:01:55.02ID:ZX9ptk7R
7歳になるとガウスは地元の小学校に入った。
ここでビュットナー校長によって算数を習うものの、
すでにガウスは習得済みであった。
このため、校長は自費でより高級な算術の教科書を
ハンブルクから取り寄せたが、すぐに読み終えてしまった。
ここで校長は「これ以上教えられることはない」と述べたようである。
そこで校長は、助手であるヨハン・バーテルスにガウスを任せることにした。
ガウスとバーテルスは共に学び、教科書を改良したり、
新しい概念を生み出すようになった。
バーテルスはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナントの
知人であり、1791年にガウスは彼に謁見して援助を受けられるようになった。
この経済的支援によって進学し、1795年にゲッティンゲン大学に行くことができた。
その後、1798年にはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領にあった
ヘルムシュテット大学へと移り、1807年に再びゲッティンゲンに移るまで
ここで過ごした。
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今でいうとこんな感じか
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/no313-0c79.html

でも飯高先生がついていながら研究テーマが
なんかショボい気がするのは気のせいか
0221132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:10:00.47ID:ZX9ptk7R
ガウスは奨学金を得て大学に進み、数々の重要な発見を行った。
彼は、古代ギリシアの数学者達に起源を持つ
定規とコンパスによる正多角形の作図問題に
正確な必要十分条件を与え、
正17角形が作図できることを発見した(1796年3月30日)。
作図できる正素数角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと
考えられていたのでこの発見は当時の数学界に衝撃を与えた。
作図できる正多角形の種類が増えたのは約二千年ぶりのことであった。
彼はこの結果を非常に喜び、この成果である正17角形を墓標に刻むように申し入れた
(結局、これは実現されなかったが、彼の記念碑には正17角形が刻まれている)。
また、この発見の日より、数学的発見を記述したガウス日記を付け始め、
また自分の将来の進路を数学者とすることに決めたといわれる
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20世紀だとトポロジストのジョン・ミルナーが
プリンストン大学の学生時代に当時の未解決問題を
解いたとかいう話がありますけどね
0222132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:13:46.19ID:ZX9ptk7R
ガウスの最も偉大な貢献は数論の分野である。
この分野だけが、その全貌ではないにしろ
ガウスの研究が体系的にまとめられて出版された。
それが1801年に発表した Disquisitiones Arithmeticae であり、
そのほとんどのページが二、三元の二次形式の研究に当てられている。
この本は、数の合同の記号を導入し合同算術の明確な表現を与え、
平方剰余の相互法則の初の完全な証明などが与えられている。
自然数の素数による一意分解の定理が明確に言明され、
証明されたのもこの本が最初であった。
また今日でいうところの円分体の理論が記述されているほか、
素数定理に対する予想が述べられている。
しかしこの本は、トップ数学者からの評価は発行当初から非常に高かったものの、
あまりにも時代を抜きん出た難解な著作であり、
その上出版社の問題から発行部数が相当低かったこともあって、
実際には当時理解できるものは限られていた。
結局それがようやく大勢に理解されるようになるのは、
約50年後にそれを詳しく解読し講義したディリクレの時代になってからである。
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20代で書いた本が、他の数学者たちに理解されるようになるのが
50年後って/(^o^)\ナンテコッタイ
0223132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:19:34.63ID:ZX9ptk7R
ガウスは発表はしなかったが、解析学の分野でも時代を先んじた研究を行っていた。
当時はまだ複素数が完全なる市民権を得ておらず、
できれば使用を避けたいという風潮のあった時代であった。
そのため、ガウスは代数学の基本定理を証明した学位論文では
誤解を避けるために虚数を表に出さず、
多項式が実数の範囲内で1次または2次の因数に分解されるとした。
そのような時代にあっても、早くから虚数への偏見から
完全に自由であったガウスは複素数の世界に深く分け入り、
数多の美しい結果を得た。
まず1797年から始まる楕円関数の最初の研究、レムニスケート関数の発見である。
そして1800年には一般楕円関数を発見し、その理論を展開した。
楕円関数の発見が世の中に最初に公表されたのは
1828年のクレレ誌上のニールス・アーベルの論文によってであるから、
ガウスがいかに時代を先んじていたかが分かる。
また同じ1800年頃、モジュラー関数を発見してその理論を組み立てたが、
それはデデキントの同種の仕事に先立つこと50年であった。
一方、関数論は1825年のコーシーの虚数積分の論文に端を発し、
その後30年を掛けて対象としての解析関数の認知にまで発展したが、
ガウスには1811年にはすでに、後に「コーシーの積分定理」として知られる事柄を
確実に把握し、使いこなしていた。
すでに1790年代の中頃からガウス平面上で物事を考えていたガウスの眼には
二重周期関数の存在は自明で、三角関数の拡張を目指して楕円積分の逆関数を考え、
その結果 「楕円関数」を得たのもごく自然の動きであり、
また複素積分での積分路の役割を考えてコーシーの積分定理の内容に逢着したのも
これまたごく自然であろう。
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楕円関数のみならずモジュラー関数まで20代で見つけていたとは・・・
0224132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:29:43.43ID:ZX9ptk7R
ガウスは1791年以降、1806年にブラウンシュバイク公爵が死去するまで
彼に援助されて研究生活をしていた。
支援は潤沢で生活に困ってはおらず、ガウス自身も
公爵には強い感謝の念を持っていたが、
数学そのものがそれほど世の中の役に立つとは考えていなかった
(注、職業数学者というポストが成立したのは主に大学制度が出来てからで、
 それ以前は貴族王侯の名誉を支える一種の芸人として仕えるあるいは
 助成を受ける者として、あるいは自然科学や産業上の研究と不可分な形で、
 または個人の名誉の探求行為としてのみ存在した)。
そのため、彼自身は天文学者になることを願うようになり、
1801年に発見後行方不明になっていたケレスの軌道決定の功績が認められて
1807年にゲッティンゲンの天文台長になった。
そこでも測定用機材の開発(ガウス式レンズの設計)、
楕円関数の惑星の摂動運動への応用、
力学に於ける最小作用の法則の定式化の一つである
「ガウスの最小拘束の原理」など、数々の発見を行っている。
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昨今はGAFAMといわれる情報技術産業の大企業がこぞって数学科出身者を
雇っているそうだが、そこから世界的数学者は生まれるのであろうか?
0225132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 20:46:07.69ID:ZX9ptk7R
測量への興味から曲面論を創始し、後のリーマン幾何学に影響を与えた。
1827年に『曲面の研究』(羅: Disquisitiones generales circa superficies curvas)を出版し、
曲面の面積と対応する単位球面の面積の無限小比として意味付けられる曲率
(今日ではガウス曲率と呼ばれる)が、曲面の内在的量にのみ依存すること
を示し、ラテン語で Theorema Egregium(驚異の定理)と呼んだ。
この定理は、微分幾何学においてガウスの基本定理、
あるいは単にガウスの定理とも呼ばれる。

ガウスは非ユークリッド幾何学の一つである双曲幾何学の発見者でもある。
しかしそれに関する発表は一切行わなかった。
友人であるファルカス・ヴォルフガング・ボヤイは
ユークリッド幾何学以外の公理を発見しようと多くの年月を費やしたが
失敗した。ボヤイの息子であるヤーノシュ・ボヤイは
1820年代に双曲幾何学を再発見し1832年に結果を発表した。
これについてガウスは「書かなくて良くなった」と発言している。
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数論や楕円関数やモジュラー関数は完全に「趣味」だが
微分幾何は「実益」から出たもののようだ
0226132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 21:06:11.22ID:ZX9ptk7R
ガウスは信心深く、保守的な人物だった。
君主制を支持し、フランス革命の際にはナポレオンと対立した。
彼は他の数学者と一緒に何かをすることはほとんどなく、
あまり人と打ち解けることのない厳粛な人だったと多くの人が伝えている。
言語に優れ数カ国語を操ることができたため外国の新聞から情報を入手でき、
また統計学的な知識もあったため、投資に成功して
安定した財産を築くことができた。
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はぁ、さようですか
0227132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 21:08:05.48ID:ZX9ptk7R
私生活では、ヨハンナ・オストホフ(Johanna Osthoff, 1780年 - 1809年)と
1805年に結婚した。
彼はヨハンナを精神的な意味も込めて溺愛しており、
幸せな結婚生活を送ったものの、ヨハンナは1809年に若くして亡くなり、
さらにそれを追うように次男ルイスも夭逝した。
彼女の死は彼の精神に大きなショックを与え、
以後完全に回復することはなかった。
ルイスの死後すぐに、フリーデリカ・ヴィルヘルミーネ・ヴァルトエック
(Friederica Wilhelmine Waldeck, 愛称ミンナ:Minna)と再婚したものの、
この結婚から得られた幸せは希薄なものだったようである。
ガウスはヨハンナの面影が忘れられず、
再婚相手のミンナへの手紙にもそのことを書く始末であった。
ミンナも1831年に長い病気の末に亡くなり、
その後は娘のテレーズ (Therese) が身の回りの世話をしていた。
また、ガウスは母親とも1817年から彼女の亡くなる1839年まで一緒に住んでいた。
0228132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 21:09:59.23ID:ZX9ptk7R
子供は2人の妻に3人ずつ、合計6人もうけた。
ヨハンナとの間の子供は、
ヨゼフ(Joseph, 1806年 - 1873年)、
ヴィルヘルミーナ(Wilhelmina, 愛称はやはりミンナ, 1808年 - 1846年)、
ルイス(Louis, 1809年 - 1810年)である。
なかでもヴィルヘルミーナの才能はガウスに近いものがあったと言われているが、
彼女も若くして亡くなってしまう。
ミンナ・ヴァルトエックとの間の子供は
オイゲネ(Eugene, 1811年 - 1896年)、
ヴィルヘルム(Wilhelm, 1813年 - 1879年)、
テレーズ(Therese, 1816年 - 1864年)
がいる。
オイゲネは1832年頃父の元を離れて
アメリカ合衆国ミズーリ州のセント・チャールズに移住した。
しばらく後にヴィルヘルムもミズーリ州に渡り、
農業を始め、後にセントルイスで靴のビジネスで成功した。
テレーズは結婚した後もガウスの面倒を見て家に留まった。
0229132人目の素数さん垢版2020/10/29(木) 22:38:55.06ID:Cgg5fjoN
ガウスが>>173の「ガウスの二項係数」をどう思いついたか定かではないのですが
自然に導出する契機は分かりました。
要は、非可換な変数に関する二項定理と考えられるんですね。
XとYが非可換で、YX=qXYをみたすとして
(X+Y)^nを展開すると、自然に現れる。
0231132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:05:21.92ID:iuPqYV+w
さて、ガウスの次はこの人をとりあげる

ベルンハルト・リーマン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン
(ドイツ語: Georg Friedrich Bernhard Riemann,
 1826年9月17日 - 1866年7月20日)は、
ドイツの数学者。解析学、幾何学、数論の分野で業績を上げた。
アーベル関数に関する研究によって当時の数学者から高く評価されたが、
先駆的な彼の研究は十分に理解されず、20世紀になって
彼のそれぞれの研究分野で再評価されるようになった。
19世紀を代表する数学者の一人である。
0232132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:06:03.02ID:iuPqYV+w
ベルンハルト・リーマンは
ハノーファー王国ダンネンベルク (Dannenberg) 近くの小村
ブレゼレンツ (Breselenz) に牧師の息子として生まれた。
0233132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:06:33.22ID:iuPqYV+w
1847年に、ゲッティンゲン大学に入学、
カール・フリードリヒ・ガウスと初めて出会った。
0234132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:07:19.66ID:iuPqYV+w
同年ベルリン大学に移り、
ペーター・グスタフ・ディリクレ、
カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ、
フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン
から楕円関数論や偏微分方程式論を学んだ。
0235132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:07:46.23ID:iuPqYV+w
1849年にゲッティンゲン大学に戻り、1851年にガウスのもとで
論文「1複素変数関数の一般理論の基礎づけ」を提出して博士号を取得
0236132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:08:13.09ID:iuPqYV+w
1854年には「幾何学の基礎にある仮説について」で大学教授資格を取得した。
0237132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:09:09.12ID:iuPqYV+w
ガウスは若い数学者をほとんど評価しなかったが、
リーマン幾何学に関する講演は高く賞賛した。
0238132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:09:46.78ID:iuPqYV+w
1857年に予備教授となり、1859年にディリクレの後継者として正教授になった。
0239132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:10:22.73ID:iuPqYV+w
1862年に妹の友人エリーゼ・コッホと結婚し娘が生まれたが、
この時期から結核の病状が悪化してイタリアで療養するようになった。
0241132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:15:48.57ID:iuPqYV+w
リーマンといえば、リーマン面
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E9%9D%A2

数学、特に複素解析においてリーマン面(Riemann surface)とは、
連結な複素 1 次元の複素多様体のことである。
ベルンハルト・リーマンにちなんで名付けられた。
リーマン面は、複素平面を変形したものと考えられる。
各点の近くで局所的には、複素平面の部分に似ているが、
大域的位相は大きく異なり得る。
例えば、球面、トーラス、または互いに糊付けした二枚の面のように見え得る。
0242132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:16:28.59ID:iuPqYV+w
リーマン面の主要な意味合いは、正則関数がそこで定義できることである。
今日、リーマン面は正則関数、特に、平方根や自然対数等の多価関数の
大域的振る舞いを研究するための自然な土台と考えられている。
0243132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:17:24.92ID:iuPqYV+w
全てのリーマン面は向きづけ可能な実 2 次元の実解析的多様体(従って曲面)であって、
正則関数を一義的に定義するために必要な追加的構造(特に複素構造)を含む。
2 次元実多様体は、それが向き付け可能な場合、かつその場合に限り、
(通常は、等価でない複数の方法により)リーマン面にすることができる。
従って、球面やトーラスは複素構造を持ち得るが、
メビウスの輪、クラインの壺および射影平面は持ち得ない。
0244132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:18:24.89ID:iuPqYV+w
リーマン面は、でき得る限り良い特性を有しているという幾何学的事実から、
他の曲線、多様体または代数多様体に対し一般化の直感および動機をしばしばもたらす。
リーマン・ロッホの定理は、この影響の第一の例である。
0245132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:18:56.34ID:iuPqYV+w
コンパクトなリーマン面の理論は、複素数上に定義される
非特異な射影的代数曲線の理論と等価である。
0246132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:23:08.63ID:iuPqYV+w
代数曲線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E6%95%B0%E6%9B%B2%E7%B7%9A

複素曲線と実曲面

(複素代数曲線の)位相次元は 2、つまり曲面になる。
この曲面の位相的種数(つまりハンドル体やドーナツ穴の数)は、
代数曲線の幾何種数に等しく、代数的な意味で計算することができる。

次数 d の非特異曲線の平面射影を考えるとき、
常特異点(相異なる接線を持つ重複度 2 の特異点)しか持たないならば、
その種数は (d − 1)(d − 2)/2 − k となる。
ただし、k はそのような特異点の数とする。
0247132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:24:55.83ID:iuPqYV+w
楕円曲線
楕円曲線を有理点を持つ種数 1 の任意の曲線として定義することができる。
よく用いられるモデルは非特異平面三次曲線で、
これは種数 1 の任意の曲線のモデルとして十分である。
0248132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:26:04.06ID:iuPqYV+w
種数 1 より大きな曲線
1 より大きな種数を持つ曲線は有理曲線とも楕円曲線とも著しく異なる。
有理数体上定義されたそのような曲線は、
ファルティングスの定理により有理点を有限個しか持たず、
またそのような曲線は双曲幾何構造を持つものと見ることができる。
例として、超楕円曲線、クラインの四次曲線、
フェルマー曲線 x^n + y^n = z^n (n ≥ 3) などが挙げられる。
0249132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:44:10.46ID:iuPqYV+w
代数曲線のモジュラス
https://en.wikipedia.org/wiki/Moduli_of_algebraic_curves

In algebraic geometry, a moduli space of (algebraic) curves is a geometric space
(typically a scheme or an algebraic stack) whose points represent isomorphism
classes of algebraic curves.
It is thus a special case of a moduli space. Depending on the restrictions
applied to the classes of algebraic curves considered, the corresponding
moduli problem and the moduli space is different.
One also distinguishes between fine and coarse moduli spaces
for the same moduli problem.

代数幾何学では、(代数的)曲線のモジュライ空間は、
点が代数的曲線の同型クラスを表す幾何学的空間
(典型的にはスキームや代数的スタック)である。
したがって、これはモジュライ空間の特殊なケースである。
考慮される代数的曲線のクラスに適用される制限に応じて、
対応するモジュライ問題とモジュライ空間は異なる。
また、同じモジュライ問題でも細かいモジュライ空間と
粗いモジュライ空間を区別することができる。
0250132人目の素数さん垢版2020/10/30(金) 20:46:31.56ID:iuPqYV+w
The most basic problem is that of moduli of smooth complete curves
of a fixed genus. Over the field of complex numbers these correspond
precisely to compact Riemann surfaces of the given genus, for which
Bernhard Riemann proved the first results about moduli spaces,
in particular their dimensions ("number of parameters on which
the complex structure depends").

最も基本的な問題は、固定種数の滑らかな完全曲線のモジュライの問題である。
複素数の場において、これらは与えられた種数のコンパクトなリーマン曲面に
正確に対応しており、ベルンハルト・リーマンは、モジュライ空間、
特にその次元(複素構造に依存するパラメータの数)についての
最初の結果を証明しました。
0251132人目の素数さん垢版2020/10/31(土) 08:59:56.70ID:CLm9DCft
タイヒミュラー空間
https://en.wikipedia.org/wiki/Teichm%C3%BCller_space

Moduli spaces for Riemann surfaces and related Fuchsian groups have been studied since the work of Bernhard Riemann (1826-1866), who knew that 6g-6 parameters were needed to describe the variations of complex structures on a surface of genus g>= 2.
The early study of Teichmüller space, in the late nineteenth–early twentieth century, was geometric and founded on the interpretation of Riemann surfaces as hyperbolic surfaces.
Among the main contributors were Felix Klein, Henri Poincaré, Paul Koebe, Jakob Nielsen, Robert Fricke and Werner Fenchel.

リーマン曲面とそれに関連するフックス群のためのモジュライ空間は、種数g>=2の曲面上の複雑な構造の変化を記述するために6g-6のパラメータが必要であることを知っていたBernhard Riemann (1826-1866)の仕事以来、研究されてきた。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてのタイヒミュラー空間の初期の研究は、幾何学的なものであり、リーマン曲面を双曲面として解釈することに基づいていた。
主な貢献者には、フェリックス・クライン、アンリ・ポアンカレ、ポール・コーベ、ヤコブ・ニールセン、ロベルト・フリック、ヴェルナー・フェンチェルなどがいる。
0252132人目の素数さん垢版2020/10/31(土) 09:03:57.66ID:CLm9DCft
The main contribution of Teichmüller to the study of moduli was the introduction of quasiconformal mappings to the subject.
They allow us to give much more depth to the study of moduli spaces by endowing them with additional features that were not present in the previous, more elementary works.
After World War II the subject was developed further in this analytic vein, in particular by Lars Ahlfors and Lipman Bers.
The theory continues to be active, with numerous studies of the complex structure of Teichmüller space (introduced by Bers).

タイヒミュラーのモジュライ研究への主な貢献は、擬等角写像の導入であった。
これにより、それまでの初歩的な研究にはなかった付加的な特徴を与え、モジュライ空間の研究に深みを与えることができるようになった。
第二次世界大戦後、主題はこの分析的な流れの中で、特にLars AhlforsとLipman Bersによってさらに発展した。
この理論は現在も活発に活動しており、タイヒミュラー空間の複素構造(Bersによって導入された)の研究が数多く行われている。
0253132人目の素数さん垢版2020/10/31(土) 09:09:03.74ID:CLm9DCft
The geometric vein in the study of Teichmüller space was revived following the work of William Thurston in the late 1970s, who introduced a geometric compactification which he used in his study of the mapping class group of a surface.
Other more combinatorial objects associated to this group (in particular the curve complex) have also been related to Teichmüller space, and this is a very active subject of research in geometric group theory.

タイヒミュラー空間の研究における幾何学的な脈絡は、曲面の写像類群の研究で使用した幾何学的なコンパクト化を導入した1970年代後半のウィリアム・サーストンの仕事によって復活しました。
このグループに関連する他のより多くの組合せ対象(特に複素曲線)もまた、タイヒミュラー空間に関連しており、これは幾何学的群論の研究の非常に活発な主題である。
0254132人目の素数さん垢版2020/10/31(土) 09:13:18.85ID:CLm9DCft
>>251-253 まとめ
・「タイヒミュラー空間」を見つけたのは、タイヒミュラーじゃなくてリーマン
・タイヒミュラーがやったのは、擬等角写像の導入
・写像類群による(トポロジー的な)研究を始めたのはサーストン
0255132人目の素数さん垢版2020/10/31(土) 16:44:54.06ID:CLm9DCft
写像類群
https://en.wikipedia.org/wiki/Mapping_class_group

The mapping class groups of surfaces have been heavily studied, and are sometimes called Teichmüller modular groups (note the special case of MCG(T^2) above), since they act on Teichmüller space and the quotient is the moduli space of Riemann surfaces homeomorphic to the surface.
These groups exhibit features similar both to hyperbolic groups and to higher rank linear groups.
They have many applications in Thurston's theory of geometric three-manifolds (for example, to surface bundles).
The elements of this group have also been studied by themselves: an important result is the Nielsen–Thurston classification theorem, and a generating family for the group is given by Dehn twists which are in a sense the "simplest" mapping classes.
Every finite group is a subgroup of the mapping class group of a closed, orientable surface, in fact one can realize any finite group as the group of isometries of some compact Riemann surface (which immediately implies that it injects in the mapping class group of the underlying topological surface).

曲面の写像類群は,これまで熱心に研究されてきており,タイヒミュラー空間に作用し,商がその曲面に同形のリーマン曲面のモジュライ空間であることから,タイヒミュラーモジュラー群と呼ばれることもある(上記のMCG(T^2)の特殊なケースに注意).
これらの群は双曲群と高位線形群の両方に似た特徴を示す。
これらの群は、サーストンの幾何学的三次元多様体の理論において多くの応用がある(例えば、曲面束への応用)。
この群の要素はそれ自体も研究されており、重要な結果はNielsen-Thurstonの分類定理であり、この群の生成族はある意味で「最も単純な」写像類であるDehnのねじれによって与えられている。
すべての有限群は,閉じた方向性のある曲面の写像類群の部分群であり,実際には,任意の有限群をコンパクトなリーマン曲面の等長写像の群として実現することができる(これは,すぐに,その下にある位相曲面の写像類群に包含することを意味する).
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