実数は可算無限であることの証明
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整数部が0である実数は次のように数えられるのはないか。
この論理を否定する論理が知りたいです。
よろしくお願いします。
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… ●おわりに
>>153 以下は、テューリングの「計算可能な数」の概
念についての私流の解説である。
我々におなじみの数 π, e, C, √2 等々のほ
とんどは彼のいう「計算可能な数」であり、私が考える
ところの
確実に「ある」といえる実数
はすべて「計算可能」である。 〔問題〕
3次元の空間全体を次のような3つの部分に分割
できるでしょうか?
すなわち、その1つはx軸に平行などんな直線
とも高々有限個の共通点しか持たず、2つ目はy軸
に平行などんな直線とも高々有限個の共通点しか
持たず、3つ目はz軸に平行などんな直線とも高々
有限個の共通点しか持たない、というような3つの
部分です。
数セミ増刊「数学の問題」第(3)集, 日本評論社 (1988)
●87
* この問題はカントールの連続体仮説と同等らしい…
(W.Sierpinski,1951) >>129
デーデキント 著 「数について −連続性と数の本質−」 岩波文庫(青924-1) (1961/Nov)
河野伊三郎 訳 163p.
http://www.iwanami.co.jp/book/b247034.html
よりも
遠山 啓 著 「無限と連続」 岩波新書(青版G-3) (1952/May)
194p.814円
http://www.iwanami.co.jp/book/b267428.html
の方が読みやすそう… >>129
>>150
同じ無理数でも
整係数多項式の根である「代数的数」と、
解析的に定義された自然対数やe
は生まれからして stranger なんだろうな。
ゲルフォント=シュナイダーの定理やベイカーの定理は
このことを端的に示しているかも。 >>129
大部の「解析教程」の諸結論を導くためには
この収束判定法(コーシー列は収束する)だけを認めれば十分だと。
実数の公理もない時代にそこまで追い詰めたのは
コーシーの偉業だった。
と同時に、この収束判定法をどう扱うべきか(公理?)
が以後の実数論 (デデキント、カントール) の課題となった。 コーシーの収束判定法を仮定しない解析学も可能だろうけど、
諸定理の大半が潰れるから砂漠みたいになる…
クロネッカーもそこまではしてないと。 >>182
e^z「0はいらん」 (ピカール)
むむむ、仲わるそう… >>182
解析的に定義された数 というのは
・「切断」や「基本列」を用いて存在が保証された数
・それを用いて定義された数
かな。これらが超越数になるのか。
(切断公理などを否定すると消える…) (7)
こうして自然を数によって尽くそうとするピタゴラスの企ては終わった。
超越数の発見、その範囲において、品種において、代数の無理数よりも
豊富であること、超越数は近代数学の最も基本的な量を含んでいること、
このことは代数学という有力な機関も、有理数の数論のように有限算法
しか扱かわないところに不十分な点がある。 しかし無限算法を正当と認めること、これら不思議なものを
有理数の算法と対等に認めることは、19世紀の厳格主義者にとっては、
ギリシアの厳格主義者にとってと同様に、嫌悪すべきものであった。
そのうち一段と声をあげたのは近代直観主義の父、レオポルト・
クロネッケルである。
彼は紛争の種を無理数の導入にあるとして、数学から無理数を追放
しようとした。
整数の絶対的本性を宣言して、自然数域と直接それに引き直される
有理数域とを 数学を建設するただ一つの地盤であると主張した。
「整数は神様がお作りになったもので、その他は人間わざである」
というのは彼の有名な文句である。
しかし時代は個人にかかわりなく進んだ。
デーデキント 著「数について」岩波文庫(青924-1) ☆☆ (1961)
解説 (河野伊三郎) p.160 たぶんカントールの対角線論法は選択公理を(密輸して)使っていると思うね。
実数の集合は無限集合だが、それが可算であると仮定して
実数のそれぞれに固有の自然数の番号を割り付けて、とやるのだが。
無限集合の場合にそれが可算であるからといって、各要素に対して
自然数の番号を割り付ける操作をいったいどうやって構成するのか
は具体的には与えられず、そのような割り付け方が「存在する」
といって先に進んで矛盾をしめしているが、そのような割り付け方の
「存在」が仮定できるところに、選択公理を密輸してはいないだろうか? >>192
それはどちらかというと背理法に対する懐疑ですね たとえば、矛盾を出そうとして自然数と実数の対応表というものを作ることを
考える。1つずつコツコツと新しい実数を対応表に登録していくとする。
(つまり一辺にすべての実数を対応表に登録することまではしない)。
すると、どの段階においても、決して矛盾は起きないのだ。
(有限個の表ができているだけだから当然といえば当然だから)。
そうして、表が有限段階に収まるかぎりは、対角線論法は意味を持たない。
いったいどうやって、無限集合のすべての要素を対応付け作業が
できるというのか。それをするのが、絵空事である選択公理だと思う。
数学的帰納法も自然数と対応させた手順になっていて、すべての自然数を
作りあげていく過程を示しているが、有限の段階ではそこまでの自然数
が現れるだけで、それを延々と永久に続けていても常に自然数全体は
得られないでそこまでの自然数が得られる。ただし限りがなく作り出されて
いくから、そのようなもの全部を含めた集合というものを考えることに
するならば、自然数の集合というものが出来ることになる。
任意にその集合の要素nをとってくれば、0から始めてペアノの公理に
基づいて1ずつ上昇していけば有限回の操作でnにたどり着く。
これは具体的な手順を示しているから選択公理は関係ないのだろう。 私は馬鹿を相手に真面目に答えてしまったようだ
失敗、失敗。 カントールの議論は、まず実数の集合というものがあるということを
暗黙の仮定として開始しているが、もしも実数の集合というものが
実は最初から存在していなければ、論理は空虚になり、証明は崩れる。
よって、まずは実数の集合というものの存在とそれの満たすべき
性質を示す必用があるだろう。 直感的に不加算だとうけど、カントール対角線論法は2^nをnと同列に扱ってるのは腑に落ちない。(「数学の無限」)
自然界は連続体だとしたら連続体仮設も検証しやすいかも。プランク長は最小単位とは限らないし
仮に最小単位としても数学的連続体は考えられるが現実自然界で実在すれば、わかりやすい。
あとカントールは平面幾何でも定理残してたんだな。 選択公理選択公理ってうるせーぞ
対角線論法の少数は選択関数を任意に取って整列してるから選択公理も整列可能定理も要らねーよ 言葉全然足りんかった
可算集合と非加算集合の濃度が違うことの証明 正方行列でもないのに対角線論法を使うのはおかしいと思ったが(数学の無限・カントールを超えて)
2^nや10^nの冪を持ち出すと、陰には超越数たるネイピア数eが隠れているから、代数的数と濃度が同じではない、ということかな。 構成可能な実数は、その構成法を指定する算法と対応して可付番であるから、
そのような構成可能な実数であって0と1の区間にあるものの小数表現を
表にして並べ、その対角線に並んでいる数字とは異なる数字を選んで並べた
小数表現の実数xが表に現れていないと主張するときに、
その実数xは「可付番の実数で0と1の区間にあるものの小数展開を
番号に沿ってならべて対角線に並べて一致しない数字を並べて作る」
という「構成法」で作った数であるから、表に現れているはずなのだが、
それが表に抜けているというのは、どこがおかしいのだろうか? >>205
「可付番の実数で0と1の区間にあるものの小数展開を番号に沿ってならべて対角線に並べて一致しない数字を並べて作る」という「構成法」
それが構成的でないというのが味噌ですね >>206
対角線論法のおかしな点はまさにそこ。
(発散の少ない)2進法で3桁までなら2^3で8個の小数点表示がある。
これに対角線論を導入すると上から3番目までに発言しない小数を導いたにすぎず、
「存在しない」と主張する小数は4〜8番目に存在する。
正方行列なら対角線論法は成立するがn行2^n列長方形行列(nが巨大だとほとんど縦直線)
に適用するのはおかしい。 >>207
正方行列とか言い出している時点で馬鹿扱いされる じゃあ、まさかの長方形?
あるいは、三角だったりする? 構成可能な実数の集合をR^{*} としてやれば、R^{*}はRの真部分集合であって
可算な集合になる。
R^{*} に対してカントールの対角線論法を適用すると、矛盾が生じる。
なぜならば、対角線論法は、実数が無限に並んだ表に対して、その
小数点以下の対角線上にある数字を並べて「構成した」数xは
その表には含まれないという。しかし、一方でその数xは
構成的実数を元にして(小数点以下の数字を並べるという操作で)「構成された」
実数だから、それもまた1つのR^{*}の元であるはずなのに、どういうわけか
可算集合であるR^{*}の要素を並べた表には含まれていない、
ということになるのだ。
どこかなにかがおかしいでは無いか? カントールの対角線論法に対する疑念としての追加。
Rを実数の集合とするとき、Rの部分集合として(0,1)区間のものを
とってきて、それが可算であると仮定して, r_1, r_2, r_3, .... と並べる
ことができたとする。しかし、各実数r_kを小数展開したとして、
などとさらっと述べているが、どんな実数も小数展開
(小数点以下の任意の桁の数字)を与えることが出来るかどうかは怪しい気がする。
つまり、小数展開を与えれば実数が定まるというのは良いが、
その逆ははたして常に成立するのだろうか?
構成可能な実数に限定すればそのことは真なのだが。
表に出てくる実数r_kのそれぞれについて、小数点以下第k桁目の数字を集めて
実数xの小数表現を作るという作業の際に、r_kの第k桁目の数字を取り出す
方法がなければ、実数xを作れない(構成できない)だろう。
実数xが作れないとなると、対角線論法による背理法の矛盾にまで到達しない
ことになる。 たとえば、実数sとして、たとえばその二進展開を
sの小数点以下第k桁目がkが素数なら1、合成数なら0というルールで決めれば、
任意の第k桁目が0か1かはまあ原理的には有限の手間で求まる。
しかし、sの第k桁目がゲーデル数がkに対応する命題が真なら1、偽なら0という
ルールで決めたときには、そのような実数sの小数点以下第k桁目の数は
確定しているはずだとはいえども、それを求める手段を構成できないので、
sの第k桁目を求められないから、対角線論法を実際に行って
対角線上に並んだ数字と一致しない数字を並べた小数展開の実数aを作る、
と述べているステップが実行不能になるはずだ。 >> 212
実数を無限の長さまで小数展開してから対角線論法に持っていくのが原因なので
小数展開は有限な桁数までしか行わないようにすればいいのです。
例えば
命題) 以下の(1) - (3) を認めれば、実数全体の集合は可算(可付番) な集合ではない。
(1) 実数全体集合には、通常の大小関係が定義される。
(2) 整数は10進展開可能
(3) カントールの区間縮小法は成立する。
補題 任意の実数αと任意の正整数 k に対して、α を小数第 k 位まで表現することができる。
補題の証明は略
命題の証明
実数全体の集合が可算(可付番) な集合と仮定して矛盾を導く。
実数全体の集合が可算なので、α_1, α_2, ... と並べることができる。
b_0 を 0 として、任意の正整数 k に対して、
b_k を以下のように定める。
・ α_k の小数第 k 桁目の値が 9 と異なっていれば、b_k = 1, 9 と等しいならば b_k = 2とする。
β_k = b_0 . b_1 ・・・ b_k とおき、区間 I_k = [β_k, β_k + 10^k] とおけば、
I_1 ⊃ I_2 ⊃ ・・・
かつ
|I_k| -> 0 (k->∞)
なので、(3) のカントールの区間縮小法より、
ある実数βがただ一つ決まり、任意のk に対して、β∈ I_k。
βは実数なので、β = α_N となる正整数 N が存在する。
ここでα_N とβの小数第 N 位の値をそれぞれ a_N, b_N とすると、
b_N の定義より a_N と b_N は異なる。
さて、a_0 と b_0, a_1 と b_1, ..., a_N と b_N を比較して、
a_0 = b_0, ..., a_{k-1} = b_{k-1}, a_k != b_k とする。
a_N と b_N は異なるので、必ず k は存在する。
もし、a_k > b_k ならば
b_0 . b_1 b_2 ・・・ b_{k-1} b_k <= β < b_0 . b_1 b_2 ・・・ b_{k-1} a_k <= α_N
となって、α_N = β に反する。
同様にして b_k > a_k の場合も矛盾となる。
以上のことから、実数全体の集合は可算(可付番) な集合ではない。 >補題 任意の実数αと任意の正整数 k に対して、
>α を小数第 k 位まで表現することができる。
任意の実数として、整数部は0で、小数第k桁目が
ゲーデル数kの命題が真なら1、偽なら0である二進展開を持つものを選ぶと、
計算量云々ではなくて、第k桁目を決定できる如何なる「算法」も存在しない。
つまり任意に与えたkに対してそのような実数を小数第k位まで表現することは
構成的には「不可能」なんだよ。カントールの対角論法の証明では、
対角線上の数字を並べて「構成した」実数が表に現れないので矛盾を引き起こす
などといっているが、そのような「構成」をすることはできない。
だからおそらく、選択公理を密輸しているのじゃないかと思うのだよ。 >>216
もう一度言う
計算量理論と対角線論法は別物だ 計算の量ではない、計算不能(計算するアルゴリズム=手続が存在しない)
といっているのだ。 その「実数」を使えば「実数」+1も計算できないから足し算もできなくなるな >>208
それ以前に「2^n行n列」の間違いだった。
正方行列の、いずれの行にも含まれない行ベクトルは対角線論法で求めることができるが、正方行列じゃないからおかしい。
無論、論理学的に「対角線論法はおかしい」=「実数は可算」となるわけではないが。
あと、視点を変えると2^√2のような演算は代数的に閉じていない(超越数)から「冪」であること自体が不加算かもしれん。 正方形じゃないと、長方形だったりすると、対角線がずれるんだよ >>221
行列といっている時点でおかしい
線形性は仮定されていない 1番目は1じゃない、2番目は2じゃない、…って完全順列を思い出させるな。無論並び替えではないので順列とは違うが、要素がn!個ですら対角線論法はダメダメだ。 0.99999…、2進法の0.1111…は無ということだけど、白玉を0、黒玉を1とすると
全部白玉(0.000…=0)は有で全部黒玉(0.1111…、10進でいう0.9999…)はダメという
ことになってしまう。
数直線の1のすぐ左側の数を、超越数0.99999…としてはどうだろうか。1と0.9999…の中間数は当然
存在せず、隙間がないから実数の稠密性が担保できる。 電話は1番、カステラ2番、3時のおやつは文明堂♪
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