何かが正しいと言うときに、その理由を言う必要があり、その理由が正しい理由を言う必要があり、...
どこかで理由無しに正しいと言える前提を置くことになるのは避けられず、数学ではそれを公理と呼ぶ。

前スレでも指摘されたように、計算不能関数は真の算術みたいな人間には扱えない公理をもってこないと返り値が具体的にいくつかは定まらない場合が必ず生じる。
ゲーデルの不完全性定理から証明も否定の証明もできないような命題があるのは避けられないが、
そういう決定不能な命題でも真とするか偽とするかどっちのほうが"自然"かはあるはずで、真としたほうが"自然"な命題をすべて集めた公理もまたあって、
計算不能関数の返り値はそのような公理のもとで初めて具体的な値が定まる関数なのだ、と主張するのは可能だ。
しかし、これはもうプラトンの実在論とかイデア論の範囲というか、人間には決して真偽を判定できないけど真偽は決まっている、
というのを信じるか信じないかの話になってしまう。