Fumiharu Kato 加藤文元 @FumiharuKato
数学の論文はアクセプトされるかリジェクトかの厳格な二分法があるだけで、その中間状態というのはありえない。
「アクセプトされる見通し」というのは「アクセプトされた」ということなのであって、まだアクセプトされていないがいずれアクセプトされる、などという状態は原理的にありえない。
したがって、実際にアクセプトされてはいなかったにも関わらず「アクセプトされる見通し」などという報道があったとしたら、
それがまともに裏をとった取材に基づいてなどないだろうというのは、少なくとも自然科学の業界にいる人なら普通に理解できることだとおもう。
その点で、A新聞の昨年12月の誤報は、まずもって報道倫理上の責任があると思われる。しかし、問題はそれだけではない。
日本人ならA新聞が度々やらかす新聞だと知っているが、外国人にはどのようなインパクトを与えるだろうか?
本来「アクセプトか否か」しかないところに、日本の大手新聞が堂々とその中間状態の、宙ぶらりんなところをほうじた、
となると、一体日本の数学界はどうなっているのか?という疑念をいたずらに起こすだろう。
実際、そうなったのは、当の報道後の欧米の論調が示す通りである。
というわけで、A新聞の責任は、単に一つの新聞社の報道倫理の問題だけでなく、日本の数学界の信用を貶めたことにもある。
そしてそれこそが重大だと思うのである。こういうところにも、日本のマスコミの科学技術への無理解と学問への軽視が顕われているようだ。とても残念なことである。
2018年8月7日 場所: 東京 大田区
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