背理法を使った手続きの方が、むしろ数学的(論理的)に見えるけどね。
統計検定などでもそうでしょう。いきなり、実証したい仮説を持ってくるのでなく、
まずは無に帰したい方の帰無仮説を用意する。それにp値などのパラメータを
付与して、その帰無仮説の蓋然性を確率的に検討する。そして、その仮説が
なかなか有り得そうにないと判るとそれは棄却されて、検定者が本来、採用したかった
方の仮説である対立仮説が、そこでようやく採択される。

もちろん、それは確率論的な話なので、ここで採用られた仮説が完全に真である保証は
なく擬陽性や偽陰性の可能性も少しは残る。ただ、ここで言いたいのはそのことでなく、
背理法のような一見すると迂遠で冗長なアプローチにこそ、数学的な真理へ至る本質
があるのではなかろうかという私なりの推論ね。