その『数学的対象』と呼ばれるものは何か実在モデルがあってその定式化されたものと
考えるべきで、結局数学的対象物の実在性というのは現実モデルの実在性に帰着する。

前期ヒルベルトみたいに無矛盾性だけに帰着させて、無意味な形而上学を放置
しておくと、インテリジェンス誌上でベルナイスの弟子のマックレーンが数学の健康問題
(The Health of Mathematics, 1983)で論争するような集団になる。
結局のところ数学も人間の編み出した表現の一つでしかないのだから、数学を『完全言語』
とみなして、すべてを導出するというような使い古された話は意味なくて、現実に発生する
『現象』ベースで文の真理値を確保して、それを数学的定式化したということで数学的表現の
真理値の保証を得る、つまり客観的実在物であると認定させるという方式しかないと思う。
結局、数学というのは二次的なものでベースは現実に発生する現象の物理に持ってこないと
数学もできないと思った。