数理論理学(数学基礎論) その12
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数学基礎論は、数学の基礎づけを目的として誕生したが
現在では、数理論理学として、証明論、再帰的関数論、
構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、 多くの分野
に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも
若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、
代数幾何学、 英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化
などを参照)
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その11
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1325247440/ 年末辺りにAmazonで数学書が破格の安売りしてたから注文したら価格設定のミスって言われてキャンセルされたわ
卑怯だろ >(P⊃Q)⋁(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」
(P⊃Q)⋁(Q⊃P)がなり立つからといって
∀x(P(x)⊃Q(x))⋁∀x(Q(x)⊃P(x))が成り立つとはいってないけど Venn図って結局図上の点それぞれで命題論理適用して
どの点xでも¬Q(x)⋁P(x)が成立すれば
∀x(Q(x)⊃P(x))としてそれを「QならばP」とあらわしてるだけ
(しかも「ならば」としての⊃と、集合の包含としての⊃は向きが逆) 独立の命題P_1、・・・、P_nを考えると
それぞれの成立不成立によって
2^n個の点を想定することができ
さらにそれらの点における
成立不成立にとって2^(2^n)個の
合成命題を考えることができる
n=N(つまり自然数の集合)なら
点は2^N個(つまり実数の集合と同濃度)
さらに合成命題の数は2^(2^N)(さらに高い濃度) >論理法則とはHirbertが考えたような形式的な真理ではなく、二階の実質的な真理なのだ。
ベン図で描けるからかい? ttp://www.age.ne.jp/x/eurms/GDL.html
eurms氏の言い分ではBew[R(n);n]は、どのR(n)とも一致しないそうだが
単にゲーデルの定義した述語Bewは、証明可能の意味ではない、と
云ってるだけのように聞こえる
確かにゲーデルの定義した述語Bewでは、
任意の命題Pについて、Bew(P)⇒Pを
証明することはできない
Bew(P)⇒Pが証明できるのは、Pが証明できるときそのときに限られるから >>505
>(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)の場合はどうなんだい? >>509
>(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)の場合
¬(∀x.(¬P(x)⋁Q(x)))⋁(∀x.(Q(x)⋁¬P(x)))
P⋁Q⇔Q⋁P と 排中律から証明可能 >>504の補足
(P⊃Q)⋁(Q⊃P)は
(P⋀¬Q)⊃(Q⊃P)と
同値である
しかし、後の式を
∃x(P(x)⋀¬Q(x))⊃∀x(Q(x)⊃P(x)) (*)
と解釈することはできない。((*)は恒等式ではない)
要するに命題論理の⊃は「包含関係」とは異なる だから
p→q,p∨q,p∧q,¬p
の真偽の定義が出来ないのなら意味なし >>512
それは別に問題なくね?
論理法則は絶対的でないと駄目という信念があるならどうだか知らないけど 真偽の定め方に任意性があるのを「定義できない」と言ってるわけでしょ
数学的公理ならともかく論理的公理がこれでは困る、という信念なのかと推察するが あと「背理法」
(p∧¬q→人)→(p→q)
を認めるのかどうか 背理法の原理は、正しくは、
[P(x)∧¬Q(x)⇒/x/0(x)]⇒/p,q/[P(x)⇒/x/Q(x)]
であって、(p∧¬q→人)→(p→q) のことではない。 フレーゲアン理論(いわゆる”古典”論理)は、肝腎なところで誤っており、根本的に書き換えられなければならない。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html 特定の述語に対してのみならばを考えるとか論外なんですよねー
命題に対してならばを考えないのはなぜですか? [P(x) ならば Q(x) である] は P.Q が論議世界を同じくするかまたは Q の論議世界が
P の論議世界を包摂する場合にのみ定義される。
命題 P(α)⊰Q(α) は、[P(x) ならば Q(x) ]でありかつ<x」α>∈Ux である場合のみ
成立する。 集合論で濃度や基数が厳密に定義されていますが、
数学基礎論で濃度や基数が扱われるのは何とも思いませんか?
(例えばレーベンハイム・スコーレムの定理) G.Boolos の The Logic of Provability 読みたいなあ
|ω・)チラ. 数学を基礎付けようという意識が傲慢とか
言ってる人が上に居たようだけど、
これは現代に同じ事を言ってたら確かにそうだが、
19世紀末の時代は何が数学的証明として許容されるかの
コンセンサスが充分でなかった時代なのを考慮に入れて
差し引いて考えないとフェアじゃないと思う。
神学者が堂々と数学者の証明に
哲学的なケチを付けてたりした時代。 >>524
libgen io で検索するといいことがあるかもしれない って隣の奥さんが言ってた あと、「メタレベル」と「意味論のレベル」は
別々の独立の話。
たまたま一致する事もあれば異なる事もある。
区別しないで同じようなものだと思って話すから
メタレベルのさらにメタレベルのさらにメタ………
みたいな混乱した議論になる >>526
460です
なるほど現代とは数学やその証明を取り巻く時代背景が全く異なっており
当時は数学に対して可能な限り客観的な形での基礎づけが必要とされたということですか
それには納得です
一つ勉強させてもらいました
どうもありがとうございました さっき、組み合わせ的独立命題の話でヒドラ-ヘラクレス線の話よんだんだが面白いね
こういう感じの数学的話題はもっと知りたくなりますね >>524
Goedel-Loeb Logicの本ね
>>532
照井一成氏の「コンピュータは数学者になれるのか」がお勧め
個人的には自然数の最小値原理をプログラム化する
クライゼル計画がツボ
最小値原理って実はヒルベルトが「ゴルダンの問題」を
解いたときに使った論法らしい 「神学」とかいわれたけど
要するに自然数の集合には必ず最小の要素があるが、具体的に
自然数の集合から最小の要素を取り出す具体的方法がない
ってところが具体的な最小値を知りたい人には面白くない
ってことらしい >>533
面白そうな話ですね
いつか読もうと思います
自然数の集合Aが空で無ければ最小値が存在することについてですが、
0から初めて1つ1つ自然数nがAに属するかを検証することによって最小値を求めることができるのでは?
この場合Aが空でないという仮定により、いつかはあるnに対して初めてAに属することが分かることが保証されているのだから。
だからAが再帰的集合でありさえすれば何も問題は無いかと。 >>534
> だからAが再帰的集合でありさえすれば何も問題は無いかと。
再帰的集合でないから問題になるわけで Aが再帰的であってもc.e.じゃなかったら
困るんじゃないの?
n∈Aだけじゃなくてn-1∈(N-A), n-2∈(N-A), ......
である事も分かってないと最小値だとは言えない訳だから 専門化を目指すなら、この程度の知識は宴会で酔っ払ってもそらんじられるくらいにマスターしておきたい、
そうでないと、基礎論の研究者とはつきあえないだろう。
田仲一之、「数学基礎論講義 不完全性定理とその発展」、はじめに の1ページ目下段
これって本当ですか?この程度というのはどこまでを指しているんですか? >>534
>0から初めて1つ1つ自然数nがAに属するかを
>検証することによって最小値を求めることができるのでは?
Aに属するかどうかアルゴリズムで判定可能とは限らないところがポイントです
逆にAから一つづつ要素を取り出していくとして、
必ずあるところで最小の要素が取り出されますが
それがいつかが分からないのがポイントです 最小値原理
∃x∈N.x∈A⇒∃x∈N.(x∈A&∀y∈N.y<x⇒¬(y∈A))
整礎帰納法
∀x∈N.(∀y∈N.y<x&y∈B⇒x∈B)⇒∀x∈N.x∈B
x∈Nのとき、x∈A⇔¬(x∈B)とすれば、両者は対偶の関係 専門書の電子書籍化ってしてます?
高い本なだけにちょっと抵抗感じてしまうんですよね ドイツ観念論の三馬鹿トリオ:−
馬鹿カント
いかれヘーゲル
狂えるマルクス
#マルクス本人は観念論から脱したと思っていたようだが、はたから見れば
ヘーゲルの影響が甚大で、充分に観念論的だ。w >>537
あの本の第1章の内容は全部そうだと思って良い >>542
ですよね1章だけですよね
第2不完全性定理以降も含まれているのかと一瞬勘違いしてしまいました 先日ファジィ集合・論理に関する本をゲットしたんですが、普通の数理論理学の研究を深めていく上でファジィ方面ってあんまり関係しない?する? >>543
第2章は基礎的と言えば基礎的
と言っても定理の成立条件の細かい条件の吟味とか
し出すとキリがないんだけど クラス量化を含まない論理式がNBGで証明可能であれば、その論理式はZFでも証明可能である
このように
ある型の論理式について、ある体系で証明可能であれば、実はより弱い体系でも証明可能である
という主張をできるだけたくさん教えてください それって強い理論は弱い理論の保存的拡大になってるってことだから
保存的拡大とその実例について調べて探してごらん 突然ですが
名著」ソラリスね。書店にあったから、つい買ってしまった(^^
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/71_solaris/index.html
NHKテレビテキスト「100分 de 名著」ソラリス 2017年12月
(抜粋)
惑星ソラリスの探査に赴いた科学者クリス・ケルヴィンは、科学者たちが自殺や鬱病に追い込まれている事実に直面。何が起こっているのか調査に乗り出します。その過程で、死んだはずの人間が次々に出現する現象に遭遇し、自らの狂気を疑うクリス。
やがて惑星ソラリスの海が一つの知的生命体であり、死者の実体化という現象は、海が人類の深層意識をさぐり、コミュニケーションをとろうする試みではないかという可能性に行き当たります。果たして「ソラリスの海」の目的は?
この作品は、人類とは全く異なる文明の接触を描いているだけではありません。ソラリスの海が引き起こす不可解な現象は、人間の深層に潜んでいるおぞましい欲望や人間の理性が実は何も知りえないのではないかという「知の限界」をあぶりだしていきます。
ロシア・東欧文学研究者の沼野充義さんは、レムは、この作品を通して「人間存在の意味」を問うているのだといいます。
さまざまな意味を凝縮した「ソラリス」の物語を【科学や知の限界】【異文明との接触の可能性】【人間の深層に潜む欲望とは?】【人間存在の意味とは?】など多角的なテーマから読み解き、混迷する現代社会を問い直す普遍的なメッセージを引き出します。
(引用終り)
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20171204-31-16596
100分de名著 レム“ソラリス”[新] 第1回「未知なるものとのコンタクト」
[Eテレ] 2017年12月4日(月) 午後10:25〜午後10:50(25分)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%99%BD%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AB
ソラリスの陽のもとに >>554
横レスだが、当然ながら数理論理学でしょ
実際、海外では現在はFoundations of MathematicsというのはMathematical Logicの意味で使うのは稀で
文字通り数学の基礎付けに実際に関係している場合に使うのが圧倒的に多い
数学的な手法・道具による論理学の研究にはMathematical Logicを使用する
日本だけだよ、Mathematical Logicの意味でFoundations of Mathematicsに相当する言葉を現在でも多用しているのは 成る程、
漠然と広い意味で言うなら数理論理学であって、その中のごく一部を指すのに使うのが数学基礎論と言うことか ただ、日本で数理論理学を勉強できる大学は少ないだろうね。 >>558
>ただ、日本で数理論理学を勉強できる大学は少ないだろうね。
大学に行けば、間違った理論(いわゆる”古典”論理)を刷り込まされるだけだよ。w 形式的な論理の正しさは、あくまでその人の立場によって定まるものですから、間違った(形式的な)論理、というのはないわけです
まあ、あなたの場合の論理学は矛盾だらけですから間違えですけどね 普段Twitterで他の哲学分野バカにしてるy何とかってやつが
数学関係者に論理学バカにされた途端ブチ切れてたのには笑いました >>559
大学院でも数理論理学専攻を持っている大学はごく少数だろうね。
俺は知らない。 >>565
日本のレベルは?
欧米と比較した時の。 数理論理学専攻とかないだろ
数学専攻の中の数理論理の先生の下で勉強するってだけ 数理論理学って純粋数学よりも歴史が浅いってのもあるかも知れないが(←だったら情報科学はどうなんだよw)、舐められてる感じがあるんですかね? 数理論理学は初等幾何学が不得意な人用の数学って感じ >>563
>>568
らしいです
ytb@ytb_at_twt
「論理学はオタクばかりで気持ち悪くて何をやってもダメ」なんだそうなんですが、そもそもオチてないんですけど、
罵倒炎上商法でRT稼ぎってビジネス手法は「数学の楽しさを伝える」という謳い文句的にどうなんですか。
https://twitter.com/asunokibou/status/953427539946455040 …
ytb@ytb_at_twt
まじめな話、数学は自分のプライドに常時強い負荷がかかる分野の一つで、なんとか精神の平衡を保とうとするなら、
自分より立場が弱そうな人間を探して罵倒するって人、時々いるんですよね。論理学は格好のエジキなんですよ。 数学だけじやなくて情報工学の中にも数理論理学の教授はいるだろう >>571
> 数学だけじやなくて情報工学の中にも数理論理学の教授はいるだろう
というよりも数理論理学の先生方は数学科でポストを得ている人数よりも
情報系(計算機科学科、情報科学科、情報工学科など)あるいは哲学科にポストを得ている人数の方が多いのでは?と個人的には推定している
例えば訳注・解説の豊かさで有名なゲーデルの不完全性定理の翻訳を岩波文庫から出した林晋さんは
数解研→竜谷の情報系→神戸大(は数学科だったっけ情報系だったっけ?)→京大の哲学科だし
まあ一例だけでは何とも言えないが、林さんのお弟子さんとか佐藤雅彦さんのお弟子さんで型理論やってた人たちも概ね情報系でポストを得ているんじゃないかな
型理論(高階直観主義論理)などはそもそも純粋数学(あるいは情報系以外の古典的な=解析学中心の応用数学)よりも情報系でのほうが
具体的な応用とかと結びついていて親和性が遥かに良い >>570
もう既にそのツイート削除されてますね
本人はこのスレを見ているのだろうか…
そのツイート内容って本人の偏りすぎた価値観反映されすぎですよね
正直、理系が文系を見下すのは分かる
でも数学やってる人が論理学を見下す理由が全く分からない >>560
>形式的な論理の正しさは
「形式的な論理」って言うこと自体が間違っているのさ。w
論理(法則)は形式的なものではない。 >>574
単純にツマンナイからでしょ
細かすぎて それだけではあるまい
論理学に対して異様に攻撃的な人が多いでしょ
多分に感情的な理由があると思われる >>577
> 論理学に対して異様に攻撃的な人が多いでしょ
> 多分に感情的な理由があると思われる
随分と昔(と言っても戦後)の話だが、東大数学科のとある有名な教授が「私の目が黒いうちは基礎論なんかでは絶対に学位を与えない」
と宣われたという逸話もあるみたいですから確かにね
通常の数学をやってる数学者(MacLane風に言えばworking mathematicians、以下WMと略)が感情的で攻撃的なのは
(数理)論理学というか数学基礎論に対してだと思いますね
しかし日本では>>555にも書きましたが、数学の基礎付けと関係ない数理論理学のことも今でも数学基礎論と呼ぶことが多いので
WMから見れば哲学風味ゼロな数理論理学も哲学風味てんこ盛りな本来の数学基礎論も混同されてしまってて当然です
WMが生業とする普通の数学そのものに対して数学の基礎付けなる言葉で理解困難な懐疑を並べ上げるだけの数学基礎論は
WMには単なる懐疑のための懐疑に過ぎない難癖をつけて言葉遊びをしているだけの哲学厨にしか見えないでしょうから
WMからの反発は尋常ならざるものがあってもある意味では当たり前でしょう
なにしろWMが信じている普通の数学やその論証手段(数学的帰納法など)に対して「君ってナイーブだねえ、そんな怪しげなのを
平気で信用できるなんてさ(笑」といった調子でWMたちを馬鹿にするしか能のない基礎論厨は実際に少なくなかったからです
(今でも基礎論を少し齧っただけの素人ほどこういう知ったかな態度を出す人間が多い)
けれども数理論理学の発展には違った道筋も有り得たのではないかと思うのですよ
そしてそのもう一つの有り得た歴史の中では数学者の論理学への反発はほとんどなかったのではと想像するのです
歴史にIFはありませんが、敢えて数学や論理学の歴史でIFを言わせてもらえば、最初から数学の基礎の云々する基礎論など出現せず
論理に対する厳密な理解のために論理を数学的道具や手法を用いて分析・研究という現代流の数理論理学のアプローチで発展してきたならば
WMの数理論理学への反発はほとんどなかったのではないか、とね
だって、それならば単に研究対象が論理学で現れる概念であるにすぎず手法などはWMがやっている普通の数学と同じですからね >>理解困難な懐疑を並べ上げるだけの数学基礎論はWMには単なる懐疑のための懐疑に過ぎない難癖をつけて言葉遊びをしているだけの哲学厨にしか見えない
「明らか」や「絶対に正しい」に対する懐疑度合いの違いからWMの人と数理論理学の人の意識の違いがあるのだと思います
WMの人は「抽象的思考力のある人が理性的に正しいと思えるものを認める」であって、
数理論理学の人たちは「コンピューターでも理解出来るものを認める」という感じの認識の違いでしょうか
(↑別にこれは意味論、形式論の話を特に意図するつもりはないですが) 数学的帰納法を例に出してますけど、「A⇒A」だって同じ例になると思いますよ
WMからしてみたら「そんなもん当たり前だ」になるでしょうが
数理論理学の人たちからしたら「ヒルベルト流の体系で証明するなら公理に○○を当てはめて〜〜。でこの程度を証明するにも○○行も掛かるんですよ」みたいに。 >>578
>随分と昔(と言っても戦後)の話だが、東大数学科のとある有名な教授が「私の目が黒いうちは基礎論なんかでは絶対に学位を与えない」
>と宣われたという逸話もあるみたいですから確かにね
単につまんないってことだと思うよ 古くはバナッハタルスキ
最近だと実数の中に有理数より多くて無理数より少ない部分集合の存在とか
直感に反する例が出てきたりしてめんどくさっていう印象もあるし >>582
> 最近だと実数の中に有理数より多くて無理数より少ない部分集合の存在とか
詳しく >>561
その人、神戸の菊池誠さんとか加藤文元さんとかを
あからさまにdisるような事ばっか書いてて
人の冗談には激昂するとかどんだけ一方的なんだよ、
と思うよね ついこの間似たようなことあったよね
東大卒の小説家だったか誰かが、東北か北海道のサークルの人に自分の小説批判されただけで学歴持ち出してブチ切れてた奴 >>583
巨大基数公理から2^N0=N2が出る
Nはアレフね カナモリの巨大基数の集合論は前々からやろうやろうとばっかり思ってて全然手がついてないんだよな >>587
2^(アレフ0)=(アレフ2)が
有理数より多くて無理数より少ない部分集合の存在を意味する、というのがよくわからない 2^(アレフ0)は実数の濃度=無理数の濃度
有理数の濃度は可算でアレフ0
アレフ2はアレフ0の次に大きい濃度であるアレフ1に次いで大きい濃度
だから、
有理数の濃度(=アレフ0)より大きく無理数の濃度(=アレフ2)より小さいような濃度(=アレフ1の濃度)をもつ実数の部分集合がある
ということを言いたいのだろうが、もう少し丁寧に書いた方が喜ばれたとは思う 無理数の濃度=実数の濃度=2^アレフ0≦アレフ1
じゃないんですか? 一般にはアレフ1以上だが先に書いてる人が言っているように巨大基数の存在などのもっともらしい公理の追加をすると実数の濃度がアレフ2かアレフ2以下に制限される現象が知られていて俗にアレフ2現象と呼ばれている
今はそのレスからの流れだからアレフ2 別にaleph2じゃなくても、not CHだけで良いよね、っていう >>590
検索したらそいつだった有名な人なんですね 別に矛盾しないならどんな公理を想定してもいいけど
非可算だけど実数濃度より真に少ない部分集合を
具体的に構成してこれと示せないのは気持ち悪すぎ ただ記述集合論をある程度やるとGodelみたいに
CHの方が気持ち悪く感じるようになるみたいなんだよね 別にこれは個人的な好みの問題だから別にいいんですけど、
数理論理学でも集合論でもある程度抽象度のある集合を考えた方が面白い(?)のに、実数の部分集合みたいな具体的な集合考えて楽しいんですかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています