★ 背理法不要論 ★ 対偶は直接証明 ★
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マジレスすると、それは背理法を使っていないのではなく、
背理法の「主張したいことが成り立たないと仮定すると」というステップを出来るだけ後の方に持ってくることで
(偽の仮定の下での)実際には正しくないことが文章中に(ほとんど)出てこないようにしているだけ。
実際には正しくないことが文章中に(ほとんど)出てこないことで気分よくなるのかもしれないが、
「背理法を使わない直接証明」などというものは錯覚にすぎない。 >>3
このHPの証明の中ではどの証明がその構造をしているのでしょうか? 背理法はダメなのに対偶はおkとかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>1
こういう糞みたいなイカレた主義者臭いサイトを作るより、
一般には背理法が使われる問題を片っ端から、背理法を使わず証明して、
それをひたすら列挙するだけの方が啓蒙効果は高い。
> 「私自身が、背理法のおかげで頭が腐った被害者であると実感しています。十数年前から現在もリハビリ中です。」(背理法被害者の会)
臭え 自分も論文で、最初背理法使って考えてたところを、
対偶に書き換えたことはある。
背理法も対偶も本質的には変わらんだろうが、
間違っていることを最初から仮定すると、
ある種の不自然さを感じてしまう。
あくまでも「感じ」に過ぎないだろうが… 背理法は仮定したことが成立しないだけで他の可能性は限定できない
例えば取りうる値が10パターンあるとして
一つを仮定して背理法で棄却しても残り9つの可能性は否定できない
更にその組合せも考えないと 二値論理の反省をしているのなら、対偶による証明でも結局同じことだよ そういう「俺だけは魂胆見抜いてますよ」アピールする意図ってなんなんだろう
褒めてほしいの? >>1を見る限り、釣りではなく、>>1のリンク先の内容に対する批判を募っているようにしか見えないけど
まあ、疑い出せば何でも釣り認定できるのは確かだ
君だけはそう思って満足していればいい >>3は背理法を使わないと証明できない定理があるという意味でしょうか? 本人でなくても流石に>>1くらいは読むだろ
スレタイだけで反射的に先入観を持つなんて、絵に描いたようなネットの愚民の習性じゃん いやいや、対偶使ったら構成的になるとか、そんなわけねーから __,,γ⌒ヽ _
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ムニ( ~ヽ_ト、 著名な論理系では通常、背理法と対偶法が同値であることをスルーして
受験指導と入試の答案ではどちらがよいかを比較してしまっている時点で、
これは数学者の意見ではない。予備校でバイトをし過ぎたのではないか? こういうことじゃないの
A⇒Bの証明で
¬B仮定して適当に証明していってBが出てきた矛盾だ
これじゃなくて
¬Bを仮定するんやったらBを導くんじゃなくて¬A導けば背理法じゃなくて対偶だ俺頭良い 背理法一般はさておき、
√2の無理数性に限って言えば、背理法は筋が悪いと思う。
有理数の二乗は分母分子が平方数である既約分数にしかならないことを示した上で、
2/1はそうでないから√2は無理数、という流れの方がよい。
この流れなら、例えば具体的な分数を二乗して実験するところから始めて、
それを一般化して証明することで
一般化抽象化という数学的思考法に沿っている。
「有理数の二乗が取りうる値の集合」なんて数学っぽいじゃないか。 背理法と対偶法の違いは、
レトリックに過ぎないよ。
文芸的証明を目指してるの? >>29
√2を示すときのは(¬I)で背理法とは違うらしいよ
『Q&A数学基礎論入門』 背理法を使う根拠になっているのは
排中律、すなわち、
命題は 真 か 偽 かのいずれのどちらか、
という前提だよね。
昔にもこれを無条件に認めるのが気持ち悪い人がいて、
ブラウワというオランダの数学者だが、
背理法、排中律を用いない数学「構成的数学」を提唱している。
ワイルもこの立場を支持していたという。 ワイルさんは一時の気の迷いで流行りものに乗っかっただけ >>35
対偶法の根拠も、排中律だってことを
解って言っているのならokなんだけどね。 自然数a,bによって√2=a/bと表せると仮定するとaa=2bb
しかし、aaと2bbの素因数の個数は偶数と奇数で異なるから矛盾
並べ替えてるだけじゃないの
高校では素因数分解を使う証明に慣れてないから長いだけで
結局示すのはaa≠2bbじゃなかったっけ 専門の数学でも自然数の整列性は自明と見なして証明しないよね 否定導入則を背理法でないというなら確かに√2が無理数である証明に背理法は要らない。
もしそれも背理法と呼ぶなら、無理数の定義が有理数でないという否定によるものなので、補題で使われているなど表に出なくてもどこかで使われることになる。 背理法による証明とはつまり
A1, A2, …, An, ¬B├⊥ を先に導いておいてから A1, A2, …, An├B と結論付けること
「導く」を「紙に書く」と言い換えてもよい
背理法を使わない直接的証明とは
A1, A2, …, An├B を直接導くこと
別に何かおかしなことを言っているわけではない
後者なら確かに、証明には正しい命題しか現れない 否定も出来るだけ使わず、Peirceの法則で乗り切る 高校では対偶は間接照明と教えているんだろ
小学校で3✕5が正解で5✕3はバツになるというようなものか 間接的かどうかはメタ数学的な視点に立って初めて意味をなす概念なので、>>47の理解は間違っている 智慧遅れにも安部ちゃん信者が結構いるのね。罪深いなあ。 民主党だけは駄目だと言ったら、IQ低そうな言動を繰り返す人々から安部信者扱いされました 主張は, 命題Aの証明において,
¬A⇒B∧¬B
を導く背理法では命題Bの選び方が不定であるが高校教員はその事実を認識していないから教育的にはよくないということかな
大学の数学教育でわざわざ背理法を回避する根拠には薄いけど高校教員は分かっておくべきだとは思う これはわかるが結局は慣習の問題として周りに合わせるのが正解おね
かなしいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています