秋山仁は、『オロカ者の定義』(1995)で、以前は受験に否定的だったが、今では受験というのは素晴らしいことだと言っている。
300以上の高校に講演に行ったが、生徒の態度が悪かったのはいずれも有名私大に内部進学する高校で、大学受験する高校の生徒は目が光り輝いていた、と言っている。
若いうちから試練を経験することは生涯の財産だ、と言っている。
しかし「若いうちから試練を経験する」ことがよいことだとしても、それが受験である必要はどこにもないではないか?
かつての東京物理学校のように、無試験で入学して、入学後にしごかれるのも立派な試練だろう。というか、教育的にはそちらのほうがずっといいはずだ。
もちろん、秋山の予備校講師としての立場から受験に否定的なことをいえなかったという事情はあるだろうが。
なお、言うまでもないが、秋山仁がグラフ理論のジャーナルを創刊し、研究の発展に貢献してきたことは素晴らしいことである。