秋山仁
話題になってないようだけど ここ1年か2年で何か手術されたようだね ソースはマスパワー2017 >>296 今でもいるよ。大学では本名・予備校では別名で教えてる先生いるよ。 東京理科大みたいな存在が関西にもあればよかったなあ… 関西圏はすぐそばに北関東の県庁所在地以上の本置いてある書店図書館のあるターミナルクラスの立地へのアクセスいいから独学能力高ければどうとでもできるだろ 好き嫌いか生徒の意見がハッキリ分かれるタイプ 駿台で人気No.1 だったが、アンチもNo.1だろう 駿台の講師の序列は 3N+Y+A 野沢主任 中田 根岸 山本 秋山だった 全盛期は若手だった 五人の中でも一番若かった 野沢や根岸は多分星になってる年齢だ 生存者は誰すか? 因みに英語主任伊藤、物理元主任坂間(山本の前の主任)は死んだ。 物理主任山本は生きてる!! 化学主任三国と数学は誰が生きてるの? > 3N+Y+A > > 野沢主任 > 中田 > 根岸 > 長岡 > 山本 >>339 > 好き嫌いか生徒の意見がハッキリ分かれるタイプ > > 駿台で人気No.1 だったが、アンチもNo.1だろう > > 駿台の講師の序列は > 3N+Y+A > > 野沢主任 > 中田 > 根岸 > 長岡 > 山本 > 秋山だった > 全盛期は若手だった > 五人の中でも一番若かった > 野沢や根岸は多分星になってる年齢だ >>341 > 生存者は誰でしょうか? > 因みに英語主任伊藤、物理元主任坂間(山本の前の主任)は死んだ。 > 物理主任山本は生きてる!! > 化学主任三国と数学は誰が生きてるの? > > 3N+Y+A > > > > 野沢主任 > > 中田 > > 根岸 > > 長岡 > > 山本 > > > >>339 > > 好き嫌いか生徒の意見がハッキリ分かれるタイプ > > > > 駿台で人気No.1 だったが、アンチもNo.1だろう > > > > 駿台の講師の序列は > > 3N+Y+A > > > > 野沢主任 > > 中田 > > 根岸 > > 長岡 > > 山本 > > 秋山だった > > 全盛期は若手だった > > 五人の中でも一番若かった > > 野沢や根岸は多分星になってる年齢だ 三国均駿台化学主任も2005星になってる 英語主任伊藤和夫も星になってる 山本義隆物理は存命 中田先生には高1の夏期講習で習った思い出が。 整数問題の解説してくれて、整数問題は高1でも浪人生でも何故か 差が付きにくいからよく勉強してくれと鼓舞してくれたかな 秋山先生はテレビ講座以外にも文化放送のラジオ講座にも出てたね 話全然変わるんだけど、旧バルセロナのシャビが引退したね あの人プレー中、何故かいくらでも選択肢あるはずなんだけど ほとんど一番遠い相手にスル―パス送ってた 駿台で数学特講・秋山って書いてあったから秋山仁かと思ったら、秋山延雄という講師だった思い出 >>347 何となく・・ 雑談スレでやれば良かったかな ただ段々年を取るとね、若い人の言わんとすることが序盤で分かった気になったり 昔のことを懐かしいむ気持ちが強くなって、よせばいいのにそれにとらわれたりする 当時の駿台の東大コースだっけか。 英語の奥井潔先生の授業が好きだったな。 奥井先生の駿台を巣立つ君達へだったかな、夏期NHK教育で存在を知り 駿台生ではなかったですが94年春に最終講義を聞いたことがあります。 自分を傷つけないために他人や物事に絶対に期待をしてはいけないと 君たちに言っておきたいとおっしゃってました。 物静かな雰囲気を漂わせた不思議な感じの先生でしたね。 秋山仁先生は毎年夏休みNHKNHK数学基礎講座をやっていた約10数年続いた 自分で小道具作って実験して定理を証明した 長髪にバンだな巻いていたちっとむ基礎じゃなかった >>345 > 中田先生には高1の夏期講習で習った思い出が。 > 整数問題の解説してくれて、整数問題は高1でも浪人生でも何故か > 差が付きにくいからよく勉強してくれと鼓舞してくれたかな > 秋山先生はテレビ講座以外にも文化放送のラジオ講座にも出てたね 新著 離散幾何学フロンティア 260ページ 近代科学社(2020/1/25) 独自に考案・発見した離散幾何学の定理を約1,000点におよぶ図版を用いて詳細に述べられている。 らしいです 数セミで盛んに出題していた二面体ハンコとかですかねー 『努力は報われず正義は滅びる レゲエ数学者の人生談義』の67ページによると、 >九月にいくつかの大学院を受け、ことごとく落ちた。 とあるが、他の本では9月に受けたのはひとつだけだったような記述になっているが… 落ちたのは阪大とどこだろう? 秋山仁初代彼女 由美かおる→美保純→次誰ですか? どうせノギス、分度器、コンパス、産婦人科で広げる器具で散々微分、積分、二重積分、偏微分して飽きちゃったから捨てたんじゃないの? 駿台数学の秋山仁 駿台古文 美人高橋いづみは色物の双璧だったな ふたりでラブロマンス無かったのかな? 高橋の好みじゃないな… 3月の宿題で(1)のみ正解の数弱@shukudai_sujaku 昨年度の大学への数学(大数)での勝率は、 学コンBコースが 1/1 = 100% , 宿題が 3/10 = 30% でした! 宿題の勝率が低すぎると思うので、 これからは一層精進していきたいです! https://twitter.com/shukudai_sujaku https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 秋山仁先生は駒場東邦でビリから2番目 logを十グラムと読んで 十グラムとあだ名がついた その生徒が、定理を10個発明する学者になっちゃうんだから分からないね ノーベル物理賞小柴昌俊もビリから2番目だったよ 金メダリスト高橋尚子も金メダリスト野口みづきも日本の県の代表で、ビリから2番目だった どんなにマイナーな分野であっても 自前の定理を10個持ってる学者の方が、 メジャーな分野でものすごく博識ではあるが自前の結果のない学者よりも 学者としては格上だね >>360 秋山仁はわりと論文書いてるよ そこが森毅とは違うんだな >>359 「駒場東邦でビリから2番目」というのは、模試の結果でビリから2番目だったことがあるってだけだよね。 高校入試では都立西高が第一志望だったが落ちて、すべり止めの駒場東邦に入学。当時は駒場東邦はまだ新設校で大した進学校ではなかった。高校からの外部募集は7名受験で全員合格。 >>361 だから秋山仁のことを よく論文書いててえらいねって意味で言ってるのだけど 本人はいい人みたいだが、 有名人の周りには碌なのがいない 駿台予備校で教えていたころは弟子が何人かいたが、 あの人たちはどこに行ったのだろう >>365 人気も有ったがアンチも多かった プリント授業で、テキスト以外にも類題を増やしてくれた 長髪バンダナだった 全盛期は腰まで髪の毛が伸びていてある日、肩まで切ったら教室が拍手喝采になった 雑談が多く、正味の講義の時間が削られた、から嫌う生徒も居た プリントだから講義に出ない生徒もいたお陰で、潜りの空席も有った >>363 かおりんと別れて落ち込んでるから もっと褒めてあげて アメリカでグラフ理論のハラリー教授から 「一日にひとつ論文書け」と言われたらしい。 秋山仁さんは数学の賞を一つももらってない。 フィールズ賞、アーベル賞は無理にしても、 春季賞、秋季賞などをもらってない。 しょーがないなー せっかくのカツオの刺身に生姜がない! 山本義隆とか不破哲三。東大物理学科ですごい秀才だった。 しかし、学生運動で違う道を歩んでしまった。 昔、文芸春秋などの雑誌でよく取り上げられていた。 >>371 日本数学会出版賞受賞者やぞ。 馬鹿にすんな。 数学そのものでは受賞したことがない。 数学の普及活動では他にもあるが。 youtubeで秋山仁さんの皆殺しの数学の動画見ましたけど、 画質とか、音声がイマイチ けいおんの「秋山澪ちゃん」で吹き替えの動画を誰か作ってくれないかな。 >>370 めっちゃ頑張ってかなりの本数を書いたらしいね 何度もお会いしたことあるけど努力と根性の人だよ ブルーバックスの本の中で、自身のエルデシュ数を確か偽装して週刊誌で叩かれていた記憶がある。 数学掲示板群 ttp://x0000.net/forum.aspx?id=1 学術の巨大掲示板群 - アルファ・ラボ ttp://x0000.net 数学 物理学 化学 生物学 天文学 地理地学 IT 電子 工学 言語学 国語 方言 など PS 連続と離散を統一した! ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3709-0 微分幾何学入門 ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3694-0 >>379 エルデシュ...グラハム他...秋山 で2って言ってたと思うけど 実際はいくつなの >>383 確か、遊びから作る数学という本にAkiyamaが2になっていたと思います。それが週刊誌によると偽装のようです。 キリング形式の数学をメフィストっぽいキャラデザの某家電メーカー創業家一族に習う >>383 MR Erdos Number = 2 Jin Akiyama coauthored with Noga Alon MR1018601 Noga Alon coauthored with Paul Erd?s1 MR0996763 だって。 別な経路があるかどうかは知らん。 そうそう、ツールがあるんだった エルデシュとピーター・フランクルに共著あり MR Erdos Number = 1 Peter Frankl coauthored with Paul Erdős1 MR0932119 ピーター・フランクルと秋山に共著あり ToolMR Collaboration Distance = 1 Peter Frankl coauthored with Jin Akiyama MR0785662 だからエルデシュ...フランクル...秋山の経路でもたしかに2 グラハムと秋山の距離は2 MR Collaboration Distance = 2 Ronald L. Graham coauthored with Noga Alon MR1285588 Noga Alon coauthored with Jin Akiyama MR1018601 これはこのアメリカ数学会のサイトが把握している範囲には グラハムと秋山の共著がないということ 今度は週刊紙のデータベースがあればなー 澪ちゃんですよ 秋山澪ちゃんと、バーチャル化した秋山仁さんが 皆殺しの数学をやってる動画作ってー >>376 山本師の物理入門も全然入門じゃない 基礎じゃない 大学生でも使えるよ しかしよく考えた良問題だ >>391 東大入試を超えてる問題がある ファインマン物理の 巻末の問題くらいのレベルもある。 山本先生って伝説の駿台講師でしょ 担がれて学生運動に傾倒せずそのまま大学に残ってたら 世界的な物理学者になってた人だって聞いたことがある 山本義隆。大学から大学院にかけて、優秀で期待されてはいた。 世界的な学者になっていたかどうかは誰にもわからない。 共産党の不破哲三も期待されいた。数学と物理学で。 処分撤回闘争で停学処分になった。卒業後、鉄鋼労連に就職した。 人それぞれに色んな価値観があると思うんで何なんですけど、 奇しくも思想系に走ってしまうと、なぜか本来の道からそれて別のとこに 運ばれてしまうって感じでかね グラフ理論は難しいから皆が手をつけなかったのではありません。まだマイナーな分野だったので、当時の日本で本格的に研究している学者が日本にいなかっただけです。だから私が第一人者です(笑)。1人で細々と取り組んでいたのですが、そのうち本格的にやって、良い結果を出したいと欲望が増大しました。そこで、グラフ理論の世界的な大家であるミシガン大学のフランク・ハラリー教授に「師事したい」と手紙を送ったら、半年後に「君の熱意を感じたから来なさい」と返事をもらえたんです。喜んでミシガン大学に留学してみると、実際のハラリー先生が強烈な人でしたねえ。彼のモットーは「Another Day,Another Paper(1日1本の論文を書け)」。数学者の世界では、論文は1年に1本書けば、非常に活発なほうなんですけどね(笑)。過酷な環境でしたが、そこで芽が出なければ、もうすでに30歳ぐらいの私は数学者を廃業するしかありませんでした。ラストチャンスだと思ってトコトンやったのが功を奏したのでしょう。最初は、ハラリー先生と共著の論文が1本出せればいいな、ぐらいに思っていたのが、留学中に20数本も書くことができました。私の人生の中で、非常にプロダクティブ(生産的)な日々でしたね。 将来の可能性は何ひとつ無かった。指導教授には見放され、専攻していた偏微分方程式は難攻不蕩に思えた。いくら勉強しても先が見えない。真に「登れども登れどもまだ麓かな」の心境だった。そんな折、高校の頃に授業で興味を抱いた世紀の難問「地図色分けの問題」を思い出し、数学を諦あきらめる前に挑戦してみようと思った。図書館に毎日通い、この問題に関する本を物色し、遂にミシガン大学のフランク・ハラリー教授が著したGraph Theoryに出会った。この本は偏微分の本とは異なり、ほとんどすべての結果が過去20年の間に発見された斬新な定理だった。そのうえ、頑張れば自分にも解決できるかも知れないと思える未解決問題もたくさん紹介されていた。カバーがボロボロになるまで何度も何度も読んだ。何ページの何行目にどんな定理が載っているのかも諳んじられるほどだった(1969年に出版されたこの本はその後、日本語を含め数十ヶ国で翻訳され、グラフ理論のバイブルとまで云われる名教科書となった。) やがて「このまま日本にいても何も変わらない。グラフ理論の本場、米国に留学して、自分の可能性をトコトン突きつめてみたい。それでも駄目なら数学をやめよう」と思うようになった。当時、グラフ理論のメッカはハラリー教授が率いるミシガン大学だった。彼の教科書の一読者に過ぎない私だったが、厚かましくも、ハラリー教授に手紙を書き、「先生の下でグラフ理論を本格的に研究したい。是非採用して欲しい」と、思いのたけを込めた文章を下手な英語で綴った。数ヵ月しても返事はこなかった。半ば諦め、有名な大先生に、あのような失礼な手紙を書いたことを恥じ入りもした。ある日、いつもの飲み屋でアブサンをあおり、安アパートに戻ると、オンボロの郵便受けの中に、赤と青の縞の封筒が顔を覗かせていた。差出人はハラリー教授だった。急いで封を切ると、「お前の熱意は気に入った。受け入れるからすぐにミシガンに来い」と書かれていた。この本は、私の数学者としての人生を切り拓いてくれた運命の教科書である。FIN 3430 学コン・宿題ボイコット実行委員会@gakkon_boycott 9月1日 #拡散希望 #みんなで学コン・宿題をボイコットしよう 雑誌「大学への数学」の誌上で毎月開催されている学力コンテスト(学コン)と宿題は、添削が雑で採点ミスが多く、訂正をお願いしても応じてもらえない悪質なコンテストです。(私も7月号の宿題でその被害に遭いました。)このようなコンテストに参加するのは時間と努力の無駄であり、参加する価値はありません。そこで私は、これ以上の被害者を出さないようにするため、また、出版社に反省と改善を促すために、学コン・宿題のボイコットを呼び掛けることにしました。少しでも多くの方がこの活動にご賛同頂き、このツイートを拡散して頂ければ幸いです。 https://twitter.com/gakkon_boycott/status/1300459618326388737 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 秋山澪ちゃんのパンツで作ったマスクがほしいですね。 >>397 > まだマイナーな分野だったので、当時の日本で本格的に研究している学者が > 日本にいなかっただけです。 だから私が第一人者です(笑)。 伊理正夫とかちょっとでも工学寄りの人らは数学者に含めないって事か? 35年以上昔に、ミシガン大学留学は英語が全然通じなくて半年位で戻ってきたって聞いてるけど >>403 吉永良正『秋山仁の落ちこぼれは天才だ』(講談社文庫)には、嘘ではないかもしれないが相当脚色されているとしか思えない回想があるな。 日本に帰るあいさつをしにハラリー教授の部屋を訪れたら、ハラリー教授は不在だったが秘書からプレゼントを渡された。それが飛行機とホテルの予約と、各大学での講演日程表だったと。 そこで日本語なまりの講演旅行をして数学界にデビューしたと。 いくらなんでも事前に何の相談もなしにハラリー教授がいきなりそんなことをしたとは思えない。 >>373 いや、不破哲三は一高では秀才だったらしいが、東大に進学してからは自治会活動や党活動ばかりでろくに講義にも出なかったようだぞ。 不破哲三。 父親…共産党員ではないが、共産党の支持者 兄…共産党員で、政治家 父親は不破や兄が共産党活動家になったことについてがっかりしていた、 と週刊誌は報道していた。学者になってほしかったと言ってた。 >>407 いや、不破・上田兄弟の父は、息子たちが日本共産党活動家になることについては何の反対もしなかったし、むしろ喜んでいたそうだよ。専従になったことについてはどうかわからないが。 上田耕一郎は東大経済学部でも成績優秀で、「日銀以外ならどこにでも就職できる」と言われたが党活動を選んだと。 不破哲三。 本人の話や週刊誌の報道によると。 中学で大学の数学を勉強していた。 高校の時は、数学者と議論するレベルだった。 高1で素粒子論を勉強していた。 高校を出たら、京大大学院に行きたかった。 大学の講義は出ずに試験だけ受けていたが、 同級生によると試験はスラスラと書いていた。 >>405 「努力は報われず正義は滅びる ― レゲエ数学者の人生談義」じゃね? >>405 >>403 駒場東邦高校時代にlog を10gramって何ですか?と質問して10gramと渾名がついた ミシガン大学留学は英語が通じなくて半年で戻ってきた 学生時代は決して優等生じゃなかった 駿台講師時代は人気講師だったが、風貌のゆえに好き嫌いがハッキ分かれていた 雑談が多いから嫌ってる生徒もいた 秋山仁発見的教授法シリーズは伝説的な参考書 復刊されるまで古本が高価だった いまは入試のレベルが下がったからいらないか read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる