ガガなんてたいしたことはない

 お父さんは実業家で、幼い頃はパリス・ヒルトンも在籍していたお嬢様学校で学ぶ。 
4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになり、13歳で初のピアノ・バラードを作曲、大物アーチストを手がけるボイス・トレーナーにも学ぶ。
14歳からNYのクラブでパフォーマンスを開始し、17歳で世界で20人しか早期入学が許されないというNYティッシュ・スクール・オブ・アートに入学。
そこで彼女は音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善した。

19歳でデフ・ジャムと契約を結ぶ傍ら、家族の助けなしに独立を図るため、クラブダンサーとして生計を立てる。
そのことが両親にショックを与え自らも苦悩したが、母親のまっすぐな助言と父親に認められるため、夢を諦めずに製作活動を行い、
ファーギー、ブリトニー・スピアーズ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、エイコンといった、有名アーティストに楽曲を提供した。
このときエイコンが、ガガには制作者としてだけではなく、歌手としての才能もあると認め、自身のレーベルコンライブとアーティスト契約を締結。
エイコンはガガについて、「類稀な存在」「ダイアモンドの原石」、後に「これで老後の心配はなくなったよw」、と語っている。

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