処女A「私まだHしたことないんだー」
非処女B「うそー?早く経験しなきゃだめだよ?Aはかわいいんだからすぐ捨てられるよ^^」
処女A「でも結婚するまでは大切にしなきゃって思うから・・・」
非処女B「今どきそんな考え方古いよw女の価値は抱かれた男の数で決まるんだよ?
      将来の旦那のことを思うなら、それこそ早く経験しておかなきゃ!!」

この二人の会話に、処女と非処女の基本的な関係性が集約されているようである。

男と女は、残念ながら別の生き物である。
たとえば一度の人生スパンで考えたとき、女はせいぜい1〜10人の子を産むのが限界であるのに対し、
男は100人の女を妊娠させることも可能であり、妊娠による身体的制約などもゼロである。
その結果、男は暇つぶし・ストレス解消など、女にとっては信じられないような理由でセックスをすることがある。
ゆえに女は、少しの容姿と少しの努力さえあれば、男とセックスをすることが可能である。

この点を考慮してみると、Bの主張の拠り所となっている
「女の価値は抱かれた男の数で決まる」という命題は、どこか的を外していることに気づく。
女にとっては、セックスの「回数」には希少性はない。
女は少しの努力で、いくらでもセックスをすることができるのだから。

上の会話の中でBは明らかに、Aに処女を捨てさせようと企んでいる。
しかしBがその根拠として用いている命題は、上で説明したように大きく的を外していた。
Bはなぜ、このようなウソ八百を並べ立ててまで、Aに処女を捨てさせようとしたのだろうか?
その答は、もはや明白である。BはAに嫉妬をしていたのである。

「他の条件が一定ならば、男は非処女よりも処女を好む。」
これはもはや国境を越えて成立する、一般的事実である。
Bは分かっていたのだ。どうあがいても埋めようのない「差」が、Aとの間に存在することに。
その「差」を埋めるためには、Aを自分と同じ「非処女」なる土俵に誘い込むほかに手段がないということに。
Bの言葉は巧妙なレトリックによって、(無意識的であったにせよ)
「処女」とぃう自分よりも優れた存在を一人でも減らそうとした、非処女の醜い嫉妬心の表れだったのである。