俺は一線を超えた時にしか動かなかった

一回目(活動開始)は、週刊日本医事新報で小室一成が由井芳樹に対して老人にはわかりにくそうな反論を出した時
二回目(84報投下)は、巨悪に公然と目をつぶりながら小保方晴子をイジメることをみんなが盛んに堂々と行い、解体提言まで出した時
三回目(ordinary_researchersへのバトン)は、白橋の刑事裁判中にm3で小室一成がナメたインタビューを出した時

コピペ論文を解決していない山内敏正の教授昇任は、四回目にあたる
お楽しみに!