新聞掲載によると、
理財局長。さがわ・のぶひさ。東大卒。1982年大蔵省。国税庁次長を経て、15年7月から関税局長。58歳。いわき市出身」
佐川はいわき市出身で、いわき応援大使も務めている。『広報いわき』2016年6月号では「いわきに生まれ、
平一小・平一中で学んだこともあって、いわき応援大使になりました」と述べている。


平一小と平一中は、いわき市立だ。そのまま福島県内の高校に進学したのであれば、校名を公表するはずだ。
しかし、佐川が公表したのは、小学校と中学校の校名だけだった。つまり、県外の高校に進学したということだ。
佐川が東大を卒業したのは、前述したように1982年である。留年しなければ、東大に入学したのは1978年ということになる。
念のため、同年春の『サンデー毎日』を確認してみた。同誌は、東大の全合格者の名前を誌面に載せるからだ。
1978年4月2日号をめくると、「文科二類」の欄に「佐川宣寿 東京」とあった(154頁の上から5段目)。
佐川は東京の高校を卒業して、東大に入学したのだ。その年度から判断すると、合格までに2浪したことになる。
仮に佐川が磐城高に進学していたら、どうなっていただろうか。磐城高は1978年に9人の東大合格者を出した。
うち5人は現役だった。前年の1977年は10人の合格者を出した。うち5人は現役だった。
磐城高に進学しても佐川は東大に合格しただろうが、15歳の時点では東京の名門進学校に通った方が確実と判断したのだろう。