松根油 樋口晴彦 歴史群像2018年6月号 136Pの日本人の集団心理

科学的検証もせずに松根油生産をスタートしたのは、いかにも軍人らしい視野の狭さである。(中略)
少年の頃から閉鎖的な軍隊社会で養成されてきた人々が、世間知らずで思い込みの強い性格になるのは避けられない。
また、松根油を航空燃料に精製することの技術的な困難に思い至らなかったのも同様だろう。
しかし、1945年4月に「埋蔵松根ハ根コソギ動員」の計画立案者である軍幹部や官僚は、
松根油が量的に無意味である事を数字から読み取っていた筈だ。
それなのに、どうして止まることが出来なかったのであろうか。
筆者は、絶望的な状況下で全国民が一丸となって取り組んでいる悲壮感に、
関係者が酔い痴れていたのではないかと考えている。
実は、日本企業が没落するときにも、このような「症状」が現れることが多い。
その意味では、日本人固有のある種の国民性と言っても良いだろう。
悪化する情勢を打開するには、まず頭を使わなければいけない筈だが、実際には、経営幹部も現場も闇雲に努力し始める。
いったい何を努力するのか?
実は、努力できるものであれば何でもよい。
これまで上手くいかなかった業務手法をさらに熱心に反復する事もあれば、
本件のように意味がない藁のような案件に集中したり、いかにも怪しげな詐欺話にのめり込んだりする事もある。
要するに、現実の数字を直視する事が怖くて、希望に向かって努力する逃避しているのだ。まさに「貧すれば鈍する」である。
情勢が悪化している時に、指標となる数値を直視するのはつらいことだ。
消えかけている「命のロウソク」を見つめるようなものだろう。
「皆で一緒に頑張ろう」と声を掛けあっていれば、そのつらさを暫時忘れることができるが、
その実際は集団自殺と変わりない。