論壇の長老・西尾幹二が明かす“つくる会騒動” 「朝生で助けてくれた西部邁と決別した理由」
“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #2
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――西尾さんは『朝まで生テレビ』にもよく出演をされていました。いつ頃から出ていたのでしょう。

西尾 もともとは一視聴者として面白いなと思って番組を観ていたんです。のさばっていたのは野坂昭如と大島渚でしたね。
この番組は私が出るものではないなと最初は思っていたんです(笑)。

――当初はそうだったんですか。

西尾 ええ。ところが、1989年、ベルリンの壁が崩壊する前後に「偽装難民」が日本で大きな社会問題になったんです。
ベトナム難民を装った中国人が大挙して日本にやってきた問題で、そこから「外国人労働者」の受け入れ是非が社会で
論じるべきテーマになった。私は第二次世界大戦後のドイツが移民を安易に受け入れたがために失敗した現実を目の前で
目撃していましたから、日本がその二の舞になってはいけないといろんな形で反論をしていました。そのような時に
『朝まで生テレビ』が移民問題を取り上げるといい、私が呼ばれたのです。

――『「労働鎖国」のすすめ』(1989年)を刊行されたころですね。テレビではどのような論を展開されたのですか。

西尾 端的に言うと、移民を安易に受け入れることは「弱者の脅迫」を招いてしまうということです。つまり、助ける・助けられる
という関係が逆転し、労働者を受け入れる側がいつの間にか、労働者の送り出し国に依存し、支配されたり、押さえつけられ
たりしてしまう。

(続く)