今日のどさくさ紛れの狼或いは蛙氏の記念真紀子は理解できるがE山氏がいる時でも排除されなかったのは“見世物”
的な価値があったわけで、そこがゴ本人にはまだ十分理解出来ていない点が痛い。  狼或いは蛙氏の
初代牢名主としての勇み立った先ほどの行動にもそれが表れていて5ちゃんに於いても喝采というより苦笑や
困惑が広がっているのではないのだろうか。 //コラム;自己認識としての狼とは何か