検察はこの自供を調書に書き留めた後に、何とその約束を反故にして、麻原元死刑囚にも主犯格の幹部信者には死刑を求刑したと
いうことだ。今年から施行された新しい司法取引では、検察のこのような卑劣な手法は許されない。しかし以前の司法取引といえば、
被疑者に条件を提示して、堂々と調書をでっち上げた後に約束を反故にするは、検察の常套手段である。多くが検察経験者である判事も
、無論承知のことであるが、これは自白としてもよいとして取り扱われている。そのためこの卑劣な司法取引の手法は、我々国民には
理解し難いが、検事や判事は非合法だといった認識が全くない。特に未公開の労働審判や家事事件等では、問題解決能力非合法な
司法取引は、なくなる保証などない。もしこの情報通り、麻原元死刑囚が卑劣な司法取引によって死刑に追いやられたことが
事実とすれば、これは国家による殺人であろう。

無実の麻原元死刑囚を死に追いやった判事や検事連中も、地下鉄サリン事件で何の罪もない市民を死に追いやった犯人も、同じ
人殺しと言える。勿論麻原元死刑囚は信者を制御できなかったという点では、教祖としての道義的責任は免れない。
私に言わせれば、このような煩悩の塊で人間臭い者が、宗教の祖などになるべきではない。しかし麻原元死刑囚が過激な信者に
祀り上げられて、利用されていただけとするなら、道義的責任云々はともかく、判例からみても死刑に相当するとは考えられない。
そして麻原元死刑囚が外界の情報から寸断されていて、犯行の指示を一切していなかったのであれば、もはや無罪と言うべきである。
誰にでも浅原元死刑囚のような、境遇に陥る可能性があるからだ。地下鉄サリン事件等の一連の事件の被害者の無念やご遺族の気持ちを
考えると、勿論元幹部の主犯格らは絶対許されるものではない。しかし、これらの情報が事実である、即ち検察によって元幹部の
主犯格ら嘘の自供をさせられたとすれば、麻原元死刑囚は殉教者と言われても仕方がなかろう。

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なが!と言うか?オウムの後に出来た宗教系団体の誰かが書いたっぽいなw 爺さんwww