そういうわけで、車上生活者なんて、車に乗ってるだけ富裕層であろうし、
ネカフェ難民どころか、ネカフェ富豪と呼んでもいいくらいだと思う。

ひと月10ドル生活では夢のまた夢だ。

世界規模で考えると、解決すべき貧困ではなく、大いに謳歌してもらいたい、
先進国の経済的豊かさ、というところではないだろうか?

ホームレス、車上生活者、ネカフェ難民のひとりひとりの生活は、
世界の最貧国の何百人もの生活を犠牲にして下敷きにした上に成り立っているのだから。

解決すべき貧困ではなく、むしろ解決された結果がネカフェや車上生活として
結実しているということではないだろうか?

外で生活していて、簡単には死なないのだから、社会としてかなり完成していると感じる。

先進国でホームレスや車上生活者、ネカフェ難民がもっと豊かに暮らすためには、
より多くの犠牲を地球規模で出さなければ実現しないけれど、

それをどこまで許容と容認できるか、というバランスの問題だけがついて回る。

貧乏国の何百人より、先進国の一人の方が偉いのか?そんなに大切なのか?
という問題ね。