風邪気味で頭回ってないが、
放置技のケンイチ氏がキリストやイエスや聖書の文言を根拠にしたいのか?
そんな書き方をしている。

いつも思うのだが、優れた頭脳は、キリスト教に根負けしている。

それは致し方ないと俺ながら思うんだが、、、
良いところまで自発的思考の展開が、
結局はキリスト教、つまりユダヤ教、ドドの詰まりがタルムードに加担する結果を成すのかが不思議だ。

ケンイチ氏の作文をよく読んでいないので俺がダメなんだが、
俺の臭覚が、俺に伝えて来たので書いておく。

文章能力の高さと、文章能力の不備を抱えた人間理解の方向性は違う。
文章能力が低ても、文章能力が高い人より良い人達は、世界中に五万といるので、
そこは文章能力の高低のそれぞれの欠点や利点両者が伴って、
妥当性が保たれる人格者が現れるのであって、
言葉の良し悪しに直接人格の良し悪しに影響する度合いにも、高低が、
それなりにケジメみたいなものがあるのである。