>>53 の続き

ですが頼朝が日本人残党に暗殺されジンギスカンは危機感を覚え大陸に戻りました。
その証拠に頼朝の墓が三宅島の神着王葬山にありますがなぜか蒙古王という肩書きになっています。
そして滅亡した白河王朝の後を継いだ北条の推す後鳥羽天皇の後鳥羽王朝もジンギスカンの孫であるフビライに滅ぼされます。
九州には年代不明の南宋式の鬼城という古い城郭が沢山ありますが元寇の時に築蔵されたと考えればしっくりきます。
当時の日本人に南宋建築は絶対に不可能です。オーパーツです。
元寇によって再び焦土と化し後宇多天皇が処刑され後鳥羽王朝も断絶し再び傀儡鎌倉幕府の時代が始まります。
ここからは正統派の殆どの学者が無視する伏見王朝の始まりです。
伏見天皇はモンゴル人です。
当然これも長続きせず後醍醐を最後に断絶しますがこれの傍流が南朝の祖先になりました。
楠木正成が強いのもモンゴルの血を引いてたからです。
後村上天皇による後村上王朝の始まりです。