プロセイン王国の国旗は、私のブログの読者にはお馴染みのあのマークだ。
転載元 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

今とは状況は違うかも知れないが、簡単に言えば、上のプロセイン王国と言うのは後のドイツ帝国後々のナチスであり、
イギリスはユダヤ人銀行家マイアー・アムシェル・ロートシルトの影響力の強いロスチャイルド系であり、そこから多くの移民が行くアメリカ合衆国とは、兄弟のような物だろう。

つまり、今もそうだがこの当時も五国同盟の中にも、ユダ系とカトリック系の犬猿の対立はあったように見える。

日清戦争そんな中、日本は、当時の中国、清に勝ち朝鮮半島を手の中に入れると思いきや、ロシア・フランス・ドイツが、ちょっと待ったと言ったのかどうか分からないが、
朝鮮半島を返せと言い、日本はそれに応じる変わりに、中国から多額の賠償金を得ることに成功する。

建前上、この時日本は朝鮮半島から撤退し、朝鮮半島の統治権は清に移っているが、戦費調達と賠償金支払いのために欧州列強から多額の借款(関税収入を担保にする等)を受け、朝鮮半島も内乱もあったりと、日本は撤退、
中国も影響力殆ど無しの状態で作られたのが、「大韓帝国」と言う事らしいが、意外と当時列強の1つのロシアの影響はあったのかもと思っている。

その後、ロシアは朝鮮半島にあるとされる利権を手がかりに南下政策を進めたと言う。
更に1861年(文久元年)にロシア軍艦対馬占領事件があったため日本国内における反ロシアの機運は一層高まった筈だ。