伏見殿が国体天皇となり、伏見殿から出た後花園(ごはなぞの)天皇の末裔が皇室となって代々政体天皇に就いてきましたが、
「堀川政略」により、皇室の国際化のため、伏見殿が海外事項に専任し、政体天皇が国体天皇になりました。