モンゴルによるイラクのバグダード侵攻(1258年、フレグの西征)が、
東と西の文明の衝突であったことは前スレでも見てきた。

興味深いのは、そのモンゴル軍が自らイスラム化していった点だろう。

フレグ(チンギス・ハンの孫)家がイスラムに改宗する以前は、
チベット仏教などに多大な寄進を行っており、
イラン東部のホラーサーンにも仏寺が建立された。

第七代君主ガザン・ハン(1271-1304)は、モンゴル軍にスンナ派への改宗を命じ、イスラム教を国教としたし、
第八代君主となったその弟オルジェイトゥ(1280-1316)はイスラム教の普及に努め、シーア派への改宗も行っている。