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ヤクザと性の奴隷

 …(略)…しかし、観光旅行を異文化間の理解を築き上げる手段と考える日本人旅行者はほとんどいなかった。むしろ、
日本中からやってきた男たちが東アジアほぼ全域の売春旅行に勢揃いしたのだった。一度に200人もの日本人男性が、
ジャンボ・ジェット機で東アジアの町々に降りたら、酒を飲み、女性を買う乱交パーティーを唯一の目的として事前にアレンジ
された三日間の旅へと進撃するのが常だった。こうしてセックス・ツアー≠ェ生まれた。
 日本人のセックス・ツアーをきっかけとして、東アジア全土における日本人男性の乱暴狼藉に、ヤクザが便乗するように
なったのである。しかし、ヤクザの行動範囲が拡大したというだけでなく、セックス・ツアーは、性の奴隷を国際的に売買する
事業へとヤクザを誘い入れ、慈悲なき事業として、ヤクザによってたちまち太平洋地域に広げられていくのであった。
この事業は、第三世界の主には貧しい数十万もの女性や子供を犯し、彼女たちを自国や外国での売春へと無理やり引きずり
込んでいくそうした事業だった。
       …(略)…
 この動きに関する初期の徴候は、1960年代の終わりには台湾ですでに現われていた。つまり、このころ安い売春宿を利用
するために、日本の男たちが集団で飛行機に乗ってやって来たからである。
       …(略)…
 1965年に日本との関係を正常化してからは、韓国では観光事業が急成長し、1970年代後半になると、毎年65万人以上の
日本人が訪れるようになった。しかしながら、そうした旅行者たちのほとんどが、寺院を見てまわることなどしなかった。
韓国観光省の調べでは、男性の少なくとも8割が、韓国で最も印象的なものとしてキーセン・パーティー≠上げていた。
       …(略)…