ツイッターより:

>玉砕や特攻は窮余の一策でも苦肉の策でもなく、靖国の精神がそうであるように、
>「彼も死んだのだから、お前らも続け」という集団狂気の一部だったのではないかと思う。
>それは例えば、部活動において先輩が後輩に理不尽な苦行を強いる時の、「我々も耐えてきたのだ」というロジックにも似ている。

>「先の戦争で命を落とした人たちのお陰で今がある」みたいな論理は、ぼくには無責任な感傷としか思えない。
>異国のジャングルの奥地で餓死や疫病により死んでいった人たちの死に、一体どんな「意味」があったのか。
>ただただ無意味に彼らを「殺した」という事実を、我々はいい加減に認めるべきだ。

>こういうことをいうと、「英霊の死は無駄死にだったというのか! お前はひどい奴だ!」などと
>感傷的に謗られるかもしれないが、ぼくは無駄死にだったと思う。
>「無駄死に」という言葉に抵抗があるなら、「無駄殺し」だといってもいい。
>あの集団狂気の中で、我々は多くの人間を無駄に「殺した」のだ。

>国家や社会による「無駄殺し」に対する責任追及を交わすために、
>個人の死を「無駄死に」と断ずるのは死者への冒とくだ、みたいな詭弁を弄するのは
>いいかげんにやめにした方がいい。
>そういう詭弁を放置すれば、同種の論理をいじめによる自死や過労死にすら適応し、
>責任逃れをするような輩が必ず出てくる。